契約
男とのひと悶着後、執事見習いコンビが毛布と夕食を持って現れた。もう夕食の時間なのか。と、ちょっと時間の進み具合に驚きはしたが。
一先ず男を扉側の壁の隅に追いやり、毛布と夕食の乗ったトレイを受け取ると、扉が閉まり見習いコンビの足音が完全に無くなるのを待ってから、私は男に話しかけた。
「量は少ないけど、半分こにしましょう。何もないよりはマシでしょ」
「いいのか? それは君の食事だろう?」
そう言って気遣わしそうに私を見る男へ、私は少し笑って見せた。
「私よりお腹へってそうな人に言われたくないんだけど。私にはチョコもあるし、ここから出ればお腹いっぱい食べられるから大丈夫よ」
私はそう返して、男にトレイを持たせ、毛布を扉から離れた壁際に敷いて、男とその上に腰を下ろした。
「ありがとう」
男はどこかほっとしたような顔でそう言った。なんとなくだが、彼は悪い人ではなさそうだ。どちらかと言うと、いいとこのお坊ちゃん風だし。
言葉にそれっぽさがある。けど、そのわりには、きちんと気を遣ったりお礼が言えるあたり、わがままなダメ貴族ではなさそう。育ちがいいんだろうな。全裸だけど。
見習いコンビが気を利かせて毛布を二枚も持ってきてくれたことに深く感謝しつつ、私はもう一枚を男の肩にかけて、早速トレイの中身を半分に分けた。
さすがにスープを半分には切れないから、私が先に半分食べたが。
「ところで、私あなたの名前を聞いてなかったわね。私はアンバー・サイノスよ。あなたは?」
私がそう言って男を見れば、男は口に入れていたパンを飲み込んでから、私に顔を向けた。
「サイノス……と言うと、サイノス商会の?」
「よくご存じで。そう、そのサイノス。一応そこの長女、のはず」
名ばかりの長女は、妹と両親に道具以上には思われていないと言う事実に打ちひしがれているがな。なんて黄昏て笑う私に。
「私は、ら――あ。いや、ネルだ。ネル」
「ネル? その前になんか言いかけたじゃない」
そう横目でちらりと男を見れば、あからさまに動揺した顔で、私から逃げるように視線をそらした。どいつもこいつもわかりやすすぎだろ。
「まあ、いいわ。ネルね。よろしく」
「あ、ああ。よろしく。だが君は見たところ、この屋敷で侍女をしているようだが、サイノスと言えば、王宮でも名を聞くほどの大商人だったはずだ? 君が働かなければならないほど実家の状況は悪いのか?」
うん。まあ、そりゃそこそこ金持ってる商人の娘が、よそ様で働いてることに疑問を持つのは当たり前だろう。
私もうっかり自分の家名を名乗ったのがいけない。本来なら、商人の娘は実家を継ぐか、実家を継ぐために婿を貰うかするのが普通だし。
相当家計が苦しくない限り、商人の子供は家の商売を手伝うものだ。
てか、危うく聞き流してしまうところだったが、今こいつ『王宮』って単語を言わなかったか?
王宮でも名前を聞くほど。と言うのを知っているということは、少なくとも彼は王宮に出入りできる貴族なんだろうか?
うむ。謎だ。けど、今はどうでもいいか。とりあえず、私は彼が貴族かもしれない。と言うのを頭の片隅に留めといて、話を続けることにした。
「家計は別に苦しくないとは思うけど、私の場合、まあ諸々あったのよ。聞きたい?」
私がそう言って横目でちらりと見れば、ネルはやはりどこか気遣わしそうに、困ったような笑みを見せた。
「いや、人には言いたくないこともあるだろうから、無理には――」
「そうね。でも聞きたいでしょ? 聞きたいよね? むしろ聞けっ!」
「聞いてほしいならそう言えっ」
ああ、聞いてほしいさっ! こちとら休みなく働いて愚痴の一つも言えない状況だ。
両親が持ってきた結婚話のせいで、妹とその旦那の我がままにさらされ、ストレスマッハで胃に穴開けそうなのだっ!
私が何をしたと言うんだっ! 真っ当に親の商売を手伝って、妹を可愛がり、親の決めた結婚にだって文句は言わなかったっ! あ、言った気がする。まあいいや。
それでも、結婚するからにはと、覚悟まで決めたのに、当日になって花嫁交換。それを許す両親にもはっきり言って失望だ。
文句は言っても、今まで両親に真っ向から反発なんてしたことはなかったのに、それがこの仕打ちっ!
おまけに今まで懐いていたと思った妹は、金に目がくらんでわがまま放題、幼児退行中ときた。妻をしっかり管理できないダメ伯爵に、こいつと結婚させられなくて本当によかった。とは思ったものの、当主があれではこの屋敷で働く私たちはたまったもんじゃない。
おまけに前当主からこの屋敷で務めてくれている執事頭の話さえ聞かずに好き放題。
とにかく、言いたいことは山ほどあって、私はネルに愚痴を言いまくっていた。ネルの頬が引きつっていた気もしないでもないが、私の夕食を分けてあげた分は聞いてもらおうじゃないか。
どこかにぶちまけてしまわないと、本気で発狂してしまいそうだ。
「――で、結局ここに入れられたんだけど、私は自分の妹と血がつながっていると言う事実に絶望してるんだよ。同じ親から生まれたはずなのに、なんでこうも違うんだろう?」
母親と父親が甘い人だと言うことは分かっていた。私も幼いときはまあ、わがままなほうだったと思う。思うが、そんなものは大きくなれば、自ずと現実が見えてくるものなんじゃないのか?
わがまま放題で許される年齢はとっくに終わっているのだ。
「ああっ! 腹立つあのクソガキめっ!」
「年子じゃなかったか?」
「うっさいっ!」
一年でも上なら私が『姉』なのだっ。なんて、ネルに八つ当たりしても仕方ない。分かってるんだけどね。
少々興奮してしまった自分を落ち着かせるために、私は深呼吸を一つしてあらためてネルへと顔を向けた。
「話聞いてもらっておいて、怒鳴ってごめん。でも、あの子の変わりようが許せなくて……昔はもっと素直で、悪いことや間違ったことを注意すれば、多少ふてくされてもきちんと聞いてくれていたのよ」
「仲が良かったんだな」
「昔はね。でも両親の影響なのかしらね。あの子もちょっと野心的なところがあるの。そこがちょっと心配だったけど、まさか、ここまで変貌を遂げるとは……女の子って怖い」
「いや、君も立派な女性だと思うが」
うん。細かいことは気にしちゃいけない。ネルの突っ込みに私はにやりと笑って、夕飯のおかずを口の中に入れた。
ネルも一口スープをコクリと飲み込むと。
「自分が持たぬ物は、輝いて見えるものだ」
「ん?」
「アンバーの妹も、今はまだ眩しいものに浮かれているだけだろう。落ち着いて来れば、きっとアンバーの言葉をきちんと聞いてくれるようになるさ」
ネルはそう言うと、私に顔を向けて、両目を細めると淡く微笑んで見せる。
きっと私を励ましてくれているんだろう。初めて会った得体のしれない者同士だっていうのに、彼は私の話をちゃんと聞いてくれたのだ。
それが彼と言う人を表しているようで、私はネルがお人好しだと思う反面、そう言う人は意外に嫌いじゃないな。なんて。
ランタンの頼りない灯りのせいなのか、彼のその甘い微笑みに、私の胸がとくりと波打った気がした。
「ありがとう――でも裸エプロンじゃカッコつかないわねぇ」
「まったくもってその通りだよっ」
そう言って、ちょっとだけ恥ずかしそうにそっぽを向いたネルに、私は思わず吹き出して笑ってしまった。が、突如ネルがまたボフンと白い煙に包まれたと思えば、仔ブタに戻ってしまい、私はそのタイミングがさらにおかしくて笑った。
「時間にして、約二時間ってところかしらね?」
チョコを食べたネルが、人の姿になっていられる時間だ。
「うーむ。どういう原理なんだ」
「いや、それ知りたいの私だから。てか、そもそもアンタって、なに?」
話をするブタってだけでも不思議な生物だっていうのに、人間に変身するってのは、さらに奇妙な生物だ。カテゴリはブタなのか、それとも人なのか? それとも精霊や魔法生物の類なのか。謎だわ。
私が首を傾げてネルを見下ろせば、彼は私を見上げて同じように首をかしげて見せた。やだもう。かわいい。これがさっきのイケメンと同一種の物とは思えないわ。
「うむ。こうして動けるようになったのもアンバーのおかげだしな。少し私の話に付き合ってもらってもいいだろうか?」
「ん? まあ、あんたが何かってのも気になるし、散々私の愚痴にも付き合ってもらってるしね」
私が了承の意思を示せば、ネルは小さくうなずいた。
「実は、私はある呪いの魔法でこの姿に変えられてしまってな。さっきの人の姿が本来の私だ」
ネルはそう言ってフーッと長い溜息を吐き出した。
「呪いを説く方法は乙女のキスとかいうオチはない?」
「絵本の世界じゃあるまいに」
「ですよね」
なんとなく、そんなメルヘンチックなことがあっても悪くないんじゃないかと思って、私はネルに苦笑いを返した。だって、ブタに変えられた人間が目の前に居るんだし。
そんな私に呆れたような視線を向けてくるネルは、ふと何かを思い出したように。
「今は何年だ?」
と聞いてきた。
「今? 聖王歴二十五年だけど」
ちなみに、この聖王歴と言うのは、現在の国王陛下が即位されてからの年号になる。この国では世界年号とは別に暦の代わりに使われる。
なので、現在の正確な年号は、秋王暦八百五年の収穫の第二週。と言うのが正しい。が、長いので、略暦として王歴が使われるのだ。
そういうわけで、現在の国王陛下が大神官様より賜っている『聖王』という贈り名が使われている。
補足だが、王家は代々大神官様と大賢者様から、それぞれ贈り物をもらうのが習わしで、大賢者様からは、生まれてすぐに『幸運の祝福』を贈られて、大神官様からは即位式で『真王の名』を贈られる。
真王の名と言うのは、国や民を正しく導く真の王になるようにという願いと誓いのために贈られる名前だ。今の国王陛下が呼ばれる『聖王』がそれ。
そして、幸運の祝福と言うのは、ようはリアルラックをちょっぴり上げてくれるおまじないだそうだ。詳しい話はよくわからないが、王家と言うだけで敵もわりと少なくないし、暗殺なども怖いが、病気や事故による死亡なんかも怖い。
そう言った、予想外の不幸や降りかかる最悪を軽減する。と言う効果があるらしい。
まあ、とにかく話を戻そう。
私から今年が何年かを聞いたネルは、すっと目を細めてからまた深々とため息を一つ。
「私がこの姿になってからと一年と少しくらいだな」
「一年以上って、その間ずっとここに居たわけ? ご飯は?」
「石になっていただろ?」
「あ、そう言えば……じゃあなんで石になってたのに、いきなり生身に戻ったわけ?」
さすがに一年以上も飲まず食わずで居たら確実に死ぬだろうけど、石になっている間は時間が止まっていたのかもしれない。そう考えれば、石になっている間は平気なのだろうけど。
でもそれだけ長い間、石になっていたのに、なんで急に動けるようになったのかは疑問だ。
「さぁ、そのあたりは私にも分からない。石になっている間のことは覚えていないんだ。ただ、何か食べ物の匂いがして、急に空腹を感じたと思えば――」
ネルはそう言うと天井を仰いで複雑そうに鼻をひくつかせて見せる。
「つまり、チョコレートの匂いで覚醒したんだ。甘いの嫌いなくせに。よっぽどお腹減ってたのねぇ」
「動けるようになったことは単純にうれしいのだが、微妙な気分だ」
ネルはそう言うと、どこか忌々しそうにチョコの箱を睨んでいた。そんな目の敵にしなくても。ねぇ?
「でも動けるようになってよかったじゃない」
「うむ。そうなのだが――時に、ここはバリネウス家か?」
「そりゃそうでしょ。自分の居る場所忘れちゃったの?」
「いや、そうじゃないが、ミスロイは今どこに居るか知っているか?」
「だれそれ?」
「は?」
思わず私とネルは同じように首を傾げて黙ってしまう。
私はまだこの家に来て半年しかたってない。とは言え、さすがに全員の名前は覚えたと思っていたが、私の知らない人がまだいたのか。そう思ったのだけど。
「君はこの家の侍女だろ? 主の名前くらいは覚えていないとまずいのではないか?」
と、ネルに困ったような顔を見せられて、私はふと。
「それって、ユージーの父親のほうじゃない?」
と言うことを思い出した。
「そうだな」
「じゃあ、今はお墓の中よ。一年半くらい前に病気で急死したんですってよ」
「そ、それは本当かっ!?」
「うん」
私が頷けは、ネルは短い両腕で自分の頭を押さえると、困ったように唸り声をあげる。
しばらく、うんうんとうなっていたネルは、疲れたように両腕を下ろすと、体をぺたりと床に伸ばして、私に顔を向けた。
「実のところ、私をこの姿に変えたのはミスロイなんだ。そして私が騒がないように石にして、ここに閉じ込めた」
「マジ? ユージーの父親ってロクでもないわね」
魔法を使って人攫いとは、お貴族様が聞いてあきれるわ。父親がそれじゃ、息子があの残念男になるのも頷ける。
「そうだな。だが困った。魔法の使えなかったミスロイは魔道具を使って私をこんな風にしたのだが、奴が死んだとなると、道具の在りかが分からなくなってしまう」
「そりゃ大変ね」
仔ブタは毛布の上に寝転がりながら、悩ましげに右にコロコロ、左にコロコロ。
「呪いの元を絶たねば私はいつまでもこのままだ」
そしてまた右にコロコロ。私に当たって止まると、また左にコロコロ。
「そう言うものなのね」
「困った。こんな姿で屋敷内を歩き回ればすぐに放り出されてしまうだろうし」
三回目にブタが私にコツンと当って止まると、また左に――ええいっ!
私は転がっている途中のブタの背中をガシッと掴む。
「転がるなっ。うっとうしいっ」
「あ、いや、すまん――」
仔ブタの背中は思いのほか柔らかくて、なかなかいい具合だ。
「次やったらベーコンな」
「えぇっ!? いや、私にんげ――」
「ベーコンな?」
「はい。もうしません」
程よく可愛い落ち込み具合の仔ブタに満足しつつ、私はネルの頭を撫でつけた。
毛はちょっとチクチクするが、柔らかいスベスベのお肌が触り心地満点。
「まあ、とにかく一つずつ出来ることからやったらいいんじゃない? いきなり全部はできないんだしさ」
私がそう言ってネルに笑ってやれば、仔ブタは「そうだっ」と一言つぶやくと、ばっとその場に立ち上がり、両方の前足を私の膝に乗せて私を見上げてきた。
「これも何かの縁だっ。アンバー、どうか私に力を貸してくれないかっ!」
「え、やだ。面倒くさい」
私のセリフに思いのほかショックを受けた顔を見せるネルだが、だって、明らかに面倒くさそうじゃない。
「そ、そう言わずっ! こんなかわいい仔ブタが困ってるのはかわいそうじゃないかっ?」
「自分でかわいいとか言うな厚かましい。それに元はあの大きな男でしょ? かわいくない」
イケメンだったがな。本人には言ってやらないが。
でもただのじゃべる可愛い仔ブタならアリだが、さっき自分で人間の姿が本体って言ってたじゃん。
私だって未だに自分のことで手一杯だって言うのに、他人の面倒まで見てられるわけがないじゃないか。
「そこをなんとかっ。私にできることなら、お礼はいくらでもするっ!」
「ブタに何が出来るってのよ」
そんな短い前足では私の肩すら叩けまい。
「私が元に戻れたら君の望む礼をするっ! 何でもするっ! 約束するからっ!」
必死だなネル。今にも泣き出してしまわないかと思うほど、仔ブタの両目にはたくさんの涙が溜まり、つぶらな両目がウルウルと光っている。
「なんでも?」
私が疑わしげにネルを見下ろせば、ブタは必至で首を縦に振って見せた。
「そうねぇ……うん。あのね。実は私、住む場所と仕事がほしいの」
「住む場所と仕事?」
「もう親に使われるのはまっぴらだし、この家で仕事を続けるのもいやなの。だから、私が一人でも暮らせる家賃の安い家と、実家やこの家とは関係ない仕事をしたいのよ」
これは大まじめな願いだ。まあ、別にブタさんが叶えてくれるなんて期待はしてないが、今の望みはと聞かれれば、これしかない。
侍女仲間や執事さんたちは好きだが、やっぱりこの家で仕事を続けるのは、正直に言うと悔しいのだ。
親の言いなりになっているままだし、結局逃げられないんじゃないかと不安にもなったりする。まあ、諦めるつもりは毛頭ないが。
「で、どうなのよ」
「そんなことでいいなら、最高の屋敷と使用人も付けて、いい仕事も紹介するっ!」
「いや、身分相応のものでいいんだけど」
私は高望みしない。自分の両手で守れるものだけでいい。それ以上を望めば、自分の両腕からこぼれてしまう。そっちのほうがよっぽどもったいないじゃない。
「アンバーが望むならっ」
「オッケーっ! じゃあ、交渉成立!」
私はネルの前足を握り、契約の握手の代わりとした。