汚部屋のお姫様
お姫様はヒロイン(女主人公的な意味)です。
「はいはーい、こっちですよーついてきてくださいねー」
「もうちょっとやる気出せやオマエ」
適当な調子で先導する侍女に、思わず苦言を口にしてしまう。
それを受けて振り返った、オレと同じ年頃のメイドは、へらへらといやらしい笑みを浮かべて鼻で笑う。
……ひどく嫌われているみたいだが、はて、オレが彼女に何かしただろうか?
「――オマエ、既婚者?」
「ひいいいっ!? セ、セクハラですううう!! 他人様の城を我が物顔で闊歩する来訪者が、使用人相手にセクハラかますド変態ですううう!!」
「うるせえな、なにわざとらしく怯えてんだ……」
なんというかこの女、何を話しかけても噛み合わない。
いや、女の方が意図的に応対をズラしている、と言うべきだろうか。どうやらまともに会話をする気はないらしい。
――そんな女と二人で、城の廊下を連れ立って歩いているのはなぜかというと。
簡単に言ってしまえば、王妃の指示だ。王様はお姫様を応接間に連れてこようとしていたけど、どうせ無理だからオレの方から彼女の部屋に出向いてほしい、と言われた。
そしてその案内役に抜擢されたのが、背中をだらしなく丸めて前を歩くアンネという名のメイドだった。こいつが指名された時の『ヴェエエエ!?』という叫びをオレは一生忘れないだろう。
「――で、何なんです?」
「あ? なにが」
「既婚者かどうか、って。興味本位で飛び出す質問とも思えないので、何か理由でもあるのかなあ、と」
「いや、オマエがさっきオレの童貞を笑ってたから」
「見てたんですか、私をっ。視姦するように、ねっとりと!」
「あー、じゃあもう答えなくていいわ。オマエと話すの疲れる」
「賢明です」
ニッコリと。
女はこの日一番の笑顔でそう言い放った。
なんなんだこの侍女……そういえばさっき、王様が汚したテーブルを拭く際に嫌な顔をしていたのもこいつだったっけ。人の顔をすぐに覚えられるほど記憶力よくはないけど、こいつだけは特徴的なおかっぱ頭のおかげですぐ覚えられた。
「あ、そうそう」
「今度はなんだ」
「姫様の部屋の前に来たら、覚悟しておいた方がいいですよ?」
「……そんなに問題のあるお姫様なのか」
「いえいえ、姫様にじゃなく、陛下にです。あらかじめ身構えていないと『気持ッち悪ッ!』って言っちゃいますから」
なんだ、娘の部屋の前であのオッサンは何をしているんだ。
それから数分経って――嫌がらせのつもりか同じ道を何度も歩かされた――ようやく辿り着いたお姫様の部屋の前。
固く閉ざされた扉にしなだれかかる王様が、甘えるような猫撫で声で、
「ルーニャちゃあ~ん、パパのお願い聞いてよお~。ルーニャちゃんのために、とーっても素敵な男の人見つけたんだよぉ、パパ頑張ったんだよ~」
気持ッッッち悪ッッッ!!!
嘘だろ!? アンタ四十超えたオッサンだろ!? それも一国の王にして一家の長だろ!? いい歳したオッサンがいい歳した娘に、んな媚びっ媚びの口調使うなよ!!
つーか父親のそんな気持ち悪い呼びかけで娘が出てくるわけねえだろ! 逆効果どころじゃない、悪質な嫌がらせじゃねえか! んな真似してたら娘の態度が硬化するに決まってんだろ!
「ヤベえ……これ、マジでヤベえ……何から指摘すればいいのかわからないくらい、何もかもがヤベえ……」
「それに関しては同意ですねえ。陛下は一度、自分がマジで超絶キモイことに気づくべきです」
というかあの王様引っぺがさないと、お姫様と会うことすら叶わないんじゃ……でも、物理的な手段を取るのは気が引けるし……
「――ここは、わたくしめにお任せを」
「うわっ!?」
いつの間にか、隣に老執事が立っていた。たしかカールって名前の、王様にギャグ振った鬼畜執事だ。
驚いているのはオレだけじゃない。アンネも慌てて背筋を伸ばし、冷や汗を垂らしている。
「わたくしが陛下を遠ざけますので、マコト様にはごゆっくり姫殿下と親交を深めていただきたい」
「い、いつからそこに」
「いつでもどこでも、求められれば即参上――それがわたくしのモットーですので」
そう誇らしげに答えると彼は一礼した後、情けない姿を晒す主君の元へと歩み寄り、
「陛下」
「どうした、カールよ。余は今、見ての通り忙しいのであるが――」
「ハハッ、寝言なら寝台の上で仰ってください。そんなことより」
「そんなこと!? え、朗らかな笑顔で自然に余を侮辱しておいて、『そんなこと』で済ませるのであるか!?」
「妃殿下がお茶をご所望です。陛下の淹れたお茶が飲みたい、と。陛下が手ずから淹れたお茶でないと満足できないと、そう仰っています」
「よ、余の茶を? しかし侍女が作る茶の方が美味いのでは――」
「陛下、味など問題ではないのです。妃殿下は、陛下の御心を身近に感じたいがために、そのような口実を用いているに過ぎません。妃殿下は茶で喉の渇きを潤したいのではなく、陛下の真心で心の渇きを潤したいのです」
「そ、そうなのかっ!? で、であれば仕方ないな、余がとびっきりの一杯を淹れてやろうではないか!」
チョロいな陛下!!
えぇ……なんで自分でお茶を淹れることに乗り気になってんだあのオッサン。さっきも思ったけど、アンタこの国の王様だろ。だったら毅然と「王たる余の仕事ではない!」とかビシッと言ってくれよ。というか少しは王様らしい姿を見せてくれよ王様。
そして去り際に執事が背面でサムズアップして見せたけど、アンタ使用人としてそれでいいのか。
「ふい~っ……執事長、マジパねえっすわ」
アンネが額の汗を拭い、同時に姿勢を緩める。いや緩めんなよ、しゃんとしろ。
彼女は部屋の前に立つと、大きな木の扉を三度ノックして――どうやらノックのマナーは日本と同じらしい――中にいるお姫様に呼びかける。
「姫様ぁー、例のお婿サマがいらっしゃいましたよー。お会いになられますかぁー?」
間延びした声を廊下に響かせるも、壁一枚隔てた向こうからの応答はない。
侍女が幾度も戸を叩き、幾度も声を張った末に、ようやく、
『……どんな人?』
か細くも通りのいい中音が返ってきた。陰鬱で覇気のない、投げやりな声と語調だ。
歓迎されていない。けれどこちらの為人を尋ねてきたってことは、完全な拒絶でもないということだ。
「身長180cmくらいの、顔立ちは悪くないですけど、チンピラみたいな強面ですね。他の来訪者ほど傍若無人ってわけでもなくてー、あ、あと童貞です」
適当すぎんだろ説明。いや、確かに現段階ではそれくらいの情報しか得てないだろうけど。
というかこの世界、長さの単位に『cm』を使ってるのか。転移者が持ち込んだのか? 重さや容積の単位も地球と同じなら助かるんだが。
『だったら、いい。会わない』
「了解でーす。というわけですけど、どうします?」
「無理にでも会う」
「了解でーす。じゃあ通告の一分後に扉を開けますね」
どっちの味方なんだこいつ。
メイドが部屋の中に声をかけると、小さな悲鳴と共に遠ざかる足音が響いた。
懐中時計できっかり一分計った後、アンネは体全体を傾けて扉を押し開ける。
「んしょ……っと」
「そのドアそんなに重いのか」
「そうでも、ないんですけどねっ。ただ、ドアが開くのを妨げるようなものが、いっぱいあるんでっ」
「……あー、だいたいわかった」
つまりは、汚部屋か。
次第に開きつつある扉の隙間から部屋の中が少し窺えた。薄暗い室内の足場に、衣服やら筆やら紙やらが大量に散乱して――
「――っくぅ!?」
暖房の熱気と共に不意に訪れた、刺されるような衝撃に思わず顔をしかめてしまう。
刺されたのは鼻、刺したのは臭いだ。王様のものとは別種の、強烈な刺激臭。
「あーもー姫様ってば、換気するようにっていつも言ってるでしょー? こんな臭いの場所にいたら、そりゃ気も滅入るってモンですよっ」
アンネの言葉から察するにこの臭いはいつものことらしい。
……しかし、これは何の臭いだ? 絶対に一つじゃない、複数の悪臭が混ざっている。
その中でも特に強いのは、何かが発酵したような酸っぱい臭いと、頭痛を引き起こす科学薬品に似た臭いだ。刃物で刺した後に鈍器で殴るような、悪臭のコンボで嗅覚を攻撃してくる。
「よーいしょ、っとお! はーい開きましたよ。それとも、今日はやめときますぅ?」
「お姫様ぁー、失礼しますよー」
「おおう、躊躇いなく入った」
当たり前だ、いまさら臭いくらいで臆したりはしない。それにこういう手合いは王妃の言ったとおり、こちらから積極的に関わっていかないと、向こうから距離を縮めてくることはあり得ないだろうから。
一声かけてから部屋の中に足を踏み入れる。そこは、まあ、予想通りの惨状だった。広い部屋には物が散乱して、足の踏み場も見つからない。本を蹴って、人形を避けて、衣類を掻き分け、食べかすを踏んで奥へ奥へと歩を進めていく。
不意に、部屋が明かりで照らされた。光源は上、見上げれば部屋の中央に吊るされた簡素なシャンデリアに光が灯っており、
「ちょっとー、照明くらいつけて――あ、別の世界って魔法ないんでしたっけ」
扉付近の壁に埋め込まれているパネルに手を当てて、遅れて入ってきた侍女が言う。蝋燭の灯火とは違う白い光は、魔法によるものなのか。どんな仕組みかちょっと気になる。
でも、それは後回し。部屋を見渡し、どこかにいるであろう女性の姿を探して、
「――――あ」
「うわあ」
見つけた、と言うか。隠れられてない、と言うか。
アンネと二人、天蓋付きの大きなベッドに近づく。ベッドの上、ぞんざいに脱ぎ捨てられたドレスの山から、ソレは顔を覗かせていた。
「なんだこれ」
「大きな桃ですねぇ」
「感想がオヤジだな」
尻、だった。
生地の薄いネグリジェに包まれた丸くて大きな尻が、小さく細かく震えている。
「引っ叩いてみるか」
ビクリ、と驚きに尻が跳ねた。
「冗談だ」
ホッ、と胸を撫で下ろすかのように尻が下がった。
――ヤバい。これ、ちょっと面白い。
「山を崩すのと山から引きずり出すの、どっちが早いと思う?」
「大差ないんじゃないですかー?」
「なら崩すか。オマエも手伝え」
「へいへーい」
相変わらずのおざなりな対応をするメイドと共に、服の山をどけていく。蹴とばしたり放り投げたりと、扱いが乱雑になっているのは、漂う臭いの不快感からくるイライラによるものだと自覚している。
やがて少しずつお姫様の姿が露わになっていき――とうとう、彼女を覆い隠すものがなくなった。
ヨレヨレのネグリジェ一枚でベッドに横たわる彼女の姿を見下ろし、思わず呟いてしまう。
「――どうしてこれで、結婚相手が見つからないのかねえ」
そうぼやいてしまうほどに、お姫様は美人だった。
赤い長髪は手入れをしていないのか、艶を失いボサボサでパサパサ。体型は良く言えばグラマーだが、実際はデブと呼ばれる一歩手前まで肉が付いた、だらしない体つき。一瞬だけ大きく見開かれた目は美しく輝いていたものの、すぐに細められた上に目の下にできた隈が台無しにしている。そして全身のところどころが、なぜかサイケデリックな色彩に染められている。
マイナス要素は挙げればキリがない。にもかかわらず、お姫様は一目で美人とわかる顔立ちをしていた。実年齢より五歳は幼く見える、おそらく十代と言っても通じるような、キレイ系よりもカワイイ系の顔だ。少しでも身だしなみに気を遣うようになれば、途端に別人に化けるだろう。
そんな彼女は顔を赤くして、息を荒げていた。おそらくは衣類の山に埋まっていたがための、暑さか酸欠か、あるいはその両方か。
汗ばんだ肌に薄いネグリジェが張り付いて素肌が透けて見えているから、その姿は大層にエロい。オレは絶食系男子ではあっても無性愛者ではないので、性欲くらいは普通にあるのだ。まあ、だからって目の前の相手に欲情するかと問われれば、別にそんなこともないけれど。
「初めまして、お姫様」
朗らかに、でもなく。畏まって、でもなく。
淡々と、気安く気軽に挨拶する。
「横島誠。付き合いが長くなるか短くなるかはわからないけれど、しばらくは一緒にいることになるだろうから、よろしく」
手を差し出す、なんて真似はしない。無防備な姿の彼女にそんなことをしても、友好どころか不安にさせるだけだろう。
こちらからの呼びかけに、彼女は応えない。涙目でキッとこちらを睨みつけている。
その反応は、少しだけ予想外だった。好意的でないのはわかっていたけれど、もっと激しく怒鳴られたり糾弾されると思っていた。無言の抗議で済ませる辺り、ダウナー系なのかもしれない。
そんなことを考えていると、やがて彼女が小さく口を開く。
「わ、私――」
怯えたように、震えた体で、それでもなけなしの勇気を振り絞って、宣告する。
「――あ、貴方、なんかにっ……絶対、負けないんだから……っ!」
ノリノリじゃねえか。