閑話 王妃の素顔
連続投稿、少し短めです。
口の中に、肉の味が広がる。
牛に近い、けれどそれとは違う独特の臭い。獣っぽさはあるものの、決して嫌な臭いじゃない。
「これ、何の肉だ?」
「鹿肉ですわね」
給仕に訊いたつもりだったのに、答えたのは王妃だった。答えが変化する訳でもないから、どっちだろうと構わないけれど。
というか、これが鹿の肉か……もっと獣臭いイメージがあったけど、うん、かなりウマい。王族の食事に出されているのだから、モノが上質なのかもしれない。
飯はウマい。が、食事は楽しくない。テーブルマナーを気にしなければいけないのもあるが、同席する相手が相手だから、というのもあるだろう。あるいは王様がこの場にいれば、また違ったのかもしれないけれど、
「陛下は何してんスか?」
「執務です。国主というものは、玉座でふんぞり返っているだけでは務まりませんから」
ふうん、と頷き鹿肉のステーキを口に運ぶ。その後にパンをちぎって食べるが、やはり日本人としては米が欲しいところだ。
「――それで、マコト殿はどうしてこちらで夕食を? いつもは娘と一緒のはずですが」
「追い出されました。顔も見たくないー、って。改造計画のメニューがよっぽど応えたんでしょうね」
「……初日からその調子で大丈夫なのですか?」
「心配ないスよ。その内慣れますし、むしろ慣れるまでやらせますから」
誰だって何だって最初から、成功することの方がすごいのであって、失敗が責められるべき悪なのではない。現代の日本はどこか過程を無視して結果だけを求める風潮があるけれど、馬鹿馬鹿しい。効率と根気に重点を置いた教育を施すことで、優れた人材になるというのに。
「予定通り、とりあえず一か月を目安にルーニャ――あ、お姫様が、お二人と顔を合わせられるようにします」
「……わかりませんね」
「はい?」
急に王妃が訝しげな表情を向けてきた。
わからないことなんてあるだろうか。昨夜に計画書を見せた時は、特に何も言われなかったはずだけれど。
「貴方が、娘のためにそこまでする理由です。金銭にも、財宝にも、権力にも、女にも興味のなさそうな貴方に、あの子を更生させる理由などないのではなくて?」
「そりゃ話が逆ッスよ。そういうものに興味がないから、わざわざ更生なんて面倒で時間のかかる手段を選んでるんです。陛下の悩みをさっさと解決させて褒美をねだるつもりなら、お姫様を力づくで手籠めにするのが一番簡単ですから」
「では、それ以外の理由があると?」
彼女が再度疑問をぶつける。彼女の態度にトゲを感じるのは、オレの行動を疑っているから、じゃないだろう。いくら考えても答えが見えないから気が立っているだけだ、と思いたい。
「いくつかありますよ。例えば元々陛下の頼みを引き受けようと思ったのは、家賃と飯代のつもりですね。今でもそのつもりがないわけじゃないですし」
「勤勉なのですね」
「国民性ですよ」
まあ、この世界に来るような日本人の半分くらいは、そのセオリーから外れた元ニートだろうけど。
「一番の理由は――彼女が、元の世界の知り合いに似ていたことッスかね」
「知り合い?」
「ええ。妹と、その親友です。お姫様は二人の……悪い部分だけを掛け合わせた感じですかねえ」
一人じゃできないことが多いところと、他人を信じて頼るのが苦手なところ。
オレがお姫様の面倒を見ようと思ったのは、地球に残した妹への罪悪感から来る、ある種の代償行為なのかもしれない。
「貴方のことですから、妹さんにも相当厳しかったのでしょう」
「は? いやいや、全力で甘やかしてやってましたけど。ウチの妹と人様の娘さんを、同列に扱うワケないじゃないスか」
「……いっそ清々しいほどに堂々と言うのですね、それもその『人様』の前で」
当たり前だ。尊とその辺の有象無象とを一緒にされてたまるか。
根菜のサラダを頬張る。ドレッシングは薄味だが、野菜そのものに強い甘みや風味があるためちょうどいい塩梅になっていた。
「あとまあ、普通に打算もありますよ。この世界でやりたいことが一つだけありまして。まあ、もののついで、程度の感覚ですが」
「お聞きしても?」
「人探しですよ。十年前――あー、オレたちの世界で、ですけど。その頃に両親がこの世界に来ているらしくて」
まあ、と口に手を当ててお上品に驚く王妃サマ。今日は幾分か表情豊かだ。
よく考えてみれば、元の世界で十年前だからって、こっちでも時間の流れが同じだとは限らないよな。その辺りも確認しておかないと。
「人手や情報が必要になったらいつでも言ってください。可能な限り協力します」
「助かります」
「こちらこそ。それで、その三つが娘のために行動してくれる理由ですか?」
「……いえ、最後にもう一つ。些細で、さらに幼稚なものですけど」
それは、
「反抗です」
「反抗? 何に対して」
「――オレ、大嫌いなんスよね。一番に神様、そしてその次に、無責任な親ってヤツが」
ピクリと、王妃の眉が動いた。
聞き耳を立てていた使用人らに、緊張が走るのが目に見えた。この状況で、その言葉が誰を指しているのかなど、問うまでもないだろう。
「……詳しく聞きたいですわね」
「んな大したモンじゃないスよ、所詮は妄想ですから。……ただオレが思うに、お姫様の面倒な性格は王妃様に似たんじゃないかな、と」
王妃は口を挿まない。こちらの言い分を全て聞き終えるまではそのつもりなのだろうか。
「最初に陛下から話を持ちかけられた時、オレが新しい子ども作ったらーなんて言ったら、王妃様は陛下の臭いがどうのと返しましたけど――アンタ、そういうの気にする性格だとは思えないんですよね」
少なくともオレは。
王妃が王様の近くにいる際に、彼女の悪臭に嫌がる素振りを見たことは一度もない。ヤベえ感じの恍惚とした表情は見たことあるけど。
「だから本当は別の理由がある。目星はついてますけど、セクハラになるんで黙っときます」
「構いませんよ、存分に弁舌を振るってください」
「……子作りを目的に抱かれるのが嫌だったんじゃないスか。自分だけを見てほしかったから」
周囲の使用人の、特に女性の視線が痛い。
そりゃそうだ。いくら相手に求められたからとはいえ、こんなデリカシーのない話、女性相手にするものじゃない。飯時ならなおさらだ。
王妃も呆れたように息を吐き、
「――マコト殿」
「はい」
「正解です」
認めたよこの人!!
「つまり貴方は、私が解決できる問題を放置して、娘を精神的に追い詰める一因を作ったと、そう言いたいのですね」
「……ま、結論はそうですね。ただ、アンタのしたこと――いいや、しなかったことはそれだけじゃない」
まるで他人事のように平然と受け答えをする王妃に、さらなる推測をぶつける。
「王妃様、本当はお姫様が更生することに反対なんじゃないスか?」
「根拠は?」
「陛下が親バカだから。人目も憚らずにあんな気色の悪い――もとい、独特の猫撫で声を上げるくらいには。お姫様が元通りになって、陛下の愛情がアイツに傾くのを恐れてるんじゃないスか」
娘に嫉妬する、とか。
下手すりゃ毒親一歩手前の性格だ。聡い彼女のことだから、自分の娘が陥っている状況に気づいていながら、あえて放置していた可能性すらあるのが怖い。
「――マコト殿」
「はい」
「大正解です」
それ認めちゃダメなヤツだから!! 親として失格だから!!
「ただし付け加えさせてもらうのなら、私は母親としてあの子のことをこの世で二番目に愛しています。――ええ、一番の方とは天と地ほどの差があるというだけで」
「王妃様、それ何のフォローにもなってないです」
「フォローのつもりはありませんよ。私は厳然たる事実を述べただけです」
一切恥じ入ることなく堂々と主張した彼女の姿を見て――不意に、思った。
……ああ、お姫様は自分の欠点を嫌悪していたけれど。
それを吹っ切った姿が、この王妃サマかあ……。
「――オレ、頑張ってお姫様を更生させます」
「ぜひともよろしくお願いしますわ」
薄い笑みを顔面に張り付けて、王妃は一礼した。
背筋が凍えるのをごまかすように口にした鹿肉は、心なしか血生臭い味がした。