閑話 城下町の侍女
やや長め。
実は書いてて一番楽しいのはヒロイン(偽)のメイドだったりします。
追記 サブタイトル微修正しました
「ゲハハハハハ!! 道を開けんか愚民ども!! 王属使用人様のお通りじゃあああ!!」
「うるせえわ」
「ほげ――――っ!?」
やかましく騒ぎ立てるアンネを蹴飛ばしたら、思いの外力が入ってしまった。高速で疾走する馬車から落ちたメイドが、地面を転がって全身を打ちつける姿に、多少の罪悪感を覚えないこともない。
御者を失って暴走するかと思った二頭の馬は、意外にも冷静に速度を落とし、道の端で停止した。
自身の安全に一安心したところで、馬車を降りる。遠方、町民から遠巻きに視線を向けられるアンネは、うつ伏せのままピクリとも動かない。
……なんだろう、全然慌てる気になれない。どうせ無事なんだろうな、という思いが常識や理屈よりも先に――
「――あ」
なんて思っている傍から、侍女は立ち上がった。
彼女は服についた湿気った土を払い落とすと、陸上競技で見るような本気の走りでこちらへ寄ってきて、
「殺す気ですかっ!?」
「生きてんじゃん」
「いやいや結果論で済ませていい問題じゃないでしょーがッ! これホント、私じゃなかったら死んでましたよ!? ガチで!」
「ハハ、オマエ面白いこと言うな。――オマエ以外にあんなことするワケねえだろ、安心しろよ」
「よくもまあその言葉で安心できると思ったものですねえ!」
地団駄を踏む侍女を放って馬車に戻る。彼女も戻ってきて手綱を掴んで、
「まったく、そもそもどうして私がこの男と――」
「そりゃ、オマエが陛下や王妃様のお気に入りだからだろ。じゃなきゃ客人の案内なんて大役、任せやしねえよ」
「え、そうなんですか!? いよーし、アンネちゃん頑張っちゃいますよー!!」
引くぐらいチョロいなコイツ。なんかもう、「チョロい」って言葉を使うこと自体が他のチョロい人に失礼なくらい、チョロい。人を騙そうってヤツが、そんなバレバレの嘘に騙されんなよ。
体が震えた。アンネがあまりに扱いやすくて戦慄したとか、そういうことじゃない。単純に、厚手のコート越しに突き刺さった冷気による生理現象だ。
城の外に出たのは、この世界に来てから十日を過ぎてなお、今日が初めてだった。これまではルーニャと距離を縮めるのに忙しかった――いや、忙しくはなかったな。マンガ読んでただけだし。とにかくそういうことで、外に出る機会というものがなかった。
けれど彼女を引きこもりから更生させると決めた以上、いずれ彼女が出てくることになる俗世について、知っておく必要があると思った。その旨を例のごとく王妃に話すと、ちょうどアンネが城の必要物資の発注をするために城下町へ下りるというので、そのついでに案内を頼んだのだ。
……とはいえ正直、人選を誤ったのではないかと思っている。
「んんん? 前の馬車、チンタラ走ってますねえ! どれ、急かすためにちょいと脅かして――」
「また蹴り落とされてえか、あぁ?」
「――なーんて冗談ですってば! 安全が第一ですよね!」
どうやらこの女、手綱を握ると性格変わるタイプらしい。それも煽り運転をするような、かなり悪質な。
町の人たちには本気で申し訳ないと思っている。本来、発注だけが目的ならこんな馬車は必要ない。ならこれは何なのかというと、オレが町で買った品物を運ぶためのものらしい。軍資金として王様と王妃からもらった金貨一枚は、あの場にいた使用人たちの反応を見る限り相当な大金のようだ。
ほう、と吐いた息が白く染まる。埼玉より北の土地に足を踏み入れたことのないオレにとって、この寒さは未知の領域だ。コートがあってもまだ寒い。
だというのに隣の侍女は、常と変わらないメイド服姿で平然としているのだから、魔法という技能は実に羨ましい。個人レベルなら温度管理も容易、だなんて。
「……なあ、魔法ってオレにも使えないモンかな」
「え、魔法使いたいんですか? 練習しないと無理ですけど」
「つまりは練習すりゃ使えるようになるってことか?」
「素質さえあれば、ですけど。絶対的に才能が幅を利かせる分野なんで、できる人は簡単にできるしできない人は絶対にできませんよ」
「ふうん……ちなみにオマエ、オレに魔法を教えたりってできる?」
そう言うと、調子に乗りまくったメイドは嘲弄と愉悦を同時に表現した顔を浮かべて、
「できますけどぉ、人に頼みごとをするならそれ相応の態度ってものがあるでしょ~? 土下座して靴を舐めるようなら、まあ、聞いてあげないこともないですけどねえ?」
「じゃあいいや。オマエ教えるの下手そうだし」
「ハアアアン!? 戯けたこと抜かしてんじゃないですよ! 明日からの魔法の指導で、私がどんだけ教え上手かその身の奥深くまで刻み込んでやりましょうかァ!?」
なんだコイツ。
煽り耐性低すぎて心配になってきたんだが。ちょっとでも扱いを間違えたら、とんでもないことをしでかしそうな予感がする。とりあえず安易に彼女を否定するのはやめておこう。
「……にしても、なんでこんなに寒いのに雪が積もってないんだ? 魔法の影響?」
「そうですねー、簡単な水除けの結界ですよ。おかげでこの町は、ほとんど雨も雪も降りません」
「……? いやいや、今日は晴れてるけどその前はずっと雪が降ってただろ」
「いやいやいやいや、いくら魔法でも天候を変えるなんてことできませんから。『降らない』っていうのは雨や雪が町の中に『落ちてこない』って意味ですよ」
「はあ」
わかるような、わからないような。
人の行き交う街並みに視線を飛ばす。店舗に加えて露天商や行商人も多く、そのためか老若男女、年齢も性別も問わず多くの人の姿があり、また笑顔があった。
賑わっているのは間違いない。けれど、この世界の文明レベルと照らし合わせれば、
「ここ、田舎だったりするか?」
「世界規模で見ればそうなんじゃないですかー? 少なくともこの国では、王城の膝元にあるこの町が一番発展していますけど」
だよなあ……だってここ、明らかに高地だし。周囲は山だらけだし。人が住める環境ではあるけれど、文明や文化の中心になるような場所とはとても思えない。
町の人々の多くは、濃淡や明暗の差はあれど、赤色に分類できる髪を持っていた。もちろん青や緑や黄の髪色の人もいるし、中には黒髪の日本人――オレと同じ転移者の姿も見かけるけど、やはり赤色が断然多い。髪の赤い国、という王様の言葉は間違っちゃいないみたいだ。
……にしても赤髪の人たちは、どうしてこんな辺鄙な土地に根付いたのだろうか?
「停まりますよー」
なんて考えていると、横からそんな言葉をかけられる。宣言通りに馬車が停止したのは、繊維製品を取り扱う卸問屋の前だった。
「これで発注は最後ですけど、今まで見てきた中で行きたいお店とかあります?」
「いや、特には――あ、まだ見てないけど行ってみたい場所ならあるぞ」
「あー、申し訳ないんですがこの町に娼館はないんで……」
「全然違うから何も心配すんな。行きたいのは異邦街だよ、来訪者が作ったっていう」
「ああ、お友達が欲しくなったんですかぁ? 意外とかわいらしい性格してますねえ、プクク」
「そのつもりもないことはないが……それ以上に、怨敵を見つけるのが優先だな」
はい? と首を傾げながら、アンネは馬車を降りて店の中に入っていった。
手持ち無沙汰なオレは、なんとはなしに正面に映る光景を眺める。親子で、兄妹で、恋人同士で、友人関係で、多くの人たちが楽しそうに歩いている。
ああ、平和っていいよなあ――
「――あん?」
そんなオレの心の平穏を乱すかのような喧騒が、不意に前方から響いた。
それは数メートル先にある酒場だか食堂だかの家屋から聞こえたものだ。それほど大きな音量ではないが、悲鳴や叫び声の類も轟いている。
やがて、店の中から一人の男が現れた。切羽詰まった様子の彼は外の民衆に向けて、
「――誰か、詰所の兵士かギルドの人間を呼んでくれ! どこにいるか知らないか!?」
訴える。
「店の中で、来訪者が暴れているんだ!」
……………………ほう。
馬車を降りて、その店へ向かう。『ギルド』とやらも知らないし、詰所の場所も知らないオレには、それしかできそうなことがないから。
店の中へ入る。薄暗い室内は、壁や床にいくつもの裂傷が走り、木製のイスやテーブルは割り砕かれて転がっている。天井から吊り下げられていたであろう照明の類も、壊れた状態で床に落ちていた。
店の隅には客と思しき男たちが怯えるように身を丸めていたり、さらには気を失い倒れている負傷者の姿もあった。そして正面のカウンターテーブルには、服をはだけさせたウェイトレスと、彼女に詰め寄る黒髪の男がいて、
「――――オイ」
声をかける。振り向いた転移者は、高校生くらいの年頃の、痩せた少年だった。ロールプレイングゲームの初期装備みたいな服装の彼に、さらに言葉をぶつける。
「来訪者が暴れてるって言ってたけど、オマエがそうか? 違うなら話を聞くが」
とりあえず、短絡的な判断を避けてまずは状況把握に努める。万が一、という可能性もある。
けれど、その直後に相手が浮かべた陰険でシニカルな笑みを見て、その可能性を取り下げた。
――間違いない、やったのはコイツだ。
「あんた、なに? モブキャラの出番じゃないんだよ、どっか行ってくれる?」
「じゃあどっか行けよモブキャラ」という言葉をいつもの調子で口にしようとして、けれど咄嗟に噤んだ。何があったかは知らないけれど、こんな場所で暴れるようなヤツだ、下手に刺激したら何が起こるかわかったものじゃない。
そもそもオレに、店の中をメチャクチャにするようなヤツと戦える力なんてない。オレのやるべきことは、適当な会話でヤツの目を店内の人たちから逸らしつつ、救援が来るのを待つことだけ――要は時間稼ぎだ。
「そりゃ悪かった。でも、モブにはモブの役目ってヤツがあってな、そう簡単には引き下がれねえんだよ」
「何言って――ああ、そういうこと?」
彼は三日月を描くかのように口の両端を吊り上げると、右手で掴んでいた剣をこちらに向けて、
「つまり、噛ませ犬かぁ」
何かが、先端から放たれた。
見えない。けど、感じる。何か、何か、相当に危険なものが――
「――ッ!」
その瞬間、自分でも何をしたのか、何が起こったのかわからなかった。
ただ、オレは床の上を転がっていて、
右の上腕には、激しい痛みが走っていた。
「痛ぅっ――!?」
「ハァ〜? なに避けてんだよ、雑魚なら雑魚らしく瞬殺されないとダメだろ〜?」
ヤベえ、ヤベえ、ヤベえ――なんかもう、いろいろとヤベえ。
まず右腕。今まで経験したことのないほど強い痛みに、鋭利な刃物で斬られたような感覚に襲われている。腕や服がどんどん濡れていく感覚があるから、相当に血も出ているみたいだ。下手すると骨まで届いているかもしれない。
そしてそれ以上に、目の前の少年だ。コイツの言い分からすると今オレは咄嗟に回避したらしいけど、もし避けていなかったらどうなっていたのか、考えるだけで恐ろしい。間違いなく、コイツはオレを殺す気だった。
……冗談じゃねえぞ、アイツだって生まれも育ちも日本だろ? 何をどうしたらノータイムで命を奪いに来るようなサイコパスになるんだよ。
こちらを見つめる少年の顔に、愉悦の色が混ざる。彼はニタニタと下卑た笑い顔で、
「無双イベントも嫌いじゃないけどさァ、ヒロインの攻略の方がどう考えても大事じゃん? 相当ムカついたから、思う存分叩きのめしてあげるよ……?」
「――ハッ。モブキャラ、イベント、それにヒロインねえ」
なるほど、と。
納得した。彼のような言動を、かつて日本で見たことがあったから。
「オマエ、英雄志望か」
「――――!」
『英雄志望』。それは日本に存在する、『異世界転移を望む人々』を指す言葉だ。
多種多様な理由によって日本社会から弾かれてしまった社会不適合者の中には、社会からの脱却を願い異世界転移を切望する者もいる。そしてそういう人間は現実を軽んじる傾向にあり、異世界転移というのも『限りなくリアルなゲーム』くらいに思っているとか、ネットニュースの記事で読んだことがあった。
「オマエがヒロインだって言う、そこの彼女……オマエに迫られる、のを、嫌がっている……ように、オレに、は見えるけどな」
「バーカ、そんなのツンデレに決まってんじゃん! 嫌だ嫌だって口で言ってるからって、ヒロインなんだから俺のこと好きに決まってんでしょ?」
だから彼女はヒロインじゃねえっての――なんて言ったところで、どうせコイツには通じないだろう。そんな言葉を聞き入れるようなら、そもそもこんな凶行に走りはしない。
……というかオレの意識もちょっとヤバい。血を多く流したからだろうか? 痛みもあるし、あまり時間は稼げな――
「ちょーっとぉ、なんでこんな場所にいるんですかあ? 大人しく馬車で待っててくださいよう」
――――その声、はっ!?
「アンネ!?」
「つーかなんですか、何かのトラブルですかあ? まったく面倒事をあまり持ち込まないで――って、その傷」
彼女はオレの負傷に気づくと、
「――ご愁傷様ですねえ」
「オマエ後で覚えてろよ」
失笑したアンネにそう言い放った。
「――うっわ、美少女メイドじゃん! なになに、早速の新ヒロインかよ!?」
一方で、アンネに気づいた英雄志望の少年が彼女に近づく。まるで新しいおもちゃを見つけた子どものように。
ヤツの興味がアンネに移った。チャンスだ、ここで彼女が上手いこと会話に応じてくれれば――
「は? ヒロイン? 私が?」
「そうそう、俺の嫁。なに君、あんなモブキャラに従わされてんの? かわいそうに、今俺があいつを倒して助け――」
「いやいや、どう考えても貴方の方がモブキャラでしょうが」
「――はい?」
――ああ、まあ、うん。
こうなるだろうな、とは思ってた。
「ヒロインとか嫁とか初対面の女性に向けて口走るなんて、貴方相当気持ち悪いですよ、頭大丈夫ですか? というか現実と空想の区別ついてますか? ここは絵物語の世界じゃないんですよ?」
「あ――え――」
「あー、マジでキモい。しかも何て言いました? 誰が誰に従わされてるって? 冗談じゃありませんよ、私があんな男に使われてるってそう言いたいんですか!?」
「――――――――」
「状況を見る限り、この店とあの男を傷つけたのは貴方みたいですね。ま、彼に傷を負わせた功績として多少は弁護してあげますから、店の人に謝ってギルドに頭下げて心を入れ替えましょう? いつまでも英雄譚の妄想に浸ってないで、ね?」
…………あーあ。
すげえなあの女。よくもまあ、あそこまで見事に地雷だけを踏み抜くモンだ。一周回って感動するわ。
アンネの口撃を受けた少年は、暗がりでもハッキリわかるほど顔を赤くしていた。プルプルと震える手は、剣を掴む力を一層増して、
「――――殺す!」
直後、またしても見えない何かが彼の武器から放たれて――
「あの、そういう悪足掻きは時間の無駄なんで」
――突き出されたアンネの左手によって、跡形もなく握り潰された。
「……………………」
え?
今、何が起こったの?
「ば、バカな!? 俺の、最強の能力が――!?」
「は? ただの空気の斬撃でしょ? なに意味わかんないこと言ってんですか」
呆れたようにそう言ったメイドが、少年に近づいて右腕を振り抜いた。
下から上へ。軌道上には彼の頭があり、
「ぁがッ――!?」
「はーいおやすみなさーい」
顎にクリーンヒットした打撃が、少年の意識を容易く奪った。
オレが殺されそうになった相手が床に倒れる様を見せつけられて、強く思わざるを得なくなった。
――これからはアンネの扱いに、細心の注意を払うとしよう。