お姫様の本性
ギャグをセーブすると途端に筆が遅くなる件。
「――何が目的、なの」
唐突に。
そんなことを言われれば、オレでなくとも「ハァ?」と返してしまうだろう。
「藪から棒にどうした」
「とぼけないで」
常のような、ふにゃふにゃとした気怠げな声とは違う。強い信念のようなものを感じさせるハッキリとした響きで、彼女は問うてくる。
「私を――この国をどうするつもり、なの」
シン、と部屋が静まり返る。元よりこの場にはオレと彼女しかいないが、それでもいつもより静かに感じたのは、彼女が発した声が大きかった、その反動だろうか。
――逃げられない、そう悟った。逆に言えば、相手の話す準備が整ったということだ。
故にオレは、開いていたマンガを閉じて、そっと元の場所に戻した。
そして何よりも最初に、彼女に言い放つ。
「――んなスッケスケのネグリジェ姿で凄まれても迫力ねえぞ」
「う、ううううるしゃいっ!」
噛むなよ。
呆れるオレの目の前でお姫様――ルーニャ・アルデルスは、己の身を隠すように毛布を被った。いやそういうことじゃねえよ、まともな格好しろっつってんの。
――今日で、異世界にやって来て六日目になる。
オレは二日目以降、起きてる時間の大半をお姫様の部屋で、お姫様と共に過ごすようになった。何かを一緒に行うわけでもなく、会話もほとんどせずにお互いやりたいことを自由にやっている。いや、オレはほぼずっとマンガ読んでただけなんだけどな。だってそれ以外にすることもないし。
オレがお姫様の部屋を訪れる理由はない。――いや、正確に言えば理由もなく訪れることが理由だ。人と人が一緒にいるのに小難しい理屈など必要ないのだと、彼女にわからせないといけないから。
もしもお姫様が人間嫌いで人を避けているのであれば、この方法は逆効果だ。けれど、彼女は違う。部屋に引きこもるようになった当時はそうだったのかもしれないが、少なくとも今の彼女は人並みに寂しさを覚えているはずだ。
その欲求を適度に刺激すれば、あるいは彼女の嗜好を無視してでも骨抜きにすることができたかもしれないけれど。
幸か不幸か、オレにはその手の願望がなかった。だからオレの目的は、少なくともお姫様を娶ることではない。
……けれどそれを、口で説明して理解させるのは骨が折れそうだよなあ。
というか、突然こんなことを訊いてきたのには、何かしらの理由があると考えるべきで、
「……アンネに何か言われたか」
「『あの男は姫様を利用してこの国を乗っ取るつもりなんですよ!』って。――ホント、どの口が言ってるんだって感じだけど」
「『オマエが言うな』って言葉がアイツほど似合うヤツもそういねえよなあ」
ちなみにお姫様もあのメイドの野望についてはとうに知っている。知った上で、彼女が自分に気に入られたいと思っているのを利用し、小間使いにしているのだという。王妃の言っていた『上手く扱う』とは、おそらくこういうことなのだろう。
「でもお姫様は、それを戯言とは思わなかったってワケだ」
「アンネに企みがあるのは事実。――だからって、貴方にそれがないとは限らない」
全く以てその通りだ。
けれど――違うんだよなあ。
お姫様は別に、この国の未来とか自分の身とかを、案じているわけじゃない。
それに気づいていたから、オレは、
「――なあ、お姫様」
「な、なに」
「アンタ、面倒な性格してるよな」
少し悩んだ末に、本人に突き付けてやることにした。
ビクリ、とお姫様の体が震えた。
さっきまでの威勢はどこへやら、オレと向かい合わないよう体の向きを僅かに変えた。不都合な現実から、目を背けるかのように。
「自堕落で、不衛生で、親不孝で、頭の中がピンク色で、ネガティブで――そのクセプライドだけは高い。自分から引きこもった手前、本当は人恋しいと告白することもできず。自分勝手を貫いたのに、他人の目が気になって仕方がなく。自分が正しくないとわかっていながら、現状に甘えてダラダラと日々を過ごして。『こんな自分から変わりたい』という意思はあるのに、『こんな自分を変えよう』という意志はない」
「う、ううう」
ダンゴムシのように、自らを守るために背を丸めた。
しかし悲しいかな、言葉の刃はそんなものじゃ防げない。
「お姫様の描いたマンガの数々、あれは願望の投影だろ? どれもこれも主人公が男と出会うことで、不遇で不幸な状況から脱却している。お姫様自身もああやって、誰かに助けてもらいたいんじゃないのか?」
「……そ、れは」
「でも、それが叶うことはまずないだろうな。だってアンタは、人間嫌いではなくとも人間不信ではある。『自分は他人に好かれる価値もない』って思ってるから、誰かが手を差し伸べたところで、その裏にあるものを見透かそうとして、疑って、先入観と思い込みでそれを払い除ける」
「…………う」
「アンタが求めているのは、そんな自分の全てを暴き出して、強引にでも引っ張ってくれる王子様だ。本心を剥き出しにされたいと願っているドMでありながら、それを他人に強要するドSとか、性質が悪いことこの上ないな」
「…………ぐすっ」
プルプルと全身を小刻みに振動させるお姫様の口から嗚咽が漏れた。
完全にこちらに背を向けた彼女に、対応を変えることはない。
「何が目的なのかと、アンタは問うてきた――けど、本当はそんなのどうでもいいんだろ? アンタが気にしてるのは、『いつまた一人きりになるか』、それだけだ。オレが離れて一人になるのが怖いだけなんだ」
それは別に、お姫様が俺のことを好きだとか、そういうことじゃない。ただ不快にならない相手なら誰でもよく、それがたまたまオレだっただけのことだ。
お姫様はたぶん、声を殺して泣いている。
残念ながらオレは紳士ではないので、女性を泣かせてしまったことに特別な思いは抱かない。ちょっとやり過ぎたかな、という男女の別なく抱く自省の念はあるけれども。
「――悪かった、言い過ぎた。そうだよな、オレにいわれるまでもねえよな」
「うっ……うっ……」
「だってそんなアンタを、アンタ自身が誰よりも嫌っているんだから」
嫌な自分から変わりたいのに、自分一人の力じゃ変われなくて、そんな自分がさらに嫌になる。
マイナスのスパイラル。デフレよりも恐ろしい、薬物の悪循環みたいだ。
「……今日はもう、戻るわ。頭冷やしてくる」
「え――」
立ち上がる。そして彼女へ振り向き、
「また明日、来るから」
「あ、待っ――!?」
「じゃあな」
強引に彼女の言葉を遮り、部屋を出た。
むせかえりそうな悪臭と熱気を吸っていた肺に、澄んだ冷たい空気が送られる。
だというのに、オレの胸の圧迫感は消えない。どれだけ息を吐きだしても、だ。
心臓の鼓動が早い。汗腺から体液が噴き出す。焦燥がさらなる焦燥を生む。
――マズい、ヤバい、予想外だ。こんな展開は完全に想像していなかった。
オレは完全に、お姫様を見誤っていた。
彼女が、まさか――
――まさか、あんなにもチョロかったとは!!!
今の状況そのものは、オレが望んだとおりのものだ。今まで人と関わろうとしなかった彼女に、無理にでも接点を作る。最初は無視されるか、邪魔だと思われて当然だろう。それでも毎日、諦めずに、必ず共にいる時間を設ける。そうしてオレがお姫様と一緒にいるのが普通になった頃、彼女が不安に駆られて先の質問をする――と、そういう流れを最初に会った日の夜に想定していた。
そしてそれには最短でも一か月、長ければ一年近く時間をかける必要がある――と、そう思っていたのに。
まだ六日目だぞ?
というか二日目から実施した策だから、実質五日目だぞ!?
つーかなんだよさっき、アイツ完全に「待って」って言おうとしてだろ。イヤイヤイヤ、逆じゃん? あそこまでボロクソ言われたら、普通「出てけ!」って怒鳴る場面じゃん? なに引き留めようとしてんだ、マゾか。
昨日の夜もそうだった。オレは寝る時間ギリギリまであの部屋にいて、そこで冗談のつもりでこう口にした。
『なあ、部屋に戻るの面倒だからここで寝てもいいか?』
『え……あ――い、いい、けど……』
いいワケねーだろアホか!!
危機感持てや危機感! 出会って数日の男を信用しすぎだろ! これでオレが暗殺者や変態の類だったらどうすんだ、ああ!?
――いや、落ち着け。冷静に、冷静になろう。
そもそもお姫様は、絶対に誰にも会いたくない、なんて強い気持ちで引きこもるようになったんじゃないはずだ。
なんとなく他人の目が気になって、人目を避けるように自室に閉じこもって、けれどその行為のせいで余計に人目が気になるようになって、気づいたら出られなくなった。そういう、なし崩しの籠城生活であるはずなんだ。でなければ部屋の扉を、少し億劫ではあっても誰にでも開けられる状態にしておくはずがない。
結局のところ。
最初っからお姫様は、オレみたいに強引に距離を縮めようとしてくる存在を待っていたんだろう。長い間、その望みを誰にも打ち明けることなく、ずっと受け身で。
「都合よすぎじゃねえかな……」
オレにとっても、お姫様にとっても。
これも人脈チートのおかげなのだろうか。
「おや? おやおやおやぁ?」
そんなことを考えていると、横合いから声をかけられる。
例のごとく、現れたのはおかっぱメイドだ。ニマニマと楽しそうに笑みを浮かべて、
「どうしたんですかあ? いつもみたいに仲睦まじく、二人一緒にお部屋の中で過ごさないんですかあ?」
勝ち誇ったような顔。おそらくは、自分の仕込みが成功したと思っているんだろう。
それを見ていると、本当に自分が負けたような気がしてくるから不思議だ。結局は気の持ちようってことか。
「……オマエ、毎日楽しそうでいいな」
「は? なんです急に」
「なんでもねえよ。――あ、そういや聞きたいことがあったんだ」
はい? と首を傾げた彼女に、オレは尋ねる。
「お姫様が引きこもる理由。それと、結婚相手が見つからない事情」
「……あー、それですか」
とうとう来たか、とでも言いたげな困惑の顔を覗かせた後、それを満面の笑顔で塗り潰して、
「生憎、私はソレを知らないがために姫様に重宝されているので。残念ながら答えられませんねえ」
「ふーん。未来の助言役サマも、大したことないんだな」
「あァン!? 知ってるに決まってんじゃないですか、おォ!?」
こいつもチョロいな。
「どっちも一つの事件がきっかけですよ! 十年前の、私がこのルルールル城で働く直前に起きた、あの事件が!」
「この城そんな名前だったのか」
「城の名前なんてどーでもいいんですよッ! 重要なのはあの事件――」
彼女は大きく息を吸い、
「――姫様の婚約破棄、です!!」
「うるせえ」
「ひどい!?」
その後のアンネの話を要約すると。
お姫様は元々、王様が取り付けた縁談によってこのアルデルス王国の土地を治める領主の一人と結婚するはずだったらしい。
その男というのが、ガマガエルとイボイノシシを足して二乗したような醜悪な見た目だったらしく、当時齢三十を超えても独身だったという。ちなみに、仕事ぶりや人間性に関してはかなり評価が高く、「あれで外見さえマシだったなら」と口にする女性が後を絶たなかったという。王様は彼を次の国王にしたかったそうだ。
姫様は父王に言われるがまま、それに従った。本心がどうだったのかはわからないが、きっと当時から押しに弱い性格だったんだろう。
滞りなく結婚の準備が進む中、しかし婚礼の儀の一か月前に、その事件は起きた。
相手の領主が、お姫様との婚約の解消を申し出たのだ。
しかもその理由が、他の女性と結婚するためだというのだから、それはもう大騒ぎになったという。
さらにその女性が、畑仕事を生業とする子持ちの未亡人だというのだから、それはもう全世界がその話で持ち切りになったという。
――ここからの話は巷に出回っていないそうだが、その領主と未亡人との結婚は純然たる恋愛感情によるものらしい。恋愛小説一冊分に匹敵する話を延々と聞かされたが、本来知るはずのない事実を知っていたことに関しては王妃に報告するとしよう。
結局、望まぬ者に娘との結婚を強いる形になってしまった心優しい王様と、何を失っても愛する人と共にいたい気持ちに共感した王妃は、領地の没収と引き換えに申し出を受け入れたそうだ。その元領主様は、今では毎日幸せそうに家族と畑を耕しているという。
一方でその事実を知らない民衆からは『あの醜悪な外見の領主が、領地を差し出してでも結婚を忌避する姫』のイメージが膨らみつつあり、あらぬ噂が立つようになったお姫様とは、誰も結婚したがらなくなってしまった。
「――そしてお姫様は自身を中傷する噂の数々に耐えかねて、人目を避けて自室にこもるようになった、と」
「……うむ。そう、であるな」
対面に座る王様が苦々しく肯定した。あのメイドのことだから適当なこと言ってるかもしれないと思って当事者に確認を取ったけど、どうやら嘘はないらしい。
「単なる事実確認なら、陛下に時間を取らせるまでもなく私が引き受けましたが」
「まさか。それだけならわざわざお二人を呼んだりはしないスよ」
王様の隣に座る王妃に向けて言う。オレが二人を呼んだ――正確に言えば、用があることを話したらこの応接間に通された――のには、れっきとした理由がある。
それこそが、今まさにテーブルに叩きつけた、
「む……?」
「これは――」
紙の束。使用人に話したら百枚ポンとくれたあたり、この世界の製紙産業は十分に栄えているのだろう。
とはいえここにあるのはほんの二十枚程度。その全てに、お世辞にも綺麗とは言えない手書きの文字が綴られている。
「目を通して、そして許可をいただきたい」
言った時にはすでに、二人は並べられた文字列を目で追っていた。言語の加護とは便利なもので、会話を交わしたり、オレがこの世界の文字を読めるようになるのはもちろん、オレの書いた日本語がこちらの世界でも通用するようになるのだから、これだけは本当にあのクソ女神に感謝してやってもいいと思わないこともなきにしもあらずだ。
やがて王様の目が見開かれ、紙を持つ手がわなわなと震える。読みにくいと思ったのか、眉根を寄せた王妃が王様の手首を、ガッ! と勢いよく掴んで震えを止めた。
……まさかの力業かよ。そこはそっと手を添えるとか、そういうのじゃねえのかよ。王様思いっきり痛がってるぞ大丈夫か――あ、それが目的ってことスか。大丈夫スか。はい、大丈夫でーす。
妖しい表情を浮かべる王妃から視線を逸らし、王様を見る。彼は涙を滲ませる瞳でこちらを見つめ、
「き、貴殿は――何を、するつもりなのだ……?」
「そこに書いてある通り、ですよ」
ニヤリ、と笑い。
表紙に大きく書かれた一文を、得意げに諳んじてみせた。
「『ルーニャ・アルデルス改造計画』です」
ここまでがプロローグです!(長い)