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楓は渋谷のスクランブル交差点を、人ごみをかき分けながら懸命に走った。優良は渋谷駅前を客席にしてライブをしたいと言っていたのだ。そうなると、比較的高いところにいるのかと思い、楓は建物の上を見る。しかし、スクランブル交差点付近はどの建物も高く、渋谷を客席に見立てるのは少し難がある。
「少し高い場所?」
楓は少し高い建物を探しはじめる。
しかし、優良の姿はどこにも見えない。
楓はその時、優良は渋谷の思い出をよく話していたことを思い出した。確か、母親や兄弟と一緒にハチ公をなでるのが好きだったこと、それから渋谷からよくバスに乗って家に帰ったこと。
その時だった、楓の頭の認知地図の中に渋谷駅前のバス停付近に平地より少し高いものがあることを思い出したのだ。それはビルとかではない。
「歩道橋…」
楓はスクランブル交差点から、進路を東急があるところのバス停へと進路を取った。し部や駅西口付近である。そこなら、ハチ公像も近く優良が一番楽しそうに話していた場所だと思われるのだ。
楓は、渋谷駅西口付近に向かうとバス停の近くにある歩道橋を一気に駆け上がった。楓は優良を探す。
「いた…」
そこには、多くの人の中に紛れ込み、ギターケースを抱え、1人で座っていた優良の姿があった。
「優良ちゃん!」
楓は必死になって叫んだ。
優良の耳に楓の声が届いたのだろうか、優良はギターケースを抱えたまま立ち上がる。
楓は走りながら優良に近づこうとする。
「来ないで!」
しかし、優良はそれを止めた。
優良は、ギターケースの中からギターを取出し、それを肩にかけた。
「ありがとう、楓ちゃん…今から、私の最初で最後のライブをするから…ここから、バスがたくさん停まってるところに向けて歌うよ…」
楓は優良のその言葉を静かに聴く。
「歌ったら…」
「歌ったらどうするの?」
優良の言葉を楓は制した。歌ったら、死ぬという言葉を聴きたくなかったからだ。
「楓ちゃん…」
「何?」
「この高さなら、頭から落ちたら死ぬよね…」
楓は、その優良の問いかけにカウンセラーではなく一人の人間としての言葉をかけた。
「死ぬのは、絶対にダメ!」
「なんで、なんで?今まで、私が言ったこと否定したことなかったじゃん…」
楓は、優良のその言葉を聴いて、首を横に何度も振った。
「死んだらダメ…それだけはダメ…絶対にダメ…」
楓は、必死に死ぬなと訴えた。気づくと、楓の目には大粒の涙が浮かんでいた。優良もそれに気付いたのか、顔を赤らめている。
「楓ちゃん、私のお母さん…結局最後まで、私と話してくれなかったよ…西田っていう暴力男と別れてから、ずっと…」
「違うの…違うの優良ちゃん…」
「何が違うの!?」
優良は大きな声で、楓に問いかける。
「西田が私を気に食わなくなったから、私を殴った…お母さんは、それで離婚したんだよ…しかも、西田をかばって…それから、あの人は私と話してくれなくなった…」
優良は途中で途切れそうになる声を、何とかふりしぼって話した。楓には、これは本当に優良が訴えたかったことなのだと理解した。
「じゃあ、歌います…」
優良はそう言って、歩道橋からバスの停車場のある方向を見下ろした。楓もそれにつられてその場を見る。確かに、ステージとしては申し分ないかもしれない。楓はそこを見渡してから、優良に言った。
「悔いが残らないように歌いなさい…聴いてくれてる人が、いるから…」
「分かった…」
優良はその声に、大きく頷いて答えた。




