王妃の愛情
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「自慢じゃないけれど」という前置きの後ろに続く言葉は、そのほとんどが自慢だ。
なぜなら前置きで自慢でないことを否定している以上、その後ろに自慢の言葉が続かないと文章として成立しないから。自慢でないと否定するためには自慢しなければならない、というパラドックスがここに発生しているのだ――
――とか何とか、かつて高校時代にクラスメイトが語っていたのを思い出す。
当時はそいつの語った理屈の意味がわからなかったし、今でも正直何言ってんのかわからねえ。というか所詮は一介の男子高校生の浅知恵なのだから、おそらくこれは理論の破綻したデタラメな主張なのではないか、と思っている。
けれど。実はそんな戯言の中で、一つだけ共感できた部分がある。
それは「自慢じゃないけれど」という言葉の後に、本当に自慢にならないことを言うのは間違っている、ということ。理論の正否とは関係なく、感覚的に不思議と、納得できてしまった。
故に、これは誤用であると自分では思いながらも、あえて言わせてもらう。
自慢じゃないけれど――オレは二十一年の人生の中で、一度たりとも恋人ができたことがない。
理由は簡単。誰にも告白しないし、誰からも告白されないから。後者に関してはただの一度もないということはなかったけど、相手の事情や妹の存在、そしてそれ以上にオレの恋愛への関心が希薄なために、結局相手の女性と付き合うことはなかった。
奥手でもなく、軟派でもなく、無関心。絶食系男子、と言うんだっけか。どうやらオレはそれらしい。
妹の友達から「兄としての幸せのために、男としての幸せを切り捨てた」と言われたこともあるが、オレはその意見に賛同できない。だってその言い分はつまり、尊がオレの幸せを奪ったと、そう言っているようなものなのだから。オレの絶食はオレの問題であり、それと妹とは何の関係ない――そう、思いたい。
仕事柄女性との絡みも少なく、恋愛も女性もいろはの『い』の字すら知らない、恋愛経験ゼロの童貞。
――そんなオレに娘と結婚しろと、この王様は言うのか。
「……陛下」
異世界人の小僧に頭を下げ続ける、一国の主。
その姿を情けないとは思わなかった。思えなかった。
「誠意よりも、説明がほしいです。頭を下げられたからって簡単に頷いて、それで解決する問題でもないんじゃないスか」
だからオレも、できる限り真摯に向き合おうとする。
出会って数十分、会話の数も多くない。けれどたったそれだけの時間とやり取りだけでも、この人が『良い人』だとわかったから。
「そう……であるな。すまん」
「あと、ちょっと座ってもらえません? 身を乗り出されると、ほら、その……ねえ?」
「……ハッキリ言わないその優しさ、かえって傷つくのであるぞ……」
王様が座って身を小さくしたことで、凶器のごとき臭気が鳴りを潜めた。
危なかった……あと十秒も晒されていたら気を失っていたかもしれない。
その後の王様の話を要約すると、
この国の姫――ルーニャ・アルデルスはとある事情によって、この世界ではもう結婚相手が見つからないのだという。その事情が何なのかは教えてもらえなかったものの、男共が王族の一員となるチャンスを捨てるほどの『何か』があるのだろう。
一方でお姫様も、その事情とやらのせいですっかり塞ぎ込んでしまい、結婚に意欲を見せないまま今年で二十五歳。女性が一般的に十五歳前後で結婚し、二十歳で未婚なら嫁き遅れと言われてしまうこの世界でその年齢は、ますます男性からの受けも悪い。
王様が言うには、お姫様は性格にちょっと難があるものの美人ではあるらしい。父親の言い分はともかく、母親がかなり整った顔立ちをしているのでその娘が美人である可能性は決して低くない、と思う。
結婚の利点に関しても熱く語られた。この国は女性が王位に立つことを認めているため、通常ならお姫様が次の王になるのだが、当人にその気がないのもあって、この世界の政治と歴史の勉強をすればオレが王になっても構わないと言う。「そんなんでいいのか」と尋ねたところ、そんなんでいいほどこの世界は平和らしい。
あと側妻を持つのも許可されたけど、アンタ嫁の父親としてそれでいいのか。いや、一国の王としては問題ないんだろうけど。
城がどうの、金がどうの、土地がどうの、民がどうのと、雄弁かつ必死に語る王様。ちょっとツバが飛んでくるのは気になったけど、オレ自身には届いてなかったので熱意の表れとして受け取っておく。
やがて王様の話が終わり、侍女の一人がテーブルに飛び散った唾液を拭き取る。彼女はその間ずっと嫌そうな顔を浮かべていたけど、本人の前なんだから少しは隠せや。
「ど、どうかね……? 前向きに、考えてはくれまいか」
こちらの顔色を窺うように王様は言う。まさか中年のオッサンに上目遣いをされる日が来るとは思わなかった。
そしてその問いに対するオレの回答は、考えるまでもない。
「――論外ッスね」
強い口調で以て、にべもなく斬り捨てた。
そもそも、前提条件が違う。この話を受けるかどうかの判断材料として、オレが求めているのは『利益』などではなく、
「『納得』できない。お姫様を転移者――そちらの言い方だと、来訪者、でしたっけ? その来訪者であるオレとくっつける、なんて方法を選ばずとも、もっと上手いやり方があったんじゃないスか?」
「む、むう」
「オレは部外者だから、この国や世界の慣習を知らないし、アナタ方とも親しくない。故にあえて、良識とかデリカシーとか、そういうのを無視して言わせてもらいますよ」
十を超える数の煎餅に水気を奪われた口内を、ティーカップ入りの緑茶で潤して。
躊躇わず、デリケートな話題に頭を突っ込んだ。
「子ども、新しく作りゃいいじゃないスか」
「ブッ――!?」
オレに倣ってかお茶を口にしていた王様は、それを盛大に噴き出した。
むせる彼の背中を顔色一つ変えなかった王妃がさすり、その間に侍女が汚れたテーブルを拭く。
……だからそこの侍女、その汚物を見るような表情やめろって。いやまあ、汚物じゃないと言えば嘘になるけど。
「お姫様が結婚と王位継承に頑なになった時点で、次の子どもを作るべきだった。そりゃ後継者間の争いなんかは起きるかもしれないけど、余所者に国を託す、なァんて選択に比べりゃ幾分かマシでしょうよ。陛下が呼び出した来訪者が、オレじゃない、もっとどうしようもない人間だった可能性もあるんスよ?」
「……うむ」
「例えば王妃様が、高齢で出産に命の危険を伴うのなら、若い側妻を設けて産ませるって選択肢もあった。例えば陛下が、高齢で男性機能に支障をきたしているというのなら、医者や薬師、それによく知らないけど魔法とか? そういうのに頼る方法もあった」
「……………………う、うむ」
「部外者のオレでも思いつく簡単な解決策を実行しなかった、当事者の理由ってのは何なんです?」
王様を責めているつもりはないし、オレにそんな権利もない。
故にこれは単なる質問。オレが納得したいだけの、単純な知的好奇心だ。
俯いて口ごもる王様の姿に、何か大きな葛藤のようなものを感じた、その直後、
「――私がお答えいたします」
静謐な応接間に、涼やかな女性の声が響き渡った。
王妃だ。鉄面皮に似合いの堅苦しく冷えた口調で、夫に代わり彼女が応じる。
「私たちが、新たに子を作る、という方法を選ばなかった理由。それは――」
「それは?」
「――加齢臭です」
…………………………………………?
「はい?」
「加齢臭です。正確に言えば、陛下の体臭です」
「いや、あの――はあ?」
ちょっ、意味が……え? 加齢臭で、子どもが――は? いや、待て、え、どういうこと?
「マコト殿。男女の間に子を儲けるために必要な行為を、まさかご存知ないなんてこと、ありませんわね?」
「知識としては。経験はないスけど」
そう言うと、使用人の幾名かの顔が驚愕に歪み、中には噴き出す者までいた。どうやらこの世界では女性同様、男性も早婚が基本らしい。
「子を作るためには、相手と肌を重ねる必要があります。……しかしその相手の肌が、手の施しようがないほどに臭う場合、行為そのものに強い嫌悪感を示すのは自然なことではありませんか?」
「いえ、あの、その――」
言い分は、まあ、なんとなくだけど、わからないでもない。
けどさ、その、本人の真横でそんなハッキリ言わなくてもいいなじゃないかなあ、と。オレは思ったりするんですよね。
「――王妃様、もう少し手加減なされては……」
「言葉を濁して伝わらなければ、本末転倒でしょう?」
その分、王様にもめっちゃ伝わるんですけど。脳天から爪先まで満遍なく響き渡るんですけど。
「私は嫌です。そしてそれは、他の女性も同様です。陛下は体臭のせいで、一人も側妻がいないのです」
「えぇ……でも臭いくらいなら、体を洗うなり魔法でどうにかするなりで、対処できないんスか?」
「……マコト殿。貴方は魔法によって見せられた温泉の幻覚が、しかし実際にはヘドロの海だとわかっていて、それでも入ろうと思いますか?」
やめてやれよォ!
もうオッサンをイジメんのはやめてやれよ! なにサラッと旦那をヘドロ扱いしてんだよ! いくらなんでもかわいそうだろ! アンタそれでも王妃かよ!
ほら見ろ! 王様椅子の上で体育座りしてんだろ! 膝の辺りを涙で濡らしてんだろ! オマエらに人の心はねえのかよ!
「それに臭いだけの問題ではありません。出っ張っただらしのない腹、不潔感のある無精髭、さらに王冠で覆い隠した禿げ上がった頭――そちらの言葉で表現するところの、『生理的に受け付けない』要素の塊が、今の陛下の姿なのです」
「わかったわかったわかりました! オレ納得しましたから、この話はもうこれでおしまいにしましょう! ね!?」
不本意ではあるけど、この辺りで話を打ち切らざるを得なかった。オレが納得しなければこの話は終わらないし、この話が終わらない限り王様への口撃は続くだろう。責任の一端を担っている身としては、これ以上王様を傷つけるのは忍びなかった。
「ま、まあ、過ぎたことをアレコレ言っても仕方ないですし。そっちについては理解しました」
「その言い方だと、まだ完全には納得できていないようですね」
「ええ。もう一つ、気になっていることがあります。――お姫様のことッス」
頼むから飛び火しないでくれよ――と。
目の前で項垂れる王様から目を逸らしつつ、心中でそう願いながら、疑問を口にする。
「陛下が企んでいるお姫様の結婚話――たぶんお姫様は乗り気じゃありませんよね」
「どうしてそう思うのですか?」
「なんとなく、スかね。この世界における結婚適齢期を過ぎても、これまでずっと未婚を貫き通した人が、ここで手のひらを返すとは思えないスから」
「お粗末な憶測です」
そう言って、ふ、と。
一瞬だけ、口元に笑みを浮かべた後、
「――しかし、見事に正解です」
「ってことは」
「忠告を。陛下はああ仰っていましたが、娘は相当の難物です。多少強引にでも距離を縮めなければ、永遠に他人のままでしょう」
王妃は立ち上がり、深く頭を下げた。
「婿になってほしい、とは言いません。けれどできることなら――あの娘の友達になってほしいと、そう思っています」
「そのくらいの気構えの方が楽で助かりますね」
「そ、そうかっ!?」
あ、王様が復活した。
彼はテーブルを力強く叩いた勢いで立ち上がる。並べて見ると、隣の王妃との身長差がえげつなかった。
「よ、良いとも! 『友達から始めましょう』というヤツであるな!? そうと決まればルーニャを呼ばねば――!」
などと言いながら一転して嬉々とした表情を見せ、ドタドタと騒がしく駆けて応接間を出ていった。
なんつーか、感情も行動も、いろいろと忙しない人だなあ……
「まったく、あの方は……」
呆れたように、しかし決してそれだけではない感情を交えて、吐息と共に言葉を漏らす王妃。
その無表情な顔に、けれど微かに朱色が染まっている様を見て、
「――――っ」
なぜだか背筋に冷たいものが走った。
自分でも理由のわからない、生理的な、本能的な嫌悪感が胸の内に渦巻いていく。
だけど、一つ、訊いておかなければならないことができた。それは、
「王妃様」
「はい」
「アナタ、陛下をずいぶんとボロクソに言ってましたけど……あの人のこと、嫌いなんスか?」
そんなはずがない、と。
尋ねたオレ自身が否定した問いに、王妃はクスクスと笑みをこぼす。
「おかしなことを言いますね」
彼女はその表情を僅かに、それでも確かに陶酔に歪めて、
「自慢ではありませんが――私ほど、この世で陛下を愛している女はいませんよ?」
ひどく自慢げに、そう口にした。
周囲の使用人のうんざりした顔を見る限り、おそらく王妃は昔からこうなんだろう。
――よし、決めた。
この人だけは、絶対に敵に回さないようにしよう。