1
~優良失踪前日、月曜日~
週初めの月曜日の朝、楓はその日をベッドの上ではなく、自宅のパソコンの前で迎えた。楓は、先週の水曜日からおおよそ優良のことばかり考えていたが、一週間後に迫った学会での研究発表のため、資料を作らなければならなかったのだ。その資料作りの途中で、遠出した疲れからか、急激な睡魔に襲われてパソコンの前で寝静まってしまった。
「やっちまった…朝だ…」
楓が時計に目をやると、午前7時を回った頃である。月曜日は優良が通う高校にスクールカウンセラーとして伺う予定だ。午前8時半から職員朝礼が始まるため、その時間までには絶対に向かわなくてはならない。
「発表できるかな…?」
発表資料作りを少しでも進めることは無理だ。すぐに身支度をすまし、学校に行く用意をしないと間に合わない。楓は、の高校に行くときいつも車を使うが、車を飛ばせるほど運転はうまくない。
ちなみに、楓の学会で発表する予定である研究テーマは、『ルソーのエミールから見抜く、いじめの傍観者についての検討』という教育心理学と哲学をくっつけてしまったような研究である。哲学と心理学の資料を一挙に見せなくてはいけないため、その資料作りには膨大な時間を費やす。
楓はこの研究を大学院に進んでから7年間やってきた。それは、楓が友達をいじめでなくしてしまったからである。いじめる側、いじめられる側の研究は膨大にあるが、傍観者を取り上げた心理学研究というのはなかなかない。楓が愛読していたルソーの『エミール』という哲学書ではこう言った内容が示されている。
“人間は、自分たちに降り注ぐ可能性がある不幸だけを憐れむ。人間は、その人が不幸であろうことを推測し、不幸だと感じているだろうと思ったとき、人を憐れむ。要するに、人間は不幸を知らないうちは無慈悲である。無慈悲でなくすためには、人の不幸を見せなくてはならない。しかし、見せすぎると、人はそれになれて冷淡になってしまう。適当な時に適当な量を考えて見せることだ”
この内容が書かれた記述を読んだ時、楓の頭にはある疑問が浮かんだ。“いじめの傍観者は、自分たちがいじめにあうことがないから、無関係を貫いていられるのか?それとも、いじめを観すぎて、その人がかわいそうと思う心が麻痺しているのか?それとも単に自分がいじめられるのを怖がっているからか”
約200年以上前の哲学書から出てこの疑問を解決するためには、いじめの傍観者についての心理学研究をするしかなかったのだ。これまで、実際にインタビュー調査や様々な事を行ってきたが、出た結論は『エミール』から出た全ての仮説はありうるということだ。
自分はいじめられるわけがないと思っている人は、いじめをなんらかわいそうとか思わないし、いじめを観すぎている人は、見なれすぎて冷淡になっている。そして、いじめられる可能性がある人は、かわいそうと思ってはいるが、いじめられるのが怖くて言い出せない。しかし、このことこそ人間が人間たるゆえんなのかもしれない。
楓は、ここから人間が分かりあうことも難しいと考えるようになっていた。自分は他人にはなりえないから、他人の感情なんてわからない。だから喧嘩になった時でも、人は他人の感情を考えることもできない。仕方がないことかもしれない。
国同士の戦争も、何もかも…
その感情は、その人にしか分からないのかもしれない。
だったら、どうすればいい?
楓はまだその答えを見つけられずにいた。
結局楓は、誠司の感情も、もっと言えば、あの日自殺したクラスメイトの気持ちも分からずにいるのだ。
「もうやだな…この研究のこと考えると、こんなことばっかし考えてる…」
楓は、独り言をぽつりとつぶやき、身支度を急いだ。
カウンセラー用の整った服に着替えて、セミロングの髪を団子にして束ねる。
「よし!頑張らないように、頑張れ私!」
そう言うと、車のキーを持ち、家を出た。
参考文献
ルソー(1762)『エミール』第4篇




