始まりの日
…それは吹雪の吹き荒れるとても寒い夜だった。
そこは 一年中凍て付く様な寒さと、汚れをしらない青銀の世界。ここに四季というものはないに等しい。
その日はいつにも増して一段と寒く。ケモノや木々ですら寒さで活動を静止しているかのよう。
その中で。
まるで一心不乱に獲物を探す飢えた獣の様に馬を走らす男がいた。
吐く息は一瞬で凍り、吸う息は喉に痛みをもたらす。
それを息を荒がせながら何度も繰り返し、凍てつく吹雪の中で手に温もりを感じながら、男はただ一心不乱に馬を走らしていた。
しばらくすると、白色しか知覚できなかった眼に、薄っすらと、陰の様にそびえ立つ物がみえた。
「やっと……たどり着いた」
男は歓喜と安堵をしながら内心でそう呟く。
その陰はだんだんと近づくにつれて、その全貌があらわになった。
それは誰もが本当に”人”が造った物なのか疑いたくなる物だった。
高さ百メートルは優に越え、表面が分厚い氷で出来ている巨大な”壁”、人外のもの達から国土を護るために造られた世界最大の防壁。男の目的地はこの「壁」だった。
その壮観な景色に男はしばらく魅入っていたが目的地が近いことを思い出し足を急がせた。
壁にいる友のもとえ。
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凍土の上に立てられた古城の一室で男はそこで一人の防人と会っていた。
「久しぶりだなぁ。最後に会ったのは十年以上前だったか?ここにいると年月の感覚がマヒしていかん」
【魔府の守人】ファグス騎士団総帥 スティーブ・ パーファシィは懐かしみながらそうつぶやいた。
まるでクマが喋っているかのようだ。
巨漢と評してもよい体躯、白毛混じりの茶髪、顔には厳しさがあるがあいきょうのある瞳をしており、その厳しさを和らげさせている。
そして着ている防人の証である黒い毛皮のマントのせいでよりクマの様に見えてしまっていた。
「帝都の様子はどうだ。まぁ、あいかわらず …」
「友よ。悪いが一つ頼まれてくれないか」
男は話が耳に入っていないかのように間髪入れずに話をきりだした。
( ああ、これはなにか面倒な事だな)
スティーブは心の中でそう確信した。
この男が自分を”友”と呼ぶ時は必ず何かしらの面倒事を頼みに来るからだ。
スティーヴは、最初は男の頼みを断ろうと思っていた。
たが、はるばる帝都からこんな最果ての地まで頼み事をしに出向いて来た友人を無下にはできず、「今の自分に出来ることなら」と、前置きして、男の話を聞くことにした。
男は腕に抱えていたものを大事そうにゆっくりとスティーブの前ええだした。
「スティーブ。”この子”をここで育ててほしい」
「これは…」
「名をアスランと言う」
スティーブが見たのはまだこの世に生を受けて間もない人間の赤子だった。
赤子を見ながらスティーブは間を入れずに言った。
「お前の子かっ」
「いや、私の子ではない」
「では、誰の子だ」
「……悪いが名は言えない。ただ……それなりに名のある方の御子だと言っておこう」
「わかった。…だが、ここでは育てられん」
「何故だ!!」
男はスティーブを批難する。
だか、スティーブは反意に冷静に言う。
「 当たり前だ。ここで育てるということは、”黒衣”を着るということ。すなわち、世を捨て防人となると言うことだ。この子は幼すぎる。罪も意思すらない、これはあまりに残酷なことだ」
「この子の親もそれはわかっている!だかここでしかこの子は生きられないんだ。たのむ、頷いてくれ」
「 ダメだ。だいたいなぜ私生児と言うだけでここでしか生られないのだ。たかが親の不手際で、この子にはなにも罪はないのに。ここは孤児院ではない!」
男が何と言おうともスティーブは頷こうとしない。すると男はどこか慎重な口ぶりである言葉をくちずさんだ。
「ーー”月の瞳”、これを言えばわかるだろう」
「!?ーー」
男のその言葉でスティーブは押し黙る。”月の瞳”彼はこの意味を知っていた。
その罪の重さも、その真実も。
「そんなーー」
「シッ……」
スティーブの言葉を男は口に指を立てながらさえぎる。
「これ以上は…私達の忠義に関わる。…頼む。スティーブ、察してくれ」
あらためてスティーブは赤子の顔みた。
……あの寒さの中にいたのに、さも知らないかのようにスヤスヤと小さな気息を繰り返す。
先程まであんなに雪のように真っ白に見えこの子がいまでは血のように黒く見える。
( ……確かにこの子はここでしか生きられない。)
スティーブはそう確信した。
「……わかった。何もかも察しがついた。
この子は…アスランはここで育てる。立派な防人にしよう。」
「……恩に着る、スティーブ」
「……他にこの子の親は言っていなかったか」
「ああ…もう一つ言っていた」
「 なんと」
「…… ”強く育てくれ”と。この地で生き延びられるようにと」
「わかった…」
言い終わると男は帰りの支度をし始めた。仕事は終えた。もう此処にいても意味がないのだから。
「それではスティーブ、また会う日まで」
「ああ、会えてよかったよ」
「……私もだ」
男はそう言い残すと、再び極寒の銀世界へと帰っていった。
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男が出ていって数刻すると吹き荒れていた雪が止み静寂な銀世界に戻っていた。
スティーブはその巨体を起こして外へとおも向いた。寒くても夜の空気が吸いたい気分だったのだ。
寒空の下へ出ると冷気が身体中を覆たが、慣れたものでスティーブは気にせず空気を吸う。
ふと、首を上えと上げた。
「今夜は二日月か…」
スティーブの瞳にはまだ現れてまもない二日月が写っていった。あんな会話をしていたせいだからだろうか。スティーブはまるで月が自分を目を細めながら見つめているような気がしてならなかった。
そんな想いもあってか、スティーブは月に向かって手を合わせた。
「……どうかあの子を守らんことを。…そう此処に願う」
その姿を月だけが静かに見つめていた。
看ていただきありがとうごさいます。