昇降口
吉田に促されて、私は坂下先生を置いたまま家庭科室を出る。
私が怪我をさせてしまったんだと思うと、意識のない先生を正直置いていきたくなかった。
でも、保健室に連れて行くことも救急車を呼ぶことも今は出来ないし、狙われているのが私と吉田の二人なのだから、先生の側にいないほうがいいという吉田の意見はきっと正しい。
「中側にはたっぷり撒いてあるから、こっちは軽くな」
家庭科室のドアの鍵なんて二人とも持っていなかったから、吉田がドアに軽く塩をかける。
人間には意味がないけれど、あの霊に対してなら、十分鍵の役割をしてくれそうだった。
吉田のかけた塩のダメージが思いのほか大きいのか、女の子の霊は今のところ姿が見えない。
いっそ、諦めてくれたとかならいいんだけど……。
希望的観測を胸に抱きながら、私は吉田と警戒しながら階段を下りる。
つい、一歩一歩足音を潜ませてしまう。
幽霊にはきっと無意味なのだけれど、それでも、気持ち的に物音に警戒してしまうのだ。
また足元が崩れるような気がして、怖くて仕方がない。
吉田が、『大丈夫だから』というように塩を私に見せて頷く。
うん、大丈夫だよね。吉田がいるし。
一階までの階段は、非常階段の時の様な妨害もなく、無事に下までたどり着いた。
ただ階段を普通に下りられただけなのに、ちょっとだけほっとする。
一階なら、これ以上は下に落ちることがないはずだ。……たぶん。
ベランダから見下ろした真っ黒い地面や、非常階段で延々と続いた高層ビルのような高さの恐怖がまだまだ心にきっちり刻まれている私には、一階であるというだけでもう半分助かったような気分になる。
けれどそんな私とは反比例して、吉田の顔は相変わらず険しい。
眉間にきっちりしわが刻まれている。
「あとは、昇降口が開いていてくれりゃいいんだが」
「昇降口なら、鍵が閉まってても内側から開けれるよ?」
閉まっていることを心配していたのかな。
この時間なら普通は閉まってるよね。
でも、昇降口のドアは用務員さんがきっちり外から鍵をかけてくれていても、内側からなら簡単に開くようになっているのだ。
美術部のお友達が以前校舎に閉じ込められてしまった事を、みんなに笑い話として話してくれたから覚えてる。
お友達は、鍵を閉めにきた用務員さんから、丁度見えない死角になる位置にいたらしい。
絵を描くのに集中していたお友達は気づかなくて起こった事故だったとか。
夏場で七時ぐらいで、まだ日が長くて明るかったから電気もつけていなくて、ふと気づいた時にはきっちり鍵がかかっていたとか。
閉まっている昇降口にパニックを起こした友人は、その時の宿直の先生に昇降口が開くことを教えてもらったのだ。
開け方は意外と簡単で、ドアの下にセットされている2cmほどの黒い止め具を中央の鍵部分まで持ち上げて、鍵の下にある穴に差し込み、マイナス状になっている鍵をつまんでくるっと時計回りに回せば開くのだ。
鍵をかける場合は反時計回りに回すんだけど、そうすると鍵にはまっている黒い止め具がドアの枠を伝って地面のレールに垂直に落ちる仕組みになっている。
黒い止め具の存在に気づかないと、真ん中の鍵を回すだけじゃ絶対に開かないけど、知っていればいたって簡単なのだ。
ただし、開けたあとに私達だと外から閉めることが出来ないのが問題だけど……セキュリティより、いまは逃げることを優先しても許してくれると思う。
「……開けれればいいんだけどな」
説明する私に吉田が軽く溜息をついて、先を急ぐ。
昇降口は、階段を下りて教室二つ分ぐらい進んだところにある。
一年生から三年生までの下駄箱がずらりと並び、その向こうにはガラス張りの大きなドアがある。
「幹原は、ここでちょっと待ってろ。危ないかもしれないから」
下駄箱の手前に私を待たせ、吉田は上履きのまま下駄箱を通り過ぎる。
昇降口のガラス扉を吉田は軽く睨み、黒い止め具を鍵にセットしてマイナス状のつまみをくるっと時計回りに回してみる。
けれど鍵はびくともせず、ガラス扉は沈黙を守っている。
何度か弄ると、吉田は和風の小袋から塩を少しつまみ出し、それをガラス扉にかけた。
ジュッ!!
瞬間、塩が燃え尽きた。
「やっぱりな、くそっ」
吉田が舌打ちする。
そのまま勢い良く肘をドアに叩きつけるものの、ドアはびくともしない。
え?
どうゆうこと?
「ここからは出られないってこと」
「どうして塩が蒸発したの?」
「たぶん、この学校全体が封鎖されてるんだよ。俺達が逃げれないように」
「塩をいっぱいかけたら駄目かな?」
「恐らくキツイな。塩を使い切って出れずに襲われたら、もう後は無いだろ」
確かに、運よく出られればいいけれど、出られ無ければ私達は唯一の攻撃手段であり防御手段である塩を失ってしまう。
危険すぎるよね。
「……まてよ」
吉田は塩を手に取り、手の平に塩で何か模様な物を描く。
そしてそれを崩さないようにドアに押し付けた。
瞬間、バチンと音がして、弾かれるように吉田は手を避け、ドアの鍵が焦げ付いた。
慌ててわたしは駆け寄った。
「吉田っ、手は無事?!」
「あー……軽くやっちまった感」
右手で左手を押さえる吉田。
その左手は、軽く赤くなっていた。
「これ、火傷じゃ……っ」
「大丈夫、そこまでいってないな。ちょっと弾かれて痺れてるだけだから心配すんな」
「吉田はいま何をしたの?」
「ばぁちゃんが昔やってたなぁって思い出してさ。それを真似てみたんだけど、やっぱ手に描くもんじゃねぇな。痛てぇわ」
大丈夫大丈夫と言いながら、吉田は左手を軽く振る。
うん、本当にちょっと痺れていただけみたいだけど……。
さっきの模様は、お札みたいな感じなのかな。
ただの塩よりも、効果が強かった気がする。
でもそれでも昇降口からは出られない。
私は、少し考えてみる。
出られないようになっているのは、昇降口だけかな?
非常階段やベランダは大丈夫だったよね。
あれを大丈夫といえるならだけど。
「ベランダから外に出れないかな? さっきは三階だったから危なかったけど、ここなら一階だもの」
「試してみるか」
吉田と頷き、私達は出られそうな一階のベランダに向かった。
美麗イラストを掲載させていただきました。
コナタエル様、本当にありがとうございます。