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水着と浴衣と彼女の簪

作者: 岸和歌子

 少し前までは夏祭りにはおしとやかな、それでいて華やかな浴衣で身を包んだ女子であふれていたのに、最近の流行というのは本当に理解に苦しむ。とりたてて特徴もないくせに目立つのが大好き、といったような雑誌のモデルか誰かが流行らせたファッションらしいが、本当にいただけない。水着好き男子たちは嬉々として夏祭りに来ているようだが、俺みたいな浴衣好きにとってはいい迷惑だ。流行という二文字に踊らされて、今時女子たちはみな蛍光色や花柄の派手な水着に、シフォン生地とかいう生地でできた浴衣もどきを重ねて、お洒落ぶっている。半透明の生地でできた柔らかい浴衣から水着が透けて見えるのが、今風のお洒落らしい。

 目の前を、髪を茶や金に染めた女子集団が通り過ぎた。みなそれぞれ、真っ青な水着に半透明の浴衣、真っ赤な水着に半透明のピンクの浴衣、橙の花柄水着に半透明の黄の浴衣を重ね、海やプールにでも行くかのようなビニール製の透けた鞄を持っている。実に品がない。彼女たちがそれに気付くことは果たしてあるのだろうか。

 爽やか系男子が連れている美人も流行のせいで白と黒のボーダーの水着に半透明のグレーの浴衣といった、あられもない姿で歩いている。こんな妙な格好が流行ってさえいなければ、定番の紺かピンクの浴衣を着て歩いていただろうに。それはおそらく恐ろしく似合っていただろうに。本当にもったいない。

 女子だけでお祭りを楽しんでいるらしい集団も、彼氏にくっついて歩きにくそうに歩いている女性も、小学生らしき女の子たちも、皆が皆、揃いも揃って流行の格好をして夏祭りを楽しんでいる。

 男一人で夏祭りに来て、知人でも何でもない女子たちの格好を気にして観察しているなんて、気持ち悪いと言われても仕方がない。それは自分でも分かっている。ただ俺は、昔ながらの浴衣美人に再び相見えたいのだ。そうしてもちろん、できることならば、一緒に夏祭りを楽しみたい。透け浴衣を着た女子なんてこっちから願い下げだ。

 急に涼しい、気持ちのいい風が吹いた。屋台で売っている風鈴が同時にやかましく鳴り始めたのが聴こえる。その時、俺の浴衣の袖が少し重くなったように感じてそちらを見る。

「え……」

 一人の女の子が袖を引っ張っていた。驚いて思わず声が漏れる。紺地に白とピンクの花柄の、昔ながらの風流な浴衣を着た女の子だ。背は小さめ、驚くほど色白で、整った綺麗な顔をしている。下駄の鼻緒と帯が黄色で揃っていて、全体のバランスがいい。髪の毛は高い位置でお団子にしてありすっきりとしていて、強いて言うならば、簪がないのが少し残念なくらい。

「あの……かん」

 何か言っているようだが、俺が理想の浴衣美人に舞い上がっているからなのか、周りが騒がしいからなのか、彼女のか細い声は全く聞き取れない。すみません、もう一度、と言うと先程よりは心なしか大きい、それでもやはりか細い声で彼女は繰り返す。

「あの、簪を落としてしまって。大事な物なんです。一緒に探して頂けないでしょうか」

 どうして俺なのか。こんなに人の多い夏祭りで、どうして俺に声をかけてきたのか。そうは思うものの、彼女は本気で困っているようだし、俺の理想の浴衣美人だし、なんて考えると二つ返事で承諾してしまう。

「いいですよ」

「ありがとうございます」

 俺の返事を聞いて彼女はホッとしたのか少し笑顔を見せた。その美しさに背筋がざわつく。

「え……っと、簪ですよね。何色ですか? あとは、どの辺りで落としたとか」

 彼女のために何が何でも簪を見つけてあげよう、とやる気に満ちてきた俺は詳細を尋ねる。

「赤です。赤い花の。いつの間にかなくなっていて、どこで落としたかは全く……」

「そうですか。じゃあ、とりあえず今日歩いた道を辿ってみましょうか」

「はい……お願いします」

 そう言うと彼女はまた俺の袖を掴む。緊張したのか、夜に近づき風が冷たくなってきたのか、少し肌寒く感じながら彼女の言うとおりの道へ進む。

「ここ……ですか」

 彼女に案内されて着いたのは、近くにある墓場だった。

「はい」

 お祭りの賑わいからは離れてしまって人気はなく、暗くなってから見る墓石に若干の冷や汗をかく。それでも彼女が怖がっている様子はないので、俺は見栄を張って怖がる素振りなど見せず、赤い簪が落ちていないか墓場を隈なく探す。

「ないみたいですね」

「そうですか……」

「じゃあ、進みましょうか」

彼女は静かに頷いて、再び俺の袖を掴んで歩き出す。徐々にお祭りの賑わいが近づいてくる。内心ホッとしたものの、無言で道に落ちていないかと赤い簪を探す。彼女も何も話さない。

「どうして俺に声をかけたんですか」

 沈黙が気まずくなって思わずそう聞くと、彼女は何故か泣きそうな顔をして呟いた。

「あなたなら、私を見てくれる気がして」

「え……?」

 言っている意味が全く分からなくてもう一度問いかけてみるが、返答はない。どうしようもなくなって、言葉を続ける。

「大事なものなんですよね」

「はい」

「頑張って見つけましょう、ね」

 絶対見つけましょう、とは言えなかった。こんな人ごみで小さな簪を見つけることができるかどうかは運次第だろう。見つからない可能性も高いと思う、が、必死に探しながらひたすら歩く。初対面の女の子のためにどうしてこんなに必死になっているのか自分でも分からない。

 屋台が増えてきた。屋台に比例するように、人も。それにしたがって簪は探しにくくなる。彼女の泣きそうな気分が俺にも移ったのか、二人で泣きそうになりながら簪を探す。いつの間にか花火が始まっていたようだが、花火を眺める余裕もない。

 そうして歩いているうちに、俺と彼女が最初に会った場所に着いた。彼女が立ち止まる。

「付き合っていただいて、ありがとうございました。きっと、見つからないんだと、思います……」

「え、いや、でもまだ、どこかにあるかもしれませんし、俺、どうせ暇ですし」

 目を潤ませながら礼を言って頭を下げる彼女を見て、俺の方が必死に簪を探そうと言い募る。しかし彼女は静かに首を振るだけだ。

「そこのお姉さん方、簪はどうかい? 今なら安くしとくよ」

 その時、屋台のおじさんが透け浴衣の女子二人組を呼び止める声が聞こえた。簪、というワードに反応してとっさに二人ともそちらを見ると、色とりどりの簪が並んでいる。たくさん並んでいるのに、どうしても赤い簪ばかりを眺めてしまう。

「あの、もし良かったら……代わりにはできないと思いますけど、それでも」

 俺の言葉に、彼女は驚いて、そして微笑んだ。相変わらず声はか細くて周りは賑やかで聞こえないけれど、いいんですか、と口が動いているのが見える。俺は頷くと、ずっと俺の袖を握っていた彼女の手を取って屋台に近づく。

「どれがいいですか? やっぱり赤い花の……?」

 無意識に握りしめた彼女の手の冷たさに驚きつつ尋ねると、彼女は黄色の花の簪を指さした。

「これが、いいです」

「じゃあ、これ下さい」

おじさんに何故か不思議そうな顔をされながら、俺は黄色い簪を購入する。おじさんに見られるのがなんとなく恥ずかしく思えて、屋台から少し離れてから簪を渡すと、彼女は本当に嬉しそうな顔をしてお団子にそれを挿した。その瞬間、やっぱり簪がある方がしっくりくるな、と思う。

「ありがとうございます」

 これを見られただけでも価値がある、と思える程の美しい笑顔に俺は見惚れる。

「あ、いや、そんな。赤じゃなくてよかったんですか?」

 照れているのを隠そうとして、少しぶっきらぼうに喋ってしまう。

「はい。あの時も、本当は黄色がよかったんです……」

「あの時?」

 またもやよく分からない発言があって聞き返すが、彼女は答えない。その時花火が終わったようで、瞬時に周りもしんみりとした空気になる。帰ろうか、そうだね、なんて声が聞こえてきて、人々が帰ろうと動き始める。

「俺たちも帰りましょうか。送っていきますよ」

「ありがとうございます」

 嬉しそうな顔をした彼女は、また俺の浴衣の袖を握って歩き出す。少しだけ前を歩く彼女のお団子に挿された簪を見て軽くニヤつきながら歩いていると、彼女が立ち止まる。

「ここで大丈夫です」

「え、ここって……」

 最初に簪を探しに来た墓場だった。女の子を墓場まで送っていくなんて本当にそれでいいんだろうか、とか、でも見ず知らずの男に家まで来られる方が嫌なんじゃないか、とか俺の頭はめまぐるしく回転する。

「ここから近いんですか?」

「はい。本当に、今日はありがとうございました」

 そう言って彼女の綺麗な顔が俺に近づいてくる。俺は驚いて身動きが取れない。そうして、何の前触れもなく彼女は消えた。あとには、彼女の冷たい唇の感触だけが俺の頬に残っていた。

大学時代に所属していたサークルで書いた作品です。

もう少しいろんな人に読んでいただけたらな、投稿しました。

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