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侍女の野望

考えた設定を出すタイミングが見つからない……

 ――流れる水音を背後に聞きながら、後ろ手で戸を閉めた。

 窓から差す朝日の輝きが、冷えた体を照らす。微かに暖かく、しかしすぐに冷たい空気に震えた。


 異世界に来て最初の朝。宛てがわれた客室で過ごした夜は、思いの外快適で。起床したのは地球にいた頃より一時間も後だった。

 気分は爽快だ。けれどそれは、グッスリ眠れたからというだけの理由ではなくて、




「――水洗トイレ、万歳……!」




 今日も朝から快便だ。


 水洗の、しかも洋式トイレ。魔法を用いた構造になっているが、昨日お姫様の部屋で照明を点けるためにアンネが触れたあのパネル、あれは魔法を使えない者でも限られた魔法が使えるようになるアイテムらしい。おかげで魔法なんかまるで知らないオレでも、トイレの壁のパネルに触れるだけで水を流すことができる。


 そんな清々しい朝に――しかしたった一つ、翳りがあるとすれば、


「あのメイド、どこで何してんだ……?」


 昨夜、オレの世話係に任命され『グェエエエ!?』という怪鳥みたいな声を発した使用人、アンネの存在だ。


 実を言えば、オレは地球にいた頃と同じ午前六時に起きようと思い、起こしてくれるようアンネに伝えていた。彼女たち使用人は、そのくらいの時間にはすでに起床して仕事をしていると言っていたから。

 ……だというのに、あのメイドときたら一時間も放置しやがった。別に何か用事があったわけじゃないが、約束を反故にされれば少なからず怒りも湧くというものだろう。


「ま、後で陛下に――いや、王妃様にでも話せばいいか」


 どうやらこの城の人事権は彼女にあるようだし、世話役を変えてもらうなり廃するなりしてもらおう。この世界に慣れない間はいてくれた方が助かるけど、別にいないならいないで構うこともない。


 さて、これから何をしよう。


 やはりまずは朝食だろうか。しかし腹はあまり減っていない。少し時間を置きたいところだ。かと言って部屋に戻ったところですることもない。

 なら、食堂で時間を潰すか。そういえば、昨日は王族や来賓が食事するための食堂で夕食をご馳走になったけれど、今後もずっとあそこを使うことになるのだろうか。オレなんかは使用人用の食堂で十分だと思うんだけどなあ。


「――あ、そうだ」


 不意に、一つの考えを思いついた。

 お姫様に朝の挨拶をしよう。あの生活態度だと夜更かししてまだ寝てる可能性もあるけれど、無駄足だったとしても時間を潰せることに変わりはない。よし、そうしよう。


 お姫様の部屋の場所は、昨日アンネが散々同じ場所を通ってくれたおかげで覚えている。元々、建物の構造や道を覚えるのは得意だ。正直、人の顔より記憶に残りやすい。

 廊下で他の使用人とすれ違ったが、彼らはみんなオレを客人として扱い、道を開けて礼をしてくれた。これが普通であるのなら、あのおかっぱメイドの態度は一体何なのだろうか?


 城の中を進み、やがてお姫様の部屋の前に出る最後の曲がり角に差し掛かったところで、


「――ん?」


 声が聞こえた。

 おそらくは、女性。たぶん、二人分。きっと、知っている人物。


 なんとなく身を潜めて部屋の前の廊下を覗き込めば――ああ、やっぱり。

 この世界に来て一日も経っていないのに、すっかり見慣れてしまった件の小柄なおかっぱメイドが、扉の開いたお姫様の部屋の前に立っていた。何かを話しているようだが、内容までは聞き取れない。


 隠れているのが面倒になったので顔を出そうかと思った直後、メイドが扉を閉めた。

 彼女がこちらへ歩いてくる。奥には王様や王妃様の部屋くらいしかないので、こちらに戻ってくるのは当然の動きだろう。


 脅かしてやろうか、と。

 子供じみた悪戯心で些細な復讐を敢行しようとして、


「――まーったく、お姫様にも困ったものですねえ」


 そんな呟きが耳に届いた。

 その響きはこれまでの、表面的な感情に塗り固められたものとは全く違う。実感が込められているというか、素の部分が曝け出されているように思えた。


「引きこもりのクセにあれやこれやとうるさいこと。……まあ、そのおかげで私が付け入る隙が生じているのだから、感謝すべきなんでしょうけど」


 角を曲がり、アンネが姿を見せる。

 疲れたような表情で、目を閉じ、肩を回す彼女は、そのまま壁際に立っていたオレの前を素通りした。


 ……あれ? もしかしてオレに気づいてない?


 本来の目的を思い、しかし予定を変更して彼女についていくことにした。隠れたりはせず、堂々と数歩後ろに続く。


「しかし問題は、あのチンピラ来訪者ですね……あの調子なら姫様に好かれることはないでしょうけど、確実に排除する一手を打っておきたいところです」


 ――ほほう。

 この侍女、面白いことを言いよる。


「暗殺――はマズいですよねえ、警戒度が上がります。同様に暗殺者に仕立て上げるのもなし、と。窃盗かセクハラ辺りで信用を落とすのが妥当でしょうか……」

「パワハラでもいいんじゃないか」

「あ、そうですね! 暴力を受けたってことにすれば、あの日和った王様もそんな粗暴な男を婿や王にしようとは考えないでしょう」


 オレが彼女の背後からかけた言葉に、けれど彼女は普通に返してきた。


 え? これ、もう気づかれてんの? それともまだ気づかれてねえの? マジで判断できないんだけど。


「ところで、なんでオレを追い落とそうとするんだ?」

「ハァ? そんなの決まってるでしょう、姫様を次の王にするためですよ! 私が信用を勝ち取った、あのヒキオタお姫様を!」


 ぐふふふふ、と背中を丸めていやらしく笑い、


「姫様が最も信頼しているのはこの私! 姫様が王になれば私は助言役として、実質的にこの国を動かせるってなモンですよ! うわははは!」

「……あー、オレやお姫様に対しての不可解な行動は、そういうことか」

「当然、あなたが姫様に嫌われるためです! 私はこの城で十年間頑張ってきたんです、いまさら来訪者ごときに大きな顔は――!」


 振り返り、ビシッと人差し指を突き付けたアンネの、動きが急に止まった。

 彼女はオレを指差したまま、幾度も瞬きを繰り返した後、


「――うわあああ!? いつからそこにっ!?」

「気づいてなかったのか……」

「へ、変態っ、ストーカーっ! 私のこと、ずっと尾けてたんですねっ!」

「ずっとじゃねえから安心しろ」


 捲し立てるメイドに構わず先を行くと、それに彼女が追随する、今さっきまでとは真逆の構図になる。


「つーかオマエ、独り言えげつねえな。誰かと会話してんじゃないかってくらいの声量だったぞ」

「……癖なんですよ、昔からの」

「難儀してんなあ」

「問題ありません。独り言を他人に聞かれるなんてヘマ、したことありませんから」

「おい、前見ろ前」


 オレにガッツリ聞かれていたことは早速記憶から消し去ったらしい。この分だと、いったい何人に聞かれていることやら。

 背後から大きな息を吐く音が聞こえ、不機嫌そうな声が届く。


「……それであなた、なーんでこんなところにいるんですか? 夜這いをするには遅い時間ですよ」

「ただの挨拶だっつの。ま、暇潰しの意味合いの方が強いけど」

「かーっ! 羨ましい御身分ですねえ、潰さなければならないほどにお時間をお持ちとは!」

「仕事放り出してお姫様の機嫌を取ってたオマエにだけは言われたくねえ」


 そう言うと、彼女は視線を逸らし口を尖らせた。口笛を吹いているつもりなのだろうが、ものの見事に吹けていなかった。


「……まあ、いい。さっき聞いたオマエの独り言も含めて、世話係を変えてもらえないか王妃様に話をしておく」

「……へえ?」


 クスクスと、アンネが失笑を漏らす。少々わざとらしいが、その意図はおそらく挑発だろう。

 それはさして効果を発揮してはいなかったけれど、なんとなく気になったので乗ってみることにした。


「何がおかしい」

「いえ……そんなことを王妃様に、言ってしまっていいのかなあ、と。そう思いましてね」

「実力行使にでも出るつもりか?」

「まさか。告げ口ならご自由にどうぞ。……しかしその報告を王妃様はどう受け取るでしょうか?」


 声が、離れていく。

 アンネは食堂に向かっているオレとは別の道に行こうとしている。徹底して、世話係の任を放棄するつもりだ。


「私は姫様だけなく、陛下や王妃様からも覚えがいいですから。そんな私を悪し様に言えばどうなるかなんて、使える頭が少しでもあるならわかりますよねえええ?」


 ……なるほど、な。

 確かに、自分が目をかけている者を悪く言われれば面白くないのは当然だ。それにオレは昨日この世界にきたばかりで、信頼関係など僅かも築けていない。オレとコイツのどちらを信じるかなど、王様や王妃にとっては問われるまでもないのだろう。


 自信満々にそう口にしたメイドは、ヒラヒラと手を振り去っていく。

 最後に、嘲笑と共に捨て台詞を残して。




「改めて、短い間になるとは思いますがよろしくお願いしますね――部外者さん」














 と、いうわけで。




「――って、アンネのヤツが言ってましたよ」

「そうですか」




 朝食の席で、共にした王妃にオレが見聞きしたことを全部話した。

 アンネの忠告? そもそもアレは話を取り違えている。オレはこの城で世話になっている義理として、この国を脅かしかねない策謀の可能性を伝えるのであって、その結果オレの評価が上がろうが下がろうがどうでもいいことだ。


「まあ、そっちの真偽については、オレには何とも言えないスけど。世話係の件は、どうにか一考してくれませんかね?」


 ドレッシングのかかった葉野菜を口に放り込む。お行儀のいいテーブルマナーなんてオレにはできないけれど、好きなように食べていいと言われたので遠慮なくそうさせてもらっている。あくまで、見苦しくない程度に、だ。


「――マコト殿」


 すでに食事を終えた王妃は、水の入ったグラスを傾ける。

 飲んだ量は僅か。しかしすぐに給仕が新たな水を注ぎ、水位は元の高さにまで達した。


「まずはご報告、ありがとうございます。しかしその件に関しては、御心配には及びません」

「と、言うと?」

「――すでに、城の者全員が知っていますから」

「…………」


 ……まあ、そうだよな。あれだけデカい独り言で野望を口走っておいて、今まで誰にも聞かれていないなんてこと、あり得ないよな。

 でも、だとしたら、


「なんでそんなヤツを城に置いておくんです?」

「置いたところで問題ありませんから」


 マコト殿、と鉄面皮の王妃は再度オレの名を呼び、


「貴方はアンネのその話を聞いてどう思いましたか?」

「どうって――そうなんだ、くらいの気持ちですかね」

「なぜです? 貴方は彼女の口からハッキリと、追い出してやると言われたのですよ? 敵愾心や反抗心くらい、抱いてもおかしくはないはずではありませんか?」

「それは」

「故に、貴方はこう思っているはずです――できるはずがない(・・・・・・・・)、と」


 確かに……ああ、そうだなあ。

 アンネの策略によって城を追われるオレ――うん、全くと言っていいほどに想像(ビジョン)が浮かばない。


「アンネは――あの子は、高い能力と大きな野心を併せ持っていますが」


 王妃は口の端をほんの少しだけ吊り上げ、


「致命的なまでに、迂闊です」

「そッスね……ホントに」

「上手く扱えばきっと貴方の役に立ってくれると、私は信じています」

「! ……そッスか」


 なァるほど、ねえ。

 ――上手く使ってみろ(・・・・・・・・)、ってことかよ。さすがの曲者っぷりだな、この王妃様は。


「失礼。そろそろ陛下の起床時間なので」


 そう言って水を一気に呷ると、王妃は立ち上がった。普通は使用人の仕事だろうに、ずいぶんと強欲(・・)なことだ。

 控えさせていた侍女二名を引き連れて立ち去ろうとする彼女は、


「――娘とは、どうです?」


 最後に、そう尋ねてきた。


 だからオレは、堂々と答える。


「昨日でメチャクチャ嫌われたと思いますけど、懲りずにアタックかけますよ!」

「…………そう、ですか」


 廊下に出ていった王妃が微かに見せた、苦虫を噛み潰したような顔に、ちょっとだけ勝ったような気になれた。

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