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NAKITO  作者: 将軍57号
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1人の来訪、彼女の真実

気が付けば、そこは山の中腹に現出した戦場のど真ん中だった。


「…………ちょっと待てぇ!」


ちょんまげ姿の侍さんや軍服来た兵士らしき人たちが銃やら刀やらを手に手に殺りあっている。そんな映画撮影か何かでなければ説明がつかない事象が発生している現場に、少年、大山義男は立っていた。


なぜ、こんなところに自分は突っ立っているのか。義男は思い出してみようとしたが記憶の中に多い当たる節はない。


最後の記憶といえば、苦手な数学の追試勉強を終え、完全に脳を疲弊させながら明日の高校通学の準備を済ませ、部屋のベットに倒れこむように入り、眠りに入ったというものである。少なくとも、制服着て外に出た覚えなどないし、ましてや映画の撮影セットの現場に乱入しようなどと考えたこともない、というかまず近場の撮影場所など知らない。


だが義男がいくら周りの奇奇怪怪な状況が理解できなくても、彼を囲む現実は決して判断ができるまで待ってはくれない。


「死ね! 」


「うお!? 危なっ!」


明らかに目立つ服装、というか古風すぎる周りの人々の服装ゆえに浮いている義男は当然目をつけられることなる。


殺気を全身に漲らせた侍の振るう刀の太刀筋を、危うく避けた護は全力でその場から逃走を図った。


走りながら周りに目をやれば、日本刀を振りかざして戦ういかにも侍といった風体の人から町人が鉢巻巻いて銃を持っているとしか思えない風体の人まで様々な人々が戦っている。


さらにふと目をやれば、木々の波が切れる場所から海が見え、かすかながら向こうがわに巨大な島影も確認できる。


いやよく見ればそれは島ではなかった。それは本土の対岸だったのだ。つまり義男が見た海は陸と陸とにはさまれた海峡だったのである。


義男は東京に住んでいる。もちろん東京も海に面していないわけではない。だが、少なくとも海峡など存在しない。


海峡が存在する場所など国土の北の果てか、南の果てぐらいなはずで、そんなところに一高校生が思い付きで、自前の資金を使って向かおうなど普通は思わないし、まず明日が普通に平日なことを考えると不可能なはずである。


では、なぜ自分は海峡が見える様な土地でいきなり突っ立った状態で意識を取り戻したのか?いくら考えても義男には理由が分からなかった。


映画撮影?それをまずは考えた。だが目の間で繰り広げられる血みどろの戦いを前にして義男はとてもその可能性を信じられなくなっていた。


首が切断されて地面に落ちる、頭部に小さな穴が開いたと思ったら後頭部が割れたスイカのように飛び散り地面に倒れ伏す人たち、響き渡る銃撃音に砲撃音、爆発したように吹き上がる地面、あちこちに転がりうめき声をあげる手足を失った男たち、そんなあまりにもリアルすぎる光景は義男の目に焼き付いた。


その現実は、彼に自分の周りの光景を作りものだと一笑に付すことを許しはしなかった。


となると、導き出されるのは、これは本当に戦争で、自分はその戦場のど真ん中にいるというものであるが、常識で考えればそれこそありえない。


現代日本においては、戦争も紛争も内紛も存在しない。まずその大原則がある。約70年前の大戦後、日本の国土で国民同士が殺しあうような戦いなど起きた、ためしはなかった。確かに安保闘争など警察と一般人がぶつかり合うことはあったが、義男の目の前で繰り広げられているような凄惨な戦いは起きたことない。


第一、仮に現代に日本の国土で争いが発生したとしても刀で斬りあったり、素人の義人でも分かるほどの旧式な銃で殺しあうなどというのは常識で考えておかしすぎる。


そんなことが国土において最後に起きた時代があるとすれば、幕末、戊辰戦争ぐらいなももので……………


そこまで考えたところで、ふと義男はあることに気づいた。


この周りで繰り広げられている戦闘を自分は見たことがある。


そう、折しも今年の巨峰ドラマは幕末から明治にかけての時代を題材にした作品で、歴史好きな義男も毎週必ず見ていたのだが、その中のワンシーンにいま目の前に広がる光景を義男は目にしていたのである。


(確か……….そうだ、この光景は小倉口の戦いだ!先週の話が確かそこの…….)


ようやく目の前の光景の正体が分かった義男だったが、その新しい事実は決して義男に事態を理解するための手助けをするものではなく、むしろ彼をさらなる謎の中に誘い込むようなものだった。


もし、目の目の光景が本当に義男がテレビで見た小倉口の戦いのものであるとすれば、今義男がいるのは約150年前もの昔の戦場ということになる。


つまり、義男は150年前にタイムスリップしたということになるわけだが……..


(いや、ないないないないない!さすがにそれはない!きっとこれは夢だ、夢なんだ!)


そう走りながら心の中で叫びつつ、頬をつねってみたり頭を叩いてみたりする義男だったが、激痛や痛みが走るだけで目が覚める様子は一向にない。


その痛みはただ目の前に広がる光景が現実であることを証明するものでしかなかった。


(いやだって、なんでここに!?というかなんで僕が!?)


考えたくないその可能性に行き当って、完全に混乱状態に陥った義男は思わず足を止めてしまった、そして戦場においてはその一瞬のスキが命取りとなる。


逃げるための動き、その行動が止まったことにより、一時的に戦場からその存在が薄れていた義男が再び異質な存在として目立ってしまったのだ。


当然ながらそれは戦場で互いに殺しあう双方の当事者たちからということである。


「いたぞ! 」



「討ち取れ!」


周りからにわかに湧き上がってきた叫びにわれに返り、義男は慌てて再び足を動かそうとするが、それより早く一人の武者が正面から義男に向かって斬りかかってきた。


「覚悟! 」


その距離約2メートル、迫るは真正面からの外しようのない日本刀による斬撃、某仮想世界の中を行き来する人類最後の救世主でもなんでもない義男にはその一撃を躱すすべなどあるはずもなく、また某最強の剣術使いのように真剣白羽取りなど絶対に不可能である。


迫るは死、もたらされるのは出血、肉体の破損、生命の損失、もはや自力ではこの運命は変えようがない。


そう、自力では。


刹那、義男が見たのは白い人だった。


いや正確には白い女性だ、さらにいえば白い少女である。


髪は白く、白い袴に白い防具を身に纏い、白いさやを腰に携え、左目に白い眼帯を付け、純白の柄を返り血で染めたその少女は、美しくも儚げな声色で義人に告げた。


「もう、大丈夫 」


次の瞬間、義人の目の前で、武者は少女が振るった一太刀により喉を切り裂かれ声にならない叫びと共に地面に倒れ伏せた。


極めて冷静に、それでいて容赦なく、その倒れ伏せた武者の頭部に刀を突き刺しとどめをさした少女は、そのまだ幼さが残る顔を義人に向けた。


「君は………いったい? 」


目の前で繰り広げられた出来事に呆然としながらもなんとか問いかけた義男に対し少女は静かに答えた。


「私は……なきと」


「なきと…..? 」


「そう、私は……..報国隊隊士、なきと」


なきと、そう名乗った少女は義男に対して右手を差し出した。


その行動に訝しげな表情を浮かべる義男になきとは、首を動かしてある方向を見るように促した。


それに気づいて彼女の示すほうを見た義男は思わず凍り付いた。いったいどこに隠れていたのか30人ほどの新たな武者たちがこちらに向かってきている。


「このままここにいては危ない…….手を握って私から離れないで 」


「え…….でも……. 」


こんな事態にも関わらず、思春期の少年である義男は年頃の近いだろうと推測できる少女の手を握ることを一瞬ためらった。だが義男の迷いなどもちろん彼女には関係ない。なきとは容赦なく義男の手を握ると、颯のごとく走りだした。


先ほど義男に襲い掛かった武者は倒したとはいえ、すでに周りは他の敵によって囲まれている。つまりはこの危機を脱するには敵中を強行突破しなければならないわけなのだが、戦に関してずぶの素人である義男を連れて、それを行うというのは、かなり難易度の高い行動となる。


実際、周りを囲む敵は足手まといをつれている格好のかもだと考えたのだろう。一斉になきとに狙いを定めた。


だが、狙われている当の本人であるなきとに焦りの色は無かった。


なぜなら彼女は信じているからだ。


義男が命の危機を無人の介入によって救われたように、信頼する誰かと共に戦う限り、どんな危機でも乗り越えられると。


果たして、突如戦場に凛とした女声が響いた。


「なきと、それに少年の離脱を援護する、銃隊、構え! 」


艶のある黒髪をポニーテールにし、腰に黒漆太刀と呼ばれる黒漆で鞘も柄も塗りつぶした漆黒の色彩の日本刀をさした妙齢の女性は、その鞘から抜き放った刀の切っ先を今まさに無人達に襲い掛かろうとしている男たちに向けた。


「放て! 」


彼女の号令一下、狙い澄ました一斉射撃が男たちに遅いかかる。


まるで雑草が駆られるように、襲い掛かる銃弾の雨になぎ倒されていく男たち。


彼らの惨状を眼前に確認した敵軍の間に動揺が走った。


「あれは……..奇兵隊じゃ……..奇兵隊がきおった! 」


「馬鹿な…….なぜこんなに早く!? 」


彼らに奇兵隊と呼ばれる新手の軍勢の長は、『彼女』のよく知る白の少女、無人が自軍後方に退避したのを確認すると、再度の一斉射撃を命じながら、自らは直属の部下たちと共に白刃をきらめかせながら、敵の真っただ中に突っ込んでいった。


「わが首、欲しくばとってみよ! 」


「ひい!夜叉だ、女夜叉(めやしゃ)が来たぁ! 」


彼女が向かってくるを捉え、敵部隊から悲鳴が上がった。


戦場のど真ん中を縦横無尽に駆け抜け、敵を次から次へと軽やかに斬り捨てる。そのさまはまさしく女夜叉であった。


奇兵隊の参戦によって、情勢は一気に傾いた。侍や武者などを多数含んだ小倉藩兵軍はなきとが属する報国隊との戦いで苦戦しているところでの突然の奇兵隊の参戦によって一気に戦意を喪失し、退却を始めた。


これによりのちに言う、小倉口の戦いと呼ばれることになる戦い、明治を切り開くことになる戊辰戦争のきっかけとなる第2次長州征伐戦争の初戦の1つ、田ノ浦の戦いは報国隊、奇兵隊などを中核とする長州軍の勝利と終ったのである。


さて、かの戦場において助けられた義男はなきとに連れられて、奇兵隊の陣所に来ていた。


(奇兵隊か......とても信じられないけど、でもさすがに信じないわけにはいかないよ.......)


目の前で簡単な作りの椅子に腰かける高杉を見ながら、義男は信じられない気持ちでいっぱいだった。


義男は歴史が好きである、中でももっとも好きなのは日本史であり、戦国時代や幕末、明治の初めや、第二次大戦などの戦いの時代に興味があり、そのあたりの時代が出る歴史のテストでは常に満点だったほどである。


そういうわけで義男は、町人や農民など侍以外の庶民から編成された軍隊、奇兵隊のことはもちろん知っている。女性が幾人か混じっているという点を除けば、義男達の窮地を救った奇兵隊銃隊女性指揮官が説明してくれた部隊のあらましは、彼の知識にある奇兵隊のそれとピタリと一致していた。



「さて、儂らの説明が済んだところで次はぬしの説明を聞きたいのだが良いか?少年 」


「は、はい! 」


女性の声に現実に引き戻された義男は慌てて答えた。


「なきとがおぬしを助けたわけだが、あやつはおぬしがエゲレスと繋がりのある人間でないかと考えて駆け付けたらしいのだ。実際問題、おぬしはなぜあんなところにいきなり現れたのだ? 」


「エゲレス……..?」


一瞬、何を言われたのか分からなかった義男だったがすぐに気づいた。


「イギリスのことですね? 」


「ん?おぬしはそう呼ぶのか?まあ知っているならば話は早い。ほれ、おぬしの服についているそれ、それはエゲレスの文字であろう?おぬし、そんなものを誇らしげに胸につけているのだからエゲレス王国となんらかの関係を持っているのではないか? 」


高杉が指差したのは義人の学生服につけられた名札だった。創設者の趣味か、現校長の趣味なのか、彼の通う学校では生徒の学生服につける名札の表記をアルファベットで表していた。


「いや、確かにイギリスのことは知ってますし、関係がないわけではないですけど…… 」


「おぬしの歳でエゲレスのことを知っているだけで十分関係がある証拠だと思うがな。具体的に何を知っとるんだ? 」


「ええと…….イギリスは日本と同じ島国で、正確には大英連邦といういくつもの国々からなる集合体の盟主となる国、いま世界で最も力のある国の1つで、中国……じゃなくて清との戦争にも勝って、いまやあの国を半植民地化している。そして日本においては幕府と戦う側に支援をしている……..こんなところですかね 」


ぺらぺらとしゃべる義男に女性指揮官は驚きの表情を浮かべた。


周りに立つ護衛の兵たちは頭に疑問符を浮かべ、義男をここに連れてきた無人は少し表情に警戒の色を滲ませて腰の刀に手をかける。


「まて、無人、早まるな。わしにはわかる、この少年は密偵などできるたまではない 」


そう言ってなきとを制した女性指揮官は、義男の瞳をじっと見つめて、言葉を続けた。


「良いか?わしの目をしっかり見て答えろ。おぬしはなぜ、それを知っておる? 」


妙齢の美女に正面からまっすぐに見つめられて動揺しない思春期の男子はいない。例にもれず義男の心臓も爆発寸前だったが、それでもかろうじて瞳だけはそらさず義男は答えた。


「それは……..知っているからです 」


「答えになっとらんぞ? 」


「これ以外に答えようがないんです。僕は知っているという言葉でしか、僕がイギリスのことや、長州とイギリスの関係を知っている理由を説明することは無理なんです………でもただ1つ、これだけは断言できます 」


「ほう、なんじゃ? 」


「僕は、理由があってあの場所にいたわけじゃないんです。気が付いたらあそこにいた。だから僕は幕府にもあなたたちにも関係はもっていません 」


義男の言葉に女性指揮官は暫く無言のまま見つめ、やがてため息を吐いて再びしっかりと視線を向け直した。


「なるほど…….面白いやつだな。おぬしの言葉はどう考えても怪しいが、おぬしの瞳は嘘を語っておらん。そしてわしは瞳から嘘を見抜くのは得意なんじゃ.......じゃからおぬしの言葉をわしは信じようと思う 」


「そんなに簡単に………今は幕府との戦いの真っ最中……. 」


「なきと、おぬし、わしの人を視る目が信じられんのか? 」


「いえ、そういうわけでは……. 」


言いどよむ、なきと。その言葉を了解の意として受け取ったらしい女性指揮官は義男に向き直り言葉を続けた。


「さて、おぬしを信じるか信じないかの話はここまでとして……….これからどうする? 」


「え?」


「今、この小倉の地はわしら長州勢と幕府方との間での戦いが始まっておる。へたにおぬしをそのあたりにうろうろさせておくわけにもいかんのだ。とはいえ今長州は三方向から幕府方の軍勢に包囲されておって藩内に安全な場所など無いに等しくての、それでも構わぬというのなら隊士を護衛につけて後方に下げてもよいが…………わしとしてはこのままわしたちと行動を共にしておった方がよいと思うのだが、おぬしはどう思う? 」


どうと言われても義男にはすぐさま結論など出せるわけがない。困って高杉を見つめる義男に彼女は微笑を浮かべながら目により周りを示す動きで合図を送った。


当初はその目の動きの意味が分からなかった義男だったが、すぐに高杉の言わんとすることに気づいた。


(そうか、高杉さんは両方から僕の命を守ろうとしてくれているのか!)


先ほどの無人の反応を見ればわかるように、高杉の側近たちは義男の素性を訝しみ、彼を信じてはいない。最悪今高杉のそばを離れたら敵の手によるものに見せかけて殺される可能性も否定できない。敵からも、そして救助してもらった側からも身を守るためには長州勢、より正確には奇兵隊と行動を共にすることが現時点では最も安全といえるのである。


「わかりました………このまま一緒に行動させてください 」


「それが良いじゃろう。とはいえおぬしを一人で行動させるわけにはいかんからの……..無人、おぬしが義男の警護をせよ 」


「わかった 」


こくりと無人が頷いたのを確認した高杉は再び義男の目をじっと見つめた。


「奇兵隊にようこそ。歓迎するぞ義男。機会があればおぬしの知っておる世界の話を聞かせてくれ」



こうして義男は高杉晋作率いる奇兵隊の一員として彼らとしばし行動を共にすることとなったのである。



小倉は、今でいうところの九州福岡県北九州市に位置していた藩の一つである。


中国山口県萩市に位置していた長州藩とは海峡を挟んで向かい合っており、それが故にいわゆる幕府による長州征伐では幕府方の最先鋒として奇兵隊、報国隊をはじめとする長州藩諸隊との激戦を展開していた。


とはいえいわゆる小倉戦争の緒戦に当たる田ノ浦の戦いでは、装備、士気共に劣る小倉勢は突如上陸してきた長州勢に不意を突かれる形となり、戦闘が展開されたものの奇兵隊などの参入もあって小倉勢は潰走、長州勢の勝利と終った。


歴史に名高い幕末の志士、坂本龍馬が設立した海援隊を介して西洋から新式の銃火器を多数手にしていた長州勢に対して装備の近代化が圧倒的に劣っていた小倉勢が不利な立場に立たされたのは必然であった。


しかし、小倉勢を打ち破った長州勢は不思議なことにそのまま攻め込みはしなかった。


このとき、海峡付近の制海権を確保していたのは幕府側の海軍であった。相変わらず制海権を握られている状態での長期対陣は不利になると考えた長州勢は一旦全軍で長州の下関本営に撤退したのである。



かくして下関本営に撤退した長州勢はしばしの休息をとることになり、義男も無人に案内され隊士用の宿舎に到着したのである。


「ここが私とあなたに割り振られた宿舎 」


「民家じゃないんですか?これって 」


命を救ってくれた相手に対して敬語になっている義男が割り振られた宿舎は古民家だった。別段痛んでいたり荒れているわけでもなく、ついこの間まで人が暮らしていた雰囲気が充満している。


「このあたりの民家は幕府方の侵攻を前に藩がまとめて接収したもの。特にこのあたりの民家は本来上の人間が使うもの。上の人たちの計らいに感謝すべき 」


そこは確かにその通りなので義男は頷いた。


2人が入った民家は典型的に和風づくりの一階建てで、土間や囲炉裏などまである。


とりあえず今の畳に転がった義男は思いっきり伸びをした。


「ん~!疲れた……. 」


「私のほうが疲れてる。あなたは夜飯をもらってきて。私は湯あみのための準備をするから 」


そう言い残して無人はそそくさと裏口から外に出ていった。


「なきと……..って言ってたよなあの子 」


女性で「なきと」という名前はあまり聞いたことがない。果たしてそれは本名なのだろうか。


そんなことを考えながら義男は握り飯と味噌汁を2人分受領し、再び民家へと戻っていった。


さて、握り飯と味噌汁を居間に持ってきて、なきとが来るのを待っていた義男だったのだが。


「遅い……….. 」


待てども待てども彼女は一向に来る気配がない。


彼女は湯浴みの準備をすると言い残して、居間を出た。もしかしたら先に風呂に入っているのかもしれないが、それにしても遅すぎる。すでに日は完全に落ちているのである。なぜかつけていた時計がくるっていなければすでに2時間は経過している、長風呂にしても遅すぎる。


(もしや、ここに敵が?)


ありえない話ではない。小倉藩と長州藩は海峡を挟んで向かい合っている。長州勢が小倉に攻め寄せられた以上、小倉勢の手のものが長州の地に足を踏み入れることは決して不可能ではない。しかも今、長州勢は全軍が快勝に酔いしれている状態、不意を衝くには絶好の状態ともいえる。


(まさか…….そんな…….)

なきと、義男を助けた白い少女。戦場に迷い込んだ自分を救ってくれた。その彼女がこんなに唐突に目の前から消されるなど考えたくはなかった。


「くそ! 」


義男は走った。湯浴みをするといって、なきとは裏口を出ていった。義男に湯浴みをするための風呂場がどこにあるのかは皆目見当がつかないが、それでも裏口を抜けた先にそれがあるだろうということは推測できる。


「!」


裏口から出て、すぐにそれは見つかった。


「あれか? 」


裏口から抜けた先にある空き地、否、おそらくは庭なのだろう。その見事なまでに中央にそれは建っていた。


木製の小さな小屋、その側面には今の日本、正確には義男が生きていた元の世界、現代日本ではすでに絶滅して久しい薪を燃やして物を温めるための造り、焚口と呼ばれる穴を持ち、そこに薪を投じ火をかけること風呂釜をあたためる仕組みとなっている。


だがしかし、そこに火はすでになかった。すでにという表現になったのは明らかに薪の残りかすと思われる炭が焚口に残っていたからだ。


つまり、なきとは確かにこの風呂を利用したのだ。そして戻っていない。


「くそ! 」


表に回り、横開きの扉を思いっきり開け放つ。無事でいてくれと、その一心で、扉の先に最悪の結末がないことを祈りながら彼は開け放った。


「うわあぁぁぁぁぁん!!」


扉の先にあったものは義男を裏切った。いろいろな意味で。


「た....す....けて.......」


扉を開けた瞬間、大泣きしながら抱き付いてきたなきとに対し、義男はかける言葉を見つけられなかった。



「いただきます 」


「………いただきます…… 」


かなり遅めの夕食を食べる2人。沈黙が場を支配していた。


「あの…….」


「……..なに? 」


「嫌なら言わなくても良いですけど……..どうしてああなってたのですか? 」


ああ、とはもちろん、風呂場の暗闇の中2時間以上、義男が扉を開けるまで閉じこもっていたことである。


「…………. 」


無人は無言であった。


「いいよ、別に無理して言わなくても……. 」


「灯かりを……落としてしまった」


返ってくるとは思っていなかった返答に義男は思わず手に持っていた握り飯を落としてしまった。


「そこまで驚くことじゃないでしょう……..うっかり灯りの蝋燭をお湯の中に落として消してしまったの 」


「いやでも、それがずっと出てこなっかのとどういう関係が…….. 」


「怖かったのよ 」


「へ? 」


「怖くて動けなかったのよ、暗闇が怖くて、動けなかったのよ 」


それは、義男の前で一太刀で武者を斬り捨てた少女の言葉としてはあまりにも不釣り合いな言葉だった。


「おかしい?戦場で敵を切り伏せる者が、たかが暗闇を前に無力になることが 」


義男の表情から彼の思考を読んだのだろう。なきとは少し自虐めいた色を滲ませた声で言った。


「そうよ、私はおかしい。敵を前にして戦い、斬りあうことには恐れを感じないのに敵でも何でもない、命を持つ存在でもない暗闇にはあんなに怯えてしまう 」


確かに、風呂場での彼女の取り乱しようは普通ではなかった。


「私にとっては…….暗闇こそが最大の敵なの…….だから風呂も早く入ったというのに……..結局、あなたの世話になってしまった…….見苦しいところをみせてごめん 」


突然の謝罪に義男は両手をぶんぶん振って否定した。


「謝ることじゃないですって! 」


「取り乱したのはもちろんだけど……….報国隊隊士ともあろうものが、一糸まとわず男に抱き付くなんて、見苦しいにもほどがある…….. 」


「言わないでくださいよ!思い出しちゃうじゃないですか! 」


赤面する義人。あの時、いきなり抱き付かれたときの感触はまだ身体に残っている。まさか、別の世界で女性の全裸を始めて見ることになるとは思いもしてなかった。もちろん女性の全裸を見ることを望んでいたわけではない。


だが、しかし自分を助けてくれた少女に憎らしからぬ思いを抱いていた義男にとって、その少女が全裸で抱き付いてきたという出来事はかなり刺激が強すぎた。


「それに…….傷も見られた 」


「傷?…….ああ…….. 」


自分の左目、眼帯にそっと手をやるなきとに義男はあの風呂場での彼女の姿を思い返していた。




「怖かったあぁぁぁぁ! 」


大泣きして抱き付いてきた無人に対してかける言葉を見つけられなかった義男だったが、とにかく今のままでは全裸の彼女は風邪をひいてしまう。よって取り合えずいまだ泣きじゃくる無人の身体を支えて裏口から民家の中に戻る。


「とりあえずこれを着ててください!さすがに全裸じゃ風邪ひいちゃいますよ。僕は風呂場行って服持ってきますから 」


灯りのある居間に来てようやく多少落ち着きを取り戻したのだろう。なきとはその涙で潤んだ瞳を向けながらこくりと可憐に頷き、義男が渡した学生服の上を受け取った。


その時である。義男はいまさらながらに気づいた。彼女は眼帯をしていたことを。


こちらを見る少女、その左目、眼帯によって隠されていた場所、そこには、縦に一本の傷が刻まれていた。


先ほどの騒動でついたものではないことは明白である。傷はすでに跡となっている。かなり以前につけられたりしたものなのだろう。傷は左目全体を縦断するように刻まれている、眼球は無事に見えるが、おそらくすでに本来の機能は損失している。


つまり彼女、なきとの左目の視力は損失しているということなのだろう。


「じゃ、行ってくる 」


そう言い残して義男は再び風呂場に向かった。見てはいけないなにかを見てしまったような、何ともいえない思いを抱きながら義男は風呂場に残されているであろう、なきとの被服一式(眼帯も含む)を取りに向かったのである。



その後、無事に衣服を着こんだなきと、そして義人は共にようやく夕飯にありつくことになった。



「大山、私がなんと呼ばれているか分かる? 」


ようやく夕飯を食べ終わる頃、無人は唐突にそんなことを問うた。


「なんとって………あだ名とかそういう話? 」


「そう 」


しばし義男は考えた。彼女がどんなあだ名で呼ばれているかなど、今日出会ったばかりの自分にわかるはずがない。


しかし、こちらを見つめる瞳は明らかに彼の答えを持っている。答えないわけにはいかない。


「白い妖精……..かな 」


義男の言葉になきとは可憐な仕草で首を傾け、頭の上に疑問符を浮かべた。


「その『ようせい』とは何だ?聞いたことないが 」


知らないのも無理はない。そもそも妖精という概念はヨーロッパから伝わってくるものであり、この当時の日本人が知る由などなかったのである。義男もすぐにそれには気づいた。


「ごめんなさい。知らないのも当たり前なのに......妖精っていうのは、イギリス....じゃなくてエゲレスの地方の伝承に登場する小さな羽を生やした小人のことなんです 」


「成る程......理解した。でも、なんで、その『ようせい』とやらをわたしのあだ名だと思ったの? 」


「いや、その...... 」


義男は一瞬、言い淀んだ。自分が彼女のあだ名を妖精と考えた理由。それは少し、いやかなり口に出すのが気恥ずかしい理由だったからである。


だが、応えぬわけにもいかない。義男は思い切って口を開いた。


「妖精ってのはですね。大抵小さくて可憐で、綺麗な女の子の姿をしてるって言われてるんです。存在がはかなげだけど、実はすごい力を持っていて人を助けたりする.....そんな所があなたに......なきとさんに似てるんじゃないかと思ったんです 」


瞬間、なきとの顔が一瞬で紅潮した……ように見えた、実際はアニメや漫画でないのだから、そんなにいきなり一か所に血液が集まりはしないから目の錯覚かもしれない。だが、彼女の表情に明確な変化があったのは確かだった。


「そんな風に言われたのは初めて....... でも、違う。私に付けられたあだ名は....なきと 」


「ああ、やっぱり名前ではなくて…….. 」


「違う。私の名前は無き人と書いてなきとと呼ぶ、そしてあだ名である、なきとは、泣く人と書いて泣人と呼ぶの 」


「それって…….. 」


「幼いころの私は身体が弱くて、そしてどうしようもないほど泣き虫だった。いつも苛められていた。お父様がつけてくれた名前、『無人』。この名には早死にした兄や姉のようにはならず長生きしてほしいという意味が込められている。でもそんな大事な名前もあいつらにとっては、からかう対象でしかなかった。ちょうど意味も合うからと彼らは私のあだなを泣人と決めた。いつも泣いてばかりいる、泣くことしかできない弱者であるという意味を込めて 」


「………… 」


「そんな私を変えたくて、私は剣術を習い始めた。師範曰く才はあったみたいで、剣の腕は日々上がっていって、やがて私にあだ名をつけた連中のだれよりも剣術では強くなった 」


「私は初めて自分に自信を持てた。もう自分は泣くだけしかできない弱者じゃないと、そう思えた。でも違った 」


無人の言葉には後悔、悲哀など様々な感情がにじみ出ていた。


「あの時、私は泣くことしかできなかった。皆の前で私は泣いた。だから、私のあだ名は今でも泣人、昔みたいに馬鹿にして言われることはないけどね 」


彼女の言う、あの時とはなんなのかは分からない。だが彼女の浮かべる表情を見れば、それがあまり触れてほしくない過去だということは容易に推測できた。


「そっか……..でも、やっぱり僕から見てあだ名をつけるとしたらやっぱり妖精です。誰かを助けるために戦う白い、妖精 」


義男の言葉に無人は、初めて心の底から嬉しそうな笑みを浮かべた。


「ありがとう、大山 」


その、本当に可憐な妖精の少女のような笑みに義男は胸の高鳴りを抑えるのに必死になあることとなったのは言うまでもない。



一度は下関本営に撤退した奇兵隊をはじめとする長州勢であるが、負けて撤退したわけでない彼らが再び攻勢に出ない道理はない。


長州方の圧勝に終わった田ノ浦の戦いから一週間後、休息と準備を整えた長州勢は再度小倉口を攻め落とすべく、一斉に長州と小倉を隔てる関門海峡を押し渡って、海岸に殺到した。


その海岸に到着した一隊、件の女性指揮官が率いる奇兵隊第1銃隊及び彼女の直衛隊の中に義男と無人の姿もあった。


「ずいぶんとあっけなく上陸してしまったけど、罠だったりしないかなこれ 」


「確かに……..抵抗がなさすぎる気はする 」


2人の疑念ももっともで、長州勢は前回同様、田ノ浦海岸と、大久保海岸の二か所から小倉の地に上陸したもののまったくといってよいほど小倉勢の抵抗はなく、あっけなく上陸してしまったのである。これではどんな素人でも罠の可能性を疑うだろう。


「罠ではないかな? 」


だが、そんな2人の疑念を女性指揮官は一蹴した。


「なんで断言できるんですか? 」


「ん?情報じゃ情報。昨日までに集まった情報によると小倉藩は独力でわしら長州勢に対抗できないと考え、他藩から小倉口に派遣されている兵や幕府艦隊に協力を求めたらしいが、今日にいたるまで良い返事をもれておらんらしい。よって海岸でわしらを押しとどめるために戦力を消耗するのは下策と判断したのだと推測すれば、この無抵抗ぶりも納得がいく 」


つまり小倉勢は海岸では戦うことを放棄したということだ。それは言い換えれば海岸以外での抵抗を決めたということでもある。


「厳しい戦いに、なるかもしれない 」


なきとのつぶやきに義男は言い知れぬ不安を抱いた。


前回は奇襲を受ける形となり、あっけなく敗れた小倉勢だったが、今回はおそらく準備まんたんで待ち受けていることだろう。


(細かい戦いの経過を知らないのが口惜しいな………..いったいどうなるんだろう?)


歴史という巨大な大河に対して自分はあまりにも小さい、だが隣にいる白い妖精のごとき少女が死ぬ歴史など見たくはないと義男はせつにそう思った。


「やつらを通すな!」


「撃て、撃て!」


なきとの予想通り、小倉勢の抵抗は前回と比較にならないほど激しかった。


森に潜む小倉兵は次々と射撃を奇兵隊をはじめとする長州勢諸隊に向けて浴びせてくる。


その射撃の数は明らかに長州勢に対して少なく散発的ではあったが、その分一発一発の精度は前回の戦闘時とは比較にならないほど正確で、次から次へと長州勢の隊士たちは狙い撃たれていく。


さらに、今回は高台に小倉兵たちが砲台を設置して待ち構えていたために、高所からの砲撃が長州勢に襲い掛かった。上陸作戦を敢行した長州勢には当然ながら大砲などの重火器はない。よって小倉軍の保有する重火力打撃を排除するには、高所の砲台まで前進し、陣地を占領しなければならない。


しかし、当然ながらその行動を小倉兵たちが逃すはずがない。


砲台占拠の為に前進する長州勢は、頑強に抵抗する小倉軍に対して苦戦を強いられることになる。


そして、その最前線に無人と義人の所属する奇兵隊第1銃隊の姿があった。


「射撃を絶やすな!射撃は統制して一方向へ!やけくそに撃っても当らんぞ! 」


第1銃隊長の指揮の元、隊士たちは砲台への道筋の途中にある御所神社と呼ばれる社の境内で戦闘を行っていた。


地の利を持つ小倉軍側は、神社の境内にある松林内に潜み、移動しながら射撃を仕掛けている。


そのうえ、神社は砲台の近くにあり砲台同様、高台に位置しているため、長州勢は高所から狙い撃ちされる形となり、第1銃隊には被害が続出していた。


それでも数に勝る長州勢は次から次へと新手を繰り出すことでじわりじわりと前進を続けていた。だが御所神社付近にて、小倉軍の激しい抵抗の前に、奇兵隊第1銃隊を始め、長州勢の前進はついに止まってしまったのである。


「ここをなんとかしないと砲撃による被害が止められない……… 」


「確かに一番厄介なのは高台にある大砲からの攻撃だね…….あれをなんとかしないと、こっちはろくに反撃ができない 」


口惜しそうに砲撃を続ける高台をにらむ、なきとと、その隣で腕を組む義人。ちなみに義人はその手に銃を抱えている。奇兵隊の一員として隊に参加した義男は無人に再出撃までの一週間を利用して、一通りの射撃法と銃の取り扱いを学んだのだ。


とはいっても本当に即席で教えられたために実際の戦闘において戦力になるかといわれれば非常に微妙としか言えないが、それでもまったく扱えないよりはましだろうということで、義男は無人の教育をまじめに毎日受け続けた。そのかいもあり一週間後の出撃時には、一応一通り歩兵銃を扱えるまでには成長したのである。


「あの松林の敵銃隊をなんとかしないといつまでたってもここに立ち往生になる、義男、なにか良い手はない? 」


「そうですね………とにかく、あの松林が敵の姿を隠してしまって、僕らからは敵を狙いにくく、敵からは僕らを狙い撃ちできる状況なのが問題だと思います。何とか敵をあの松林から出させることができれば良いんですけど………. 」


それができれば苦労はしないのだけどと、義男は内心言い含めた。

実際問題として、敵である小倉兵たちも松林にこもる利点を十分に理解しているからこそ、その利点を有効に活用して長州勢に被害を与えることに成功しているのだ。そう簡単にその利点を捨てる様な行動にはでないだろう。だが、それを敵にさせなければいたずらに被害は増していくばかりである。


数で勝る長州勢が強引に松林に突入するという手も無くはない。だが敵は神社境内と松林にいる者ですべてではない。当然ながら小倉軍の攻撃の要である砲台付近には、重厚な兵力が配置されているだろう。


さらに戦闘が長引けば、現在傍観状態の幕府海軍や幕府寄りの諸藩隊が積極的に戦闘に参加してくるという事態も起こりうる。そうなれば制海権を完全に握られてしまう上に、兵力においても圧倒的に長州勢は不利になってしまう。そうならないためには短期に小倉軍を撃破する必要があるのである。


義男はその頭の中の知識を必死に引っ張り出した。歴史を好み、特に戦いの歴史を好んでいた自分が為せること、それは1つしかない。


「敵に松林での戦闘を放棄させるには、敵に『松林での戦闘をしなくても勝てる』と思わせる何かの手が必要だと思います 」


義男の言葉に無人は、そんな無茶なという表情を浮かべた。


「敵はすでに松林で迎撃する限り、こちらが攻めあぐねるということを知ったのよ?もっとも安全に私たちに勝つ方法を見つけている敵に、どうやってそれ以上に勝てるなんて思わせる方法を選ばせるの? 」


「今僕たちがいるのは神社境内、一の宮の近くです。ここの後ろは狭い山道で部隊は縦一本の細い陣形にならざるを得ない 」


義人は神社の入り口にあたる鳥居の後ろに広がる山道を指差し、次いでその指を目の間に広がる一の宮と呼ばれる社を初めとする神社の境内に向けた。


「細い一本の線となって移動する部隊は、敵からすれば絶好の獲物でしかありません。簡単に分断して各個撃破することができるからです。だから今、その状態に陥らない為に僕たちの第一銃隊をはじめとする各部隊は境内各所に広く展開し、敵の兵力分散と各個撃破を狙っているのだと思うのですけど…….. 」


「小倉兵は、砲台につながる唯一の道に兵力を固めて抵抗をしながら、遊撃戦を行ってる。だから、こちらはいたずらに兵力を損失し、総兵力では優っているはずなのに、局地戦で勝つことができずにいるってことね 」


無人の言葉に義人は頷いた。


「そう。問題は敵に対応するためにこちらも、皆が別々の場所に別れて戦っているせいで数の優位を生かせないことだと思います。それに僕らは敵を敵を全滅させることが目的じゃなく、敵砲台からの攻撃を無力化することが目的のはずです、だったら、この場の敵を突破することを考えなきゃいけない.......」


「それができれば苦労しない…………なにか考えがあるの? 」


「一応、あるといえばあります……….でも、そのためには今境内に展開している、こちら側の全部隊の連携が必要になります。でも、こんなに各所に分散展開してしまっている現状ではどうにも………. 」


「私が伝令を務める 」


平然と言ってのけた無人に義男は目を見開いた。


「こんな銃弾飛び交う中で一人でですか? 」


「誰かが伝えなきゃ現状を変えられないんでしょう?だったら行くしかない 」


「でも、僕が自分の拙い知識で考えたような手なんて……… 」


「私はあの人の人を視る目を信じてる。だからあなたも信じる。だから義男は自分を信じて 」


そういうや否や無人は近くで射撃を続けていた、隊士の一人に声をかけた。


「風魔!私が不在の間、義男をお願い 」


「忍、お任せくだされ 」


そう言ってこちらを向いた隊士は、やはり女だった。


なんというか忍者を少し現代風にしたようなそんな服装をした少女だった。口元を覆いで隠し、スカーフを首に巻き、その腰元にはにはいわゆる忍者刀と呼ばれる短い剣身を持つ刀を差しており、さらにそれとは別にいわゆるリボールバー、回転式拳銃を2丁さしてもいる。なんというか忍者とか隠密といった人々の尊厳や神秘性をぶち壊すようないでたちをしている風魔と呼ばれた少女は、無人に対して片膝をつき頭を下げた。


「拙者の一命に変えても、義男殿の身は守って見せるでござる! 」


「信頼してる、頼む 」


「忍! 」


頼もしそうに風魔を見た無人は、次いでその腰元の鞘から刀を抜きはらうと、義男を救いに現れた時と同じように颯のような勢いで、神社の境内の中、他の部隊が展開していると予想される地点へと走り去っていった。


「義男殿、無人様が戻るまでの間、拙者、風魔楓が全力でお守りするでござる! 」


「ああ、はい。よろしくお願いします....... 」


「呼び捨てにしてくだされ!拙者は忍び。敬されるのは好みませぬ!」


「りょ、了解。じゃあ、よろしく風魔! 」


「忍! 」


なんだかやる気まんまんな様子の風魔に、義人はため息をついた。全力でお守りするといったって、そもそも敵は神社境内の社や、松林に籠って射撃を加えてきているのである。


音速で迫る銃撃から身を守るすべなど、防弾チョッキがあるわけでもないこの時代では、せいぜい当たらないように姿勢を工夫したりするぐらいしかない。


それに敵は籠って射撃を加えているのだ、直接こちらに向かってくることなど………..


そう思った矢先、第1銃隊の最右翼に小倉兵が斬りこんできた。


「死ね! 」


「斬り捨てろ! 」


いきなり斬りこんでくる小倉兵に完全に不意を突かれた最右翼の長州兵は次々に斬られていき、瞬く間に右翼の陣形は混乱して形を乱した。


「不味いでござる! 」

叫ぶ風魔だが言われなくても見ればそんなことは分かる。


義男はその手に持つ歩兵銃を構え、敵に狙いを定める。


だが、いまだ動く敵に対して撃ったことのない義男の射撃の腕などたかが知れている。


「くそ…….! 」


義男が引き金を引いて放つ銃弾は一応は敵のいる方向に対して放たれはするものの、一向に当たらない。それどころかむしろ射撃音によって居場所を特定されたことで、かえって目立ってしまった。


「あちらにも銃兵がいるぞ! 」


「構うな!斬り捨てろ! 」


銃の射撃がお世辞にもうまいといえない義男だが、剣術などそれ以上に無理だ。なにしろ剣道すらろくにやったことがないのだから。



だが、かといっておめおめやられるわけにはいかない。義男は歩兵銃を向かってくる小倉兵たちに向けようとして、そこで風魔に手で制された。


「義男殿は松林の敵への射撃をつづけてくだされ!あやつらは拙者が相手するでござる! 」


そう言うや否や、風魔はその腰に携える二挺の回転式拳銃を一瞬で握りしめ、向かってくる小倉兵に向けながら、彼らに向けて跳躍した。


「うお!?」


「なんじゃ!?」


突然、跳躍してきた人影に慌てふためく小倉兵たちに向けて、風魔楓は空中から銃撃を放った。


次々に連射される拳銃弾は、的確に小倉兵たちの頭部、または頸部を撃ち抜き、確実に絶命させていく。


狙いを定めにくいどころか、まず体制を保つことすら難しい空中滞空の姿勢で、風魔はその姿勢的危うさをものともせずに拳銃を乱射する。それは端的に彼女の身体能力と動体視力の高さを示していた。


とはいえ、回転式拳銃の弾数は決して多くはない。


ましてこの時代、回転式拳銃は連射可能という当時においては革新的な機能を備えはしていたもの再装填に時間と手間がかかるという欠点があった。


一度回転式弾倉の弾を撃ち尽くしてしまえば、正直な話、改めて再装填する時間など戦場ではないに等しい。つまり初撃にしか使えない武器というわけなのである。


もちろん、その欠点は風魔も理解している。彼女は跳躍した後の着陸地点付近の敵を排除することと、敵にインパクトを与えるために、当時としては異質なスタイルといえる空中からの二挺拳銃による射撃を行ったのである。


そして、そこから先の彼女の戦闘は、彼女の身体能力を十分に生かした近距離戦となった。


彼女は腰に差している赤鞘の忍者刀を抜きはらい、その抜き放った刀を握る右手をひねるように左上段に構える。剣術の技術の一つ、巻打ちと呼ばれる構えだ。


ただ刀を振り下ろす斬撃でも、もちろん刃物である刀で相手を傷つけ、命を奪うことは可能である。だが筋力が弱い場合や、相手が防具をつけている場合は、往々にして威力不足になる場合が多い。


前立てや鍬がたをつけえている鎧武者に対してまっすぐ打ち込めないがゆえに、甲冑を付けている相手に対して、ひねりこむような構えからの遠心力を加えた一撃を叩き込む。これが巻打ちである。打ち込む斬撃の半径が狭いため、素早く次の斬撃につなげることができるこの動きは香取神道流と呼ばれる戦国時代に端を発す実戦的な流派の技術である。


風魔の斬撃が敵の喉あてを切り裂き、そのままの勢いで首まで跳ね飛ばす。戦場を駆けながら敵を刈る様は、無人や高杉のそれと似ている部分が少なからずあったが、風魔の動きはその2人と比較して動きの多彩ぶりが目立っていた。


「囲い込んで撃ちこめ!やつは1人だ! 」

風魔を遠巻きに取り囲む小倉兵たちが一斉に彼女に銃口を向ける。正式な銃隊をほとんど持たない小倉軍にとって、歩兵銃を扱える兵士を失った場合の損失は痛い。だが、そのリスクを押し切った選択を彼らに選ばせるほど風魔の存在は脅威を与えていたのである。


「さすがにまずいぞ…….. 」


風魔に小倉軍奇襲部隊への対応を任せ、自らは松林の敵へ銃撃を続けていた義男だったが、やはり年下の女の子を一人で敵に向かわせているという状況で、眼前の敵だけに集中するなど、どだい無理な話で、ちらちらと風魔の様子を伺っていたわけだが、敵の銃隊が彼女を狙うのに気づいて叫んだ。


「跳躍して逃げろ!狙われてる! 」


義男の叫びに一瞬、彼に視線を移した風魔は、安心しろとでもいうように首を横に振った。


「一度交わした約定は最後まで果たすで御座る! 」


叫ぶや否や、風魔は忍者刀を近くの敵に投げつけて突き刺しながら、その服のどこに隠していたのか左右の手に3本ずつ、合計6本の苦無を構えた。


刹那、今まさに射撃しようと銃を構えていた兵士たちに向けて、風魔が勢いよく振り放った苦無が容赦なく襲い掛かった。


「ぐわあぁぁぁ!? 」


「目が、おれの目が! 」


苦無に目を潰されたり、腕に突き刺さって銃を取り落したりと、被害続出の小倉銃兵たちであったが、もちろんすべての兵に苦無が当たったわけではない。


「次を投げさせるな!撃ち取れ! 」


指揮官らしき男の叫びに残った銃兵たちが改めて風魔に狙いを定める。だが、そんな彼らを再度、苦無が襲った。


もちろん、風魔が新たに投擲したものではない。すでに風魔が投擲し、6人の銃兵の身体に突き刺さった苦無が、再び宙を舞い他の銃兵たちに襲い掛かったのである。


「な……馬鹿な! 」


「なんだこれは! 」


驚愕の表情を浮かべる小倉兵たちだったが、それも無理はない。


まるで、なにかに操られるかのように投擲されて用済みのはずの苦無が宙を飛び、銃兵たちの身体に突き刺さり、あるいは斬りつけてくるのである。


困惑と混乱の渦に叩き込まれる銃兵たちは一人また一人と苦無によって倒れていく。


その段になって、小倉銃隊の指揮官はようやく、この怪奇現象のタネに気づいた。


「苦無と自らを繋いでいるのか? 」


「正解でござる! 」


銃隊が苦無による攻撃で混乱している隙をついて至近距離まで接近していた風魔の忍者刀による斬撃は容赦なく指揮官の喉元を切り裂き絶命させた。


彼女の放った苦無は、袖の内部に隠されている機巧からくりと特製の細い鉄糸で繋がっている。敵に向けて放たれた苦無は敵に突き刺さった後、本来ならそれで役目を終えるのだが、風魔の放った巻打苦無はからくりが作動することで、まるで舞うように周囲一帯を再び飛び回り、その場にいる敵に被害を与えるのである。


風魔の活躍により、攻撃の要であり、貴重かつ重要戦力であった銃隊が全滅したことで遊撃戦をかけてきた小倉軍奇襲部隊は戦意を損失し、残存兵たちは再び松林方面に退却していった。


「義男殿!敵を撃退しましたぞ! 」


元気いっぱいに報告する風魔に義男は思わずため息をついた。


「あのさ、風魔だっけ? 」


「忍! 」


「君があの松林に入って大暴れすれば事態は万事解決するんじゃない? 」


義男の言葉に風魔は首を振った。


「拙者は先ほどの攻撃がうまくいったのは、場所が開けた境内だったからこそでござる。巻打苦無も林のなかでは敵に当たる確率は極端に低くなるでござるし………敵を翻弄するための動きもしにくくなるでござるから、たやすく銃で討ち取られるのがおちでござる 」


世の中そううまくいくことはないということかと義男は肩を落とした。


先ほどの風魔の無双ぶりを見せつけられて、これならもしかするとなどと考えてしまったわけだが、よくよく考えてみれば風魔の言うことは道理であり、そもそも敵を開けた場所に誘い出すことが今の目的なことを考えると、風魔の活躍により敵はますます開けた場所に出ることを警戒するだろうことを考えると逆効果ともいえるため、義男は頭を抱えた。


かといって風魔を責めるつもりなど無い。奇襲によって崩壊寸前になった奇兵隊第1銃隊の危機を救ったのは間違いないからだ。


しかし、こうなっては各部隊に伝令として向かっていった無人が無事に伝達してくれたかどうかが重要になってくる。


「無人さん…….伝えてくれたかな……… 」


「伝えたわよ 」


「うお!? 」


独り言に普通に背後から返されえて、義男は思わず全身をビクッと震わせてしまった。


「無人さん……いつからそこに? 」


「いまさっき。あの人の本隊を始め、各部隊にあなたの伝言は伝えておいた 」


「よし、じゃあ僕たちも動きましょう。第1銃隊長のところに行かなければいけません 」



松林の奥にある小倉兵部隊の詰め所、そこで指揮を執る4番手大将の中野一学は、伝令からの報告に首を傾げた。


「報告、敵部隊が散開状態から集結し、正面から横二列に展開し射撃しながら前進中! 」


「被害を度外視して強行突破の策に出たのか? 」


一学は敵の真意を測りかねた。確かに長州勢はその数において小倉軍よりも優位に立っている。だがそれはこの局地戦においてだけの話であって、第二次長州征伐に参加している幕府方の諸藩の兵力を合わせれば長州の兵力は幕府方にはるかに劣る。もしこの戦いだけで多くの兵力を損失してしまえば、今後の戦いにおいて長州勢が不利な戦いを強いられることになるのは明白である。


そんなことは長州勢も重々承知のはずであるのに、伝令からの報告が正しいのなら、長州勢の行動はまさしく被害を度外視したものとしか思えなかった。


とはいえ、事態がそう動いた以上、小倉軍としても何もしないわけにはいかない。


「現在のわが方の展開状況は? 」


「敵の動きに合わせてこちらも松林の中で横隊に展開しております! 」


「敵は散開をやめ、集結しておるといったな? 」


「は! 」


「これは好機だ!….遊撃部隊を集結させ、松林内の本隊と連携して包囲攻撃を行う!陣形を鉤型に変更せよ! 」


先ほどまでは数で勝る長州軍が広く分散展開して境内に配置されていた為にこちらが展開する余裕などなかったが今ならそれが可能である。


余裕が生まれて部隊を展開させ、鍵型、つまりL字の形で敵を包囲し挟み撃ちにする事で数に劣るこちら側が敵を撃退することも可能になる。大軍には大軍の脆さがあるのである。


一学の指示のもと、小倉軍は松林の中でその横一列の横隊による陣形をL字型の陣形へと変えていく。


その時だった。


「今ぞ!全部隊射撃開始!」


号令と共に長州勢の一斉射撃が、小倉軍の2つの部隊を繋ぐ境目、L字型陣形の要でありもっとも兵力が薄くなっていた地点に浴びせられた。


これに耐えかねた小倉兵たちは大混乱に陥り、2つの部隊の連携は切れてしまうこととなった。


指揮官達の号令と共に長州勢は攻撃によってできた二つの部隊の間の隙間に向けての突撃を開始する。


これにより小倉軍は真っ二つに分断され、包囲部隊も動揺して動きを止めてしまったために、遮るもののなくなった長州勢は喚声を上げながら突破口に向かい前進していった。


「さあかかってくるのじゃ! 」


「敵は……倒す! 」


「風魔の名に誓って義男殿は守るでござる! 」


例の女性指揮官、無人、風魔を筆頭に、各長州部隊は分断されたことで、もともと兵力劣勢だったところをさらに劣勢になり動揺する小倉軍を蹴散らしながら、砲台に向けて突き進んだ。


まさか、長州勢が一度に攻め寄せるとは考えていなかった砲台付近の小倉軍は、慌てて反撃を試みるが、松林に主力を展開させていた小倉軍にはもはや一個銃隊すら存在していなかった。勢いに乗る長州勢を砲台付近に展開していた小倉軍に止められるはずがなかった。


10分足らずの戦闘の末、ついに砲台は長州勢の手に落ちた。それに伴い、分断された上に各個撃破された松林内の小倉軍主力部隊の残存兵たちも成す術なく赤坂方面に退却し、ここに小倉戦争、第二の戦役である大里の戦いは幕を降ろしたのである。



「撤退するんですか? 」


女性指揮官の言葉に義男は思わず声を上げた。


ようやく小倉軍を撃退し、このままの前進をと進言する部下たちの言葉を退け、部隊上層部は再び下関本営に引き上げることを指示したのだ。


「今引き上げたらその分敵は戦力を回復してしまいますよ! 」


「かといってわしら長州勢にも敵を追撃する余力はない。残念ながらこちらの被害も軽いものではないんじゃ」


彼女の言う通りで、大里の戦いに勝利したとはいえ、長州勢は砲台への攻撃で多数の死傷者を出しており、特に正面攻撃を担当した奇兵隊第4銃隊は隊長、副隊長を含めた大多数が戦死し、全滅寸前の被害を出していた。


「わしらの敵は小倉軍ばかりではない。他の諸藩から派遣された部隊も相手にせねばならんのじゃ。今はまだ戦闘直後で情報が伝わっておらんから目立った動きはないが、こちらが相応の被害を受けていることが敵に知れれば、諸藩の部隊は間違いなく動く、そうなってしまえば戦力が減少している現状のわしらでは太刀打ちできなくなる 」


女性指揮官の言葉はまさしく正論であり、反論の余地はなかった。だがそれでも長州勢各部隊指揮官たちの表情には苦渋の色が溢れていた。


前回、一気に敵を蹴散らし後でそのまま前進していれば、今回このようなことにならなかったのではないか、なぜ、ようやく敵を撃破したのに敗北者のごとく再度、撤退しなければならないのか、そんな雰囲気が場を包み込んでいた。


「いかにあなたの命と言えど…….. !」


「控えよ相馬殿!それに各隊長殿、死に急ぎますな! 」


耐えかねたたように叫びを上げかけた隊長の一人を被せるように放たれた無人の声が制した。


「私たちが為すべきことを見誤りますな!私たちは一人でも多くこの戦いを生き延び、この日の本の国を立て直すために戦っているのです!目先の戦いに気を取られ、1つの勝利を得るために無駄に人命を損失するなど愚の骨頂!大義果たすために犠牲は避けられないとしても、可能な限り命を明日に生かす試みを為すべきです! 」


無人の言葉に各部隊長は全員沈黙した。


義男は思わず目を見張って無人を見た。


目に力を込めて各部隊長たちを見渡しながら声を荒げる無人の姿は、なんというか大物の風格を漂わせているように感じたのだ。


「(ううむ………無人さんってもしかして歴史上の重要人物なんだろうか?でも、そんな名前の偉人とかいたっけ?) 」


頭の中で記憶を参照してみる義男だったが、該当する人物は義男の記憶にはない。


「……….申し訳ありませんでした……..つい冷静さを失い…….. 」


相馬と呼ばれた隊長は無人の言葉に唇をかみつつ、それでも高杉に向けて深々と頭を下げた。それに倣い他の隊長隊も頭を下げた。


「良い。頭を上げい皆の衆、此度の苦戦の原因の一因がわしにあるのは明白じゃ。おぬしたちの気持ちはもっともなことであって責める由などありはせん、儂を恨み、罵り、糾弾しても構わぬ………じゃが、明日の日ノ本を変えるために、次の戦いを乗り越えるために、今回はわしらの指示に従ってはくれまいか。頼む 」


そう言って頭を下げる女性指揮官に、各部隊長たちは渋々ながら、その言葉を受け入れ、直ちに撤退の準備を始めることとなった。


こうして長州勢は7月4日、小倉口から下関本営に向けて2度目の撤退を開始したのである。


さて、下関本営に撤退する長州軍の船上で義男は段々と離れていく、小倉口を眺めていた。


長州と小倉を隔てる関門海峡はそう大きい海峡ではないので、下関本営までは時間にして30分ほどで到着することになる。


とはいえ、女性指揮官の配慮によっていわば観戦武官的な扱いになっている義男は、船上で他の隊士たちが行っているような各種雑務から外されているため、必然的に時間を持て余すこととなってしまい、こうして海と陸の景色を眺めているのである。


「義男殿、なにを考えているのでござるか? 」


「ああ、楓か………. 」


いったいどこから現れたのか気配を感じさせず登場した風魔にため息をつきながら義男は彼女を見た。彼女に対しては、もはや違和感なく敬語無しを行えるようになっている義男に名前で呼ばれた風魔は少し恥ずかしそうにしながら言葉を返した。


「名で呼ばないでくだされ!拙者は無人様の命により義男殿に仕える身、風魔と姓で呼ばれるほうが相応しいのでござる! 」


「まあそっちのほうが良いのなら風魔って呼ぶけど……….あのさ、一つ聞いて良い? 」


「忍。なんでござるか? 」


「風魔は忍者の末裔なんだよね? 」


「忍 」


「その一族っていうのは風魔小太郎っていう人が先祖にいる一族なの? 」


「そうでござる。幾代も前の頭領には確かにその名を持つ者がいるでござる。しかし義男殿はよくその名をご存じでござるな 」


風魔小太郎と言えば、服部半蔵とかと並んで忍者としては有名人だからなどと話せるわけもなく、義男は言葉を続けた。


「そもそもさ、なんでそんな風魔一族の君が、長州勢の兵士として戦っていたわけ? 」


「実は拙者、風魔の本家の命によって長州方の動向を探るために潜入調査を行っていたのでござる 」


「それって……..」


「風魔の本家では、此度の戦に関し幕府方に助力するか、討幕派の筆頭ともいえる長州方に組するかで意見が分かれていたのでござる。そこで長州勢に幕府方に対抗する見込みがあるのかを探るために、拙者が派遣されたのでござるよ 」


「だけど、それだったら、別にあんなに積極的に小倉兵と戦う必要性はないんじゃないの? 」


「あれは拙者自身の意志で行ったことでござる。なにしろ拙者の命の恩人との約定を守るためで御座るからな」


「その命の恩人って無人さんのこと?いったいなにがあったんだ? 」


「実は拙者、無人殿と一度刃を交えているのでござる 」


突然の風魔の告白に義男は思わず聞き返した。


「今なんと!? 」


「刃を交えたのでござる無人殿と 」


過去を懐かしむように目を細めた風魔は言葉を続けた。


「拙者が潜入を開始したのは、第一次長州征伐が終わったころでござった。長州は幕府への恭順派が実権を握り、高杉様を初めとした討幕派は抑え込まれてござった。拙者はこの状況なら幕府方についたほうが得策でござろうと判断し、その旨を風魔本家に伝えるために部隊を離れようとしておったのでござるが、それに無人殿が気づいたのでござる 」


「それで止めようとした無人と戦闘になったと…….. 」


「忍。最初はごまかすつもりだったのでござるが、結局無人殿に論破されてしまって戦闘になったのでござる。拙者負けるつもりなど毛頭なかったのでござるが…….. 」


その後の風魔の言葉によれば、その高い身体能力を生かした変幻自在な風魔の攻撃を、無人はその動きに動じることもなく、躱すところは躱し、防ぐところは防ぎ、巻打苦無や回転式拳銃などの手駒をすべて使い尽くしてしまった風魔と刀を使った一騎打ちを挑み、一太刀で風魔を打ち負かしたのだという。

「一瞬の出来事でござった。拙者の刀は真上に弾かれ、拙者自身も峰で急所を打たれて地面に倒れふせて身動きが取れなくされたのでござる 」


倒れて身動きの取れず死を覚悟した風魔だったが、無人はそこで風魔にとどめを刺さなかった。


「拙者の首に刀を当てながらも、無人殿はとどめを刺そうとはせず、こう言ったのでござる。『お主はここで死んだ、忍びとしてのお主はここで死んだのだ。これからは武士として生きよ。己を殺して人を救う武士として生まれ変わり、力を貸してくれ』、そういったのでござる 」


その言葉と無人の人柄に引かれた風魔はその後無人につき従い、まもなく始まった討幕派によるクーデターなどの一連の戦いに参加し、彼女のそばで戦いを繰りひろげた。そして今日にいたるのである。


「なるほどね……….しかし無人さんと風魔の間にそんなことがあったなんてなぁ……….しかし風魔を打ち負かすなんて無人さんはどれだけ強いんだ? 」


「あの時はすべての手を出すまえに敗れたのでござるが………それでも少なくとも剣の腕は無人殿のほうが数段上なのは間違いないでござる。無人殿の強さは義男殿も理解して御座ろう?」


戦場で風魔が見せた剣戟も義男から見れば相当なものに見えたのだが、無人の腕前が風魔以上だとすると、その剣戟は相当なものということになる。


「そう言えば無人さんはどうしてるの? 」


「なにやら指揮官殿に呼ばれて奥の部屋に行ったでござるよ。かなり前に呼ばれてござったから、そろそろ戻ってくると思うでござる 」


そう風魔が言った直後、タイミングよく、くだんの無人が甲板に出てきた。


心なしか、その表情は明るく上機嫌に見えた。


「風魔、義男の警護お疲れ様 」


「忍。無人殿もお疲れでござった 」


「指揮官に呼ばれたって聞いたけど、どうしたの? 」


義男の問いに無人は、一枚の紙を差し出した。


「これは? 」


「此度の戦での私の働きに対してのあの方からの褒賞の目録だ 」


「なになに……..達筆すぎて読めない………… 」


平成生まれの義男にはこの時代の達筆文字の解読は少し難易度が高かった。


「拙者が読み上げて差し上げるでござる。なになに……..此度の戦いの褒賞として、報国隊隊士、無人には希美(まれみ)の名を与える。またわが愛刀、小龍景光を譲りわたす……とあるでござるな 」


「名前を貰うって? 」


「エゲレスから来た義男殿にはあまり分からないかもしれないでござるが、無人殿の名は幼名、幼い時につけられた名で御座って普通なら元服を遂げた時点で新たな名をもらうのが習わしなのでござるよ。しかし無人殿は数年前の異国勢との間に起きた下関戦争に置いてご両親を亡くされたため、いまだに幼名のままだったのでござる 」


ちなみに無人と女性指揮官以外の人間を納得させるために、義男はながらくイギリスで暮らしていて、日本へ来る途中遭難して戦場に迷い込んだことになっている。風魔の言葉もそれを踏まえたうえでの発言となる。


「そんな無人殿にとって仕える主人から、新たな名を拝領するというのは、とても名誉なことであり、喜ばしいことなのでござるよ 」


「なるほど…….. 」


「それに小龍景光も貰ってしまった………まさか本当に譲ってくださるとは思ってなかったに…….. 」


心底嬉しそうな笑顔を浮かべて刀を抱きしめる無人の姿に義男は若干身を引きながら、風魔に聞いた。


「あの刀ってそんなに貴重なものなのか? 」


「忍。真偽のほどはどうかは分からないでござるが、あの小龍景光はかの大楠公、楠木正成が腰に佩びていたといわれる刀なのでござる。戦国の終わりの大阪の陣の後、最近まで行方知れずとなっていたのでござるが、偶然大楠公ゆかりの河内国の農家から発見されて、噂を聞きつけた指揮官殿が、それを高い金子を支払って譲り受けたのでござる 」


楠木正成の名は義男はもちろん知っている。鎌倉時代末期の討幕の戦から南北朝が分かれ戦った時代にかけて後醍醐天皇側で最後まで忠誠を貫いて戦った武士である。局地的なゲリラ戦に関して天才的な才能を持っていた人物で、数においてはるかに優る鎌倉幕府を相手にしぶとく戦い続け、幕府打倒の先達を果たした。


討幕後に生起した後醍醐天皇と足利尊氏との戦いでも不利な大勢の中であくまで天皇に忠誠を貫いて戦い続け、壮絶な戦いの末に自害した報恩の士の代表格とされている。


その楠木正成が所持していた刀となれば確かに相当価値のあるものということになるだろう。だがそれを差し引いても無人の喜びようは少しオーバーではないかと義男は感じていた。何しろ刀に頬ずりしているほどなのである。


「無人殿は大楠公をものすごく尊敬しているのでござる。それが証拠にいつも腰に人形を付けているでござろう? 」


そう言われて改めて無人の腰付近に目をやると、確かに腰に身に着けている小さな物入れのような袋から、鍬形が反り返った古風な小さな兜をかぶった小さな武者人形が頭を出している。袋には大楠公という文字が縫い目で書かれている。


「なるほど………….相当な楠木正成ファンなわけだ……. 」


「ふぁ……ふぁん?なんでござるかそれは? 」


頭に疑問符を浮かべる風魔になんでもないと手を振りながら、義男は相変わらず小龍景光に頬ずりをしている無人に視線を向けた。


「あの、無人さん。これからは、貴方のことをどう呼べばよいですか? 」


戦国時代の武将やこの時代の武士階級の人間は、やたらと長い名を持つ場合が多い。義男がこう言ったのは、新しく無人がもらった名前は分かっているものの、風魔の言う幼名から大人としての名をようやく手に入れた無人に対して、変な名前で呼んでは失礼だろうという配慮からでた質問だった。


「別に2人しかいないときとかなら無人で構わないけど…………あの人からせっかくほんや頂いた名だから公式の場では希美の名で呼んでほしい 」


「わかった。じゃあ、そうする 」


「しかし、よかったでござる。これで無人殿も堂々と乃木家の希美として名乗ることができるでござるな! 」


「え……….? 」


風魔の言葉に義男は一瞬自分の耳を疑った。


「今、なんと? 」


「忍?拙者、なにかおかしなことを言ったでござるか? 」


「だっていま乃木家がどうとかって………. 」


「それのどこがおかしいのでござるか?無人殿が乃木家の家督を正式に継げるようになったことを言っただけでござるよ? 」


その言葉は義男の中である確信を生み出した。そして同時に深い困惑と混乱も生み出した。風魔の言っていることが正しいとすれば、そして先ほどまで、そして今日に至るまで義男が見てきた彼女の言動や行動を考えれば、導き出される結論は1つしかなかった。


この時代に、つまり幕末の時代に戦いに身を投じており、後に歴史に名を残す偉人。そして乃木の名を持つ偉人と言えば一人しかいない。


「(嘘…….だろ) 」


突然硬直して、自分を見つめる義男にいぶかしげな視線を向ける無人、いや、乃木希美を前に義男はその信じられない事実に心の中で叫んだ。


「(彼女が、目の前にいる無人が、あの乃木希典だっていうのか!?) 」




30分の船旅を終えて下関本営にたどり着いた長州勢は、各自に割り振られた宿舎に戻り休息に入った。


義男も名を改めて希美となった無人と共に宿舎として割り振られた民家に戻ったわけだが、体調が優れないという理由をつけて、戻るや否や奥の和室に布団を敷いて寝っ転がっていた。


もちろん体調にはなんの問題もない。問題があるとすれば心のほうだった。


関門海峡を渡る船上で判明した思わぬ真実、自分を戦場で救った少女、無人が明治の偉人、乃木希典だったという真実。その事実のあまりの衝撃をまだ義男は受け入れきれていなかった。


いっそ勘違いならよかったのだが、振り返ってよく考えてみれば乃木希典に関する逸話や経歴と無人の経歴はぴたりと一致していて、むしろなんで今まで気づくことができなかったのかと自分を小一時間責めたくなるほどだった。


もし、彼女があの乃木希典のこの世界における姿なのだとしたら、後には幕府に成り変わった明治政府の元に作られる帝国陸軍の軍人となり、後には一軍を率いる将軍となるはずである。そして明治日本が迎える最大の危機、強大な白人国家ロシア帝国との戦い『日露戦争』において戦を指揮し戦いに貢献し、戦後に自宅で………….


「この世界でも………そうなるのか……..? 」


そう、史実では乃木希典は自らが指揮した日露戦争最大の陸戦の一つ、旅順要塞攻略戦において多数の味方将兵を死なせてしまったことを悔やみ続け、その自責の念から、明治天皇が崩御したその数日後、殉死という形で自らの命を絶つのである。


この世界はおそらく、義男のいた時代と直結する過去ではない。タイムスリップものの作品でよく語られる、並行世界、パラレルワールドなどと呼ばれる、いくつも存在する非常に似通った、しかし微妙に違う世界だと推測できる。


だが、この世界はいくつかの歴史上の人物が女性であるという点を除けば、驚くほど護の世界の史実と似通っている。いや、ほぼ同じと言っても良い。それはすなわち、このままいけばいずれ、この世界における乃木希典、乃木希美は自害への道をたどることを意味している。


「(そんなの……….だめだ!) 」


突然幕末の戦場に迷い込んだ自分を救った白の少女、純白の妖精のような少女、乃木希美。その彼女が自ら死を選ぶ、そんな結末を義男は見たくはなかった。だが、では自分になにができるというのか、歴史という巨大な大河に逆らった動きをしたところで、果たして彼女の運命を変えることはできるのだろうか、そもそも歴史に逆らってこの世界で生きていくことができるのだろうか?


時空移動ものと呼ばれるジャンルの小説や映画では歴史を変えようとした主人公は最終的に歴史に利用されたり、変わったように見えて結局変わらなかった歴史に飲まれて消えて行ったりしている、自分もそうなるのではないだろうか?


そんな思考の堂々巡りをしているうちに義男は知らぬ間に寝てしまっていた。


妙に枕が温かい。それが義男が最初に感じたことだった。民家の中にあった枕は固く、高さがあるものだったはずなのだが、今の義男の頭の下にある枕は柔らかくそして暖かかった。


その感触はなんとも気持ちよく、義男は思わずため息を吐くほどだったた。


さらに誰かの手が義男の頭を優しく撫でていた。重い瞼をうっすらと開けて上を見ると、母親が微笑を浮かべながら自分の頭を撫でている。


「(母さん………?そうか、戻ったんだ………じゃああれは夢だったのか……..) 」


義男は相変わらず微笑を浮かべながら頭を撫でている母を見つめながら言った。


「母さん……僕、すごい夢を………. 」


「ほう?どんな夢なんじゃ? 」


刹那、母の幻影は一瞬で消え去り、義男は一気に現実を認識した。


すなわち、自分は部屋にいつの間にか入ってきた例の女性指揮官に膝枕されており、彼女に頭を撫でらていたという事実を認識したのである。


「指揮官さん!? 」


「わしを母御と勘違いしておったようじゃのう?いやあ愉快愉快! 」


豪快にからからと笑う彼女に、義男は正直穴があったら入りたい心境で赤面した。


「それで、なんでここにいらしたんでせか? 」


恥ずかしさから若干怒っているような声色で問いただす義男に、女性指揮官をは笑うのをやめ、真剣な表情を浮かべた。彼女は戦場で身に着けていた軍服はさすがに着てはおらず、それでも明らかに男物と思われる和服を着ていた。戦場ではその黒髪をポニーテールにしていた女性指揮官だが今は普通に髪を降ろしてロングヘアーになっている。その姿はまさしく和風美人そのものだった。


「おぬしに聞いておきたいことがあったんじゃよ。のお、おぬし、もしかして時の彼方からあの戦場に迷い込んだのではあるまいか? 」


高杉の思いがけない言葉に義男は絶句した。


「その反応を見るに図星のようじゃのう 」


「どうして、それを……..? 」


「なあに、単純なことじゃ 」


そう言うと女性指揮官は右手で自分を指差した。


「わしもお前と同じだからじゃ 」


お前と同じ、つまり義男と同じ、その意味を噛み締めて、理解するのには若干時間がかかった。つまり、彼女この時代とは別の世界の住人ということである。


「同じって…….じゃあ、あなたは……….. 」


「元の世界においても、そしてこの世界においてもわしの名は一つじゃ。おぬしが知っているかはわからんが...... 」


一泊置いて高杉は言葉を続けた。


「わしの名は高杉、高杉晋作じゃ 」


その言葉に義男は次に口にするつもりだったことを思わず忘れてしまった。


「その反応、やはりわしを知っておったようじゃの 」


満足げに頷く女性指揮官、もとい長州奇兵隊総監、高杉晋作はそこで少し影のさした表情となり言葉を続けた。


「じゃが、高杉晋作が女であるこの世界に転生しても歴史は変わらんかった。わしの元いた世界とこの世界では、いくつかの知人やわし自身の性別が違う点を除けば、ほとんど違いはない。前の世界と同じように歴史は回り、わしも恐らく元の世界と同様の運命をたどってこの世界でも死んでいくじゃろう 」


史実において高杉晋作は、肺炎がもとで小倉戦争終結後、20代の若さで命を落とす。


高杉が言うのはそれを指してのことであろう。実際今も高杉は時折咳き込んでいる。


「いっそ、意識まで完全に女だったら本当にもっと歴史を変えられたかもしれんがの……….あいにくと元の世界の記憶を取り戻したのはつい最近での、おまけに意識は男としてのままじゃ。歴史を変えるには遅すぎた、わしにはもう変えるだけの時間は残されてはいない 」


高杉は心底悔しそうな表情を浮かべながら言葉を繋いだ。


「じゃが、おぬしは違う。おぬしはこの世界の運命に縛られぬ筈じゃ 」


「そんなこと…….なんで言えるんですか 」


「おぬし、この時代に生きた人間ではなかろう? 」


高杉の読みの鋭さに義男は心底驚きながら言葉を返した。


「はい……….でも、どうして? 」


「最初におぬしの姿を見た時から直感しておったよ、この少年はこの時代の人間ではない…..とな。そしてその直感は関門海峡を渡っているときのおぬしの行動を見ていて確信に変わった。おぬし、無人の……希美が辿る運命を知っておるのじゃろう? 」


前述したとおり、史実において高杉晋作は明治の代がくるのを待たず病死している。そのため彼女、いや彼が義男と共通する世界の過去からこの世界に転生した高杉晋作本人だったとしても、乃木希典、この世界でいう乃木希美が辿ることになる運命までは知りえないはずある。それなのに高杉は心配そうな声色で希美の運命を知っているか聞いてきたのである。


「ええ、知ってます 」


「そして、その運命は決して良いものではない。違うか? 」


「その通りです 」


義男の言葉に高杉は深いため息をついた。


「そうか、やはりか………. 」


「どうしてわかったんですか? 」


「やつを見ればわかる。あやつは、無人は、他者の為に生きることはできるが、自分のために生きることができない。そして他者を救うためなら自分の命を捨てる強い意志を持っておる。そんな者が辿る運命などおのずと知れるというものじゃ 」


高杉の言葉には義男も同意せざるを得なかった。短い間ではあったが希美と行動を共にした義男は彼女の責任感の強さ、他者を守ろうとするつよい思い、そしてそのためにはわが身の犠牲も厭わない強い意志をまざまざと感じていた。そんな彼女なら史実の乃木希典と同じ運命を歩めば、同じ最期を選ぶだろうということは容易に想像できた。


「わしはもはや、無人を救うことはできぬ。この時代に生きたわしは、この時代の定めに縛られておるからの。だが、ここより先の時代に生きていたおぬしならその定めには縛られぬ 」


高杉は言葉に力を込めた。


「おぬしなら、無人を悲劇の運命さだめから救ってやれるはずじゃ。おぬしがあの戦場の中にあらわれ、そして無人に救われたのは、偶然ではないのではないか?。この世界がおぬしに望んだのではないか?この世界を変えることを 」


「そんなこと………..」


「そうじゃ、分からん。わしはこの世界の意志など読み取れんし、そもそも世界や歴史に意志があるかもわからん。じゃが一つ聞くぞ義男、おぬしはもし1つの世界を変える機会があって、それによって誰かの命を助けられるとしても、ここは別の世界だからと、その命を見捨てられるか? 」


高杉の言葉に義男は唇を噛み、絞り出すように言葉を返した。


「見捨てられる……..わけ、ありません………目の前で死の運命に抱かれている人がいて、その運命に至ることを知っていながら、見捨てるなんて絶対にできない! 」


「そう思っているなら安心じゃ義男。わしが一番心配しておったのは、おぬしがこの世界を見捨てることだったんじゃが杞憂だったようじゃ。おぬしになら世界はきっと変えられる。なにしろわしにも変えられたんじゃからな 」


「え? 」


「おぬしは覚えておるか?わしが船上で無人に褒賞として小龍景光を与えたことを 」


「はい 」


「あれは、少なくともわしが男として生きた前の世界では起こらなかった出来事じゃ。それどころか、前の世界ではわしは無人と接触を持ってはいなかった。どうじゃ、これだけで世界は変えられるという証明になるじゃろう? 」


高杉の言葉に義男は目の前の真っ暗な道が明るく照らされるような錯覚を覚えた。いや、それは錯覚ではないかもしれない、高杉は消えようとしている自分の命の灯りで、迷う義男の道筋を照らそうとしているのだ。


それに気づいたとき、義男の腹は決まった。


「わかりました、高杉さん 」


義男はその目に強い意志を込めて高杉を見た。


「僕はこの時代を、この世界を変えてみせます。たとえ世界や歴史がそれを望まなくても、変えられる機会があるなら、僕は誰かを救うために抗ってみせます。それは他の世界からこの世界に来てしまった僕にしかできない特権であって、為さねばならない責任だと、そう信じて、この世界で生きて見せます! 」


義男の言葉に高杉は深く頷いた。そして次の瞬間、その身体を深く抱きしめた。


「!? 」


思わぬリアクションに赤面し、慌てる義男の耳元で高杉は声を震わせながら囁いた。


「すまぬ………おぬし1人に、すべてを押し付けて、この世界から消えてしまうわしを………許してくれ 」


高杉は泣いていた。声を震わせ、その目に真珠のような大粒の涙を浮かべて。


高杉は本当に心の底から自分のことを心配してくれている、そう気づいたとき、義男の目にも自然に涙が浮かんできた。


高杉に抱きしめられた状態で、その温かく優しい温もりの中で、義男は流れる涙を抑えきれなかった。


泣いて泣いて泣き通して、そのまま義男の意識は、その温もりの中に消えていったのである。



7月27日、2週間以上の休息を経てようやく戦力を回復した長州軍は、3度目の小倉上陸に備えて下関本営に集結しつつあった。


そして本営に集結する部隊の中に、1つ、前回には存在しなかった部隊が旗を翻していた。


旗には赤く目立つ色彩の文字で部隊名が記されている。その名は『大山支隊』。


「いやあ、まさか義男殿が一部隊を率いる指揮官に任命されるとは拙者もおもいもよらなかったでござる 」


感心したように翻る部隊旗を見つめる風魔に対し隣で同じく部隊旗を見上げる希美は少し不満そうな表情を浮かべていた。


「なんで私より部隊歴が浅い義男が……….指揮官に任ぜられるの?まあ、高杉様の義男への褒賞がそれだというのだから、文句言ってもしかたないけど……. 」


「実際、大里での戦いで長州軍を勝利に導いたのが義男殿の策だったことは否定できないでござるし、実質的に敵の奇襲を撃退したのが拙者だったことを考えるとこの人事になったのも仕方ないことだと思うでござる 」


ちなみに、高杉の指令によって設立された『大山支隊』は、支隊長を大山義男、副支隊長を風魔楓とし、配下に訓練を終えたばかりの新兵銃兵4個小隊120人からなっていた。そして乃木希美は第1小隊長に任命され、実質的な戦闘指揮を任せられることなっていた。


「無人さんは僕の下につくわけじゃないですよ。僕より戦のことをずっとよく知ってる。だからむしろ色々教えてもらいたいくらいなんですって 」


「でも、建前としてはあなたの下になるのよ?やっぱり釈然としない……. 」


希美の気持ちも当然だとは義男も思っていた。彼からしても今回の高杉の指令は予想外だったのである。だが高杉は部下たちの意見を押し切って支隊の設立を敢行した。


そこには、高杉の義男に対する強い意志が感じられた。


「(歴史を、世界を変える力、手段は与えたとそう言うんですか?高杉さん…….?) 」


義男は、部隊旗を見上げ次いで自分の前に居並ぶ大山支隊の兵士たちを見た。


みな若く、中には、というか約半数ほどはこの世界だからゆえか女性も混じっている。


目の前で自分を見つめる総勢120人の兵士たち、彼らの瞳には自分という人間はどう映っているのだろう。


ふと、そんなことを思った義男だったが、すぐに頭をふってその考えを打ち消した。


今の自分がどう彼らの目に映ろうと関係はない。これから彼らを率いて戦っていくときに自分が彼らにどんな姿を見せて戦えることのほうがずっと重要である。


「義男殿、手が震えて居るでござる。大丈夫でござるか? 」


「なんなら私が支隊長変わって挨拶してもかまわないけど? 」


心配そうに言う風魔と、からかいを含んだ声で言う希美に義男は目線を向けた。


この2人も歴史の悲劇の中に消えていく運命にあるのかもしれない。実際希美は死の運命にすでに抱かれている。だが、高杉に誓った通り、自分はその運命に抗ってみせる、それが世界や歴史を敵にまわす行いだとしても。


「大丈夫です。僕の部隊が初めて戦いに挑むというのに、指揮官の僕が緊張で皆の前に立てないなんて情けなさすぎるじゃないですか。ちゃんと皆の前で立ちますよ」


肩をすくめる希美と頑張ってくだされと目で合図を送る風魔に背を向けて、義男は兵士たちの前に置かれた、指揮官の訓示用の台座の上に上がって彼らを見下ろした。


居並ぶ120人の兵士たちの視線が全身に浴びるのを感じながら義男はその口を開いた。


「僕が、大山支隊支隊長を任じることとなった大山義男だ。我々大山支隊は軍の正規の系統から外れた独立遊撃部隊としての活躍を上層部から期待されている異質な部隊と言える。ここに居並ぶ皆さんは、おそらくこの部隊が高杉晋作奇兵隊総監の指令によって設立されたという話を噂やその他の話で聞いているとおもうが、それは紛れもない事実です 」


義男の言葉に兵士たちの間にどよめきが広がる。


「そして、その指揮官に僕のような若輩者が任じられた理由も皆さんが耳にしている通りです。自分が立てた案が前回の激戦で味方の勝利に繋がったからです 」


再度の告白に居並ぶ兵士たちのどよめきは最高潮に達した。


「しかし、これからの戦いではそんな今まで僕が為したことなど関係はありません! 」


そこで義男が放った言葉に兵士たちのどよめきは一度に収まった。


「これからの戦いはまさしく世界と時代を変えるための戦いです。世界と時代を変えて、守りたい誰かを救うための戦いです。それは決して簡単な道でなく、乗り越えなきゃならない高い壁がいくつも立ち塞がるでしょう。でも、それでも僕はその壁を乗り越えたい。新しい世界と時代をこの目で見たい。そしてそのためには、いまここに集結している皆さんの力と助けが必要です 」


静まり返る兵士たちに向けて義男は深々と頭を下げた。


「お願いします!どうか、僕と共に世界と時代を変えるために…….戦ってください! 」


部隊を指揮するべき立場の者が、部下や配下の兵士たちに頭を下げるなど言語道断である。それは義男にも分かっていた。希美にもしてはいけないこととして、教えられていた。だが、それでも義男はあえてそれをしたのだ。


この世界を本気で変えるためには、高杉が与えてくれたその手段としての力を、十二分に生かさなければならない。そのためには自分にまかされた部隊の一人ひとりの協力が絶対に必要である。そしてその協力を得るためには、ありのままの自分で彼らと向かい合う必要があると義男は考えたのである。


希美の言葉通り、厳格な上下関係も部隊には必要だろう。だが自分の姿を厳格さで偽っても、その姿からは彼らの心に義男の思いは伝わらない。ならばありのままの自分を彼らに見せ、彼らの心に訴える。それが義男が彼らに頭を下げた理由だった。


「………….任してください、支隊長 」


沈黙の中、一人の兵士が言葉を発した。


そしてその言葉が合図になったかのように次から次へと兵士たちの声が上がった。


「支隊長の目指す世界、おれたちも目指します! 」


「必ず一緒に壁を越えましょう支隊長! 」


「時代を変えて見せましょう支隊長! 」

兵士たちの喚声で包まれる広場だったが、やがて希美の次席に当たる第2小隊長の統制の元、再び整列しなおした。


「支隊長、われら大山支隊総員はあなたに従い、あなたの元で戦います。支隊長に対し、敬礼! 」


第2小隊長の号令と共に、大山支隊の兵士たちが一斉に義男に対して敬礼の構えをとった。


ちなみに、大山支隊は欧米の軍隊を参考に編成された初の部隊である。それで軍規や装備などの規格も欧米を模範にされている。そのため義男からすれば見慣れた(とはいっても実際にこの目で見慣れているというわけではないが)軍隊の風景である兵士たちの敬礼の姿も周りからはかなり目立っていた。


それはともかく、この日、後にこの世界の歴史に深くその名を残すことになる独立遊撃部隊『大山支隊』はその産声を上げることになった。


義男がありのままの自分で訴えた思いは確かに兵士たちの心に届き、刻み込まれたのである。


1時間後、義男は関門海峡を渡る船の甲板に希美と風魔と共に立っていた。その視線の先にはすでに2度の戦いが繰り広げられた小倉の地が見えている。


その風景は変わらない、戦いの構図も変わらない、ただ1つ違うのは、この世界の歴史の表舞台に義男が役割を持った役者として上がることである。


次に生起する戦いはおそらく自分の知っている歴史通りに始まるだろう。そして義男の知識通りに戦いが始まるのなら、次に始まる戦いも決して長州勢に有利な戦いとはならないだろう。だが、それでも、義男は戦いに挑む。それが高杉に誓った自分の選択だからだ。


「もう間もなく小倉の海岸に到着するでござるぞ義男殿 」


「戦闘に関しては私が全力で引き受ける……….だから義男は、一人でも多くの仲間に明日を見せる方法を考え出して 」


希美と風魔の言葉に義男は力強く頷き心の中でさけんだ。


「(必ず抗ってみせる。そして必ず守りたい人の命を救って見せる!) 」


希美と風魔を左右に従え、義男はすでに甲板に集合している大山支隊の兵士たちの前に立った。


義男の言葉を待つ兵士たちの前で義男は、その腰に差した日本刀、高杉が新調してくれた月山と呼ばれる刀匠が鍛えた刀を抜きはらい、小倉の地にその切っ先を向けた。


「行こう皆!世界を変えるために!」


『応!』


義男の号令の元、120人の兵士たちが一斉に小倉の地に向けてその軍靴を向ける。


歴史と世界を変えるための戦い、そのための第一歩、大山支隊による小倉戦争への参戦。それがこの世界の歴史に何をもたらすのか。先の見えない戦いに向けて進む彼らに運命の女神は微笑むのか、それは誰にも分からない。


だが、その日その場所、その時に世界と歴史は確かに変わった。そして大山義男の世界に挑む果てしない戦いもこのとき、明確に始まったのである。


「(僕がこの世界に来た意味を……….作って見せる!) 」


慶応2年、西暦1866年、7月22日、この日を境に大山義男は、この世界に取り込まれ、この世界を変えるために戦っていくことになる。その変えた世界が誰かを救えるものとなるのか、義男の決意が誰かを救えることができるのか。それにこたえる者はいない。知る者がいるとすればそれは神のみ。だが、彼ら大山支隊を照らす太陽はまるで彼らを祝福するかのようにさんさんと光を降り注がせていた。


間もなく始まる激しい戦、それに挑もうとする義男と、希美や風魔を初めとする大山支隊の兵士たち、彼らの歴史と世界を変えるための戦いは始まったばかりだった。


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