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~優良失踪2日前、日曜日~
自分でセットした目覚ましの音が鳴る。午前8時、楓が起きなければ聴けない時間だ。日曜日だというのに、楓はゆっくりとしてひられない。日曜日であるこの日の午前中は、楓が実習としてカウンセリングを行っている大学院生のスーパーバイザーをするのだ。その後は、優良の1つ前の父に会うために神奈川に行かなくてはならない。今週の日曜日は忙しくなってしまったのだ。
カウンセラーを目指して勉強している学生は、臨床心理士の資格を取る前、大学院生の頃から実習として、実際にカウンセリングを行う。大本は実習であるが、大きな悩みを抱えた方のカウンセリングを行うこともしばしばあるのだ。そのような実習経験がないと、資格試験を受けることすらできない。
楓はこのシステムに、疑問を感じることも多々あったが、ルールであるから仕方がない。いくら本気で悩みをどうにかしたいと考えているクライアントさんに失礼かもしれないからと言っても、ルールなのだ。
この日は、大学院修士2年生の女学生で、発達障がいの子どもをカウンセリングしているということである。今回、楓がこの女学生のスーパーバイザーをするのは3度目である。
午前10時にその女学生は、楓の自宅にやってきた。これから90分のスーパービジョンが始まる。日曜日の午前10時というと、『笑っていいとも』の増刊号が始まる時間帯であるが、楓は見たい気持ちを必死にこらえてテレビを消した。
「松島先生、おはようございます」
「おはよう」
その女学生の名は、石川友紀奈。東北地方の出身とあってか、色白である上に、黒目が大きくて可愛い。楓は、友紀奈の顔を見ると、いつもその瞳に吸い込まれそうになってしまう。
「先週は、星太君の多動傾向について話したっけ…どうやって付き合えばいいかとか…」
友紀奈のクライアントは、樋口星太といい、注意欠陥多動性障害(ADHD)を疑われている。しかし、星太くんが通う学校に疑われているだけで、精神科から言われた話ではないらしい。
「はい、松島先生と話して、本当にこの子が発達障がいなのか疑問で…」
楓の数倍経験の浅いカウンセラーは困り顔で頭をかいている。
「そうやって疑うことは大切ね…」
しばらく楓も友紀奈が持ってきた資料を見ながら考え込んでいると、一つ聴きたい疑問が募り始めたので、友紀奈に聴いてみた。
「あのさ…星太くんのお母さんが最初に来てるよね…来談理由は、ADHDかどうか調べてほしいっていうことだけど…なんでお母さんはそう思ったのかな?」
友紀奈は、楓が話し終わると、少し上に目線をやり、何かを思い出そうとしていた。
「えっと…そうです!学校の保護者の2者面談で、担任の先生からADHDじゃないかって言われたそうなんです」
「そうなの?学校の先生が…」
「そうなんです!」
そう言った友紀奈は、目を見開いてつづけた。
「授業中、落ち着きがなくて…それで先生が、星太くんのお母さんに…それで、お母さんの方が心配になったみたいで」
楓はそれを聴いて、大きく頷いた。そして、友紀奈が持ってきた資料をもう一度見る。
「生育歴さ…お母さんもお父さんも忙しそうね…保育園に行ってた頃、星太くんはいつも一人の夜だったんだ」
楓がそうつぶやくと、友紀奈もおもむろに資料を見て言った。
「そうです、お父さんは警察官で忙しく…お母さんの方は、星太くんを妊娠した時に、育児休暇を取ろうとしたら、首にするとか言われたらしく…会社にずっと行ってたそうです…」
「星太くんを一人にして?」
「はい…」
エリクソンの理論によると、子どもは乳児期から幼児期にかけて、母親に甘えることにより信頼性を獲得していく。それを獲得できないと、愛着障害になってしまったりする。そして、小学生になると誰かにかまってほしいばかりで暴れるようになり、ついにはADHDではないかと疑われる。このケースはまれなものではない。
楓は、そのことを友紀奈に説明すると、友紀奈も大きく頷いた。やはり、大学院生にもなると知っていたみたいだ。
「楓さん…どうすれば…」
「そうね、まずは疑いを晴らしましょう!WISCよ!」
「はい!WISCやってみます!」
友紀奈は楓の提案を受け入れ、楓の自宅を後にした。WISCとは発達障がいの診断によく使われるもので、IQを算出する。IQが70以下だったり、140以上だと、周りの空気を読むことが苦手であると言われている。
「WISCは難しいけど、がんばれ!」
楓は、遠ざかる若きカウンセラーにポツリとつぶやいた。




