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~優良失踪当日、火曜日~


 火曜日は楓が起床した時から雨模様であった。昨日の天気予報では、火曜日は一日中晴れるという予報が出されていたのに何という外れようだろうか。楓は夜に取り込み忘れていた洗濯物を、ベッドから出ると一番に取り込んだ。一晩中外に出して、ただでさえ朝露で湿っているというのに、雨まで降られてびしょ濡れであった。

「あ~あ…」

ため息とともに、落胆する声が漏れた。

 昨日は優良に会えたことで、若干気分はよくなっていたが、これでまた少し不機嫌になってしまった。

「早く、短大に行く準備しないと…」

 楓は落胆する気持ちを抑えて立ち上がる。火曜日は、楓が金曜日に学生相談を行っている看護師養成の短大で、カウンセリングを教える講義をしているのだ。講義は2限目の10時40分からであり、遅れるわけにはいかない。カウンセラーの仕事は、ほとんど自分の知り合いからの紹介等で成り立っているので、遅刻やドタキャンは自分を紹介してくれた人の迷惑になってしまうのだ。

「いつもバタバタだな」

 楓はそうつぶやきながら卵をご飯の上にかけた。そしてそれを口の中に流し込む。卵かけご飯は楓の大好物なのであるが、味わって食べている余裕などない。

 楓は、食事を終えると歯磨きをすませ、講義で使う資料の入ったバッグを持ち、家を出た。


 楓の講義は、短大の必修科目であり受講生もかなり多い。楓が最初にここの教壇の上に立った時、緊張で声が上ずったりしてしまった。しかし、学生相談もしていくうちに顔見知りの学生も増えて、だんだんと緊張しなくなっていったものである。

「それでは、今日はカウンセリングを学ぶ上で、最も大切なことを説明します」

 楓が今日説明するのは、カウンセリングの王道とも言われるべきカウンセラーの態度である、カール・ロジャーズの中核3条件である。

 ロジャーズは、20世紀に活躍したアメリカの心理学者で、彼が登場するまではカウンセラーが支持的であったカウンセリングを、クライアント中心に進んでいくカウンセリングに変えた人である。彼が作り上げたカウンセリングのことを、【クライアント中心療法】ともいうのだ。

「では、まず最初のカウンセラーにとって必要な態度は、自己一致と言います」

 自己一致とは、その名の通り自己が一致しておくこと。簡単に言えば、カウンセラーがカウンセリングの時に感じている様々な考えや感情を理解しておくことである。

「次に、無条件の肯定的関心…」

 無条件の肯定的関心とは、カウンセラー自身の考えは棚に上げて、クライアントの考えを肯定していくことである。しかし、何でもかんでも肯定するというわけではない。この場合の肯定とは、カウンセラーがクライアントのことをより知ろうとしている態度いうことである。ゆえに、無条件の積極的関心ともいう。

「最後に、共感的理解」

 共感的理解とは、カウンセラーがクライアントの中で起こっている感情を、あたかも自分も感じているかのように感じる、そのプロセスである。

「先生!」

学生の方から手が上がった。

「どうして、無条件の肯定的関心が必要なのですか?」

楓は、笑顔で「質問ありがとうございます」と言った後に説明を始めた。

「たとえば、カウンセリングに来る多くの人は、自分が否定され続けてきた人が多いです。それか自分の存在が無意味ではないかと悩んでいる人。そう言った人たちがカウンセリングの場で自分が認められる体験をするということが必要なのです…」

楓は、その後しばらく考えて質問を学生に投げかけた。

「否定される体験の代表的なものを一つ上げてみてください」

その後しばらく沈黙が続く。楓は、さすがに心理学専門ではない学生にとっては難しいものなのかと思った。その時、1人の女学生が手を上げた。

「愛着障害とか…」

女学生が心配そうに答える。楓はその答えにまず拍手をした。

「そうですね、愛着障害は子どもの頃から親に十分な世話をされずになってしまうものです。乳児の頃から、親に世話を受けてないと、人間から認められるという体験がないまま育ってしまいますね。愛着障害の子どもたちにも、最初はその子の気持ちを受け入れ、存在を認めることから始めていきます」

 楓にとって、今日の回は最も大事な単元であったが、無事に講義を終えることができた。


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