第一話「感情は関係ない」
「不良の樟山くんも、補習にはちゃんと出る。少しびっくりです」
空は夕焼け色に染まり、校庭は静まっていた。あまりに寒い今日は12月の28日に当たる。
「会長様も補習ですか」
ゆっくりドアを閉めると、生徒会長様はこっちを向いた。後ろの棚に背中を預けると、見上げたような癪に障る顔をする。
「いいえ、私は授業に出ているもの。なんであなたは賢いのに授業に出ないの」
「賢いからといって、勉強するのは義務ではないですから」
そもそも、賢くもない。賢くて真面目だったなら、冬休みの補習になんて呼ばれないはずだ。
「……羨ましいわ」
ため息をつくと、会長様は俺のほうに近づいてきた。ピンと張った背筋は、隙のない彼女らしい。
「何が、ですが。俺が勉強しないってことですか?」
「いいえ、違うわ」
間を開けず、会長様はそう答えた。
「まぁ、会長様は忙しそうですからね」
会長様は、酷く忙しそうだった。
学年が違うからあまり知らないのだろうが、学校外でも補導なんかをしているのだから忙しいに決まっている。何度、俺はこの会長様に補導されたことか。どこでもなんでも注意してくるなんてめんどうくさい。今度、見つけたら先生に突き出すと、脅しをかけられたりもするのだから本当に。
「なんで、今回は補習に呼ばれたの」
「テストの点」
会長様が、驚いた顔をする。
「へぇ、珍しい」
「こんなもん暗記するほど俺は暇じゃないんで」
「樟山くんはやっぱり問題児ね、授業に出ればわかるでしょうに」
「単位落とさないギリギリでは出てます」
そもそも、いつもは補習に呼び出されるなんてヘマはやらない。
「私ね、社会の先生になりたいの」
会長様は恋をする女の人のような顔をしてそう言った。
「だからとはいえ、俺に今から世話を焼くのはやめてくださいね」
「そう?」
だめかしら、と言いそうな会長様に背筋がぞわりとした。
「教科書を見れば、答えが載ってます」
そう言って教科書を突くと、どれどれと言った風に彼女は長い横髪を耳にかけた。答えが載っている、という言い方が納得できないらしいこの人は、やっぱり俺に世話を焼く気のようだ。
「信長は、自害っていうけれど。あれはこの時代の人たちにとって」
彼女は、目を伏せる。
「殺されたようなものよねぇ」
織田信長が登場している訳でもないのに、何故そんな話をするのだろう。会長様が覗き込んだこのページには織田信長を連想させるものはない、はずだ。
「どうしてですか、一応は自分で命を絶った。そうでしょう」
「あなたは、想像力はあるのにそれをしないタイプ?それとも、えっとわからないの」
いつもより早口な会長様が、言わんとすることが解らない。
「いや、何となくはわかりますよ。ただ、事実だけが大事じゃないですか」
「……気持ちは必要ないのかしら」
「少なくとも、こう歴史を語る場においては」
史実を語る時、私情を挟んでしまっては事実が曖昧になる。
「私はそうは思えないわ。これは殺されたのよ」
「まぁ部下の裏切りは相当なショックでしょうけど、この人は自害です」
織田信長は結果として自害だ。そこにどんな動機があったとしても。
「もう殺される運命しか残されていない時、この時代のこういう人は自害という道を選ぶ以外に選択肢がなかったのよ」
会長様は一体、何を言い出そうとしているのか、やっぱり俺には解らない。
織田信長はきっと、想像上の話だけれど潔い人ではなかったのだろうか。ホトトギスのアレにもあるように。
「中野正剛さんって知っている?」
「それも、昔の人ですか」
いきなり新しい人物が出てくる。
「そう。江戸時代よりもっと後、ジャーナリストの人ね。その人は」
一瞬、雑音が彼女の声を遮った。耳鳴りに似た高い音だった。
「なんて言いました?」
「あぁ、聞こえにくかった?ごめんなさいね。中野さんは自分の意思を表すために自害したという説と、徴兵された息子の安全と引き換えに自害した、という説があるの」
「背景がわからないです。無知で、申し訳ないです。大体は想像付きますけど」
「それでいいわ」
「はぁ」
いいのか、本当に。
「その人も、結局は殺されたようなものよね」
彼女は殺されたようなものだ、と言う。けれど何か他のことが言いたいのではないだろうか。そもそもこの話は、どういう意図でされているのだろう。
「……息子の安全と引き換えにという説に則って、かつ会長様の考え方で捉えるとそうだと思いますが」
「自分の意思を表すために死ぬのは」
「自害じゃないですよ」
今度は、俺の声が彼女の言葉を遮った。
「いいえ」
それは、はっきりとした否定ではなかった。彼女が続けて口を開いたその瞬間、さっきと同じような耳鳴りがする。彼女の声が遮られた。
また、彼女の声が聞こえない。
「今なんていいました?」
「……樟山くん耳、ちょっと悪いの?」
そんなことはない。入学時の検査にも、引っかからなかった。
「いや」
彼女は、あの否定のあと何を言ったのだろう。
「まぁいいの。何でもない、ちょっと。ちょっとね」
気になって仕方がない。彼女のため息が耳に障った。
「何でも知っているのよって、自慢をしたかっただけ」
ボランティア作業も終ったしそろそろ帰るわ、と会長様は教室に僕を一人残して去っていった。補習が終わる17時まで、彼女のことを考えていた。
一部加筆と修正を行いました。ちょっとずつ再開していきたいです。