15 思い浮かぶもの。(ニア視点)
その後のおまけ。
ニア視点。
頭から離れない。
丸まるように横たわり、血を流す虫の息の少女。
強い彼女が、そんな目に遭うなんて夢にも思わなかった。
頑張りすぎているほど努力家で働き者の後輩。
ルカゼさん。
本部から異動してきただけで敬遠されていた私に、積極的に関わってくれて人懐っこい。
愛想がいいが、媚びているわけではない。気さくで明るい。
本部の女の子の後輩は、下心を抱えて接してきた。腕を磨きたいと言いながら、興味があるのは私の顔だけ。
だからルカゼさんの"先輩である私"への興味津々の眼差しは、少しむずむずする一方で、新鮮で気持ちのいいものだった。
ルカゼさんは、アスタ支部では人気者。好かれるいい子なのだから、当然だ。
そんなルカゼさんが私になついてくれたから、余計に周りに睨まれて、私は馴染めなかった。
まぁ、それがなくとも、私は改善する気なんて更々なく、嫉妬なんてさほど害を感じない。
甲斐甲斐しくしてくれるハルバ隊長とルカゼさんがいれば充分。支障なく仕事もこなせる。
そんなルカゼさんは、隊長を務められると進言した。
早咲きの訓練生に魔力の使い方を覚えさせた上に、魔法もすらすら習得させていると聞き、恐らく本部が目をつけると思った。
本部や学校では、落ちこぼれは早々に切り捨てる。例えば、早咲きの子だ。
ルカゼさんは、見捨てるなんてことはしない。だから、本部に求められても合わないだろう。
そう判断したのは、本部から逃げるように異動してきた私だけではなかった。アスタ支部のシューべ支部長も、甲斐甲斐しくしてくれるハルバ隊長もだ。
通常、早咲きの子は本部に送られ、魔力の使い方を覚えるまで学ばせる。しかし、今回は3人だったためか、本部側は拒否をしてアスタ支部に押し付けた。
そんな事情を、ルカゼさんには伏せている。
どこまでも真っ直ぐなルカゼさんは、本部では働けない。
だから、早いところ隊長の座につかせた方がいい。平隊員だと強制が可能。隊長格ならば、異動は本人の意思次第。
だから、実演練習は彼女の指揮ぶりを評価する仕事を任された。
そして、事件が起きてしまった。
私がルカゼさんと一緒に訓練生の帰還を見送っていれば、防げたはずだ。
最長年は、私だった。
私さえ残っていれば、あと1分だけ残っていれば、彼女が死にかけることはなかった。
後日、謝罪をしたが、すっかり回復したルカゼさんはいつものように明るく笑い退ける。
誰のせいでもない、と。
この仕事は危険が付き物。任務に出れば、どんな強敵と出会ってもおかしくない。
頭では理解しているが、この頭にあの時の彼女の姿が離れなかった。
見る度に、脳裏に浮かぶ。
それから逃げるように、極力避けるようになった。
隊長の仕事を学ぶためにハルバ隊長のそばで、ルカゼさんは健気げに努力をしていた。
ひたすら真っ直ぐに前だけを向いて、突き進む強い少女。
「ニアさん、風邪引きました?」
ある日の朝、唐突にルカゼさんが振り返り、深紅の瞳を私に向けた。
「え……何故、ですか?」
「声、少し変ですよ」
指摘されて、喉に違和感があると自覚する。
ルカゼさんとは朝の挨拶を交わしただけ。よく気付いたものだ。
「そう言えば……朝から怠さがあった気がします」
「お前、朝弱いもんな。鈍感だ」
ハルバ隊長が笑う。寝坊する前に起こしてもらうほど、朝は弱い。
「雨で冷えますからね。今日は演習と見回りだけですし、早めに休んだ方がいいですよ」
「そうだな、演習終わったら休め」
「……はい」
風邪気味なだけで、大袈裟だ。そう思うが、親切にしてくれる2人に余計な心配をさせたくなく、従うことにした。
しかし、自覚したら厄介なもので、体調が悪化。
演習を終えてから咳と熱が出て、昼前から部屋で寝込むことになった。
気を失ったかのように、目覚めたらあっという間に夕方。なにか食べなくてはいけないとわかっていたが、食堂に行く体力はない。こんな姿を見たら、彼女が心配するし、朝まで寝てしまおう。
その時、コンコンとドアが叩かれた。誰かと思いながらも、無理に起き上がり開いてみる。
ルカゼさんが、そこに立っていた。
「大丈夫ですか? たまごスープだけでもお腹に入れてください」
笑顔で差し出されたのは、掻きたまごのスープだ。
「あ……ありがとうございます……ゲホゲホッ」
受け取ろうとしたが、他所を向いて咳をしているうちに、ルカゼさんは私の部屋に入ってきてしまった。
私をベッドに座らせると、私の額に掌を当てる。
「熱いですね。ドクターから風邪薬もらってきます。食べてください」
「あ、いいんですよ。そんなこと……ゲホッ、しなくとも……」
止めたが、ルカゼさんは薬を取りに行ってしまった。私のために、することなんてないのに。
たまごスープを口に流してお腹を満たす。温かくて、心地いい。
ふと、時計に目を向ける。5時だ。夕食は7時からだから、食堂の夕食ではないはず。どこから持ってきたのだろうか。
「薬もらってきましたよー」
ノックして戻ってきたルカゼさんは、ロリポップをくわえている。
医療班の班長が与えたものだろう。いつも白衣のポケット一杯に入れては、他人に渡している。
「ありがとうございます。あの、今日の夕食はたまごスープなのですか?」
「いえ、私が作りました」
「……ルカゼさんが?」
思わず、目を見開いて空になった器を見た。
「はい。美味しかったですか?」
「え、ええ……美味しかったです。すみません、料理が出来るとは意外で」
「あはは、スマラグ隊は料理人がいるので滅多に作りませんからね。私は孤児院で手伝っていたので」
失礼な反応にも怒ることなく、ルカゼさんは笑って疑問に答えてくれる。
「はい、水をしっかり飲んでください。汗、拭き取らないと悪化してしまいますよ」
私に水の入ったボトルを渡してくれたかと思えば、肩にかけていたタオルで私の首筋を拭った。ドキッとしてしまい、その手を掴む。
「自分で出来ます。ありがとうございます」
「じゃあ、ゆっくり休んでください」
私が動揺を隠してにこりと微笑むと、ルカゼさんも笑い返した。空になった器を持って、私の部屋をあとにする。
「ゲホゲホッ……はぁ」
一人になり、ため息をつく。
ルカゼさんは、親切すぎて、世話好きだ。食事を持ってきては、身体を拭こうとするなんて。
私を子供扱い。もう少し、異性として意識してほしい。
ルカゼさんにとって、私は異性としての魅力がこれっぽちもないという意味だろうか。
以前は寝惚けて私に、おやすみのキスをしてきたくらいだ。今育てている訓練生と同等なのか。
「……なにをバカなことを」
着替えを終えたあと、ベッドに横たわり、右手で目を塞ぐ。
異性として意識してほしい。そう考えるのはどうかしている。
彼女は可愛い後輩だ。そんな彼女を、危うく死なせるところだった。
虫の息の姿を見たあの時。
訓練生達の泣き叫ぶ声も、指示を飛ばすハルバ隊長の声も、聞こえないほど愕然として立ち尽くした。
私さえ、しっかりしていれば。
どうしても罪悪感がこびりついて、離れない。
看病までされ、情けない男だ。
看病されるなんて、家族を亡くして以来、初めてのこと。
むずむずするが、熱のせいか胸がとろとろにとけてしまいそうなほど熱くなり、そして嬉しさを自覚した。
コンコン。
浅い眠りに浸っていたが、ノックで目を見開く。部屋の灯りをつけたままだった。
私が顔を向けると同時に、ドアが勝手に開く。
魔力で開けたのだろう。両手にマグカップを持ったルカゼさんが、覗き込んだ。
「あれ? 寝てました?」
「少しだけ。……もう薬が効いて、大分楽になりました」
起き上がって、笑って見せる。一眠りしただけで熱も下がったようだ。朝まで寝ていれば、完治するだろう。
まだ世話をするつもりなら、丁寧に断らないと……。
「よかった。これ、どうぞ。マシュマロは喉にいいですよ。温まりますし」
差し出してくれたのは、マシュマロが浮いたココア。スプーンつき。
また……私のために。
マグカップを片付けるまでいるつもりらしく、ルカゼさんは床に座り、自分のココアを飲み始めた。
早いところ飲み終わろうと思い、一口飲むと温かさが広がり、ほっと息を漏らす。両手に持っていれば、マグカップから温かさが伝わった。心地いい。
ルカゼさんも、ほっと息を吐く。
私の部屋には来客をもてなすためのものは置いていない。想定していないからだ。
枕を渡そうとも考えたが、ルカゼさんが他人の枕をクッション代わりにしたりしないだろう。
「……ナノン君達と、いなくていいのですか?」
ルカゼさんが私の部屋を隅々見ていたので、居心地悪さを覚え、意識を逸らすように声をかける。机があるだけで、面白いものは何一つない。
朝も夜も、時間が許す限りルカゼさんにべったりな訓練生達。
「今日はハルバ隊長としごいたので、疲れ果てて寝ちゃいましたよ」
ルカゼさんは笑いながら、ココアを飲んだ。
私もスプーンで溶けたマシュマロを口に入れた。
私の座るベッドに凭れたルカゼさんを、上から見てみる。
戦場に行き命懸けで戦うが、やはり少女だ。
赤毛が混じっている短い黒髪。あどけない膨らんだ頬。無防備に晒された首筋。
そこまで観察して目を背ける。あの姿が浮かび、嫌な気分になった。しかし、また彼女に目を向けてしまう。
ふと、彼女がスプーンですくい上げたものが、ココアよりも黒い塊だということに疑問を抱く。
「ルカゼさんは、なにを飲んでいるのですか?」
問うと、ルカゼさんはビクリと肩を震わせた。
「……生チョコを入れましたぁ」
悪戯がバレたような、少し苦笑をにじませる笑顔で振り返る。
私はポカンとしたあと、吹き出した。
「本当に生チョコがお好きなんですね」
「えへへ。チョコココアも美味しいですよ」
「今度いただきます」
しょっちゅう食べていると言うのに、ココアにまで入れているとは。
おかしくて、笑いが止まらない。
自分のココアを飲み終えたが、まだ彼女と話していたくなり、マグカップの中身が見えないように右手で隠す。
「悪夢を見るというのに、どうして食べ続けるのですか?」
生チョコが好きすぎて、生チョコを喉に詰まらせて死ぬ夢を見るルカゼさんの話は、この支部ではわりと有名。知らないのは、訓練生達くらいだろうか。
「好きですからね」
「普通なら不気味がりますがね」
「死んでませんし」
ルカゼさんは笑い退ける。
ついこの間、死にかけたというのに。
また浮かんできてしまい、私はココアを飲み終えたと伝えようとした。
「生チョコ、もっと好きになったんです」
ルカゼさんは言う。
少し身を乗り出せば、ルカゼさんの横顔は綻んでいた。またとろけた生チョコをスプーンですくっては、口に入れる。
「……何故ですか?」
「死ぬ夢を見る時、怖いというより、悲しかったんです。誰かが助けてくれさえすれば死なずに済んだ……そんな夢でした。この前死にかけて、目が覚めた時……私は嬉しかったんです。ソーヤとリクノとナノンがいましたから。あの夢と違って、孤独じゃなくって、助けてくれてそばにいてくれる人がいて、嬉しかったんです」
ルカゼさんは、大きな深紅の瞳を私に向けて見上げた。
「あの夢を見る度に、生チョコを食べる度に、その嬉しさを思い出せるので、もっと好きになりました」
ふっくらした頬を仄かに赤く染めて、照れたように笑う。
「食べる度に、幸せな気分になります」
そう言って、ココアを飲んだ。
その笑顔が、とても愛らしくて……。
あとから、羨ましさと悲しみが込み上げた。
ルカゼさんの好物は、大切な存在がいることを思い出させる。
泣き叫んではルカゼさんのそばにいたがった彼らのことを。大事に想う彼らのことを。
かけがえのない彼らを、それを口にする度に思い浮かべる。
私は見舞いに行くこともせず、そして避けてもいた。
私も、彼女のそばにいたかったが……。
彼らと同等などではなかったと、思い知る。
「だから、私は彼らを守り抜く隊長になります」
強さを感じる決意。
どこまでも真っ直ぐで、突き進んでいく。そんな眼差しが、眩しくてたまらない。
「あ、飲み終わりました? じゃあ、朝まで寝てくださいね」
気が付いたルカゼさんは私からマグカップを取り上げてしまう。
「おやすみなさい、ニアさん。また明日」
「……おやすみなさい、ルカゼさん」
もちろん、おやすみのキスはない。
ルカゼさんは明るい笑顔で、私の部屋を出ていってしまった。
寂しさが、募る。
それを気に留めないようにして、灯りを消してベッドに横たわった。
眠ろうとしたが、瞼の裏に浮かんだのは――――ルカゼさんの照れた幸せそうな笑み。
「……はぁ」
顔を右手で押さえ、ため息を吐く。
私も、ルカゼさんのそばにいたい。もう二度と彼女を置いて、死にかけるような目に遭わせないように。ルカゼさんを助ける存在になりたい。
ルカゼさんが生チョコを口にする度に、私のことも思い浮かべてほしい。
私のことも、かけがえのない存在の一人に加えてほしい。
切に願う。
胸は締め付けられるような僅かな痛みを感じ、熱くなっていた。
……そうだ。
私は手を退かして、目を開く。
ルカゼさんの部隊の副隊長になろう。そうすれば、彼女のそばにいられる。
ルカゼさんを支えながら、助けることができて、守れる。
目を開いても思い浮かぶのは、ルカゼさんの照れた幸せそうな笑みだった。
落ちました。
20151128