腐ったお姫様
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窓を開けると、曇天の雪空から冷えた風が入ってくる。部屋中の熱と湿気と悪臭を洗い流すかのように。
冷気はオレの体にも突き刺さるが、直前の山崩しで軽く熱を帯びていた体にはそれが心地よく、それ以上に澄んだ外の空気が尾行を通り抜ける感覚が清々しい。
ああ――自然って、いいものだなあ。
そういえばいつだったか、尊が田舎で暮らしたいって言ってたっけ。兄妹二人、贅沢はなく質素でもなく、何気ない一日一日を噛み締めるように生きていきたいとか、そんな話をしていた。「じゃあゲームも制限だな」と冗談めかして言うと、悩んだ末に「我慢する」って答えを返してきた。あの時は他愛のない雑談として喋っていたけど、実際のところアイツはどれだけ本気だったのやら。
「――おやおや? これはこれは、ホームシックでいらっしゃいますかぁ?」
「……オマエ、意外と目ざといのな」
「あれま、からかったつもりだったのですが。まさか当ててしまうとは~~さすが私!」
いろいろ言いたいことはあるけれど、まず使用人が客人をからかうなよ。
額に少量の汗を滲ませるアンネが、風に当たりに窓の前、俺の隣に立った。
吹き込む寒風がおかっぱ頭を揺らす。改めて見ると、赤髪のおかっぱってインパクトがすげえな。
コイツが何を考えて――何を企んでいるのかは、よくわからない。明らかにオレを嫌っているのに、オレの言葉に従って嫌がるお姫様の部屋に強行突入する。コイツが優先すべきは、オレよりお姫様だろうに。
真意はわからない。けれど不思議と危険視していないのは、人脈チートによるものか、それとも心のどこかで彼女は大丈夫だとでも思っているのか。
……うん、後者はないな。たぶん前者だ。
「それで、どうなさるんです?」
「なにが」
「お姫様、ですよ。『会わない』って言ってるのに無理矢理押しかけて、おまけに裸同然の姿を見られたとあっちゃ、そりゃ敵意も向けられるってなモンですよ」
チラリ、と彼女が視線を向けた先、ベッドの上に座り頭から毛布を被って、顔だけ露わにしたお姫様がいる。
こちらを睨むその表情が、好意的なものであるはずもなく。
「さーて、なあ」
「まーたまたとぼけちゃってえ。初っ端でこんだけ好感度落とすような行動取ったのは、なにか秘策があるからなんでしょう? 童貞でも簡単に嫁をゲットできるような、ものすっごい秘策が!」
アンネは吐息がかかりそうなほどにこちらに顔を寄せ、お姫様には聞こえないよう言葉を囁く。
「どんな計画なんですか? 誰にも言わないので、こっそり教えてくださいよう!」
「んー……ま、別に話して困るものでもないか」
ワクワクしながら言葉を待つメイドに、真実を語る。
これからオレがお姫様と仲良くなる、その算段は、
「――ノープランだ」
「えええぇぇぇええええええ!?」
驚きすぎだろ。
あと、声デカくてうるさい。お姫様もビクッてしたじゃねえか。ちょっと泣いてるじゃねえか。父娘揃って泣き虫か。
「嘘でしょ!? ウッソでしょあなた、ええぇ、バカなんですか!?」
「バカなのは否定しないが、それでオマエに責められる筋合いはねえよ」
「ありますよっ! そんな行き当たりばったりの愚策のために、私を利用したんですか!?」
「オマエ積極的に協力してきたじゃねえか」
何を被害者ヅラしてんだコイツは。
「ノープランだが、考えなしじゃねえよ。まずは会ってみなきゃ相手のこともわからないからな。それに嫌われても、無関心でいられるよりはマシだろ」
「威力偵察、ですか」
「んー……ま、そんなところだ」
なんで異世界人が軍事用語を、と思ったけど翻訳の加護のおかげでそう聞こえているだけなんだろう。ちなみにオレは妹の遊ぶゲームでこの言葉を知った。
窓から身を乗り出し、眼下に広がる城下町を何気なく見下ろす。煙突の煙と灯火の輝きは、そこに人の営みがある証拠だ。
「――これは、オレじゃなくて知り合いの話なんだが」
というか、尊の話なんだが。
「ソイツには、嫌いな知り合いがいた。ロクに話もしたことないのに、傍から見ていた姿がとにかく癪に障ったらしい。自分にできないことを楽々とやってのけるその知り合いが、ソイツは大ッ嫌いだった」
その話をされた時は、心底驚いたものだ。これまで友人の一人も作ったことのない、そもそも他人などどうでもいいと本気で思っている妹が、初めて言及したクラスメイトなのだから。
拗ねてむくれて、あの時は機嫌を直すのに苦労したものだ。
「一方で、その相手の方もソイツのことを嫌っていてさ。身勝手で迷惑な、他人のことを全く考えない振る舞いにイライラしていたんだと」
……まあ、尊に対してそう思っていたのはあの子だけじゃなかったらしいけど。
「そんないがみ合ってすらいない、一方通行の敵意を互いに向けていた二人が、ちょっとしたきっかけから関わり合うようになって――」
そしたら、
「――あっという間に打ち解けた。そして、一番の親友になった」
……まあ、どちらも友人らしい友人がいなかった、という事情もそこにはあるんだろうけど。
「今となっては、お互いの嫌っていた部分をお互いがフォローするようになり、見えていなかった――見ようとしていなかったいい部分に目を向けられるようになったとさ」
「…………」
隣の侍女は無言でこちらを見つめている。
聞き入っている――ように見えるが、果たして実際はどうだろうか。茶々を入れるタイミングでも窺っているんじゃあるまいな。
「……要は何が言いたいかって、今嫌われているからと言って、今後もそうだとは限らないってこと。無論、逆も然りな」
人の賑わう街並みを遠目に眺めていると、ため息が出てしまう。
上手く言えないけど、なんというか、他の何もかもがどうでもよくなるくらい、無性に思ってしまう。
――平和だな、と。
「短気を捨てて、根気を持てば、どれだけ長い時間がかかろうとも、いつかは仲良くなれるんじゃねえかな」
アンネは、応えない。
理想論を語っていただろうか。またバカにされるだろうか。
それとも、ちょいと痛い話だっただろうか――と思った直後、彼女が怪訝な顔をして口を開く。
「……あの、誰に向かって話してんですか?」
「オマエだよ!!」
ヤベ、思わず声を張っちまった。お姫様がまたビビってる、気をつけないと。
「ええ!? 私に!? 『なんかやたら声のデカい独り言だなー、怖いなー頭大丈夫かなー』って思ってたんですけど、アレ全部私に話してたんですか!?」
「本当にそう思っていたとしたら、むしろ独り言を無言で聞き続けたオマエの方が怖えわ」
「ハァン!? 私のどこが怖いってんですかァ!?」
そういうところだよ。
「まったくこんな愛らしいメイドに対して、失礼な人ですねえ」
それもオマエだよ。
心労と共に吐き出した息が白く染まる。冷気をだいぶ浴びて、身体も少し冷えてきた。初冬でも雪が降るとなると、真冬にはどうなってしまうのだろうか。生まれも育ちも東京のオレにはとても想像できない。
閉めるか――いや、この部屋の濁った空気を排出するにはまだ早い。できれば臭いの元を排しておきたいところだけど、さすがに初対面の相手の部屋を勝手に片付けるわけにも――
「――ん?」
などと考えて部屋の中を見回していたところ、部屋の隅、扉から最も遠い位置に物が全く散らばっていない一帯を見つけた。
その中央に置いてあるのは、簡素な木椅子と、
「絵を描く時に立て掛ける木組みの三脚……!」
「画架、ですよ」
「イーゼル……!」
「なんで言い直したんですか」
そりゃそっちの方が格好がつくからだろ。
「あ、わ、わああ~~~~!!」
と、それまで黙っていたお姫様が急に大声を発した。彼女はイーゼルの置いてある方に手を伸ばして、
「ダメっ、ダメだから! 絵、見ちゃダメ……!」
羞恥に耳まで真っ赤になった顔で、必死に訴える。
見ればイーゼルにはキャンバスが固定されていた。察するに、お姫様の描いた絵があそこにあるのだろう。
……ふむ。
「拝見させてもらいまーす」
「ダメだってばああああああ!!」
「大丈夫だって、後でオレも絵を描いて見せてやるから」
「全然、大丈夫じゃ、ない……っ!」
慌てるお姫様はハイハイの動きでこちらに向かおうとするも、
「うっ――!?」
突然の呻き声と同時、パタリとベッドの上に倒れた。
彼女は足を押さえると涙目になって、
「つ、攣った……いた、痛い……!」
「あーもー何やってるんですか姫様。普段から体動かしてないからですよー?」
メイドがお姫様の元へ駆けつけたことで、オレを阻む者はいなくなった。
お姫様の絵へと近づいていくと、あることに気づく。
臭いが――科学的な臭いが強くなり、酸っぱい臭いが弱くなる。いや、強くなったことで判別できる。この臭いの正体は、
「絵具、か」
学校で使っていたアクリル絵具とは違う、油絵具だろうか。その原料と思しき顔料だか油だか、よくわからないものが足元に散らばっている。お姫様の服や体を染める色も、この絵具によるものだろう。
……あの強烈な臭いは、発酵してしまうほどに放置し続けた生活臭と、趣味の絵画に使う絵具との合わせ技だったってことか。
雑然とした画材の山を乗り越えて、整然とした聖域に足を踏み入れた。これだけ散らかった部屋でも平気な彼女にとって、それを持ち込まないこの空間は特別な意味合いがあるのだろう。そんな場所に土足で踏み込んだことに今さらながら罪悪感が湧いたけど、まあ、お姫様を知るために必要な行為だと思っておこう。
背を向けるキャンバスの正面に回り込む。
そして描かれた絵画を一瞥して、
「――――ぅ、わ」
一瞬で、呑まれた。
圧倒的な色彩の奔流。決してカラフルでもサイケデリックでもないのに、微かな色の違いが、陰影が、気の遠くなるような深みを生み出している。
驚いたことに、それは俗に言う『アニメ調』の絵画――というかイラストだった。この世界にもアニメがあるんだろうか? 他の転移者が持ち込んでいるとしたら、あり得なくはない話だ。
キャンバスの中にいるのは二人の美少年。白髪と黒髪の少年は、力強さと繊細さを巧みに使い分けた筆遣いによって、写実的でありながら幻想的に描かれている。
彼らは雲間から差し込む淡い陽光の下、照れたようにはにかみながら――
――互いの股間に手を伸ばしていた。
「BLじゃねーか!!」
まさかの春画だった。そりゃ見られたくないワケだ。
「だからっ、見ないでって言ったのにぃ!」
「……あ、すまん」
思わず叫んでしまったけれど、オレは別にBLを否定するつもりは全くない。ただ、絵の技術と中身のギャップに驚いただけで。
けれど彼女は、そう思ってはくれないだろう。お姫様はメイドに足を揉んでもらいながら、
「……出てって」
静かに、そして切実にそう言った。
……潮時だな。これ以上無理を押すと、関係修復が難しくなりそうだ。
「そうするよ。いきなり押しかけて悪かったな」
「どの口が言うんですかねえ」
「オマエも人のこと言えねえだろ。――ああ、最後に一つ」
できるだけ物を踏まないように扉へ進みながら、去り際に、お姫様へ向けて素直な思いを口にする。
「上手く言えないけど、なんつーか……アンタの絵、スゲーと思った」
「……だから?」
「別に、そんだけ。皮肉でもねえし、含みもねえよ」
明日も来るからなー、と。
そう言葉を残して、刺々しい視線を背に受けながら退出した。
こんな感じで。
オレと彼女との邂逅は、決して良好とは言えない形で果たされたのだった。