わがままシスター
そういうわけで、諸々ありましてバリネウス家に侍女として働き出したのがつい半年前。
「半年って、思ってる以上にあっという間ですよねぇ」
大理石でできた大きく太い柱を渇いた布で磨きながら、一昨日も同じことをさせられた記憶があるが、突っ込んだら負けだと思って黙々と仕事を続ける私に。
「アンバーって、若いのにおばさん臭いわねぇ」
ここに来た当初から仕事を教えてくれている先輩のモリーさんが、そう言って笑った。
十九歳のモリーさんは、私が来る前はこの屋敷で一番若い人だったらしい。
燃えるような外跳ねセミロングの赤毛と、同じ色の釣り目がちな瞳に、かすかに見えるそばかす。と、どことなくお転婆娘って雰囲気がするモリーさんだが、この屋敷では侍女長以外で、仕事のできる人として仲間内では尊敬の念を集めていて、私もモリーさんをとても尊敬している。
腹立たしいご当主を見ても、侍女仲間たちのおかげで、私はこの半年でだいぶ落ち着いていた。とは言え、ときどき無性に殴り倒したくなる衝動はまだもって健在ではあるが。
「なんか、ここ半年の記憶が仕事のことだけなんですよ。おまけにセイラ――奥様があれですからねぇ」
私がそう言ってため息を吐き出せば、モリーさんは苦笑い気味に声を漏らした。
「休日の申請は侍女長もしてくれてるのにねぇ。奥様の我がままでいまだにお休み貰えないんだもの。疲れもするか」
「人って、半年で色んなものに染まるってよくわかる日々でした」
「アンバー、目が座ってるわよ」
バリネウス家の侍女や執事は十分に足りている。ローテーションで一人が週に一回は休める程度には、しっかり管理できているのだが、セイラは何かと理由を付けては私を休ませようとしないのだ。
やれ一人は寂しいだとか、旦那が帰らないからつまらないとか、気分が乗らないからとか、それもう理由ですらねぇ。と言うわがままを押し通している。
おまけにだ――。
「アンバー、奥様が呼んでるわよ」
私を呼ぶ聞き慣れた女性の声に、大理石の柱から階段のほうをのぞき込めば、侍女長の困ったような瞳と視線があった。
(またか……)
「今、行きます」
私はそう返事をして、ひとまず布をモリーさんへと渡し階段を上がる。
足取りも重くうんざりする私に、モリーさんと侍女長の憐れんだ視線がやんわりと私を見送ってくれていた。
大きな屋敷の二階にセイラの部屋はある。
屋敷は四角の端っこを取ったような形で、つまり『コ』のような形をしていて、四角の中心部分がちょうど中庭になっている。その向こうが森だ。
中庭に面した回廊が本邸の外壁をなぞるように回り、ちょうど中庭の中央にある階段を上がると二階に行ける。面倒くさいのだが、セイラの部屋はそうしないと行けないのだ。
広々とした廊下を二階へと進めば、ひときわ開けた場所に出ることができて、休憩するにも良いスペースだが、奥様のお部屋の真ん前だから、あえてここを休憩場所として使う使用人はだれ一人いないけど。
階段を上がりきればライラックの飾り彫りが施された両開きの扉があり、扉を開ければバカみたいに広いセイラの部屋に入ることが出来る。
無駄に巨大でアホみたいに少女趣味な装飾がほどこされているキングサイズの天蓋付ベッドに、足音を全てのみ込む毛足の長い高級絨毯。
白とピンクのうるさいレースのカーテンから光が差し込み、無意味にこの部屋だけピンク一色だ。いくら好きな色とは言え、ちょっとくどい。
白とピンクを基調とした調度品は、うんざりするほど今日も目に痛い――と、いつもの部屋を見回していれば、私の正面からレース付もこもこピンクのクッション(ハート型)が私の顔面に飛んでくる。
あえてもう一度言うが、ほぼピンク一色の部屋はくどいのだ。ピンクが嫌いなわけじゃない。
とにかく、本当に不意打ちでクッションが飛んできたのなら、間抜けにも顔面で受け止めてしまうところだが、この行動でさえ『ああ、またか』と思えるレベルなので、私は軽く頭を横にずらしてクッションを避けた。
私の後ろで情けない音を立てて、クッションが壁に跳ね返り床に落ちる。
「呼んだらすぐ来てよっ! 姉さまはいつも遅いのよっ! 可愛い妹が困ってたら真っ先に助けに来てくれるのが普通でしょっ!?」
「本当に困ってればね。で、今度はなに?」
自分で『かわいい』と言うところを突っ込まない私に感謝してほしいが、私の軽い反応に少々ご不満らしい妹は頬を膨らませて見せる。
それでも、私と本気で口げんかを始めれば、絶対に勝てないと悟ってか、セイラは本題を切り出した。
「このドレスよっ! 見てよっ!」
セイラはそう言うと、シャンパンゴールドのドレスを私の目の前に投げ捨てた。
一応それを手に持って眺めてみるが、別に変なところは見られない。破けてるわけでも、安い生地を使っているものでもない。
これでも商人の娘だ。この生地が高級な絹で出来ていることくらいわかる。
薄いピンクのリボンで全体を飾っているような。わりと子供向けな印象は受けるが、セイラには似合うだろうと思う。姉の贔屓目を抜きにしても、セイラは可愛らしいし。
私が着たら間違いなくサーカスの呼び子ですか? と聞かれてしまうレベルだが。
「あんたに似合いそうじゃない。かわいいと思うけど?」
そう私が答えれば、セイラは近くにあったお菓子の箱を私に投げつけてきた。
箱が私の胸に当たって、私は慌てて箱を受け止める。って、中身がまだ入ってるじゃない。
「セイラ、食べ物を投げるのは行儀が悪い」
実家でもそんな所業は許されていないはずだ。そう思って眉間にしわを寄せる私に、セイラはますます不機嫌そうに頬を膨らませると。
「そんなの要らないっ! チョコなんて太っちゃうじゃないっ! 食べたかったら姉さまにあげるわよっ!」
箱をよく見れば、なかなか手に入らないって有名なところの高級チョコじゃないか。と、ふとそこで数日前の話を思い出してしまった。
「このトリュフチョコねだってたのあんたでしょ」
そうなのだ。数日前に、ユージーにこのチョコをねだっていたのは、何を隠そう要らないと言った本人だ。
「だって要らなくなったんだもんっ! そんなことより、問題なのはドレスなのっ!!」
「いらないなら私が食べるけど、このドレスの何が問題なのっ?」
もう、このチョコはあとで侍女仲間のみんなと分けることにするからいいけど、このドレスの何が問題なのかさっぱりわからない?
「色がゴールドじゃないっ!? 私はピンクって言ったのっ!」
「ピンクのリボンついてんじゃん」
「それじゃあゴールドのドレスでしょっ!!」
なんだこの我がまま娘。
「じゃあ、前に作ったピンクのドレス、あのレースがすごいのあるんだからそれ着ればいいでしょ」
「同じ奴なんて着れないわよっ! 姉さまは私に恥をかかせたいのっ!? 姉さまなのに酷いっ!?」
「同じ親から生まれたはずの妹の言動がおかしいんだけど、私はどうしたらいい?」
「次のお茶会に着ていくんだもんっ! 同じドレスなんて着たら、みんなに馬鹿にされるじゃないっ! そんなドレス要らないっ!!」
「人の話なんて聞いちゃいない。幼児みたいなわがまま言わないで、疲れるから」
大体このドレスのお金がどこから出ていると思っている妹よ。
仕立てだって時間がかかる。お金だってかかる。針子さんが一生懸命作ってくれたものだ。自分でデザインや色は決めたはずなのだから、いくらなんでもわがままが過ぎる。
そう、ここ半年で妹のセイラはわがままに拍車がかかり、幼児後退でもしてしまっているのかと疑いたくなるレベルなのだ。
そのわがままに付き合わされるのはいつも私だ。何の嫌がらせですかと問いたい。
セイラの言うわがままはこれに止まることなく、食事に嫌いな野菜が入ってるから作り直せとか、どこかしこのお菓子が食べたいとねだるわりには、ねだった内の一つでも口にすればいいほうだ。大体が私の胃袋に消える。
今日みたいに同じドレスは着たくないと、三日に一回はドレスを新調するか買に出て、そのたびに装飾品だって合わせて買うものだから、この半年で衣装部屋が埋まりそうな勢いだ。
そして、このわがままに追い打ちをかけているのが――。
「セイラっ! 僕の可愛い奥さんが一大事だってっ!」
ノックもなしに部屋に入ってきた残念伯爵、ユージーがセイラの前に居た私を突き飛ばすような勢いで押しのけると、セイラをぎゅっと抱きしめた。
そう、一番の問題はこいつなのだ。
「ユージー様ぁっ! 姉さまったら、私に恥をかかせようと、同じドレスを着ろって言うんですよっ! セイラは傷つきましたっ! ものすごくっ!」
そう言ってセイラがユージーに縋り付いて泣く真似をすると、ユージーはセイラを強く抱きしめて、その頭を撫でつける。
「なんてことだっ! かわいそうなセイラっ! ドレスならいくらでも作ってかまわないよっ! かわいい君に恥をかかせるなんて、出来るはずないじゃないかっ!」
そう言ってユージーが私をぎろっと睨んで見せるが、私が両目を見開いてユージーを睨み返せば、彼は一拍の間もなく青い顔で私から視線を外す。
本気で私に勝てると思っているのか。この名ばかり当主が。
「恥をかけとは一言もいってないけどね」
一応はそう言い返してみるも、妹も伯爵も全然人の話なんて聞いちゃいない。聞けよ。まったくもう。誰でもいいから通訳か、こいつらに私と同じ言語を教えてくれないだろうか。
だがさすがに、いいかげんこれは誰かが止めなければいけないだろうと思う。
雇用主がいくら残念仕様であっても、この家の主であることは変えようのない事実なのだ。湯水のように金を使うことを許してしまえば際限がない。
妻の散財にストップをかけるのは本来夫の役目ではないのか? と言いたいところだが、この屋敷内で当主に進言できる人間は少ないのだ。執事頭が言ったところで、この名ばかりご当主は右から左へと言葉を聞き流してしまっている始末だし。
こうなるともう、私しか言えないじゃないか。
少なくとも、セイラを叱ることが出来るのは、姉である私にしかできないことだろう。
「恥をかけとはさすがに言わないけど、いいかげんに子供のようなわがままを言うのはやめなさい。ユージー様もです。いくら奥様を可愛く思っていらしても『限度』と言うものがございます。いくら有能な執事が貯えをしても、主がそれを片っ端から使っていては意味がない。節制は大事なことだし、そう言う意味でも夫を支えるのは妻の役目でしょ?」
一応、立場上は侍女として働いてる手前、ユージーには言葉を選んだつもりだが、それでも、私の言葉に二人が明らかな不満の色を顔に浮かべていた。
間違ったことを言ってるつもりはないがなっ。
金は無限に湧き出る泉じゃないんだよ。自然の湧き水だって枯れることがあるくらいだ、有限なものを使い続ければ、なくなるのは想像するより早い。
ところがだ。
「姉さまって、いまだにユージー様の奥さん気取りなの?」
何を勘違いしたのか。セイラはそう言と、じっとりと私を睨み上げてくる。
おい、いつ私がそなことを言った? そもそも私はユージーと一度も結婚してないはずだが? 何しろ結婚前に破談したからなっ!
そう突っ込む間もなく、今度はセイラの言葉に、ユージーが顔色を青くしたり赤くしたりしながら目を泳がせる。どうしよう、この残念伯爵ウザすぎる。
「まんざらでもないような素振りをするな気色悪い。私が言いたいのは、いつ何が起きるかわからないんだから、当主たるもの常に『もしも』を考えておくべきじゃないのか? ってことよ。そして、妻であるあなたもそれを考えなくてはいけないでしょ? って、言いたいの。わかる?」
私は将来、自分がここを出るまでの資金が貯められなくなったらどうしてくれると心配で仕方ないのだ。
私が出て行ったあとは好きにすればいいと思う。先輩方や執事さんたちは、ヤバくなったらさっさと見切りをつける。と、常日頃から言っているので心配は無用。
むしろ、労働側から見捨てられつつある現状に危機感を覚えろと言いたいのだ。
言いたいのだが、どうにも私の心配は伝わってくれないらしい――。
「姉さま、ご自分が『侍女風情』だって、自覚がなさすぎるのね……」
「今、なんつった?」
侍女『風情』だと? 今、お前はこの屋敷の侍女たちを敵に回したぞ。
「いつまでも『姉』であることを使えると思わないでっ! 姉さまは『たかが侍女』なんだからっ! 侍女らしくしてればいいのよっ!! 誰かっ!!」
言わせておけば、このビッチが。侍女という仕事を馬鹿にするだけじゃ飽きたらず、妹を心配している姉に、何たる暴言だ。本気で私と喧嘩したいようだな……。
セイラの言葉にふつふつと怒りが込み上げる中、ノックとともにセイラの声に呼ばれてきたのは執事見習いの男の子二人で、私もよく顔を知ってる人たちだった。
見習い二人は明らかに口元を引きつらせると、今度は何事だと言いたげに、私にちらりと視線を向けるが、そんな彼らの行動など見えていない様子のセイラは、私をびしっと指さすと。
「この女を地下室に閉じ込めてっ!! 私に意見するなんて厚かましいっ!! 少し反省すればいいのよっ!!」
と、ヒステリックに叫び声をあげたのだ。
ユージー以外の執事見習い二人と私は、セイラの言葉に開いた口がふさがらなくなっていたのは、まあ言うまでもないことかもしれない。
せめてブタが出るところまで小説投稿しないと、あらすじ詐欺状態になりはしないだろうか。と、急いでブタさんが出るところまで投稿しようと思います。