悪役令嬢だって心変わりできます!
更新→2022.10.27
この世はなんて理不尽なのだろうか。
ルイス・シュヴァリエ。
それが、私の名前。
男とよく間違われるのだが、正真正銘の伯爵家の令嬢だ。父が少々変わり者で、男児が欲しかったからと、この名前をつけられてしまった。それ以外では、基本的には不自由ない生活を送っている。
じゃあ、何に絶望しているかって?
それは、いま目の前で起こっている出来事だ。
私には親同士が決めた婚約者がいる。
名前はトール・ベルーア。
侯爵家の令息で、才色兼備。
学園では優秀な成績を修めている。そんな彼に欠点があるとすれば、その優し過ぎる性格だろうか。
「あっ、あの!」
女子生徒の声に視線を前に戻せば、その生徒はトール様を呼び止めていた。もじもじと落ち着きない彼女の様子を見れば、トール様に気があることくらいすぐに分かる。
だけどトール様はそれに気が付いていないのか、女子生徒の様子を静かに見つめるだけ。
「こ、これを受け取って頂けませんかっ。」
勇気を振り絞って女子生徒が、トール様にハンカチを差し出した。恐らくは自分で刺繍を施した手製のハンカチ。
私はそれを一目見て理解し、気付けば二人に近づいていた。
「あなた、いい加減になさいっ!!他人の婚約者に手を出して、ただで済むと思わないでっ!!」
カッとなった私は女子生徒が手にしていたハンカチを叩き落として、彼女の頬をひっぱたくためにもう一度手を振り上げた。
だが、その手を振り下ろす前に捕まれてしまう。
何かと思って見上げれば、そこには婚約者のトール様が私の手を取り立っている。
癖のある栗毛に少し赤みがかった茶色の瞳は、綺麗で飲み込まれてしまいそうだ。いつ見ても精悍な顔立ちで、見惚れてしまう。
だけど、今は何だか様子が違った。
上手く言えないが、何かを諦めたような、とにかくいつもの優しい顔ではなかった。
「ルイス。この前約束したよね?」
「ええ、しましたわ。私の都合で人を振り回さない。自分の我が儘を通さない。人を虐めない。この3つでしたわね。」
「なら、これはどういうことだい?」
「これですか?これは、この方がトール様に色目を使うからですわっ。」
私は自信を持って答える。
自分は約束を破っていないし、悪いことなどしていないのだから、何も恥じることはないのだ。
この女子生徒は、最近になってこの国にやって来た男爵令嬢。名前はシルフィーナと言って、身分も低ければマナーも酷いものだった。
婚約者のいる男性に不用意に話しかけ、ボディタッチまでする。これはもちろん貴族社会ではルール違反になる。
だから私は貴族社会のルールを彼女に教えていた。
それなのに、シルフィーナは何も理解しようとしてくれなかった。注意したことを覚えておらず、何度も同じ失敗を繰り返す。
忘れるなら紙に書くことを勧めても、何かにつけて言い訳をしてやらない。
そして私が注意する度に嫌な顔をするのだ。
今日だって、トール様に刺繍したハンカチをプレゼントするのだと噂で耳にして、他の令嬢にそれとなく注意させたのだが、私の勝手だと突っぱねられてしまったそうだ。それを聞いて、私は居ても立ってもいられずここまで来ていた。
この国で異性に贈り物をすると言う行為は、相手に好きだと告白をしているようなものだった。だから、私はそれを止めに来たのだ。それなのに…
「いい加減にしなさい。貴女の行き過ぎた行為で、周りは迷惑しているのですよ。」
「迷惑?わ、私はただ、シルフィーナに貴族社会のルールを…」
「それが、自分都合だと言っているのです。同じ令嬢として恥ずかしくないのですか?」
「同じ?」
思わず返した言葉にトール様はため息をついた。
「平民上がりは貴族ではないと?」
「そ、そんなこと…」
思っていない。と、いう言葉はトール様の冷たい声に遮られてしまう。
「周りを見てください。」
トール様の言葉の通りに私が視線を周りに移せば、皆が私の方を冷たい視線で見ていた。いつも私を姉と慕っていた令嬢ですら、庇ってくれそうにない。
他の令嬢のため、トール様のためにと私なりに考えて、色々してきたつもりだった。
なのに、全てが自分都合だと言われてしまったのだ。
「私はそんな風に思っておりません!確かに厳しい言葉に、なってしまうこともありましたわ。ですがそれは彼女が礼儀を弁えないからで…他の方たちだって彼女に迷惑しておりますわ。」
「まだそんな事を言うのかい。ルイス。」
失望したように肩を落とすトール様を見て、私は足の震えが止まらなくなる。
「彼女がマナーを学ばないから…」
涙が出そうになるのを堪えて、平静を装う。
「伯爵令嬢としてそれを教えるのが、君の仕事なのに君は彼女を貶めることばかり。」
「そんな事しておりません。」
「前に言っていたじゃないか。マナーの悪い男爵令嬢がいるって。教えても覚えが悪いのだと。平民は皆、こうなのかと、怒っていたよね?」
「そ、それは…」
それは婚約者であるトール様だからこそ、愚痴を聞いてもらったのだ。なのに、それをこんなところで話すなど、あんまりではないか。
そう思えば、涙が一筋流れた。
「泣けば助けてもらえるなんて思わないことだね。」
そんなこと思っていないと反論したくても、喉がつっかえて声がでなかった。
何も言えなくなり立ち尽くす。
そんな私の前で、トール様は私のことなどもう興味を失ったように、私が床に投げつけたハンカチを見た。それは、シルフィーナが彼に渡そうとしていたハンカチだ。
それを拾うと、シルフィーナに向かう。
「これは君の物だよね。」
「は、はい。トール様にお渡ししようとしていたのですが、そんな汚れてしまっては…」
落ち込むシルフィーナにトール様は、優しい微笑みを見せた。それは以前まで、私に向けられていたものだった。
それで、嫌でも理解してしまう。
彼が愛しているのは、もう私ではないのだと。
「いや、その気持ちだけで嬉しいよ。ありがとう。」
「と、とんでもありません。う、受け取って頂けて…嬉しい。」
シルフィーナの目から涙が溢れ、彼女は手で顔を覆って隠す。それを慰めるように、トール様はシルフィーナの肩を抱いた。
周りからはクスクスと笑い声が聞こえてくる。
私は惨めな気持ちになった。だが、そんな私に追い討ちをかけるように、トール様がとんでもないことを言葉にした。
「ルイス・シュヴァリエ。貴女との婚約はなかったことにする。」
と。
私は頭が真っ白になった。
「再三私が忠告したにも関わらず、貴女は変わろうとしなかった。それどころか、貴女は私の友であるシルフィーナに手を上げようとした。…これ以上、貴女を庇うことはできません。」
婚約を破棄?お父様やお母様はこのことを知っているの?混乱して目眩すら感じる。
そんなただ立ち尽くすしかできない私を放って、トール様はシルフィーナと共に仲良さげに立ち去ってしまった。
「小っ酷くフラれたねぇ。」
働かない頭にケラケラと笑い転げるような声が届き、私はゆっくりと声の方を振り向いた。
「あーあ、これは酷い顔だ。」
「…あなた失礼ですわよ。」
何とかそれだけ口にすると、笑っていた青年はごめんと笑いながら謝った。
その態度に私はムッとなり、青年を睨み付ける。
「わぁ怖い。」
「貴方とは初対面なのに、あまりにも失礼じゃありません?」
「ごめんごめん。あまりにも君が直情的だから。」
「ルイスですわっ。」
「じゃあ、ルイス。」
初対面で呼び捨てって、マナー違反では?と、思いながらも反論する気力はなかった。
「なんでこうなったか分かる?」
「え?」
唐突に何ですの?
そんなの、トール様がシルフィーナのことを好きになったから…
と、考えてなにか違うなと私は首を捻る。
「分からなかったからと言って、何だと言うの?」
考えるのが嫌になって、私はつっけんどんにそう返せば青年はそう答えが返ってくると、分かっていたような反応をした。
「分からないと、君、このままだよ?」
「なにか問題でも?」
「あらら、これはまた重症だね。」
「さっきから何ですの?名乗りもせずに、失礼ではなくて?」
ああ。と、青年は納得したように私の目の前まで来ると、膝をついて私の手を取る。
「これは失礼しました、レディ。私のことはどうかリュカとお呼びください。」
そう言ってリュカは手の甲に軽くキスをする。これは、この国の正式な女性に対する挨拶。
だが、私は慣れない挨拶に戸惑いを隠せなかった。
「婚約者がいたのに、こういうことは慣れていないんだね。」
「そ、そんなことないわ。ちょっと、驚いただけよっ。」
実際、私は慣れてはいない。トール様と社交場に行くことなど、ほとんどなかったからだ。
それに、異性に触れられることも。
トール様は私にそう言うことは求めて来なかった。女の子は、美しく気品がなければいけない。しとやかさが必要なのだと、教えられてきた。それのどれもが正しいと思っていたし、大切なことなのだと思っている。
だけど、そんな気品のある令嬢を演じるのは大変で、彼が向けてくれる優しい笑顔だけが私の励みだった。
トール様は私の初恋なのだ。
親同士が決めた婚約者だったが、私はトール様と出会って会話を重ねるうちにどんどんと恋に落ちた。
だけど、それはこんなにも簡単に終わってしまった。
全てあの、シルフィーナが現れたせいだ。
「ねぇ、ルイスは変わりたいと思わないの?」
「変わりたい?なぜ?」
今回のことで、シルフィーナを恨みこそすれ、自分を変えようなどと一つも思っていない。その必要を感じなかった。
「ふむ…聞き方を変えようかな。今日の出来事で、なんで誰も君の味方にならなかったか、分かるかい?」
「分からないわ。」
それが分かれば苦労しない。私は悪いことなどしていないのだ。
「それは、君の味方になろうと思わなかったからだよ。」
「それってどういう…」
「つまり…そうだなぁ…君の性格が悪くて、心の中では皆が君のことを好きではなかったんじゃない?」
「あなた、ハッキリ言うわね。」
「…否定しないんだね。」
私の返しが意外だったのか、リュカはキョトンと私を見ている。
「あの反応を見れば誰でもそう思いますわ。人望がなく好かれていなかったと。」
「ふーん。ルイスはそう考えるんだ。」
「え?」
「じゃあ、こうなる訳だ。」
独り合点のいった様子で納得しているリュカに、私は焦れったさを感じた。
「何が言いたいんですの?」
不満が声に現れる。
その声にピクリと反応して、リュカは笑っていない目をこちらに向けた。
「ほら、やっぱり直情的。ルイスって案外頭が悪いんだねー。」
「なっ…」
そんな風に言われたのは初めてだった。
いつも令嬢たちの見本になるように、礼儀作法の授業は人一倍学んできたし、勉学だって常にトップクラスに入れるように励んでいた。
それを家族やトール様は喜んでくれたし、良いことだと思っていた。
なのに、頭が悪い?
私はここで初めて、この遠慮なしに言葉を発する、リュカという青年をちゃんと見る。彼は身長が高くて、スラリとしている。トール様とは違った雰囲気の美形だった。少し青みがかった黒髪に空のような青い瞳が、さらに美しいと感じさせている。
そんなことを思って、私は頭を左右に振った。今はそんな悠長なことを、考えている場合ではない。
「私、間違ったことはしていなくてよ。」
「本当に?」
「ええ。」
「じゃあ、聞くけどルイスは、マナーを守れない人をどう思ってる?」
「ダメ人間。」
「それが伯爵より上の人でも?」
「そんな方、見たことないわ。」
私の答えにリュカはやれやれとため息をついた。
「で、そう言うダメ人間に君は何をしてきたかい?」
「マナーを教えたわ。」
「その時に何か言わなかった?」
「…こんなことも習わなかったのか、と聞きましたわ。」
その答えにリュカはため息をついた。
何か変なことを言ったかしら?と、思うが自分を教えた教師たちは皆そんな感じだったし、それを悪いとは思わない。真似るべきだと、同じように振る舞ったつもりだったが、違ったのだろうか。
「あと、学園内での爵位についてだけど、爵位が下の者から話しかけてはいけないと、思ってない?」
「ええ、もちろんよ。どんなことがあっても、下の者が上の者に挨拶以外で声をかけてはダメよ。」
「婚約者とルイスは爵位が違うよね?ルイスから声をかけないってこと?」
「当たり前でしょ。」
私は伯爵家で、トールは侯爵家。名前を呼ぶのも本当であれば敬意を払う必要がある。だから、私はトール様とお呼びしているのだ。
「ルイス、それ、もう古いから。」
「古いですって?」
「そう、その考え方が古いんだよ。学園ではね。」
古い?マナーの授業で習ったことなのに?
「今は、学園内の差別を失くすために、爵位は職務上のみのもので、学園内では平等なんだ。」
「だからって、なぜ私が変わらなければいけないのよ?」
「シュヴァリエは確か、爵位の剥奪の危機にさらされているよね?」
「どこでそれを…」
「それは教えられないよー。」
口許に指を当てて教えられないと言うリュカは、何だかキザっぽく見えた。
確かに私の家は、爵位の剥奪の危機に貧していた。そんな中、トール様は珍しく、婿入りを承諾してくれたのだ。
これで家は安泰だと思っていたのに、シルフィーナという邪魔物のせいで、それも危うくなっている。
「とにかく、貴女は婿入りを取り消されてしまうと、困る訳だよね。」
「そ、そうよ。そのこと…」
「誰にも言わないよー。その代わり、僕の言うことを聞いてね。」
そう言うことかと、私はリュカを睨み付けます。
「そんなに怒らないで。可愛い顔が台無しだよ。」
「よ、余計なお世話よっ。」
可愛いなんて言われたの何年ぶりか。お父様やお母様にメイドたちはよくそう言ってくれるけど、それ以外で言われるのは初めてだった。
トール様もそう言う言葉はくれなかったから。
そんなことを考えていると、リュカはニコリと微笑む。その笑顔は素敵なのだけれど、今の私には恐怖を与えた。
「これは、ルイスのためにもなると思うけど。」
「何をさせる気?」
「なに、簡単なことだよ。親友と呼べる人を一人作ること。」
「はい?」
「今のルイスに取り巻きはいるけど、親友はとは言えないでしょ?」
「勝手に決めつけないでっ!私にだって親友の一人や二人…」
と考えて、誰も思い付かず言葉が続かない。確かに、私について来る者はいたけど、家や婚約者の影響が大きい。つい先程、誰も私の味方になる人はいなかったし、それが何よりの証拠…。
「いないですよね?」
「でも、そんな簡単に出来るものなの?」
「はい、貴女が変われば…」
そう言って、私はいくつかの約束をさせられた。一つは、爵位など気にしないで人と接すること。二つ目は、困っている人は助けること。三つ目はどんなに嫌なことがあっても、感情をすぐに表へ出さないこと。
この中で一番難しそうなのは、一つ目だった。両親からいつも伯爵であることに誇りを持つこと、他の貴族に蔑まれないようにすることを言われてきた。それに、トール様も皆の見本となるような、レディになるようにと、私に日々言い聞かせてきたから。
「爵位を気にしないで話すって、どうすれば良いの?」
「簡単だよ。今、私と話しているみたいにしていれば良いさ。」
「これは、貴方みたいな人だからできるのよ。簡単に言わないで欲しいわ。」
何故か私の言葉に、少し嬉しそうな表情を見せるリュカ。
「そう言えば、リュカの家名は?」
「それは、お答えできません。」
「何それ?」
「だって、爵位を知ったらこんな話し方しなくなっちゃうでしょ。」
つまり、私より上か下ってことかしら?と、私は思うが口にはしなかった。
リュカの言う通り、私は彼に素の自分で話ができていたので、何だかそれを壊したくないと思ったのだ。
次の日、私は普段歩かない校舎を歩いてみることにした。自分を変えるにはまず行動からと、リュカに言われてとりあえずはその通りにしてみている。
昨日の事件から、私の印象は最悪な状態のようで、教室にいるのも辛かった。だから、丁度よい気分転換になりそうだと思ったのだ。別にリュカの言うことをただ素直に聞いている訳では決してないと、自分の心に言い聞かせる。
「ただ、リュカの言う困った人なんてそんな簡単に…って…いたわ。」
呟いていると目の前に、何か探し物をしている少女を発見した。ショートカットの赤毛が印象的な少女は何かを一生懸命に探している様子。
「何か落とし物ですか?」
「ひっ!」
少女は驚き飛び上がる。
後ろから声をかけた私が確かに悪かったけど、そんなに驚かなくても良いのではと思う。
「あ、侯爵にフラられた…」
ハッと口を手で押さえる少女は、申し訳なさそうな顔をしている。だから、私は小さくため息をついて、今の言葉を聞かなかったことにした。
「何か探し物かしら?」
「えっ?あ、はい。参考書を落としてしまって。」
「それなら、落とし物案内をしてくれる部署に行けば…」
『ルイス、それじゃダメだよ。』
「えっ!?」
「ど、どうかしましたか?」
“いや、どうもなにもこれ何?頭にリュカの声が聞こえて…”
『魔法でルイスの頭に直接話しかけてるんだよー。』
聞くよりも先に答えをくれるリュカ。これは基本的な通信魔法の応用で、届けたい相手に直接頭の中に声を届けるというものだ。
応用と言ったが、本来であれば、話した内容を伝えるだけの機能で、イメージは手紙を頭の中に直接送り込む感じ。だけど、リュカはそれを応用して、会話まで出来るようにしていたのだ。
それならと、私も呪文を急ぎ唱えて魔法を発動させる。少女には気づかれないように。
『魔法って、あなたね…勝手にかけないでちょうだい。』
『さすが首席。もう対応して魔法をかけたんだね。素晴らしい。』
『こ、こんなの普通よ。それより何よ急に。』
『せっかくのチャンスだよ。
落とし物案内に行けば良いんじゃない?なんて、それで終わりじゃないか。一緒に探すよくらい言ったらどうなの?』
リュカに言われて、それもそうかと考え直すと、目の前の少女は私が何も言わないので不安そうにしていた。
「ごめんなさい。ここで探しているということは、ここで落としたのかしら?」
「いえ、どこに捨てられたか分からなくて…」
「捨てられた?」
「あ、いえ…」
「何か事情がありそうね。話してごらんなさい。」
私がそういうと、少女は悩んだ様子だった。
だけど辛抱強く待っていると、彼女はゆっくりと話し始めてくれた。
「そんなことが…」
私は少女-エマの話を聞いて愕然とする。
どうも、このエマは男爵家の令嬢で、侯爵家の令嬢たちに虐められているようだったのだ。
参考書がなくなったのも、彼女たちの仕業のようで、もう構内をかなりの時間探している。
こんなあからさまな嫌がらせがあるなんて、私には驚きだった。
『前からあったの?貴方なら知っているでしょ?』
『そうだね…前はもっと少なかったと思うよ。』
『それはなぜ?』
『答えても良いけど、今は彼女を助けるのが優先では?』
リュカに言われて彼女を見ると、服のいたるところがボロボロで、相当な時間探していたのだと気付く。
あまりにも酷い格好だったので、私は一つ魔法を唱えると彼女にかける。
「これは…」
「あまりにも服がボロボロで、見ていられなかったから魔法をかけたのだけど…」
驚いて自分の服をまじまじと見ているエマの反応に、私は余計なことをしてしまったかと不安を感じた。
だけど、エマはパァッと表情を明るくした。
「ありがとうございます!ルイスさんの魔法はすごいですね。これ、水魔法の応用ですよね?」
「え、ええそうよ。」
飛びつくような勢いで、前のめりになる。
どうやら迷惑ではなかったようだと、私はほっと安堵の息をついた。
「それで、その参考書というのはおじい様の形見…なのですよね。」
「…はい。あれだけは見つけたくて…」
「特徴は?」
「え?」
「ここまで話を聞いたのですから、探すのをお手伝いしますわ。」
「でも、授業は?」
「大丈夫ですわ。さぼった所で問題ございませんの。」
そう答えると何故かエマは再び、キラキラと輝いた瞳でこちらを見つめて来る。こんな視線を送られることはよくあったのだが、エマのはワクワクした雰囲気も混ざっていて何だか可愛らしいと思った。
『じゃあ、せっかくなので魔法の勉強もしますかね?』
『あら、何か良い魔法でもあるのかしら?』
『ええ、探査魔法の応用ですよ。』
そう言ってリュカは、私に本を探すのに役立つだろう魔法を教えてくれる。
魔法はイメージと魔力の扱い方が大切になる。呪文などはそのイメージや魔力をコントロールするためのものであって、必ずしも必要ではない。
私がリュカに教えてもらったのは、無機物の探査に役立つものだった。草の中や水の中に無機物が落ちていると、術者の目には光って見えるという何とも便利な魔法。
とは言っても、無機物なんていっぱいあるので、その中に紛れ込んでいたら見つけられない。それに効果の範囲が狭いため、近くに行かないと分からないというのが難点だ。
それでも何もないよりはマシかと、私はエマと構内を探して必要な時にその魔法を使った。
「ありましたわっ。」
そう、私が声をかけたのは日が暮れ始めた頃。結局、昼頃からこの時間まで探しっぱなしだったのだ。
「ほ、本当ですか!!?」
「ただ…」
そう言って、私が本を見つけたのは、草むらの中で泥まみれだった。
先日降った雨のせいだろう。
これは、私でも元通りにすることは難しい。
それも分かっているのか、エマはとても悲しそうな顔をして、私からその本を受け取る。
「…ありがとうございます。」
「え?でも本は…」
「そうですね。とても悲しいですが…でもルイスさんがいなかったら、この本すら見つけることはできなかったと思うので…。それに、こんな形でも本が見つかったことは嬉しいです。だから、ありがとうございます。」
涙を堪えながらも言葉を口にするエマは、健気だった。
「おやまぁ、これは酷いですね。」
そんなすっとんきょうな声に振り向くと、リュカの姿。
「ちょっと、借りますね。」
そう言ってエマの目の前に行くと、泥だらけになってしまった本をひょいとエマから取り上げる。
リュカは手にした本を観察する。少しだけ悩んだようだったが、何やら呪文を唱えると、本が淡く光り出した。
すると、みるみるうちに泥が落ちていく。
そんな様子をエマと二人で驚き見ていると、あっという間に本は綺麗な状態に戻った。
「はい、どうぞ。ついでに追跡魔法をかけましたので、次からはすぐに見つけられますよ。」
「あ、ありがとうございますっ!」
「いえいえ、これくらいお安いご用です。」
「ちょ、ちょっと、リュカ。今の魔法は?」
「ええっと、詳しくは教えられないかな。時の魔法を応用だよ。」
時の魔法ですって!?と、私は心の中で驚愕する。
この魔法は物体のスピードを、早くしたり遅くしたりする程度の魔法なのだ。
でも、今のはどう見ても時間が巻き戻ったように思う。私はあまりの驚きに、どうやったら出来るのだろうかと、考え始めようとして、目の前で喜ぶエマの顔を見て止めた。
彼女の顔を見ていたら何だか、理屈などどうでもよくなってきた。エマの笑顔を見ていると、こちらまで嬉しくなる。
「あ、ありがとうございます!」
「いえいえ、どういたしまして。」
「私、エマ・コルベールと言います。貴方のお名前をお聞きしても?」
「ええ、私はリュカです。」
「えっとぉ、家名は…?」
「どうぞリュカと呼んでください。」
「は、はぁ…分かりました。」
有無を言わせないもの言いに、エマは戸惑っていたが承諾していた。
そこにちょうど下校を知らせるチャイムが鳴り響く。
「もう、こんな時間!?」
エマは空が暗くなっていた事に気付いて、慌て出した。
「お、お二人とも申し訳ございませんが、今日はこれで失礼させていただきます。明日以降、改めてお礼をさせてくださいっ。ルイスさんとは同じ教室ですから、また明日にお会いできますね。では、ごきげんよう。」
パタパタと急ぎ足で行ってしまう。
「行っちゃった…。」
「どうでしたか?」
にこりと笑って聞いてくるリュカに私は首をかしげた。
「どうって?」
「いやだなぁ。困っている人を助けてに、決まってるじゃないか。」
「あぁ、うーん…そうね…嬉しそうな顔を見るのは、良いものね。」
「それは良かった。…とりあえず、エマと仲良くなってみては?」
「そうね。せっかくだから明日、話をしてみるわ。ところで、リュカ、先程答えてもらえなかったことを教えてくれないのかしら?」
「あぁ、虐めのこと?」
リュカの答えに頷くと、彼は少し考えてから答えてくれる。
「結論から言うと、ルイスが歯止めになっていたんだよ。」
「私が?」
「古い考えで、周りの令嬢を威圧して権力を制御させていたからね。ルイスに目をつけられたくなくて、動きが鈍かったんだ。」
そんなことになっていたなんて、私は全く気が付いていなかった。
「でも、婚約を破棄された今、その制御も効力をなくしてしまって、虐めが明るみに出ているって訳だね。」
「なら、私は変わらない方が良いのでは?」
「いや、それは侯爵家の影響があってこそだから、今のルイスが威圧しても意味がないだろうね。それに…」
「それに?」
「わざわざ、君一人がそんな役を担う必要はないよ。嫌われ役だからね。」
そう言ってリュカは、申し訳なさそうな笑みを浮かべたのだった。
次の日から私は、エマと講義を受けたり食事をしたりと、一緒に過ごす事が多くなった。
彼女のお気に入りの場所は図書室のようで、二人で本を読んだり勉強をしたりと、のんびりとした時間も過ごすことが多い。
「随分、あの娘と仲良くなったみたいだね。」
学校の授業も終わった夕方。用事があるからと、エマが先に帰ってしまったため、ひとり残って図書室で読書をしていると、声をかけられる。
「ごきげんよう、リュカ。相変わらず無作法ね。レディに後ろから挨拶もなしに声をかけるなんて。それとも、これも今時普通なのかしら?」
「おっと、これは失礼しました。ごきげんよう。…って、根に持ってるね、ルイス。」
「なんのことかしら?」
フンっと窓に目を移せば、女子生徒が楽しそうに談笑しながら帰る姿が視界に写った。
「...彼女といると、ゆったりとした時間が過ごせて、何だか心地が良いのよ。
知識も豊富で話をするのも楽しいし、とても良い子だわ。あんな娘、今までいなかったから新鮮。」
「それは、何より。」
「今まで、我慢することも多かったから…」
「そう言えば、どうしてトールと婚約したの?」
「貴方、何でもご存知なのでは?」
「何でもって訳じゃないよ。…それに、君から直接聞きたいって言うのもある。」
絶対楽しんでいる。私をいじめるのが彼の楽しみなのだろう。私は少し彼を睨み付けたが、気にした様子もない彼に私の方が諦めてため息をついた。
「私の家はお祖父様の代に、伯爵という爵位を頂いたの。だけれど、父は私が小さい頃に事業に失敗してね…、借金まみれよ。なのに、父は世間体を気にして、贅沢に振る舞ってみせるの。だから、借金は積もるばかり。」
「家を立て直そうとはしないの?」
「あまりそう言うのが得意ではないのよ。私はこうすれば良いって案があるのだけれど、女性がそんなことする必要はないのだと言われてしまって…。」
「ふぅん。…それと、婚約に何の関係があるの?」
「それで、このままじゃ爵位剥奪ってなった時に、トール様が婚約を申し出てくれたの。しかも婿入りで。
親同士で決めたと聞いたけど、その理由はよく分からないわ。でも、私たちにとっては、願ったり叶ったりだったわ。」
「それで、婚約したの?」
「そうよ。それからは、トール様の婚約者に相応しくあろうと、色々努力したわ。」
「でも、取られちゃったね。」
なぜ、このリュカは人の心を抉るような事を、平然というのだろうか?と思えば嫌な気持ちになる。
「あれは、シルフィーナが来たからで、彼女さえいなければこんなことには…」
「ほーら、顔と声に感情が出てるよ。」
注意されて私は眉間に手を当てた。
どうやら私はこういうのが苦手らしい。
「ほらほら、今度は悲しそうな顔して。素直なのは私的には嫌いじゃないけどねー。だけど、感情をすぐ表に出すのは、得策じゃないんだよ。」
困ったように笑うリュカに、私は自分の頬をパシンと両手で挟む。
「気を付けるわ。」
「なら良し。
それで、シルフィーナがいなければ、今みたいにはならなかったと思ってる訳だね?」
「ええ。」
素直に頷けば、そうかなぁ?と顎に手を当てて首を捻るリュカ。
「シルフィーナじゃなくても、別の女性が現れたらトールはいなくなったんじゃない?」
「そ、それは…分からないわ。」
「うーん…シルフィーナって特別に可愛い訳じゃないでしょ。だったらどんな令嬢でも、同じことになってたんじゃない?
それに、顔やスタイルだけで言ったら、ルイスの方が可愛いし魅力的だと思うけど?」
「へ?」
突然言われて私は頬が熱くなる。それを隠そうと、頬を両手で触れる。
「わ、私が可愛い?魅力的?何かの間違いではなくて?い、今までそんなこと誰にも言われたことないわ。」
先ほど言われたばかりなのに、私は感情むき出しの声になってしまうが、リュカはそれを咎める様子はなく、むしろ驚いた様子だった。
「トールも言わなかったの?」
「えぇ、一度も…」
そう言われて思い返すと、本当に婚約者だったのかと思うほど淡白な関係だったと思う。
「じゃあ、こう言うこともしてない?」
リュカが私の顎に手を掛けるとクイッと、上を向かせて視線を合わせる。その表情はいつもの雰囲気とは違っていた。
少し怒っているようにも見えるリュカの青い瞳は、夕陽でキラキラと輝いて見える。まるでそれは、太陽で輝く海のように綺麗だった。
見つめあっているのが恥ずかしくて、視線を反らせたいのに、なぜか目が離せない。
するとリュカの指が唇に優しく触れた。
頭にモヤがかかったようにボーッとする。
だけど、どこかに冷静な私がいて、私の使命を思い出させる。手をリュカの肩に置いて押すと、彼は簡単に離れた。
「ごめんなさい。私にはトール様が…」
「フラれたのに?」
「まだ、正式な婚約破棄はしていないわ。」
「それも時間の問題でしょ。」
「わ、分かってるわよっ!」
自分からリュカを離したけど、簡単に離れてしまったリュカに小さな不満が生まれていた。その理由の分からない怒りに任せて、言葉を口にする。
「分かっていても、私はトール様が好きなの!リュカには関係のないことだわっ!」
その言葉にリュカは傷ついた顔をしたように見えた。
自分は散々人のことをいじめておいて、そんな顔をするなんて反則だと思う。
何だか私が悪者になったみたいな気分だった。
私は居心地が悪くなり、リュカを残して図書室から出ていった。
その後、リュカが私の前に現れることはなくなった。
リュカが顔を見せなくなってから、数十日が過ぎていた。結局あれから婚約解消の話は進み、あとは私がサインをするだけとなっている。
トール様にすがってまで、婚約解消を取り消したいとは思わなかったが、同時にサインも出来ずにいた。
エマには事情を話せていなかったので、相談できる相手もいない。
もう限界だった。
「エマ!」
「は、はいっ?どうしましたか?」
「聞いて欲しいことがあるの!そ、相談にのってくれないかしら?」
言ってしまったぁ…と、思いつつも後悔はなく、頷いてくれたエマに、私は自分のことを話した。
「トール様ってそんな方だったのね。何だかがっかりね。」
「がっかり?」
そんな要素あったかしら?少なくとも私はがっかりはしていなかった。
「ええ、だってトール様に憧れる女の子は少なくないはずよ。それなのに、その憧れている女の子たちに手を出した方が酷いと思うの。
ルイスはシルフィーナばかり悪く言うけど、本当に悪いのは彼女をその気にさせているトール様だと思うわ。」
「彼は優しいから。」
「それを優しいとは言わないわ。女たらしと言うのよ。」
「え?」
「だってそうじゃない。私が聞いたって、トール様に好意があると思う女性からのアピールに答えちゃってさ、ルイスの気持ちはどうなるのよ。
本当に優しい人は女子の気持ちには答えず断るわ。そして、婚約者を第一に考えるわよ。」
「確かに言われてみれば…そうね。」
何だか人に言われると妙に納得できるのが、不思議に感じた。
「でも、ルイス?貴女、トール様の事、本当に好き?」
「えっ?」
「何かルイスの話を聞いてると、そう感じないの。えっと…何て言うかドキドキしない?というのがしっくり来るわね。普通、女性同士の恋の話ってドキドキするのだけど、ルイスとトール様の話はドキドキしないのよね。」
言われて私は悩む。婚約した頃は私自身ドキドキしていたし、お顔を見れれば心が踊っていた。だけど、それはマナー教育等が始まり徐々に、その気持ちはなくなっていった。
正確には感情を押し殺しているうちに、何も感じなくなっていたのだろう。
「まぁ、それは良いとして…婚約破棄のサインはどうするの?」
「うーん。書くこと自体が面倒に思ってる。」
「もう、トール様に未練はないのでしょう?それなら、サインしちゃえば良いんじゃない?」
「でも家が…」
「他にあてはないの?」
「うーん…」
「それなら、リュカさんに相談してみたらどうかしら?色々な情報に詳しいみたいだし、相談に乗ってくれると思うのだけど…?」
「えっ?」
名前を出されて私はドキリとする。別にやましいことがあるわけでもないのに、動揺している自分がいた。
「ふーん、そう言うこと…」
「えっ?どういうこと?」
「ルイスって見てて分かりやすいわね。」
言われて私は自分の頬を押さえる。
顔に出てたかしら?
「フフ、ルイス可愛いね。」
「えっ?どこが?」
「もっと古きを良きとする、保守派の堅い人だと思っていたのだけど、表情豊かで見ていて飽きないわ。」
「それ、誉めてるの?」
「もちろん。」
ニコリと笑うエマは屈託のない笑顔だった。だけど、すぐにしゅんとその笑顔は消えてしまう。
「ルイス、ごめんなさい。」
「なんで、エマが謝るの?」
エマの声に彼女を見ると、浮かない表情をしていた。
「私では役に立たなさそうで…それに、ルイスがこんなに悩んでいたのに、気付いて上げられなくて…」
「い、良いのよ。解決できない、自分が悪いのだし。」
私が苦笑いすると、エマは首をかしげる。
「そんなことないよ。自分で解決出来ない悩みなんて、たくさんあるんだから。それをいちいち、自分のせいにしていたら、窮屈じゃない?」
「窮屈?」
「そう…胸がモヤモヤしたり生きることに疲れたりするようなイメージ。と、言ったら伝わるかな?」
「ええ。…でも…じゃあ、どうしたら良いのかしら?」
私の言葉にエマはクスリと笑う。
「そんなの簡単よ。自分の気持ちのままに動けば良いの。周りなんて気にしないで、言いたいことを言うの。」
「自分の気持ちのまま…。で、でもリュカには直情になり過ぎるなって…」
私がそういうとエマはうーんと、腕を組んで悩む。
「時と場合によるんじゃないかな?ずっと心を押さえ付けてたら、疲れちゃうわ。だから、そうね。私と話をする時は思うままにしゃべったらどうかしら?」
「え?」
「私が嫌ならリュカでも」
悲しそうな顔をするエマに私は首を振る。
「そういう意味じゃないわ。エマは嫌じゃないの?」
「それこそ怒るわよ。そんな風に思ってるの?」
「ごめんなさい。今までにそういう人がいなかったから。
トール様も私が相談するのは鬱陶しそうだったわ。」
「本当にそいつぶん殴ってやりたいわね。」
「嬉しいけど、エマがそれで退学になったら、私は悲しいから止めてね。」
慰めてくれているのだと分かれば、冷たくなっていた心が温かくなったように感じた。
「ありがとう、エマ。何だか気持ちが楽になったわ。」
「気にしないで、私も嬉しいの。」
「え?」
「ルイスが私を頼って、相談してくれたのだもの。こんなに嬉しいことはないわ。」
「そ、そんなに?」
「ええ。」
そう言って笑うエマは、本当に可愛かった。
「あら、もうこんな時間。ルイスといると時間があっという間に過ぎてしまうわね。」
「私もよ。エマといると楽しくて、時間なんてあっという間に過ぎるの。」
そう言って、二人で笑った。
別れ際に頑張って!と、応援までされてしまった。友がこんなにも背中を押してくれるものだと私は知らなかった。格下なら守って上げなきゃ。と思うことはあっても、相談をすることなど前の私なら考えられなかっただろう。
こんなにも心強い友が出来たのだ。私も頑張らないと、と思った。
私は家に帰ってすぐに自分の部屋へと戻る。ドキドキする胸を押さえて、呪文を唱えた。
『リュカ。最近、全然来てくれないのね。あ、あのね…リュカに相談したいことと…そ、それと伝えたいことがあって、聞いて欲しいの。だから明日の夕方、図書室で待っているわ。』
話し終わると、私はこの声をリュカへと届けるための魔法を唱える。前のとは違い、会話が出来るものではない。
それは、リュカと直接話をする勇気が私になかったからだ。
魔法はちゃんと発動し、彼の元へ私の言葉を届けるだろう。
でも、もしかしたら、彼は来てくれないかもしれないなと、思いながらも私は眠りについた。
次の日、私は気が気ではなくて、授業も頭に入って来なかった。授業がいつもより短い気がして、あっという間に夕方になってしまう。
私は最後にエマにエールをもらおうと、教室を見渡すが見当たらない。朝はいたし、昼も一緒にご飯を食べていた。ただ、その後は頭が一杯で、いつからいなくなっていたのか、分からなかった。
何だか胸騒ぎがして、エマが大切にしている本につけたという追跡魔法を使って、エマの行方を探してみる。
すると、どうやら教室の一室にいるようで、私はすぐにそこへ向かった。
「貴女、目障りなのよ!いつもみたいに静かに傍観していれば良かったのに、なんでルイスなんかと…」
「あ、貴女には…か、関係ないことじゃないですかっ。」
「関係があるから、言ってるのよっ!あの娘が立ち直ったらダメなの!」
何やら怒鳴り声が聞こえて私は教室に駆け込む。
すると、そこには数人の令嬢と、エマの姿。エマは突き飛ばされたのか、令嬢の前で尻餅をついていた。
私が勢いよく扉を開けたので、全員がこちらを驚いたように見ている。だけど、入って来たのが私だと理解すると、クスリと楽しそうに笑った。
「あら、ちょうど良いところに来たわね。」
「シルフィーナ…あなた何を…?」
「いい、エマ?貴女がルイスと関わるから悪いのよ。」
何を言っているのかと、シルフィーナを睨み付けると、彼女の取り巻きの一人がシルフィーナに一冊の本を手渡した。それは、エマが大切にしている形見の本。
「な、何を…!」
私が聞くよりも早くシルフィーナは、何の躊躇いもなく魔法で本に火をつけたのだ。そして、床に落とす。
慌て駆け寄り本の火を払おうとしたが、魔法の火は払ったくらいで消えない。私は慌てて魔法を唱えて、火に向けて水を出現させた。シルフィーナの魔力は弱く、急ぎ唱えた簡単な魔法でも、火を消すことが出来た。
「あらあら、それではもう読めないわね。貴女が、ルイスに関わったからいけないのよ。これに懲りたら、もう彼女に近づかないことね。」
「…謝って。」
「え?」
「謝ってって言ったのよ!!」
パシンッ!
私は怒りに頭が回らず、気付いたときにはシルフィーナの頬を勢い良く叩いていた。一瞬、呆けた顔をしたが、シルフィーナはすぐにニヤリと嫌な笑みを作る。
それが私の逆燐に触れた。私は魔法を詠唱すると、氷の矢を産み出し、シルフィーナに向けて放つ。
もちろん外したが、それだけで恐怖心を植え付けるには十分だった。
彼女は震え上がり涙を浮かべる。
「何事だっ!」
「トールさまぁ…」
「これは…一体…」
部屋に飛び込んで来たのはトール様と令息や令嬢が数名。それに、リュカの姿もあった。
私が驚き呆気に取られていると、シルフィーナが叫ぶ。
「トール様!る、ルイスが…わ、私に手を上げたのです。それに、魔法まで私に向けて…うっう…」
駆け寄ってきたトール様にシルフィーナは抱き付くと、涙を流して訴えかける。
「ち、ちょっと待ってください。これは先にシルフィーナが…」
「ルイス!」
こんなに怒鳴ったトール様は初めて見ると、私は驚き言葉が続けられなかった。
「この前のことで懲りたと思っていたのに…それでこれか?」
「だからこれはっ…」
「言い訳は見苦しいぞ!!」
「シルフィーナがっ!」
「また、そうやって彼女を虐めたのか。」
「そのようなことは…」
なぜ、どうしてこうなった?助けを求めようとリュカを見るが、何だか怒った様子で睨んでいるように見える。
その顔を見て、彼との約束を思い出した。どんなに嫌なことがあっても感情的にならない。それを破ってしまったから、怒っているのだろうか?
“これは違うのに…リュカも私の言葉を信じてくれないのね…”
私は悲しみで心が押し潰されそうだった。
私が俯くと、トール様がこちらに歩いてくるのが足音で分かった。また小言かと顔を上げた瞬間、衝撃が走った。
それが頬を叩かれたのだと気付いた時には、勢いで床に倒れ込んでいた。
「恥を知れ!!ルイス・シュヴァリエ!!…今日を持って君をこの学園から退学とする!」
「えっ?」
私は痛む頬を押さえながら、トール様を見上げる。その隣ではシルフィーナがクスリと笑った。
「これだけのことをしたのだ。退学だけで済むのだから、感謝して欲しいくらいだ。」
「まっ、待ってくだ…」
「お前の話など聞く気はない!」
「…っ」
「それから、婚約の解消もこちらで進めさせてもらう。いつまで経っても君からのサインは貰えそうにないからな。」
私は絶望した。これで全てが終わったのだ。家も破綻して、家族全員路頭に迷うのだろう。私のせいで…
立ち去ろうとするトール様とシルフィーナの背中を、私は絶望し眺めることしかできなかった。
「ま、待ってくださいっ!」
その背中に叫んだのはエマだった。私はゆっくりと彼女の方を見ると、彼女は涙を浮かべながらも怒った顔をしていた。
「何だ君は?」
「エマ・コルベールと申します。トール様、ルイスはなにも悪くありません!な、なぜ話を聞いて差し上げないのですか!?」
エマの手は震えていた。彼女にとったらトール様との身分差はかなりある。その彼に反論するのだ。
最悪の場合、家ごとなくなる可能性だってある。だけど、エマは怒りの目を彼に向けるのを止めなかった。
「何だ男爵家の人間か…。分かっているのかい?私に反抗したらどうなるのか?」
背を向けていたトール様がこちらに戻ってくるので、私はエマを庇うように前へと立ちはだかり、睨み付けた。
それが彼を苛立たせたのだろう。トール様はイラついた顔をして手が上がる。
また叩かれると思ったが、今度は目を反らさずに彼を睨み続けた。
「いい加減にしろっ!」
怒りの声と共に手が振り下ろされる。
バシッ
「いい加減にするのは貴方です。」
そう言って私の前に立ったのは、先程まで扉の前にいたリュカだった。
トール様の腕を握っている手に、力が入っていくのが分かる。どこに、そんな力があるのかと思うくらい、骨がミシミシと鳴る音が微かに聞える。
痛みに耐えられなくなったトール様は手を振り払い、苦痛に顔を歪めた。
「貴様、何を…」
トール様は言いかけて、その途中でリュカが指を鳴らす。すると、彼の顔がどんどんと青ざめていくのが分かった。
「トール様?」
隣にいたシルフィーナが不安そうに声をかけるが、全く聞こえていないのか何かぶつぶつと呟いていた。
「シルフィーナさん…だったね?」
「え、ええ。」
「貴女には今日を持って、ここを辞めていただきます。」
にこりと微笑んでえげつないことをいうリュカ。そんなこと通るはずがない。と、思ってみていると、シルフィーナもそう思っているのだろう。鼻で笑った。
「貴方に何の権限があるというのです?」
「…止めるんだ。シルフィ。」
そう言って彼女を止めたのはトール様だった。
「で、ですがっ!」
「止めるんだっ!」
彼の気迫に負けて、シルフィーナはそれ以上は何も言わなかった。
「もちろん、貴方にも処分が下りますから、それまで大人しく家にいてくださいね。」
「ですが、リュ…」
「リュカです。」
「り、リュカ様。シルフィーナは被害者なのです。なのに退学は…」
「あなた…それ、本気で言っているのですか?」
リュカの顔は見えないが、その怒気はすごく怖いと思う。あのトール様が涙目になっているのだから、相当だろう。
「ルイスの火傷した手や焦げた本を見れば、何となく状況が分かりませんか?」
「え?」
「まさか貴方、そんなことにも気付いていなかったのですか?」
リュカに言われて、トール様が私の手や床に落ちた本を見た。そして、初めて状況を理解したのか、その場に崩れ落ちる。
「では、私は彼女たちの手当てをしたいので、これで失礼します。」
リュカはそう言って、私の方を振り向いた。
「キャっ…」
はしたないと怒られるような声が出てしまったのは、リュカが私を抱き抱えたから。見上げると視線が合った。
「ごめん。すぐに手当てをするから。」
リュカの後をエマが追う。
リュカが連れてきたのは、図書室だった。私を椅子に座らせると、治癒の魔法をかけてくれる。
「あ、ありがとう。」
視線が合わせられない。私がもじもじしているうちに、エマの本も魔法で直すリュカ。
「ありがとう、リュカさん。」
「どういたしまして。」
「それじゃあ、私は帰るね。」
「えっ!?」
「だってもうこんな時間ですもの。また明日ね、ルイス。」
そう言うと、エマはさっさと図書室を出ていってしまう。
さて、二人きりになってしまい、私はさらに気まずい。
怒っているのだろうかと、私が目も見れずに困っていると、リュカはため息をついてから口を開いた。
「別にもう怒ってないよ。」
「もうってことは怒ってたのでしょ。」
「そりゃあそうだよ。」
「私が、約束を破ってシルフィーナに手を上げたからでしょ。」
「本気で言ってるの?怒るよ?」
少し怒気が混ざった声色に、私はリュカを見る。
「違うの?」
「あの状況でそんなこと思う訳ないでしょう。…私ってそんなに信用ないのかな…」
「じゃあ、なんで怒ってたの?」
私の問いにリュカは諦めたような、呆れたようなため息をついた。
「一番は、ルイスが怪我をしていたことが原因なのだけど。君に対して怒っていることは、私に助けを求めなかったことだよ。」
「助け?」
「なんであの時、助けを求めなかったの?アイツに何を言われようと、信じてって叫べば良かったんじゃない?」
「そ、それは…」
「私が信用できなかった?」
本当のところを言えば、違うのだが、リュカにとっては同じことだろう。リュカに見放されたのだと思い込んで、ショックを受けていたからと、私は何だか言えなかった。
「こんな悲しいことはないよ…シクシク」
嘘泣きなのは分かってはいるが、何だか申し訳ない気持ちにはなる。
「ご、ごめんなさい。信用してない訳じゃないのよ。」
「本当に?」
「え、ええ。」
「まぁ、そう言うことにしましょうかね。
だけど、ルイス。覚えておいてね。ルイスが助けを求めれば、助けてくれる人がいるってこと。」
「え?」
「君は人に助けを求めないで、自分だけで解決しようとするよね。だけど、それは策略をめぐらせるのではなく、感情に任せるところがあるんだ。」
リュカに言われて、私は初めて自分の本当の欠点が分かった気がした。
「最初に出会った時に聞いたよね?なんであの時に、ルイスは誰にも助けてもらえず、婚約破棄を言い渡されたのかって。」
「ええ。」
「もう、私の言葉の意味が分かったかな?」
リュカの言葉に頷く私を見て、彼は優しく微笑む。それは心から安堵しているように見えた。
「感情に任せて怒鳴りつけていたら、周りは手を差しのべてくれない。素直に助けを求めることも大切だと。」
「...まぁ及第点ってところかな。」
悪戯に笑ってリュカは、私の頭をポンポンと叩く。
「これで、及第点ですの?」
「まだまだ賢い生き方とは、言えないよね。」
そう言われてしまえば、そうかも。と、自信がなくなってくる。
「まぁ、それは追い追い教えていくよ。」
まだしばらくはリュカのオモチャにされそうだと、私はガックリと肩を落とした。
「それで?」
楽しそうな声に私が顔を上げると、リュカは楽しそうな意地悪そうな笑みを浮かべている。
「それで、貴女からの話とは何でしょうか?」
「えっ?」
「えっ?じゃないよ。今日はルイスに呼ばれたから、時間を作って来たんだよ。」
突然言うから思わず惚けてしまったが、今日は私が彼を呼び出したのだったと、思い出す。
「そ、相談は家のことよ。本当はトール様との婚約破棄のサインをするか悩んでて相談したかったのだけど、でも、先程の事があるから婚約破棄は決まりでしょうね。」
「そんなこと?あんな奴、結婚しない方が良かったよ。サインするかどうかで悩んでたの?」
呆れたように驚くリュカに、私は頬を膨らます。
「家が安泰なリュカには、私の気持ちなんて分からないでしょうね…。父が悪いと分かっていても、両親を路頭に迷わせるなんてしたくなかった。だけど、このままじゃ…」
「大丈夫。問題ないよ。」
「えっ?」
「まぁ、騙されたと思って私を信じてよ。」
「わ、分かったわ。」
「はい、じゃあ相談事は解決。…で、伝えたいことの方は?」
気になるという顔で聞いてくるリュカ。彼はおそらく、私が何を言うのか分かった上で楽しんでいるのだ。なんと質が悪いのだろう。
そんなことを思いながらも、リュカに伝える言葉を探していると、笑顔のままゆっくりと近づいてくるリュカ。
「ちょ、ちょっと待って!」
「待てません。昨日からずっと待っていたから、もう待ちきれないんだよね。」
「だ、だから…そ、その…」
「その?」
「この前の続きがしたいのっ!」
私ったら何を言っているのでしょう。
頭がパニックになり、色々考えていたことをすっ飛ばして、思ったことをそのまま伝えてしまった。と、気付くも既に遅かったようで、目の前の青年を見れば、獣が獲物を見つけたような顔をしている。
少し怖いのに、何だかドキドキと胸が高鳴り、綺麗な青の瞳に吸い込まれるように視線が外せなくなる。
「良いの?」
聞きながらも近づいてくるリュカ。唇が触れそうになる程近づく。
私は恥ずかしさのあまりに目を閉じた。
息づかいが聞こえる程に近い距離。
チュッ
頬にキスをされ。耳元にはクスッと笑った声が届き、さらに胸を締め付ける。
「可愛いね。」
そう囁いてから、でも彼は離れてしまう。
「そんな顔しないでよ。流石に婚約前の女の子にこれ以上は…ね。続きは数日後に正式な形で。」
「えっ?」
「君の気持ちも聞けたことだし、私はやることがあるので今日はこれで失礼するよ。門まで送るから。」
リュカに手を差し出されて、その手を取った。私はまだ胸のドキドキが収まらず、彼の顔をまともに見れなかった。
それから、数日の間は特に何事もなく私は驚くくらい平和に過ごしていた。シルフィーナはあの日以来、学校には訪れていない。噂では、退学になったことを受け入れられなくて、荷物すら取りに来ないらしい。
一方で、トール様は退学を免れたようだけど、数ヵ月の謹慎と厳しい処罰を受けたと聞いている。処罰の詳細は分からなかったが、廃嫡の話も出ていると噂になっていた。
確かにシルフィーナもトール様も酷いとは思うが、廃嫡の話まで出るなんて…。リュカへの謎は深まるばかりだった。
あれ以来、私はエマのことが心配で、一緒に帰ることが多くなっていた。
この日も、エマと一緒に帰って、自室に招いてお茶をしていたら、バタバタと屋敷内が騒がしくなる。
「何かしら?」
「うーん、お客様が来るとは聞いてないんだけど…急な来客かなぁ?」
「あれからリュカさんは?」
「全く音沙汰なしよ。」
「そうなの?魔法とかでのやり取りは?」
「それもなくて…。」
「自分からはしないの?」
「えっ?」
ムリムリムリ!と、両手を前に付き出して全力で首を左右に振ると、クスッと笑われてしまう。
「せっかく通信魔法?というのが出来るのでしょ?」
「そ、そうだけど…無理だよ。」
「何で?」
「何だか恥ずかしくて…」
「フフ、ルイス可愛い。」
「え?」
「やっぱり、恋する女の子は可愛いわね。」
「ち、ちがっ…」
「違うの?」
聞かれて違うとは言えなかった。その反応を楽しんでいるのだろう、エマは楽しそうに微笑んでいる。
コンコン
扉が叩かれて私が入るように言うと、慌てた様子で母が飛び込んできた。私は驚き立ち上がる。
「ど、どうしたのですか?お母様。そんなに慌てて…」
「ルイスちゃん!た、大変なの!!」
走ってきたのだろう息を切らせて、叫ぶ母はとても動揺しているようだった。いつも物静かな人なのだが…、只事ではないのだと私も身構える。
「落ち着いて、お母様。とりあえず、座ってください。」
私は席を立つと母に譲る。
そして、予備のカップに紅茶を注いで手渡した。母はそれを受けとると、ゆっくり口にする。
「落ち着きましたか?」
エマも心配そうに声をかけると、母は小さくため息をついてから私を見た。
「お、お…」
母は私の袖を掴むと、青ざめた顔でこちらを見た。
「王太子がうちにいらしたのよっ!」
「ええっ!?」
私は驚きすぎてエマに助けを求めるように視線を送ると、彼女も驚いた様子でこちらを見る。
「それで、貴女を呼んでくるように言われたのよ。ど、ど、どうしましょう?」
「とりあえず落ち着いて、お母様。」
言いながらも、私自身動揺していた。王太子がわざわざなぜ?思い当たることと言えば、先日の出来事くらい。トール様が何か言ったのだろうか?
彼の爵位があれば王太子に会うことは不可能ではない。それくらいしか考えられなかった。
「と、とりあえず、行ってくるわ。…エマ、母をお願いできる?」
「ええ、もちろん。何かあったら、ここにいるから逃げて来て良いからね。もし、この前の事なら、私もちゃんとお話するから。」
私はその心強い言葉に勇気をもらうと、王太子が待つ客間へと向かった。
扉を叩くと、メイドが中から開けてくれる。そして、部屋の中に入り、私は言葉を失った。
部屋には豪華な調度品が並び、ふかふかな絨毯が敷かれて、中央にはこれまた豪華な装飾品で飾られた机がある。
この家で一番良い部屋だ。
机には向かい合わせに、ソファが二脚置かれている。
だけど今、そこにはそれ以上輝いているのではないかと思う、煌びやかな服に身を包んだ青年が優雅に座っていた。少し青みがかった黒髪に空のような青い瞳が、こちらを見つめている。
「驚いた?」
目の前の青年は、そんなことを悪戯な笑みを向けて言うのだ。
「り、リュカ?こ、こ…」
私が驚いているのを楽しんでいるという顔をする。
「こ、今度はどんな嫌がらせなのっ!?」
シンと、静まり返る部屋。メイドはただでさえ緊張で倒れそうなのに、私の態度を見て生きた心地がしなかったのだろう。顔が完全に青ざめていた。
「ぷっ…アッハハハ!!」
「な、何が可笑しいのよっ!」
「…笑いたくもなるさ。だって、君はこの状況が私の悪戯だと思っているんだろう?」
「当たり前じゃない。」
涙を拭いながら、リュカは腹を抱えて楽しそうに笑っている。
「ルイスは王太子の名前を知ってる?」
「もちろんよ。リュミガルカ・オルレアン様よ。」
「そう、リュミガルカ。」
「だから何よ?」
「それ聞いて気付かないの?」
「だ、だから何が…」
うん?リュミガルカ…リュ…カ?
私はやっと、リュカの言いたいことが分かり、唖然と彼を見る。
「気付いたかな?」
「王太子って…」
「そう、私がリュミガルカ・オルレアン。で、リュカの正体でした。」
驚いてなにも言えない私を見て、心底楽しそうに見える。
「このまま君の相手をしていたら、日が暮れてしまいそうだから…」
リュカは立ち上がると、私の手を取りに膝をついた。それは、この国の正式な申し込みをする時の所作で、リュカは青い瞳で私を見つめた。
「ルイス・シュヴァリエ。」
「は、はい。」
「どうか私と結婚して頂けませんか?」
「は、はい。…えっ?」
今なんて…?私は頭が真っ白になる。返事しちゃったけど、今結婚って言わなかった?
私が混乱している一方で、リュカはとても幸せそうな笑みを見せる。その笑顔に私は全てがどうでも良いと思った。
グイッと、私の腕を引きながら立ち上がったリュカは、よろけた私を抱き止める。
腕が背中にまわされて、ギュッと抱き締められた。
「これで続きができるね…ルイス。」
悪魔的な囁きに私の心臓は早鐘を打つ。こちらを見つめるリュカの頬も、少しだけ赤くなっている。ゆっくりと距離が縮まり、唇と唇が触れそうな距離まで近づく。
今度は離れることなく唇が重なる。
止まっていた二人の時がゆっくりと動き出した。
fin