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1:扉の向こう側

 布団の中で無幻望(むげんのぞみ)は後悔していた。静まり返った部屋の中には、布団に包まる彼女以外の気配は存在しない。広い部屋でたった一人、眠ることも出来ず悶々としていた。

 鼻の下まで掛けた布団を引き上げて、白い天井を見上げた。染みひとつ無い清潔な天井。彼女の横たわるベッドの周囲には、これもまた同じように清潔な白布が張り巡らされていた。ほんのわずかに消毒薬の香りが鼻腔をくすぐる。

 今現在その保健室には彼女以外の患者は居なかった。それは彼女にとってありがたいことであったが、同時に残念なことでもあった。誰か他に患者が居れば相手の眠りを妨げないために気を使わなければなかっただろうし、かと言ってたった独りぽつねんと寝転がるにはこの静寂はあまりに深すぎたからだ。

 先ほどまで居た白衣の先生は何か用事とやらで部屋を出てしまっていた。部屋には鍵が掛けられ、望ただひとり。保健室というのは七不思議のひとつに数えられる場所ではあるが、さすがに高校生にもなった今そういった噂に怯えることも無かった。

 部屋の外からは何も聞こえてこない。今は授業中なのだからそれもその当たり前のこと。彼女のクラスでは今頃国語の授業を行っているはずだ。

(…戻ろうかなぁ)

 ここに横たわってはいるものの彼女は自分の不調を自覚しては居なかった。咳が出るわけでも熱があるわけでもお腹が痛いわけでもない。自分ではいつもと何も変わらないつもりなのだが、外から見れば望の今の状態は『保健室に言って然るべきもの』らしい。望の座席は廊下側の一番前。つまり、教員が入ってきたときに真っ先に顔を合わせる位置なのだが…望の顔を見るなりどの教員も彼女の心配を口にするのだった。

 1時間目の現代史では黒板に一通り書き終えるたびに教員が彼女の様子をそれとなく伺いに来た。2時間目の科学では教員に心配されると同時にグルーのメンバーに強制的に休ませられ、実験をさせてもらえなかった。3時間目、国語。それまでは大丈夫と言い張って参加を続けていたのだが、この教員には敵わなかった。

 国語教師田崎心一郎(たざきしんいちろう)。またの名をへこみやかん。まだ三十代前半ながら、持ち前の心配性に由来するストレスで頭部中央の毛髪がへこんだ様になくなっている悲しい独身男である。そのやかんに、必殺の心配光線を繰り出されてはどんな人間でも保健室へ向かわずにはいられないだろう。

 へこみやかんはとても心配していたが、しかしやはり自分では体調が悪いようには感じられなかった。朝、妙な夢を見たせいで少し寝不足の感はあるがそれ以外には本当に何も悪いところは無い。やかんによるとどうやら顔色が悪いらしいが自分で鏡を見ても実感は無かった。保健室の先生も彼女の顔色を指摘していたので調子が悪いように見えるのは事実なのだろう。決してやかんの心配性が引き起こした幻覚というわけではないようだ。

 そこまで周囲に心配されると自分では何ともないつもりでも少しばかり不安になる。自己判断はせずに素直にこのまま眠っていた方がいいのだろうか。授業をサボる口実があるのは嬉しい事だが、その原因が仮病ではないのでただ不安になるだけだった。

(やっぱり、戻ろうかな)

 しかし戻ったところでまたへこみやかんが心配光線を発射するだけだろう。あの時の心配げな様子…。一文読み、解説するたびに望のところへやってきてはその顔を覗き込み、時々声を掛けてきた。

『無理をしなくても大丈夫だから、いつでも保健室へいきなさい』

 たった20分の間に何回その言葉を聞いただろうか。一度保健室へ行った自分が様子も変わらぬままに戻ってきたとしたら、あの教員がどこまでエスカレートするのか想像もつかない。

「……」

(まぁ、いいかな…このまま寝ちゃおう)

 きっと少しばかり寝不足なせいで顔色が悪く見えるのだ。一眠りすれば時間もすぐに過ぎ、自分の顔色も良くなっていることだろう。そうすれば、次の数学の授業には出られるはず。

 望は仰向けのまま目を閉じた。まだ昼前の部屋はとても明るくて、すぐには寝付ける気がしない。しかしそのまま目を閉じていればいずれは眠りの中へと落ちていくだろう。なるべく何も考えないように、ただひたすら頭の中に無を描いた。

『コンコン』

 うつらうつらとしてきた頃、上手く行きかけていたその試みは乾いた音によって中断された。


(何だろう…)

 保健室の先生なら、ノックなどしなくとも鍵を使って自分で扉を開けられるだろう。他の生徒なら、ノックの後に部屋に入ろうとするはず。それなのにその扉はノック音が鳴ったきり沈黙したままだった。

 眠りに落ちかけていた意識はすっかり覚醒してしまった。心臓がとくとくと音を立てているのが聞こえる。視線だけが横たわる身体を置いてけぼりにしてカーテン越しに扉の方向を向いた。

 一体、何の音だったのだろうか。一度それを気にすると、もうそれ以外を考えることができなくなる。口の中が乾き、心臓の鼓動が激しくなっていく。ベッドの上に横たわったまま、望の思考はめまぐるしく回転した。

(今の、気のせい…だったのかな?それとも誰か部屋の外に居るのかな…?)

 もしも体調の悪い生徒だとしたら、自分が鍵を開けて中に入ってもらった方が良いだろう。例え先ほどの音が空耳だったにしても扉の前まで行けば外に誰か居るのかどうかは分かるはずだ。どちらにしろ目が覚めてしまったのだから起きて様子を見に行くことはした方が良い。

 しかし、もしも扉の外に誰も居なかったら…いや、居ないなら居ないでいいのだが、もしも『何か』が居たら、どうしよう。幽霊など存在しないことは分かっているが、もしかしたらを考えると心臓が余計に早く鳴った。見に行った方がいいのは分かっている。しかし勇気が沸いてこない。

(…大丈夫、そんな変なこと有る分けない…)

 望は思い切って掛け布団を跳ね除けると、ベッドの上に起き上がった。眠っていたばかりの身体は体温が低下していて掛け布団がないと少しヒヤリとする。横に置いてあった上靴に足を通すと、ベッドを取り囲むカーテンをゆっくりと開けた。

 静寂が支配する部屋は身震いするほど寂しげだった。治療用のスツール、道具が並んだ台、誰も居ない勉強机。前にひざを擦り剥いてここへ来たときは体育大会でとても沢山の人が居たのに、今はその時のことを思い出すこともできないくらいに閑散としていた。

 カーテンに縋ったまま扉の方を見る。扉には外からも中からも覗くことができる大きなガラス窓が嵌めてあった。しかし今の望の立ち位置からはガラスの反射で向こう側が見えない。首を傾け身体を動かし、その場から廊下の様子を伺おうとするがそれでも向こう側は見えない。近づいてみる他に方法は無い様だった。

 望は恐る恐るといった風に足を踏み出した。先ほどのノック音からはもうすでに時間が経っている。もしかしたらノックの主はどこか別のところへ行ってしまったのかもしれないがここまで来たからには一応の確認だけはしておきたい。

 扉に近づいていくと徐々に反射の角度が変わって扉の向こう側が見え始めた。何となく予想はしていたことだったが扉の向こうには誰の姿も無かった。誰か居たのかどうか今となっては分からない。しかし今すぐに扉を開けて欲しい急病人は居ないということでよさそうだ。

(もしかしたら田崎先生だったかもしれないし…)

 あの心配性のことだから居ても立ってもいられずに様子を見に来た可能性も有る。そしてノックをしたところで教員が居ないことに気付いて引き返したのかもしれない。その可能性はとても高いような気がする。

(多分そんなところだよなぁ…)

 望はそう結論を出すと踵を返した。なんだか、ありもしないことを想像してほんのわずかとは言え怯えた自分が恥ずかしい。怪談話は苦手というわけではないが想像するとほんのり寒くなるのは仕方が無い。そう、仕方の無いことだ。

 そう自分に言い聞かせて、一度閉じた白いカーテンに手を伸ばした。そのときだった。

『コンコンコン』

 再びその音が背後で聞こえた。

(…え?)

 望の動きは文字通りそこで固まった。ちょうど怪談染みたことを考えていたせいか、余計に心臓の音が激しい。ほんの10秒前には誰も居なかった廊下。振り返ったら誰かそこに居るのだろうか?もしも誰も居なかったら。いや、居ないならそれはそれで良いのかもしれない。もしも髪の長い女の人が立っていたら…

 そんな想像をして望は頭をひとつ振った。そんなわけが無い。おそらく先ほどのノックの人物が再び戻ってきただけだ。そうに決まっている…

 望はつばを飲み下し、思い切って振り返った。ガラスの向こう側には、誰も居ない。

(…何なの…?)

 二度目のノック音がしてからまだ1分も経っていない。ガラスのこちら側から向こう側が見えるということは、向こう側からもこちらが見えるということだ。中に入りたいのなら望があけてくれるのを待っていてもおかしくはないのに、すでに誰も居ない…。

 先ほど早くなった心臓の音が更に激しくなった。まさか…いや、そんなはずはない。望の中でしばし押し問答が続いた。

『コンコンコン』

 扉からは一度たりとも目は離していない。その間にまたその音が鳴った。扉の前に、人影はやはりない。しかしそのノック音は鳴ったのだった。

 今度は心臓の音だけでなく、ざわざわとした鳥肌が立ち始めた。一体何が起こっているのだろうか?誰も居るようには見えないのに、ノックの音だけはする。ガラスの下に誰かが隠れて悪戯でノックをしているのだろうか?しかし、そうだとすれば何のつもりで…?

『コンコンコン』

 ノックの音が再び鳴った。さっきよりも間隔が短くなっている。やはり誰かが居るのか、それとも…幽霊の仕業なのか。確かめた方がいいのだろうか。それとも無視を決め込んでベッドに戻った方がいいのだろうか。

『コンコンコン』

 望は覚悟を決めた。これほど何度もノックをするのだから、ベッドに戻ったとしてもまたノック音は繰り返すだろう。そうなったら気になって眠るどころではなくなってしまうしそれ以上に恐ろしい想像をしてしまいそうだ。眠れなくなるのは間違いない。確認をするしかない。

 乾いた唇を舌で湿らせ早い鼓動を押さえつけ、望は引きずるように足を踏み出した。本当は確認などしたくない。しかし確認しなければ眠れない。そんな葛藤の間にもノック音は等間隔に続いた。もう無視することが不可能なのは間違いなかった。

「誰…ですか?」

 扉の前まで来ると望は思い切って声を出した。カラカラに乾いた口を開いて声を出すのは妙に不快な感覚がする。先ほどまで寝ていたせいか、立っているとふわふわと覚束なかった。

 予想していた通りだが、望の言葉に返答は帰ってこない。代わりにノック音が止んだ。やはり誰か居たのだろうか?ただの悪戯だったのだろうか?

 恐る恐る、ドアノブに手を伸ばす。一応外の確認はしておきたい。もしも誰かが悪戯をしていたのだとしたらその痕跡か何かが残っている可能性もあるし、もしかしたらまだ誰かがそこに居るかもしれない。

 マイナスドライバーのような形状の鍵をゆっくりと外し、望はごくりと喉を鳴らした。誰か居たとしたら何と声を掛けよう?誰も居なかったらどうしよう?先生を呼びに行こうか?それとも教室へ戻ろうか…?

 様々な思考を繰り返しながらも望の手はドアノブをゆっくりと引いた。木の扉が少し硬い音とともに開く。一瞬それにビクリとしながらも、望は扉の向こう側を見た。

「……え?」

 しかし、その扉の向こう側には悪戯の主も幽霊も、急病の生徒も居なかった。それどころかいつもの見慣れた廊下すらも無かった。



グダグダしてる言い回しが多くてすみません。

なるべく癖を無くすように頑張って書いていこうと思います!

感想・評価くださればうれしいです。

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