3 基本が大事
…………。
――うぉう、朝日が眩しい。この小屋、天窓があったのね。
快適な寝床が良かったのか、異世界第二日目は目覚まし無しでスッキリ起きれた。
一応夢日記はつけといたけど、やはり名前とかは起きた瞬間に忘れてしまうようだ。
でも地球の私も夢日記をつけ始めた事だけは分かったから、これも大きな進歩だと思う。
「婆ちゃんオハヨー。お腹空いたー、お風呂入りたーい、いい加減パンツとか下着が欲しいー、服の下がスースーするー」
「……おぬしは朝から品がないの。ほれ、先ずは食事じゃ。サッサと食え」
作業台の上には皿に盛られた生肉。朝から生肉。た……食べるけどね!
昨日までは一脚だった椅子が二脚に増えてたけど、う……嬉しくなんてないんだからっ!
「ねえ婆ちゃん。白者になるのはいいけど、一体何をすればいいの? 王様から捜索依頼出てるんだよね? 私、この国に献上されちゃったりするの?」
うん、本来ならこの質問を真っ先にしておくべきだったね。ウッカリ忘れてた。
「白者を権力で縛る事は禁じられておる故、国に献上される事は無い。儂が依頼を受けたのは、白者を見つける事だけじゃ。報告の義務はあるがの。それに儂が作ったからといって、所有権を固辞する気も全く無い。安心せい、おぬしは自由じゃ」
「そっか、良かった」
「基本的に白者が存在するだけで災害や魔物はある程度抑えられるが、被害が大きい場合は直接出向かねばならん」
この五年間で、随分均衡が崩れたって言ってたもんね。多分直接出向いて対処する機会が多いだろう。……メンドクサ。
「じゃが、今のおぬしはこの世界での常識が欠けておる。魔法を使う事はおろか、普通に生活する事すらままならんじゃろ」
「ゔっ……痛いところをっ」
「食糧の調達やら風呂の沸かし方、金銭に関する事や魔法の知識。覚える事は山程あるぞ」
皿の上の生肉を改めてジッと見てみる。食べやすいようにカットされてるけど、元はそこいら辺を駆け回ってる生き物だ。
獲物を仕留めることから始まって、皿の上に盛るまでの作業をひとりで……無理だ。やった事も無いのに、教えを乞わずして出来る自信も無い。
でも私の場合、これが出来なければ必然的に虫しか食べられない生活になってしまう。それだけは嫌だぁぁぁーー‼︎
ん? でも待てよ?
「最初に魔法の使い方を覚えちゃえばいいんじゃない? 確かにある程度の知識は必要だけど、魔法が使えれば大半の事は何とかなるっしょ?」
婆ちゃんだって、色んな用事をパパッと魔法で済ませちゃってるしね。
ところが何故か婆ちゃんは深ぁーい溜息を吐いた。幸せ逃げるよ?
「何事も基本があってこその応用じゃ。構造や手順を理解しておらねば、幾ら魔法を使っても破壊してお終いじゃろう」
「え、魔法って、もっと簡単に使えるものじゃないの?」
「おぬしが今食しておる肉がどんな生き物で、どこの部分なのか分かるか? 皮を剥ぐ時にどれ程の力が必要じゃ? 血抜きはどれ位やれば良いのかのう?」
「お……おぉう」
「どうやらおぬしには、魔法より先に覚えねばならん事があるようじゃ。この儂が直々にみっちりと教えてやろう。感謝せい」
「……うへぇー!」
「先ずは狩りについてじゃ。この軽量化魔法を掛けてある槍を渡しておく。まあ頑張れ」
「無茶振りにも程があるだろ! 全くの初心者だよ⁉︎」
渡されたのは、1メートル程の棒きれに鋭利な刃物が括り付けてある至ってシンプルな槍。無理に決まってるだろ。
「この槍には強化魔法も掛けてある故、耐久度は問題無いぞ」
「いやいやいや! それも大事だけど、そもそも魔物と獣の見分けもつかないし。強い奴とバッタリ鉢合わせなんかしたらひとたまりも無いじゃん」
「おぬしの体は頑丈に作ってある故、ある程度は問題無いとは思うがのう。身体能力も人並み以上にあるぞ? あと見分け方じゃが、眼が赤いのが魔物、それ以外は獣と見て良いじゃろう」
「え、魔物って私と同じ眼の色なの? 私って魔物だったの⁉︎」
「白者の色は例外じゃ。髪と眼の両方が赤い生き物は他におらん。おお、そうじゃ。魔物は心臓を突いても死なぬ故、目か頭部を狙え」
「初っ端から難易度高いな!」
うう、やりたくないけど、やんなきゃご飯が食べられない。
渋る姿を見かねたのか、婆ちゃんがそんな私に結界を施してくれた。もしこの結界が発動するような危険な場面に遭遇した場合、即座に婆ちゃんに知らせが行くようになってるそうな。
*
再びやって来ました森の中。
取り敢えず試しに狩ってみろということで、初回限定で婆ちゃんに付き添ってもらってる。
注意事項として、
・決して深追いしない事
・小さめの獣中心に狩る事
・ヤバそうなのに遭遇したら全速力で逃げる事
これらを頭に叩き込んでいざ、ハンティング開始。
「ほれ、あそこに居るウサギを仕留めてみろ。首から上を狙って槍を突き刺せば良い」
少し離れた木の側に、バスケットボール大くらいのモフモフした生き物が草を食べてる。
全身真っ白な毛で覆われ、丸い耳と長めの尻尾、短い手足がかろうじて見える。……ウサギってこんな生き物だっけ?
「ほれ、サッサと仕留めんと今日の飯にありつけんぞ。音を立てずに近付き、力いっぱい槍を投げてみろ」
「……ほーい」
重心を低くして、ウサギの背後にそっと忍び寄る。よし、まだ草を食べるのに夢中だ。
「――せいやっ!」
予想以上に勢い良く槍が飛ぶので、確かに人並み以上に力はあるかも。
しかし、真っ直ぐ飛んだまでは良かったが、頭部に届く直前に逃げられた。獲物を仕留め損なった槍が、見事に地面に突き刺さっている。
「フォッフォッフォ、少しばかし遅かったようじゃのう」
「ううっ、難しい……」
「練習あるのみじゃ、この調子で続けてみろ。儂はこれから用事があるでの。後はおぬしひとりで何とかなるじゃろ」
「くそぉー、薄情者ぉー」
「フォッフォッフォ」
そう言って婆ちゃんは家に帰って行った。
ううっ、落ち込んでても腹は膨れない。意地でも仕留めてみせる!
*
「よっしゃー、ウサギ発見!」
こっそり近付き、力いっぱい槍を投げる。
――スカッ
……これで七度目の失敗だ。この調子じゃ昼食どころか夕食も仕留められない。
「疲れたぁー。ウサギすばしっこ過ぎ! 獲物変えた方がいいのかなぁ……ん? 足音?」
少し離れた場所で、大きな生き物が枝を踏み付ける音がする。大物発見か?
これを仕留めれば、一気に二食分の食料になるかも!
息を潜めてジッとしていると、背後の茂みがガサガサ揺れた。
「二食分ゲットじゃぁぁあぁぁ!……え⁉︎」
槍を大きく振りかぶったまま固まる。
だって目の前には――四本脚と少し長い尻尾はウサギと同じだ、うん。ただし、大きさは普通車ぐらいかなぁー。
体毛は一本も無くて、全体的にヌメヌメしてる。口にはズラリと並んだ鋭い牙……ひとつしか無い大きな目の色は赤……私とお揃いだね!
「「…………」」
「うへぁっ! 魔物⁉︎」
「キシュアァァァァ‼︎」
長くて尖った爪が生えた前足を振りかざしながら突進してくるぅー! 耳と鼻を削ぎ落とされた人間の様な顔が気持ち悪いっ。
きっとこの時の私は気が動転してたんだと思う。
素直に全速力で逃げるなり、婆ちゃんの結界を発動させるなりすれば良かったのに、気が付いたら何故か槍を振り回しながら魔物に突進していた……。
「こんな所で死んでたまるかぁー! 婆ちゃんの鼻クソぉーー‼︎」
最早行動も台詞も意味不明だ。全速力で駆けながら力の限り槍を振り回す。
無我夢中で振り回していると、あまり感じたくない手応えが。……えーっと、これは、肉の塊を包丁で思いっきり突き刺した時の感触に似てるかなー……?
「ピギャアァァァァ‼︎」
地を揺らしながら魔物が倒れる。……へ?
正気に戻ってよく見てみると、さっきまで握ってた槍が魔物の目に突き刺さってる……。
「か……勝った? へへっ、うへへへっ」
その場にヘナヘナと座り込む。
こっ、腰が抜けたっ……!
*
暫くの間放心していたのだろう、婆ちゃんに声を掛けられて漸く我に返った。
「やけに森が騒がしいと思えば、おぬしじゃったのか……ほう、初めてにしては大物を仕留めたのう」
「ばっ、婆ちゃんっ。怖かったよぉー、うわぁぁーん!」
涙やら鼻水やら、顔中の液体を垂れ流しながら婆ちゃんに縋り付く。
「これっ、ローブが汚れるじゃろうが!」
思いっきり突き飛ばされた。ひでえ!
「ふむ、この魔物は少々肉付きは悪いが、これなら二食分いけるじゃろ」
「えっ、このヌメヌメしたヤツを食べるの⁉︎」
「嫌なら今から別の獲物を仕留めてこい」
「ううっ、今日はコレ食べる……」
初日でこれ以上の狩りは無理っす。虫の次はヌメヌメ魔物か……。
婆ちゃん指導の元、食べれそうな部分だけ切り取って家に持ち帰る。残りはこの森に住む生物の糧となるそうな。
魔物の血液は独特で、肉は赤いのに血は黄緑だ。婆ちゃん曰く、魔物の血は他にも色んな色があるらしい。
食べる直前になって気付いたけど、あんなに気持ち悪い魔物だったのに、捌く工程から今に至るまで全く嫌悪感が無い。寧ろ美味しそうとさえ思える。
これも『白者の主食』として認識している所為だろうか……。味? ええ、とっても美味しゅうございましたよ!
……食後にちょっと泣いた。
*
それから数週間は、ホントにみっちりと教え込まれた。
婆ちゃんは基本スパルタな上に、魔法は教えてもらってないからまだ使えない。って事は、魔法無しで色々自分で出来るようにならなければいけない。
風呂を沸かす事ですら何度も失敗した。適温に調節するのは思いの外難しい。
下着や替えの服も支給してくれたけど、洗濯は自分でやらなくてはならない。
井戸水って結構冷たいし、かじかんだ手で絞っても水が中々切れなくて乾かすのに苦労した。ボタンひとつで脱水までやってくれる全自動洗濯機が恋しいなぁ。
あ、下着は元の世界の物より随分とシンプルだけど、構造は似てたから助かった。
そして予想通り、食糧に関する事を覚えるのに一番苦労した。
刃物を使った獣の解体を一から教えてもらったけど……肉屋さんは本当に偉大だと思う。
私には新鮮な生肉か虫の二択しか無い。
鮮度が落ちると体が拒否反応を起こしてしまうため毎日狩りをする必要があるが、刃物だけでそう都合良く獲物にありつけるワケが無い。
そんな日は虫の誘惑と闘いつつ、ひたすら空腹に耐えるのみ。勿論婆ちゃんは助けてくれない。鬼だ。
久々に獲物を仕留めた時なんかは、血抜きや皮を剥ぐ時間が惜しくてそのままかぶりついた事もある。
美味しかったけど、血塗れで生肉を食い千切ってる姿は完全にホラーだったと思う。
そんなホラーな私の姿を見て腰を抜かした婆ちゃんから二度とするなと長時間説教を食らったのも、今となっては良い思い出だ。
反省はしてるけど、後悔はしていない。だって美味しかったんだもん。