全ての元凶
初投稿です!
見切り発車のため、更新は不定期になります。
『異世界転移』と呼ばれる現象が公になって、もう三十年近くになるらしい。
古くは『神隠し』とも言われていた、突如として人が姿を消す現象。ただの失踪や行方不明であり超常現象の類ではないと、近代以降考えられることが多かったそれが、まさか本当に神様による行いだとは思ってもみなかったことだろう。
その事実が公表されたことで、既存の宗教の九割九分九厘は消滅したという。理由は、彼らの掲げる神様が実在しなかったから。おかげで世界的な大混乱が巻き起こったという話だけど、日本では未だ正月には参拝し、節分には豆撒いて、バレンタインにチョコ渡して、ハロウィンに仮装して、クリスマスにプレゼントを贈った直後の大晦日に除夜の鐘を叩くというのだから、日本人の雑食性には我ながら恐れ入る。
そんな国民性が関係しているのかどうかわからないけれど、日本では特に転移者が多い。その大半は、ニートのような社会不適合者の気が強い者、あるいは天涯孤独やぼっちで消えても悲しむ相手が少ない者だという。
しかし、何事にも例外はある。学校一のリア充が消えることも、将来を有望視されていたスポーツ選手がいなくなることもある。数年前には、現職の国会議員が異世界に転移してちょっとしたニュースになった。
でも、そんな縁遠い人たちよりも。
誰よりもオレに――いや、オレたち兄妹に衝撃を与えた転移者は、父と母以外にはあり得ない。
一度神様に選ばれてしまえば、転移を拒むことは滅多にできないらしい。故に両親を恨む気持ちはない。
…………いや、嘘だ。大嘘。本当はめっちゃ恨んでる。だって当時はオレが十歳、妹は六歳で小学校入学間近だったんぞ? そんな子供の頃に、しかも両親の駆け落ち同然の結婚のために親戚筋を一切頼れない中、放り出されて恨まないはずがない。いつか会ったらマジでブン殴ってやろうと思う。
ちなみに当時は、両親が加入していた転移保険――簡単に言えば異世界転移による消失を専門とした生命保険――の保険金のおかげで金銭面では困らなかったし、周囲の人たちの支えもあってなんとか生きていけた。もしも悪い大人に付け込まれていたらと思うと、本当に感謝しかない。
おかげで無事に高校も通えて、就活には失敗したけど、警備員のバイトと保険金の残りで妹の将来に必要なお金は確保できる――と、そう思っていたのに、
「……なんだ、ここは…………」
目が覚めたら、真っ白な世界にいた。地面も空も地平線もない、視界の果てまで白一色の空間。上下も左右も前後もないこの場所では、己の知覚の全てが不確かになったような錯覚に襲われる。
って、ちょっと待て。
まさか、とは思う。思うけれど、知っている。オレはこの場所を知っている。実際に来たことがあるわけじゃなく、この場所を訪れた人の体験談をテレビかネットで聞いたことがある。
まさか、まさか――まさかまさかっ、まさかッ!?
「おはようございまーす! そしておめでとうございまーす! あなたはなんと記念すべき――」
「くたばりやがれ腐れ邪神があああアアアッ!!」
「――どうええええええっ!?」
姿を見せた憎き怨敵に先手必勝と繰り出した右ストレートは、けれど寸前で回避されてしまった。いつか両親に腹パンするために磨きをかけたこの拳を避けるとは、さすがに神を名乗るだけのことはある。
「ちょっとォ!? 何をいきなりトチ狂ってこの超絶かわいい(ここ重要)美女神サマに殴りかかってきてるんですかぁ!?」
「黙れ邪神め……! ここで会ったが十年目、積年の恨み、ここで晴らさずいつ晴らす……!」
再び拳を構えて突進する。距離さえ詰めてしまえば――!
「人間が――そして素人が、甘いんですよッ!!」
「――なっ!?」
き、消えた!? 神の力的な――いや違う、視界から外れただけだ! ということは――!
「遅いッ」
下を向いた時にはすでに、前傾に身を倒した自称女神がオレの股の間と肩口に手を差し込んでいて、
「憤怒ッ」
掛け声と共に、掴まれた下半身が浮き上がり、天地が逆転する。
頭から地面に、というか足場に落下していく中、至近に見える健康的な太ももと色気ゼロのベージュの下着を意味もなく眺めている内に、
「――あがっ!?」
見事な――あまりにも見事な抱え投げが炸裂した。
なんて、なんて腕前だ……背面から全身に響く痛みからもわかる技の冴えもさることながら、技をかけるまでの無駄のない動きと淀みない流れ。洗練、という言葉が最適な努力の結晶。
オレの、一方的に殴るためだけに鍛えたパンチとは全く異なる――相手からの攻撃があることを前提とした格闘技術。
覚悟が、違う。オレには、相手から攻撃を受ける覚悟がなかった。
「――あ、あわわ!? つ、つい昔の癖でやっちゃいましたっ! ど、どうしましょう!?」
「ふ……はは」
薄れゆく意識の中で、オレは何とか右手を挙げて、
「負け、た、よ…………」
サムズアップで敬意を示したのを最後に、オレは意識を手放した…………――――
「ええ……記念すべき転生者を相手に、なんでこんな展開になっちゃったんですかぁ…………?」
――――…………そして、目覚めた。
「んもー、困りますよ! あなたがわたしたちに恨みを持っているのはわかりましたけど、だからっていきなり殴りかかるなんてぇ!」
例の自称女神の金切り声がうるさくて、眠ったフリもできやしない。このままやり過ごせばあるいは元の世界に帰してもらえるかもと思ったけど、どうやら無理らしい。
「うるさいなあ……」
「うるさいって何ですかっ。こちとらあなたのせいで余計な時間を食ってるんですよ、今日は定時で帰れると思ったのにぃ!」
……神様の世界にも、残業ってあるんだなあ。親近感が湧いたというか、人間味のようなものを感じる。
というか、改めて見る自称女神の姿は、ただの人間とそう変わらない。年齢は大学生くらいで、大人らしい美しさと子供らしいかわいさを両立させていて確かに美女ではある。それを自分で口にする神経は疑うけれど。
身長は170cm前後だろうか、なかなかの長身だ。大胆に露出させている腕や脚は細いが、その肉づきはモデルよりも格闘家のそれに近い。手足の長さと先の技の練度から見て、おそらく得意は投げ技だろう。
神様らしい現実離れした要素と言えば、彼女が着ている白い服――妹が遊んでいたゲームにあったキトンという服が近いだろうか、それの丈がかなり短いバージョン――と、モンシロチョウの幼虫みたいな色の、もとい明るい緑色のミディアムヘアくらいだろうか。
「そういう訳だから、ちゃっちゃと終わらせちゃいますからね!」
どういう訳だ、とこちらが口にするよりも早く、神様は魅惑的な営業スマイルを作って、
「おめでとうございまーす! あなたはこの度、記念すべき百万人目の異世界転移者に選ばれましたー!」
いや、全然めでたくないんだが。
「その記念として、なんと! あなたにはどれでも一つ、お好きな――」
「待て。待て待て、ちょっと待て」
「――えー……話を遮らないでくださいよう。余計な時間を使いたくないんですから」
「ならいい方法がある」
神の力によるものなのか、木椅子に座らされて身動きの取れなくなったオレは、それでも抵抗を諦めたりはしない。
「オレを今すぐ帰せ。そして他の奴を選び直せ」
「無理です。諦めてください」
「ふざけんな邪神」
「嫌われたものですねえ。ま、生い立ちを鑑みれば仕方ありませんか」
やれやれ、とでも言いたげな態度が心底ムカつくので殴ってやりたいが、残念ながら動けないのでボコボコにするところをイメージするに留めた。
「横島誠、二十一歳。十年前に両親が異世界転移して以降、妹の――ええと、尊?」
「尊だ」
「ああ、はいはい。妹の横島尊と二人暮らし。兄妹仲はかなり良好で、仲睦まじすぎるあまりご近所さんの一部からは禁断の関係にあると思われているとか」
「え!? オレらそんな風に見られてたの!? マジで!?」
あっ、そういえばご婦人方から時々生暖かい目で見られてた! あれってそういうことだったのかよ!
「運動能力以外に突出した才能はないものの、真面目で面倒見のいい性格から、親交の深い者ほど彼に好意を抱くようになる。――要するに、スルメみたいな男ってことですね」
「もっといい例えあっただろ」
「顔は怖いが、争いは好まない。ただし手を上げる場合は男女平等。最も大事にしているのは妹、好きな食べ物は妹が好きな食べ物、妹の世話が日課、将来の夢は妹の結婚式でバージンロードを歩くこと――うわあ、とんだシスコンですね」
「心配するな、自覚はある」
とはいえ、あくまでオレは『過保護な兄』のレベルであって、断じて――そう、断じて! ご近所のマダムが噂しているようなイケない関係ではない!
「それでイカ臭いあなたは」
「違う意味になるからその呼び方はやめろ」
「失礼。スルメみたいなあなたは、自分から両親を奪った我々神への不信感と、それ以上に妹を一人残して行くことへの不安感から、異世界転移を拒否したい、と」
「そこまでわかってるなら――」
「もうあなたで決まっちゃってますからねー、もう変更は無理ですねー」
残念ですねーごめんなさいねー、と。
聞き分けのない子どもに言い聞かせるような口調に心底苛立ったので、イメージの中でさらにボコボコにしてやる。
「まあ、どれだけゴネたところで現実は変わりませんし? だったら異世界行きを悲観する考えの方を変えて、あなたが妹離れする、そして妹さんが兄離れするいい機会だと思いましょうよ。転移保険にも入ってるから、妹さんの今後のお金は心配いりませんし、ね?」
「……言い分は間違っているとは思わないが、それを元凶のオマエに言われるのは死ぬほど腹立つ」
「ですよねー。あ、飴ちゃん舐めます?」
「いらねえ」
美味しいのにぃ、と残念そうに呟いてどこからか取り出した飴玉を放ると、自称女神は口でキャッチしてそのまま飲み込んだ。いや、舐めろよ。
「というか、なんかあっさりしてますね」
「は?」
「いや、だって最愛の妹さんと離れ離れになるんですよ? 初対面の女神にいきなり殴りかかってくるような人なら、もっと暴れて喚いて、絶対に認めたがらないと思ってました」
「どうしようもないことは、もうどうしようもないって知ってんだよ。十歳で両親が蒸発した時に、な」
「ああ……苦労されたんですねえ」
「だからオマエが言うな」
とはいえ、聞いた話だと神様って何人もいるらしいし、両親の転移とコイツが無関係の可能性もある。コイツはともかく、両親を異世界に送った神はマジでいつか絶対殴ってやる。
「――それほど嫌がっているのなら、なるほど、あなたが百万人目に選ばれたのはある意味都合がいいかもしれませんね」
「あん? ……そういや、記念がどうとか言ってたな」
「ええ、地球からの転移者はあなたでちょうど百万人目なんです! だからその特典として――」
女神はそこで溜めを作ってもったいぶると、
「――あなたには一つ、お好きなチート能力を差し上げますっ!」
「えー……」
「えぇ!? なんでそんな迷惑そうな反応を!?」
いや、だってなあ……
「なんというか……明らかに常識の埒外にある力を、我が物顔で振りかざして人生謳歌するのって、なんかズルくねえ?」
「かーっ! なんですかその小市民的な思考は! あなたアレですね、買い物なんかしておつりを多くもらった際、黙っててもバレないのに『おつり多いです』って言って返しちゃうタイプですね!?」
「いやそれは普通返すだろ」
在庫と売り上げが合わないと、店の人も大変だろうし。
というか、そういう言い方するってことは……コイツ、もらっちまうタイプなのか……そうか……
「――最低だな」
「な、なんですか藪から棒に!」
「別に、ただの独り言だ」
「ぐぬぬ……と、とにかく! 武力チートで英雄になることも、知識チートで救世主になることも、生産チートで王になることもできるんです!」
「そういうの、能力だけで務まるようなモンじゃないだろ。志とかカリスマとか必要なんじゃないか?」
「大丈夫ですよ! 志もカリスマも甲斐性もない、ニートだろうがヒッキーだろうがコミュ障だろうが、チートさえ手に入れればだいたい上手くいきますから! ハーレムも作りまくりですよ!」
「それ本人が好かれてるっていうより、チート能力が好かれてる感じだろ」
「んがーッ!!」
めんどくせえ、と言わんばかりの咆哮が白の世界に轟いた。女神が困りまくってる様子に、正直、胸が空いた。
……ん、待てよ?
「チート能力とかいらないから、代わりに妹も一緒に転移させてくれね?」
「『記念品とかいらないから、代わりに相当分の金くれ』って言われて、頷くと思いますか?」
「チッ……じゃあ、あれだ。移動チートで地球と異世界を行ったり来たり――」
「そんな能力はありませんね」
「クソが!!」
「『クソが』って……」
使えねえ、マジでこの神、使えねえ。無季俳句。
「――ああもう! じゃあこっちがランダムで適当に決めちゃいますよ! いいんですか!?」
「早よせや」
「なーんでそんな偉そうな態度なんですかねー!」
言いつつ女神が手を叩くと、光が溢れ正方形の箱が出現した。その上部には円形の穴が開いており、そこに手を突っ込むと、
「じゃんじゃかじゃかじゃかじゃか~」
昭和のバラエティかよ。
「じゃん! ――おお、珍しいのが出ましたねえ」
「珍しい?」
「はい、人脈チートです。この種のチートは普通、人望か魅了なんですけど」
「違いがわからん」
「人望チートと魅了チートは、どちらも他者が無条件で自分に好意を持つ能力ですね。人望チートが尊敬や信頼を含めた好感情全般であるのに対し、魅了チートは愛情に限定されます。人の上に立つなら前者、嫁に囲まれたいなら後者が適していますね」
「ええ、オレそんな能力手に入れちまったの……?」
人の気持ちを歪める力とかいらねえ――とか思ってたら、どうやら違うようで。女神は首を横に振って言葉を続ける。
「人脈チートは、それら二つとは似て非なる能力です。なぜなら表面的な結果こそ似ているものの、引き起こす現象としては人望チートと魅了チートが『精神干渉』であるのに対し、人脈チートは『因果律操作』ですから」
「? …………???」
「前者の場合、精神耐性を持つ者を除いて、出会う相手全てがチート所有者に好意を抱く半面、その相手が善か悪かに見境はありません。故に悪党に魅入られ、付け狙われてしまうこともあります」
ああ……好意を抱いてくれる相手が、必ずしも自分にとってプラスになるとは限らないよな。ストーカーの偏執だって元を辿れば好意なわけだし、愛が深すぎて嫉妬に狂い他の人を傷つけるパターンもある。
「他方、後者は相手の感情を操作することはできません。好かれるも嫌われるも無関心でいられるも、本人の外見や性格、態度、言葉、行動、その他諸々に左右されます」
「ふむ?」
「ですが出会う相手そのものは、極めて高い確率でチート所有者の益になります。それも所有者が窮状に立たされている時ほど、より大きな。言ってみれば『必要な場面で必要な人材に出会えるよう運命を変える能力』でしょうか」
「怖っ! え、オレの存在が他人の運命を変えるの!?」
「細かい説明は省きますけど、本来なら生きられた人間の運命が変わって死ぬとか、そういう大きな変化は起きないから心配しなくてもいいですよー」
小市民ですねえ、とか言いながらプププと笑われるが、自覚はあるし負い目もないので優しい気持ちで受け止められる。
一通り笑った女神は、一転して穏やかな、慈愛の表情を浮かべて、
「でも、よかったですねえ」
「うん?」
「人脈チートは万能だからどの異世界でも順応できますけど、武力チートなんかは戦い以外に使い道がありませんからねえ。こちらとしても能力の無駄遣いをさせるわけにはいかないので、激しい戦乱の世界に送らないといけないところでした」
「あー……そうだな、めっちゃ助かった」
「わたしとしても、あまり無理を強いるのは忍びないですからねー。異世界行きが嫌なら、せめて転移先で幸せになれるようにしないとっ」
「なんだ、お前意外といいところあるじゃないか。だからってお前を許す気は毛頭ないけど」
「あなたブレませんねえ……」
生憎、一朝一夕で忘れるような根の浅い怨恨じゃないんでね。両親とそれを転移させた神に腹パンするまで、全ての神は等しく敵だ。
「じゃあ、できるだけ平和な世界に送りますねー。えっと、どれがいいかなー……」
「……ちなみに、異世界っていくつくらいあんの?」
「数だけなら、無量大数の二乗は軽く超えますよ。人間が生きてる世界だと――兆に届くかどうか、ってくらいでしょうか」
「スケール大きすぎない?」
「そりゃ人間の尺度からしたらそうでしょうよー」
人間の価値観と比較されたことを、心外だと言わんばかりに口を尖らせる女神。スマホで写真撮って待ち受けにしたいと思うほどの、絶妙にいい感じのブサイク顔だった。
「――あ、ここなんかいいんじゃないですかね」
やがて彼女がそう言うと、その頭上に光が集う。それらは形を成し、色を帯びて、巨大な球を作る。
青と緑が鮮やかなその球体は、星だ。地球とは違う、おそらく異世界の。
「温暖な気候と豊かな自然。未発達な科学技術を補う魔法文明。魔王はいても人間と敵対しているわけじゃなく、魔物はいても世界の脅威にはなり得ない。人間同士の争いは――まあ、戦争には発展しないレベルですね」
「ふーん」
「響いてませんねー……ちなみに個人的な一番のオススメは、トイレが水洗式なところです」
「オーケーその世界にしよう」
「まさかの食いつき!?」
おいおい、日本の現代の若者の潔癖っぷりをナメるなよ? 夏にクーラーがなくったって耐えられる、スマホもネットもなくったって耐えられる、けれど排泄物の処理を自分でするのは勘弁したい、そういう人種なんだよ。できれば洋式がいいけど、水洗ならこの際和式でも構わない。
「風呂はなくてもいい。でもパンツは毎日替えたいところだな……」
「乙女ですかっ」
「なあ、元の世界から何着か服持っていくことってできねえ?」
「旅行じゃないんですから……今着てる一着だけですぅ」
「今って――え、寝間着にしてるTシャツとハーフパンツ? こんな格好で異世界に放り出されんの? ひどくね?」
「大丈夫ですよ! なんたってあなたには、人脈チートがありますから!」
どんなチートの使い方だ。
「というかオレは、具体的にその異世界のどこに行くことになるんだ?」
「さあ?」
「知らねえのかよ!」
「一昔前は召喚の儀式が頻繁に行われていて、王様のお城とか魔法使いの隠れ家とかに出現することが多かったそうですけど。最近はその文化も廃れてきてますし、人目につかない野山からのスタートが多いですかねー」
「捨ててんじゃないのかそれ」
「失礼なっ、『置いてくる』んですよ!」
似たようなモンだろ、という言葉は辛うじて呑み込んだ。ここでヘソ曲げられて別の世界――水洗トイレのない世界にでも送られちゃあ堪らない。
「ああ、そういや異世界の言葉とか文字って、勝手にわかるようになるって聞いたことあるけど、マジ?」
「ええ、マジです。じゃないとさすがに生きていけませんからねー。歴史や文化は自分で学び取ってもらうにしても、言語だけはこちらの加護で対応しますよ」
「優しいのか厳しいのかわかんねえな」
「自分で言うのもなんですが、優しくはないと思いますけどねえ」
「そりゃそうだ」
本当に優しいなら、相手の都合も考えず強制的に異世界に送るような真似はしないだろう。
「はい、手続き終了っ! 仕事終わりっ! 帰って酒飲むっ!」
「オヤジかよ」
神様の世界にも酒なんてあるのか――なんて思っていると、オレを拘束していた力がなくなると同時、体が淡く輝きだした。さらに次第に光の粒子になって解けていって、
「お、おお!?」
「新天地でのご活躍、期待してますからー」
「活躍って言われてもなあ……妹がいないんじゃ、特にしたいこともないし」
「ご両親でも探してみたらどうですかぁ? せっかく同じ世界にいるんですから」
「あー、そいつはいいかもな――――」
――――ん?
待て、待て待て待て待て――ちょっと待てッ!!
「おいッ!!」
「わっ!? なんですか急に、大きな声出さないでくださいよぅ」
「今の、どういうことだ!? これから行く異世界に両親もいるのか!?」
「あれ、言ってませんでしたっけ? あの二人、わたしが転移させたんですよー」
「オマエが全ての元凶じゃねえかあああアアアッ!!」
一発――せめて一発ッ! このふざけた神の腹か顔面にドギツい一撃を叩き込まにゃあ気が済まねえ!!
相打ちでもいい、ダッシュの勢いで、全力の拳を――!
「だァから――素人のパンチなんて、食らうわけないでしょーがッ!」
「っく!?」
女神が身を屈めて、打撃を回避したカウンターでこちらの体に組み付く。
胴に腕を回し、腰で腰を、腹で腹を、胸で胸を抱えて、オレの疾走の勢いを利用した、
「反り投げ――!?」
「奮ッッッ」
両足が地を離れ、浮遊感に襲われる。胴を支点に振り子のごとく、またしても上下が逆さになる。
最中、視界が急激に光で満ちていく。この白い世界を離れる瞬間が訪れようとしている。
「チクショオオオォォォ!」
――いつか絶対、ブン殴ってやる。
無念の思いを叫びながら、オレはそう決意したのだった。
そして、
「ぐっはっ!?」
頭蓋を打ち脳を揺らす強烈な衝撃に、頭を抱えてのたうち回った。
痛みが引くまでの、気の遠くなるような時間を乗り越えて――そして、気づいた。
「――あ……?」
地面がある。色がある。陰影がある。ここはもう、あの武闘派邪神のいた白い世界じゃない。
いつの間にかはわからないが――俺はもう、異世界の地に降り立っているようだった。いやまあ、正確には寝転がっているんだけど。
一つ気づけば、芋蔓式に状況が見えてくる。
まずは、声。何人もの、何十人もの呟きが、どよめきという形で耳に届く。周囲を見回せば、鈍色の甲冑を纏った兵士と思しき人たちが左右それぞれに二十人前後、壁際に立って並んでいた。
ピントをずらせば、今度はその背後の壁が目に入った。詳しいことはわからないけど、たぶん素材は大理石。ここは屋内で、内装はそれなりに豪奢。
そして正面には――やや距離を置いて、一目でそれとわかる玉座と、王冠を頭に載せた派手な服装の中年男性がいて、
「おぉ……おお――!」
彼は立ち上がると、感極まった様子でこちらへ歩いてくる。
……うん、この人、完全に王様だよな。ここ、完全に王城だよな。
野山からのスタートじゃねえのかよ、あの腐れ女神適当なこと言いやがって。
「よくぞ……よくぞ、参られた……!」
ヨタヨタと覚束ない足取りで、目の端から涙まで流す王様っぽい人。
彼は俺の前までやって来ると、赤い絨毯の上に両の膝をつき、両の手もついて、
「異界からの来訪者殿……どうか――」
頭を下げる。日本で言うところの、土下座の体勢になって、
「――どうか、この国を救ってくだされ……!!」
「……………………えぇー」
何この展開。
人脈チート、怖っ。
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