15
翌日からジークは塔の入り口前に張り込んでいた。
武器の手入れをしているふりはテルマを待っている時と同じだが、ある時視線がぐわりと持ち上がる。
目の前を昨日忠告した少年のパーティが横切っていったからだ。
全員が見事に、あからさまなまでにジークのいない方を向いて、気付かなかったふりをしている。そこまですれば当然あえて見ないようにしているのはバレバレだ。
そのまま塔へ入り、宝玉に触れたのを確認して、ジークはため息をつきながら立ち上がった。
「ジークさん、例のやつですか?」
馴染みの塔の番人の質問にジークは答えない。
「はぁ、まあいいですけど。そろそろ自分の評判とかも気にしちゃどうですかね? 何なら俺はこれまで皆に何があったか……」
「余計なことをするな」
ジークは一言だけ釘を刺してから、黙り込んだ番人の横を通り抜けて、宝玉に触る前にふと立ち止まり振り返る。
「いいんだ、俺は」
ジークはそうして宝玉へ触れて三十階へと向かう。
「……そうは言うけど、黙ってる方の気持ちも考えて欲しいよなぁ」
「どういうことです?」
残された番人がぼやくと、すぐ近くから女性の声で質問が飛んでくる。
驚いて体をはねさせた番人は、声の主がテルマであることを確認して苦笑した。
彼女が今、ジークが気にしている相手の一人であることを知っているからだ。
「いやいや、何でもないですよ」
「……あの人と親しいんですか?」
「長くこの街で塔に関わっているので自然と」
「あの人、ちょっと変じゃないですか? 何がしたいんでしょうか?」
番人はテルマの質問の意図をはかりかねる。
テルマがジークのことを嫌っていると、なんとなく噂で聞いていたからだ。
ジークに恩がある番人は、彼女の質問に何かを答える気にはならない。
ジークに余計なことをするなと言われたばかりだし、そうでなくてもジークのことをよく知らないで嫌っているような人間に与える情報はなかった。
「さぁ? 俺はただここで働いているだけですから。たまには言葉を交わすこともありますよ」
「あんな怖い顔をした人とですか?」
「……ええ、あんな怖い顔をした人とでもです」
「そうですか」
小さくため息をついて諦めたテルマは「お時間とらせてしまってすみません」といって、宝玉へと歩き出す。
その背中へ、番人はなんとなくもやもやした気持ちを発散するために言葉を投げかけた。
「……人は案外見た目に依らないもんです」
「…………もしかしたら、そうかもしれません」
同意の言葉が返ってきて、番人が『おや?』っと思ったときには、テルマの姿は消えてしまった。
これはもしかしたらお仲間の誕生か、と番人は顎を撫でながら考えるのであった。
◆
最初に塔の中へ入った少年たちは、少し興奮しながら先を急ぐ。
あの怖くて有名なジークを出し抜いてやったスリルによるものであった。
「あいつ、塔の前で見張りやがって! 何か言ってくるかと思った!」
「追いかけてくる前に先を急ごう」
「そうね、あ、でも気を付けてね。三十階は大蛙がでるって。攻撃があまり通らないから、慎重に進んだ方がいいらしいよ」
「分かってるよ、分かってる! 大蛙なら、前の階でも一度見たことあるだろ!」
全員の声が上ずっており、新たな場所の探索に浮足立っている。
ベテラン冒険者ならば、誰が見たって最低でもひとりは死ぬなって感じの浮かれ具合だ。
せめて入り口のところで一息ついて気合いを入れ直せば話は別だったのだろうが、ジークが後ろからやってくるのではないかという恐れが、その時間を彼らから奪い取った。
完全に忠告が裏目に出ている形である。
先に入った探索者がいたのかいくつかの部屋を通り抜ける間、魔物と遭遇することがなかった。一応マッピングをしながらも、止まることなく細い道を進み、広間へ出ようとした時、後衛の一人が声をあげる。
「生臭い匂いするから、大蛙がいるかも」
忠告に頷いた少年と、盾持ちの前衛二人が慎重に部屋へ入る。
その瞬間、ぼとり、と上から何かが降ってくる。
大蛙が人を上回る様な巨体で天井付近に張り付いていたのだ。
壁に張り付くという情報は事前に持っていたパーティだが、実際に以前大蛙を見た時は、べっとりべっとりと地面を跳ねて移動するだけだった。そしてその巨体が天井に張り付く姿を想像することはかなり難しい。
一度見ていたからこその不意を突かれたのしかかりであった。
少年は素早く身を躱したが、盾持ちが間に合わなかった。
避けようとしたところで足を踏み潰され悲鳴を上げる。
「くそ!」
盾持ちを救出するために崩れた体勢のまま突き出された攻撃は、大蛙の胴体に少しだけ血をにじませた程度で跳ね返されてしまった。
それでも大蛙は腹が立ったのか、のしのしと向きを変えて少年をその感情の読めない双眸にとらえる。
「俺がひきつける!」
宣言通り少年が走り出し、大蛙はそれを追う。
そこで一人が盾持ちを引きずって細い廊下へ戻り、その無事を確認する。
見た目にはそれほどひどい怪我はないが、動かすたびに上がるうめき声が、明らかに骨の異常を訴えていた。
魔法使いの少女が、炎の魔法を詠唱し、その視線で動き回る少年と蛙の姿を追いかける。
以前は前衛二人が時間を稼ぎ、盾持ちが動きを止めたところで魔法を使い仕留めたのだ。今回もその流れで行きたいところだったのだが、どうにも動きが速すぎて狙いが定まらない。
あとは放つだけ、という状態になっても動きが止まらないことには射出できないのだ。
「どこかで止まって!」
「……くそ!」
動きを止めるためには、力が足りない自覚があった。
それは少年ではなく、盾持ちの役割だったはずだからだ。
それでも少しの時間くらいは、と真正面から戦う勇気を出して剣を振りかぶったところで、べろりと別方向から舌が伸びてきた。
少年の剣を絡みとった舌は、勢いよく引っ込んでいき、奥にあった太い道からのしのしと大蛙がもう一体現れる。
「あ……っ」
少年が気を取られたところで、その胴体に舌が絡みつく。
「やめ、やめろ!」
腰から何とかナイフを抜いた少年は、舌にそれを突き立てる。
ぼよん、と冗談みたいな弾力でそれは跳ね返される。
腕の力で振っただけのナイフなんて、丈夫な大蛙の舌に突き刺さるはずがなかったのだ。
「あ、ああ! た、助け……!」
最後まで助けを求めることすら出来ずに、少年の姿は、大蛙の口の中へと吸い込まれて消えてしまった。
ごくり、と大蛙の喉が動き、お腹が少し膨らむ。
中で暴れているのか、大蛙の体が内側から収縮を繰り返しているのがわかる。
だが、大蛙はそれを意にも介さず、のしのっしと向きを変えると、今度はその目を残った仲間たちへと向けるのであった。
◆
続いて塔の三十階へ入ったジークだが、そこには既に少年たちの姿がなかった。
それだけでジークは、彼らがどれだけ浮足立っていたかを察する。
普通は入り口で注意事項や役割分担を改めて確認してから向かうものなのだ。
「馬鹿が……!」
一言だけ漏らして走りだしたジークだが、塔の中のルートはいくつにも分かれていて、どの道を進んだかを察するのは難しい。せめてあまり遠くへ行かないうちに戦闘が発生すれば物音で分かるのだがと、ジークは鬼のような形相を浮かべ、最初の分かれ道の前に待機する。
そうして、僅かに聞こえた音を頼りに左の通路へ飛び込み走り、分かれ道の前でまた耳を澄ませ、次の通路へと進んでいく。
人の命なんてほんの数秒で失われるものだ。
はっきり言って今から向かって間に合うかもわからない。
運が悪ければもう死んでいるし、そもそもこの音自体が彼らのものである確証はなかった。
悲鳴が聞こえた。
少年の名前を呼ぶらしい少女の声が聞こえた。
それほど遠くない。
ジークが廊下を走ると、三人の人影が見える。
部屋からは二匹の大蛙が迫ってきていて、少女が炎の魔法を放とうとしているところだった。
片方の大蛙の腹が膨らんでいて、少年が呑み込まれたのであろうことがわかる。
僅かに中で動いてるようにも見えるが、すでにそれはかなり弱弱しいものになっていた。
「どけ!」
炎の魔法が放たれる直前、ジークはその肩を押しのけて放たれた魔法に剣の平を振り下ろしてかき消す。
これが少年を飲み込んでいる大蛙に当たりでもしたら中身は蒸し焼きだ。
まずは先に近寄っているお腹が小さい方の大蛙を唐竹割に両断。
それから剣を返して、続く大蛙の頭部だけをきれいに斬り飛ばした。
ジークはそこで止まらずに、まだ倒れてもいない大蛙の体を支えると、喉のあたりに剣を差し込み、腹に向かって一気に斬り裂く。
血液があふれ出しジークの全身を濡らす。
ジークはそれをものともせずに、食道をがっしりと掴んで引き寄せ、人の形に拡張した胃袋を露わにした。
すでに胃袋の収縮は止まっており、少年の意識がないことがわかる。
ジークは剣を振り下ろし、胃袋上部を切断し、中に入っていた少年の腕をつかみ、思いきり引っ張りだした。
何度か力強く背中を叩くと、少年は何かを吐き出し、なんとかひゅーひゅーという浅い呼吸を取り戻す。
露出していた肌がただれ始めており、ジークは急いで水筒を取り出すとその顔にかけて消化液を洗い流しながら声を張る。
「魔法使い! 水を出してこいつについた体液を洗い流せ!!」
言い終えると今度は少年の衣服を破り捨てながら脱がせて、全身にまとわりついた消化液を洗い流せるように準備する。
戦闘音とジークの怒鳴る声で慌ててやってきたテルマが到着したのは丁度その時だった。血だるまのジークが、意識のない少年の衣服を破り捨てているところである。非常に間が悪い。
「な、何をしてるんですか!」
「黙ってろ!!」
悲鳴のような非難の声を上げたテルマだったが、ジークがそれ以上の大音量で怒鳴りつけたことで、緊迫した状況であることだけは悟って黙り込んだ。




