08 手の温もりと呼び声。
三人称。
ナノン。リクノ。
事件から、3日後の夜のこと。
夜中に、ナノンは悪夢から飛び起きた。内容はいつも忘れる。ただ恐怖が残った。
隣に並ぶベッドの中では、ソーヤとリクノが熟睡している。
ナノンは毛布にくるまり縮こまるが、恐怖と合わさった寒さに震えた。
頭に浮かぶのは、ルカゼだ。
ルカゼの元に行こう。
ベッドを降りて部屋を出れば、明かりのついていない廊下にゾッとした。なにかが襲いかかってきそうな廊下から目を背けて、ルカゼの部屋に飛び込んだ。
直ぐ様、ルカゼのベッドに潜り込んだが、ルカゼは起きない。爆睡型なのだ。
毛布の中で、丸まる。ルカゼに寄り添えば、温かい。あっという間に震えはなくなった。
ルカゼの右手を掴み、自分の頬に当てる。
温かくて、心から安堵した。
先日の事件の時、ルカゼが行ってしまうことに恐怖したのだ。
家族のように、もう二度と会えなくなるのではないかと。
ルカゼは優しい。
スマラグ隊に来て、不安で一杯だった。教育係が優しくて、ホッとしたのだ。
初日の夜、泣いていた自分達のそばにいてくれた。
それからずっと、そばにいてくれている。
優しい優しいお姉さんだ。
――この手が安心をくれる。
――この手が褒めてくれる。
――この手が、大好きだ。
魔法をスラスラと習得する度に、ルカゼが喜び、褒めてくれる。それが堪らなく嬉しいから、ナノンは頑張れた。
これからも、ルカゼのために魔法を覚えたい。
ルカゼが褒めてくれる魔法の腕を上げていきたい。
戦うルカゼを魔法で守りたい。
――二度と会えなくなるのは嫌だから。
温かいルカゼの掌を頬に重ねたまま、ナノンは穏やかな眠りに落ちていった。
更に冷え込み始めた早朝。
「ルカねぇ!!!」
ルカゼの部屋に、ソーヤとリクノが慌ただしく入る。
流石のルカゼも、驚いて飛び起きた。
「ナノンがいないっ!」
いなくなるはずのないナノンを心配し、ソーヤは大慌て。一人行動をするタイプではないと、ソーヤにもわかっている。
「なっ……一体どこにっ」
ルカゼが毛布を退かして、すぐに捜しに行こうとベッドから降りようとした時。
丸まって眠るナノンにぶつかり、止まった。
「……」
「……」
「……」
3人はポカンとする。
やがて、ソーヤとリクノがベッドに飛び込んだ。
「コノヤロー! ナノンのバカ!」
「う、わ、ああっ!」
ソーヤにもみくちゃにされて、ナノンは起きるとルカゼに助けを求めて腹に抱き付いた。
「ナノン……勝手にベッドに潜り込むなよ。ソーヤとリクノが心配しちまうだろ?」
「……ごめんなさい」
ホッとしたルカゼは、頭を撫でながら注意した。
ソーヤには弟と妹がいたからか、兄貴分だ。兄がいたナノンも、ソーヤに引っ付いてきた。
リクノは一人っ子。同じアマンの襲撃で家族を亡くした。そしてソーヤが引っ張ってきてくれた。
それからずっと、一緒だ。そばにいた。
「リクノ、寝るな。支度しろ」
ルカゼが、毛布の中で丸くなったリクノを起こす。
「ルカねぇ……」
ナノンは抱きついたまま呼んだ。自分の髪を大雑把に整えながら、ルカゼは目を向けた。
「ずっと、そばにいてくれる?」
「ん? なんだ急に。教育係中はそばにいるよ」
「……そうじゃなくて」
笑ってナノンの頭を撫でていれば、ソーヤが飛び込み押し倒される。
「ルカねぇとおんなじぶたいがいい!!」
「あっ、ボ、ボクも」
「オレも」
3人がのし掛かるように顔を覗くため、ルカゼは苦しくなった。
「重い……。んー、それは無理だと思うよ。3人が同じ部隊には配属されない」
「やだぁ!」
「ルカねぇとおんなじじゃなきゃ、いみねぇの!」
「……んぐ?」
ナノンは泣きつき、ソーヤはルカゼの胸に手を置きながら弾んで騒いだ。
限界でルカゼは、3人を押し退けてベッドから起き上がった。
「こら! まだ合格してもいないのに、我儘言うなおチビ! 支度して、腕を上げな。配属したい部隊は、合格してから勝ち取りなさい」
ニヤリと挑発的な笑みで煽り、朝支度を急かす。
ナノンもソーヤも、その日の訓練を張り切った。
◆◇◆
リクノは、ルカゼが好きだ。
それは、はっきりと自覚している。
リクノは無頓着だ。食事だって興味がなく、ただ出されたものを口に入れる。食べなくていいものなら、食べないほど。
スマラグの訓練生になったのは、早咲きの【魔法使いの覚醒】のせいで孤児院に居られなかったから。親しくなったソーヤについてきただけのようなもの。
ルカゼと出逢い、リクノはスマラグ隊員になることを決めた。
大人なんて嫌いだ。孤児院の大人は、泣きじゃくる子どもを慣れた様子であしらう。腫れ物のように避ける。
ルカゼは違った。
教育係は嫌だと叫んだわりには、しゃがんでお菓子を食べさせてきた。その時、ルカゼなら大丈夫だと思えた。
大人ではないから。それも理由。
その夜、ルカゼは泣いていた自分達を放っておかなかった。無視だってできたはずなのに。
だから、リクノはルカゼが好きになった。
甲斐甲斐しい姉のような存在。
姉として好きだ。教育係として好きだ。
そんなルカゼと一緒に居られなくなる時が来ると、ソーヤの言葉で思い出した。
教育係は短くて半年だと、ルカゼから聞いている。同じ部隊になれないと、そばにいられない。一日中過ごせない。
それは嫌だ、とリクノは思った。
かといって、ソーヤとナノンと争うのは嫌だ。
ルカゼに煽られ、その日の訓練を2人は張り切っていた。
ルカゼを守れるくらい強くなりたい。またアマンに大切な人を奪われたくないからだ。
けれども、一緒にいなくては意味がない。そんな気がした。
「……はぁ」
リクノは1人、ベッドに横たわり天井を眺める。
結局のところ、大人に居場所を決められてしまう子どもだ。
無気力なってぼんやりしていれば、隣でドアが閉じる音が聞こえた。
他の隊員に引き留められて、ソーヤとナノンと食堂に居座ったルカゼが戻ったのだ。
すぐにルカゼの部屋に入った。
「ノックしろよ、リクノ」
上着を脱いで、ベッドに腰掛けたルカゼが笑いかける。
クローゼットと机とベッドしかない部屋。けれども、リクノはここが好きだ。ルカゼの部屋だから。
黙って隣に座ると、ルカゼは首を傾げた。
そんなルカゼを、リクノは見上げる。
短い赤が入り交じる黒髪が好きだ。大きな深紅の瞳が好きだ。いつもある笑みが好きだ。頭を撫でるくせが好きだ。
「リクノ?」
なにより、自分の名前を呼ぶ声が好きだ。ルカゼの声が、好きなのだ。
「リークノ?」
可笑しそうに呼ぶ声が堪らなく好き。
姉のような存在として、好きだ。教育係として、好きだ。優しい人として、好きだ。
異性として好きかと問われれば、リクノは首を傾げるだろう。
だが、ルカゼをお嫁さんにしたいかどうかと問われれば頷く。ずっと、そばにいられるということだから。
「しょうらい、オレとけっこんしてくれる?」
突然のプロポーズ。
目を見開いたルカゼは、笑い出す。
「いきなりだな! 嬉しいけど、まだ結婚できる歳じゃない」
「できるトシなら、してくれるの?」
「んー、そうだなぁ」
ルカゼはベッドの上で向き合って、腕を組みながら考えた。
「18歳になってから、私と結婚したいと思ったらまたプロポーズして。その上で、私が結婚したいかしたくないかを考えて、答える」
18歳になったら、ずっと一緒にいられる。18歳まで我慢すればいい。
そういう意味だと受け取り、リクノはコクンと頷いた。
「よし。可愛いなぁお前は」
ルカゼは、ぐりぐりとリクノの頭を撫でる。
リクノは気付く。子ども扱いされている。プロポーズも適当にあしらわれただけなのかもしれない。
「いまは……したくないの?」
「ん? んー、まぁ、結婚して引退するのはよくある話だけど、私はその気なんてないかならな」
女性隊員が次々と結婚を機に引退したため、現在はルカゼと見回り訓練生のナコナしかいない。
「これからたくさんの可愛い子に会って、1人の子を好きになるかもしれない。9年後までに、運命の出逢いが起きるかもしれないだろ?」
「……」
笑いかけるルカゼから目をそらして、リクノはむくれる。
――ルカゼが好きなんだ。
――他なんて好きになりたくない。
――9年後もルカゼが好きだって、証明してやる。
「リークノ?」
ルカゼが弾むような声で呼ぶ。
「今はまだわからないけど、9年後ならどんな人と結婚したいかわかっているだろうし、な?」
ぐりぐりとまたリクノの頭を撫でる。
「初めてのプロポーズをしてくれて、ありがとう」
優しい声に顔を上げれば、ルカゼは微笑んでいた。
リクノはつられたように微笑む。それから、ルカゼの膝に頭を置いた。
「……ルカねぇとおなじたいになるには、どうすればいいの?」
「今は難しい。新しく部隊を結成するかもしれないけれど……それでも均等にバラバラに配属されると思う」
「……ながく、くんれんせいでいたい」
いつかはルカゼの教育係が終わる。出来るだけ長く訓練生のままでいたい。
ぼやくように言うと、ルカゼの笑みが僅かに歪んだ。
「ルカねぇ?」
「なんでもない」
ルカゼはすぐに誤魔化して、リクノの髪を掻き乱すように撫でる。
遅れて部屋にきたナノンとソーヤも、ルカゼの胸に飛び込んでは甘えたのだった。
ナノンは手フェチ。
リクノは声フェチ。
20151122