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探索者や研究者たちの間では、塔は百階が最上階なのではないかとまことしやかに噂されている。
その半分に差し掛かる四十階層となると、段々と敵が強くなってくるのだ。
大蛙のような魔物が通常の敵として現れ、それをペットのように飼いならす、オーガと呼ばれる魔物が戦いに割り込んでくることもある。テルマの実力であれば、それら全てを一人で捌くことが出来るが、一撃必殺の怪力を誇るオーガ相手には油断は禁物だ。
慎重に立ち回らなければならない相手が増えてくるというのは、それだけで神経を削るもので、パーティを組んだ方が安定するのは間違いないだろう。
入口手前でテルマと合流したジークは宣言通り、自分の方へ魔物がやってこない限りは手を出さずに様子を見ている。テルマは一撃にこそ重さはないが、確実に相手の動きを封じてとどめを刺すのがうまかった。
大蛙よりもむしろ人型のオーガ相手の方が楽なようで、多対一になると優先的にオーガの足の腱などを切断して戦闘力をそいでいた。実力が高く、動物型よりは人型の方が弱点がわかりやすいからこその動きなのであろう。
これならば五十階層も確かに安心して見ていられそうだ。
途中休憩を挟んだ時、テルマはじとっとした目でジークのことを黙って見つめている。何か言いたげなのはわかったが、何も言ってこないので無視していると、やがて業を煮やしたテルマが唇を尖らせた。
「本当に手伝ってくれないんですね」
「……困っていなかっただろう?」
「そうですけど……」
「その腕なら五十階層までは問題ない。その先は危ないだろうな」
元の塔では七十階層まで登っていたテルマに対して、随分と失礼な発言である。
しかしテルマは黙り込んだ。
実際、テルマの見立ても同じであったからだ。
それでも他人に言われると悔しくて、つい不満だけは露わにしてしまう。
「どうしてそう思うんですか」
「……わからないのか?」
「分かってます。私の戦い方は、相手をよく研究したうえで対応するものです。初見の七十階層の相手といきなり戦って勝てるほどの実力はありません。六十階層でも確かに危険があるでしょうね!」
分からないと答えて、ジークに侮られることがいやで素直に答える。
語尾が強くなってしまったのは、認めることに悔しさを覚えたからだ。
「……大したものだな」
「何がですか」
急に褒められてきょとんと返事をする。
テルマにはジークの表情がほんの僅かだが和らいだように見えた。
「自分の弱さを認めるのは難しい。俺は調子に乗って無茶をして、仲間を殺すことになった大馬鹿を知っている」
探索者にはよく聞く話だ。
才能のある若者が急激に成長して、魔物相手に自分の強みを押し付けて一気に高層階へ駆け抜ける。そして、たまたま通用しない相手に出会ってしまったとき、パーティ丸ごと塔に飲み込まれるのだ。
「……嫌な言い方をしますね」
ジークは自分の話をしているが、挑戦して死んだ誰かを侮っていると捕らえられる言葉だった。
顔も見たことのないテルマの父は、塔で命を落としたと聞いている。
それを馬鹿にされているような気がして腹が立ち、テルマは会話を切り上げて立ち上がった。
何やらまた怒らせたらしいことには気づいたジークだが、それをフォローしようとも思わない。原因が今一つはっきりしないし、探索者と仲良くしようという気が端からないからだ。
「もう行くのか」
もう少し休んでからでいいんじゃないか、という助言のつもりだったが、テルマはふんとそっぽを向いて歩き出した。実力を考えればそこまで心配するほどのことではないが、塔でもイレギュラーが発生することはある。
時折高層階の魔物が、戯れなのか、たまたまなのか、適正より下の階へ降りてくることがあるのだ。本来ならば、そういう時のために力を温存しておいた方がいい。
本当に滅多に起こらないことであるが、半分塔に住んでいるようなジークは、それが実際にあり得ることを知っている。
だからこそギルドに事実を伝えて警戒するように通達を出してもらっているのだが、どうもほとんどの探索者たちは話半分にしか聞いていないのだ。
その原因は、遭遇した場合そこにいる探索者が全滅してしまうことがほとんどで。語り部が存在しないからだ。いくらギルドが通達しようとも、実体験した者の口から語られない以上、警戒する必要もないと考える探索者は多い。
言葉が足りず、信じさせようとする努力を怠っているジークサイドにも問題はあるが、信じない結果命を落とすのは探索者本人である。
ぷりぷりしながらどんどん先へ進んでいくテルマの動きは、むしろ先ほどまでよりもキレがあっていい感じだ。感情の起伏によってパフォーマンスが変わる者は結構いるが、テルマはそのタイプであるらしかった。
何の心配もないまま四十七階層までやってきたところで、テルマは立ち止まって探索を切り上げる。無言で各通路に音が鳴る様な罠を仕掛けて、通路から離れた位置に陣取って休息の体制をとった。
あと三階層だが、まだ三階層もあるという見方もできる。
戦っているうちに冷静になったテルマは、きちんと自分の体力を考慮して、一度ここで夜を明かすことにしたのだ。
体感ではそろそろ夜である。
テルマはポケットから取り出した時計を見て、自分の体内時計が正しいことを確認した。
「……おい、それ」
視界の端にちらりとそれを確認したジークは、思わず声を上げていた。
見覚えのある傷のついたその時計は、遥か昔にジークの仲間がもっていた時計だ。
遺品として回収し、身内に届くようにギルドへ預けてきたものだった。
「何ですか。大事なものなのであげませんからね」
ジークから時計を隠すように抱き込んだテルマは、背中を向けてそのままポケットに時計を滑り込ませる。
先ほどの失言により、テルマの中のジークへの好感度はまたガッツリと下がっているのだ。乱高下して忙しいことである。
「お前、テルマ、なんだ?」
「はい?」
「家名だよ」
「テルマ=ヘリテージですけど……。どうせあなた名前を覚えないじゃないですか」
怖い顔のまま表情を固まらせたジークは、その場に座り込むと、口元に手を当てて考え事をはじめてしまった。
「あなたこそ、名前は何なんですか。ジークとしか知りませんけれど」
自分の世界へ入ってしまったジークからの返事はない。
聞くだけ聞いておいて、すっかり押し黙り一言も発しないのだから、テルマも呆れかえってしまった。
「なんなんですか、もう……」
会話をすることを諦めたテルマは、仕方なく持ってきて置いた食料を一人でかじり始める。いちいち目くじらを立てて体力を使うよりも、正しいやり方である。
一方で自分の世界へ入ってしまったジークは、珍しく深く悩んでいた。
ヘリテージと言えば、ジークが殺してしまった陽気な男の家名である。
ジークの顔を見たくない、と言ったのはその妻であり、妊娠するまでは一緒に探索者をやっていた女性だ。
つまるところ、ジークはテルマの母に恨まれている(と思っている)し、なんならテルマにとっては父を殺した敵のようなものである。精一杯の償いとして丸二年をかけて遺品の回収はしたし、毎月困ることのないように稼いだお金を送金し続けているが、それで許されるとは思っていない。
絶対に自分がそのろくでなしだとばれてはいけないとジークはさらに顔をこわばらせた。今にも人を殺しそうな目つきが、虚空を睨みつける。
ばれてはいけない。
しかし、テルマを見殺しにするのはもっといけない。
そもそも生活に苦労しないように十分なお金を送っているはずなのに、なぜ探索者になっているのか。
ジークの疑問は尽きないが、一晩しっかり考えた末、翌朝ジークはテルマに提案を持ち掛ける。
「俺とパーティを組め」
二度とパーティを組むつもりはなかった。
ただし、命を捨てて自分を救ってくれた相手の娘となると、今度は自分が命をかける番である。
以前のような失敗は二度としない。
そんな強い覚悟から発せられた言葉だった。
「……嫌ですけど」
そしてあっさり断られた。
「なぜだ」
「自分の胸に聞いてください」
至極当然の結果であった。




