秘密の絵画
初評価いただきました! ありがとうございます!
「――飯食うぞォ姫様ァ!!」
「わあーっ!?」
昼。
昼食の載ったトレイを手に、お姫様の部屋に突入した。後ろにはお姫様の分の食事を運んできたアンネがいる。
驚き飛び上がったお姫様は、毛布にくるまってベッドの隅に転がった。
警戒されている。が、それでいい。主導権を得るには、良くも悪くも注目されていた方がいい。
「な、なにいきなり」
「今言っただろ、飯だよ。お姫様、食堂に来ないで自分の部屋で飯食ってるって聞いたから、一緒に飯食おうと思ったらオレがこっちに来るしかねえじゃん?」
「そもそも一緒に食べる理由が――」
「いいからいいから」
座る場所がないのでベッドの上、お姫様とは対角の隅に腰を下ろす。メイドはお姫様の近くに食事を置くと、
「ではでは、ごゆっくり~」
ニヤニヤと笑いながら部屋を出て行った。失敗すると思っている顔だ。
それを見送ったお姫様は小さく息を吐いて、
「……最悪」
「知ってるよ。ま、本気で嫌がるようなら出ていくからさ」
言い換えれば、彼女はまだ本気でオレのことを嫌っているわけじゃない。あくまでオレの見立てでは、だけど。
この部屋の感じからして、おそらくアンネ以外にはほとんど誰も部屋の中に入れていないのだろう。それもかなり長い間。食事ですら自室で食べるのだから、部屋を出るのはトイレに行く時くらいだろうか。たぶん、風呂も滅多に入っていない。
それ故にお姫様はきっと、人に慣れていない。オレを拒むのは嫌っているのもあるだろうけど、接し方がわからず困惑している部分もあるのだろう。
「……こ、こんな部屋でご飯食べても、美味しくない、から」
そうでなければ、こんなことを言ってきたりはしないだろう。
「この部屋、臭いとかいろいろひどいから、だから」
「気にしねえよ」
彼女は少なからず、こちらのことを案じてくれている。それはオレを追い出して自分の身を守る意味合いもあるのだろうけど、決してそれだけじゃないのは確かだ。
――それがわかれば、付き合い方も見えてくる。
「一緒に食う相手がいれば、それでいい」
「……お父様やお母様と、一緒に食べればいいでしょ」
「オレは小心者の小市民なんでね。給仕に囲まれて礼儀に気を遣って、なんて。そんな状況じゃ味も霞んじまう」
言いながらパンをちぎって食べる。小麦の仄かな香りと発酵した汗の臭いとが、絶妙な不協和音を奏でている。
「……わかる」
お姫様も食事に手をつけ始め、
「息が詰まる。あんな場所でご飯食べても、美味しくない」
「一人寂しい食事よりも、か?」
「…………」
答えない。予想通りだ。
やっぱりこのお姫様、相当にこじらせている。
それからしばらくの間、無言で食事を続けた。たまに声をかけるが、答えは「うん」か「ううん」か無言のどれかだった。
昼食が終わっても、オレは部屋に残り続けた。元よりそのつもりで、けれどやることがなくどうしようかと思っていたから、床の上に放られていた『ソレ』を見つけたのは幸運だった。
「なんだこれ――マンガ?」
マンガ雑誌に使われる再生紙に近い感触の紙束。中を開くとイラストによって紡がれる物語があって、
「お姫様ー、これ読んでもいいか?」
「……用がないなら、帰って」
「用がないからここにいるんだよ」
消極的な肯定と受け取ってページを開いた。
稚拙で、杜撰。けれど熱意と愛情は痛いほど伝わる。さほど面白い訳でもないのに続きを読みたいと思わせる、不思議なマンガだった。
この冊子を拾った辺りの床をもう一度見る。衣服や雑貨の下に同様の紙束を見つけたので掘り出した。
最初に見つけたものも含めた十冊のマンガ。絵柄を見る限り、どれも違う人間が描いているように思える。
……誰が描いたものなんだ? というか、
「お姫様」
「今度は、なに」
「このマンガ、何なんだ? 貰い物? それとも買ったのか?」
「……買ってきてもらった。アンネに、異邦街で」
「ジャ――ジャパン、タウン?」
何だそりゃ。
「来訪者が流入して、自分たちの文化を全面に押し出した区画のこと。どの国の王都にもあるって、聞いたことある」
……あー、なるほど。中華街みたいなモンか。
「マンガは来訪者が持ち込んだ文化だから、取り扱っているのも来訪者の店が多い。この国だけならともかく、他の国のマンガを手に入れるには異邦街じゃないとダメ」
「ふーん。ってことは、マンガの作者も来訪者ばっかりなのか?」
「そんなことない。来訪者はあくまで概念を広めただけで、ほとんどいないはず」
マンガの話になって明らかに言葉数が増えた。他国のものまで集めてる訳だし、よっぽど好きなんだろうなあ。
そう思っていると、唐突にお姫様はハッとした表情になり、直後に顔を真っ赤にした。得意な話題で少しはしゃいでしまったことを恥じたのだろうか、毛布を被り直し目元以外は隠して、
「……ど、どうせ、気持ち悪い奴だって、思ってるんでしょ」
「別に。好きなものの話でテンション上がることなんて、特段珍しくもないだろ」
「う~……」
そう睨むなよ、唸るなよ。威嚇しなくたって危害を加えるつもりはねえよ。
ジト目の視線を受け流し、冊子を開く。今度のマンガは絵はそれなりに上手だったもののストーリー展開や言葉のセンスが肌に合わず、読み切る前に閉じてしまった。
一冊、一冊、また一冊――と手に取っていくが、やはり琴線に触れるものはそう多くない。マンガ大国日本の生まれで目が肥えているというのもあるけれど、ジャンルが恋愛モノばかりなのも要因の一つだろう。絶食系男子のオレには登場人物たちが何にときめいているのかサッパリわからない。
今読んでるコレだってそうだ。農民の少女がイケメン王子様に見初められて――イヤイヤ無理あるだろ。こじつけの出会いとでっち上げの理由で召し抱えられたら、後は延々と砂糖を吐きそうなほどに甘ったるいイチャラブを繰り広げるって、作者はよっぽど処女を拗らせて――って、
「あん……?」
妙な感覚。デジャヴ、というヤツだろうか。
このマンガの絵を、どこかで見たことがある気がした。両親がいた頃? 中学、高校時代? 卒業後? ――いいや違う。地球で、ではない気がする。じゃあどこだと問われれば――ああ、そうか。
マンガの裏表紙をめくり、そこに記された作者の名前を確認して、
「なあ、お姫様」
「……なに」
「この『ニャンニャン堂』ってお姫様のペンネーム?」
「に゛ゃああああああっ!?」
高速のハイハイで迫ってきたお姫様をサッと避ける。オレの手にしているマンガを奪い取ろうと振り回す両手を、上体を揺らして回避し、
「かえっ、返して……!」
「マンガまで描いてんだ、すげーじゃん。内容はオレには合わないけど」
「……!! ……!!」
「痛っ、痛いって! わかったわかった、わーかったからもう殴んなよ!」
冊子を彼女に向けて高く放り投げると、それを受け止めようと背を反らせたお姫様は仰向けに倒れ、天蓋を見上げた顔面にマンガが落下した。
「ふええ……」
「『ふええ』て」
二十五歳が口にする言葉じゃねえぞ。
しかし、やっぱりお姫様が描いたマンガだったか。画材の違いのためか最初はわからなかったけど、昨日見たBL絵と同じ構図のシーンでピンと来た。
「い、言っておく、けど……っ!」
自分の作品を抱きかかえるように、腕を胸の前で交差させて彼女は言う。
「私がマンガにしてるのは、NLだけだから……っ! BLは、誰にも見せない、ただの趣味、だから……っ!」
「あーはいはい、わかったから睨むなって」
混乱しているのか、何の意味もない、ただの自白にしかなっていない説明を口にする。ちょっとイジメすぎたかもな、反省。
――というか、『誰にも見せない』、か。
「もったいねえなあ」
「……え?」
「いや、昨日のあの絵だよ。描かれている内容はともかく、表現というか、技法というか、なんというか――ああもう、やっぱり上手く言えねえけど、引き込まれるものを感じたからさ。アレ、ホントに誰にも見せないのか?」
「…………」
あ、ニヤけた。うん、程々に不気味な顔だ。
Tシャツにプリントして部屋着にしたいと思えるその顔を、けれど彼女は頭を振って引き締め、
「…………見せられない」
「お姫様だからか? それともNL作家だからか?」
「どっちもそう――だけど、それが一番の理由じゃない。来訪者の貴方には、わからないだろうけど」
「んー……?」
オレにはわからない、理由?
ということはこの世界の歴史か文化に基づくものだろうけど。BL全般がアウトならそう言っているだろうし、というかあの絵に公に見せられないような、そんな大層なモンが描いてあったか?
露出した変な形――おそらくは現物を見たことがないため――の股関以外に、おかしなところはなかったように思う。アレがなければ白髪と黒髪の少年二人が微笑んでいるだけの――
「――――あ」
――髪?
『――髪の赤い人、多いスね』
『如何にも、ここはそういう国であるからな』
『そういう国?』
『髪の赤い国』
そういうこと、か?
「白と黒の髪色に、何か問題があるのか?」
「知ってた、の?」
「知らねえから訊いてんだよ」
当たりだったらしい。面倒なことになった、と言わんばかりに息を吐いたお姫様は、訥々と語り始める。
「この世界には、髪色で区分された七つの国がある。赤、紅紫、青、青緑、緑、黄――そして、黒」
「ほ、ほほう」
し、知ってるぞ。三原色ってヤツだろ、光の――あれ、色だっけ? うん? んんん?
「大陸の中央に広大な森林があって、黒を除いた六国は、それを取り囲むように連なってるの。一般的に『国』と言えば、この六国のことを指してる」
「え、あ、そ、そうか――あん? じゃあ、黒髪の国はどこにあるんだ?」
「中央の森の、その内側」
こちらが疑問の表情を見せると、お姫様は居心地が悪そうに視線を逸らして、
「か、彼らは、『魔族』って呼ばれてる。魔法に高い適性があって、とっても強い。彼らの王様は『魔王』って呼ばれてて、同じ魔族からも恐れられるくらい強い、とか」
魔王――ああ、そういえばそんなのがいるってあのクソ女神が言ってたなあ。確か『人間とは敵対していない』とか――いや待て、今の説明を聞く限り、その魔族ってのも人間じゃね?
「その魔族ってのは、普通の人間とどこか違うのか?」
「か、髪色以外に変わったところはないって、聞いたことある、けど」
あの女神、適当なこと抜かしやがって……
「で、その魔王の国は、どうして国に数えられてないんだ?」
「国交が、ないから」
「なんで」
「魔物が、いるから」
魔物。こっちも女神が口にしてた。
「魔物は中央の森林に生息する、凶暴な生物の総称。たまに森を出て、国の田畑を荒らしたり人里で暴れたりする」
「なるほど。魔物のせいで森を越えられない、と」
「その魔物は魔族にとっても敵なんだけど、何百年か前まで、魔族が魔物を生み出してるってのが一般的な認識だったらしくて。六国と、魔族と、魔物との三つ巴の戦いにまで発展したって話」
……その時代に転移しなくて、よかった。
「その後、戦いは決着がつかないまま有耶無耶になったみたいだけど……それが、黒髪の国との最後の関わりだから」
「仲良くなろうとは、思えねえか」
「古い考え、だけど」
つまり黒髪には好印象を抱かない、と。
……ん? でも待て、そうなると、
「じゃあ転移者――来訪者にも、この世界の人間は好感情を持ってないのか?」
「昔は、ね。今はそんなことないし、そもそも顔の形が違うから差別化もできる」
「あー、そりゃそうか」
この世界の人間は欧州風の顔立ちをしているから、確かに日本人とは容易に見分けがつくか。
「白髪の人たちは、大陸の外縁部で集落を作って暮らしてる、らしい。国を持たず、国に属さず」
「ふむ」
「こっちも古い考えだけど、昔は髪色の純度が高い方が人間として優れているって、そういう考えが主流だった。だから儲けた子どもの髪色を薄めてしまう白系の髪の人は迫害されて、逆に濃い色の髪の毛を持つ人は国の中枢に召し抱えられていった」
「それによって濃い色はより濃く、薄い色はより薄くなっていった訳だ」
……そんな差別と迫害の歴史でもある髪の毛を受け継いで、このお姫様はどう思ってるんだろうなあ。
「要するに、白髪も黒髪も歴史の禁忌って訳だ」
なら、
「――お姫様は、どうしてそれをモチーフにして絵を描いたんだ?」
一般に受け入れがたい二つの人種を、睦み合う存在として描写したのは何のためだ?
意識改革? 世界平和のメタファー? ――あるいは、風刺?
あ、う、と彼女は言葉にできない声を漏らした末、
とうとう観念したかのように、答えを述べる。それは、
「す、全ては――――尊みのため……!」
「…………………………………………はい?」
『尊み』って……え?
たしか『萌え』みたいなニュアンスで使われる言葉……だよな? 翻訳が、間違ったの、か?
「ふ、不遇な生い立ちから心に深い傷を負った二人は運命的な出会いを果たし……! と、時にぶつかり合い、時に喜び合い、時に悲しみ合い、そ、そして人種と性別を越えて芽生えた共依存の愛情によって、互いを激しく求め合い『肉欲』という名の沼にズブズブと沈んでいって――――!!」
「……………………あ、そスか」
うえへへへ、と頬の緩みきっただらしのない顔を晒すお姫様。
……ああ、うん。とりあえず、わかったことが一つ。
オレもお姫様も、大した馬鹿者だ。