プールサイド
僕は人のいなくなったプールサイドに立っている。
静かだ。昼間の賑やかさが嘘のように。
今日も1日高台に座って事故が無いか見張っていた。
今日も事故は無かった。
その事が僕にとっては、何よりも嬉しい。
風が吹いた。
水面に映った半熟たまごのような色の夕陽がいびつな形に歪む。
目を綴じる。
深呼吸をするとプール独特の塩素の匂いが鼻を刺激する。
水面が波打つ音と足の裏から伝わってくる暖かさが良い心地だ。
どれ位そうしていただろう、瞼を上げると辺りは薄暗くなっていた。
ふと、水面に虫が揺れているのが目に入った。
用具入れからゴミすくいを持ってきて虫をすくう、ついでに藻等のゴミもすくい取った。
落とし物等が無いか潜水で端から端まで泳いで点検するのが1日の最後の仕事だ。
プールの中程迄来た時、水泳用のゴーグルが沈んでいるのを見つけ、拾って見るとピンク色の小さなゴーグルだった。
水面に顔を出して深く息を吸い込み、片手で顔に付いた水滴を拭いながらプールサイドに上がる。
顔を上げると水着姿の小さな男の子が立っていた。
何でこんな時間に一人で居るんだ?と思いながら
「ぼく、どうしたの?お父さんとお母さんは?」と歩み寄る。
しかし少年は僕の左手に握られているピンク色のゴーグルから目を離さない。
「このゴーグル君の?」としゃがんで少年と目の高さを合わせる。
少年は首を横にふり
「妹の」と一言。
「妹は一緒じゃ無いの?」と訪ねると、小さな声で
「・・・ったんだ」
「え?」と少年の口に耳を近づける。
「妹は・・・さちこは死んじゃったんだ」
その言葉を聞くと同時に少年が穿いている水着に書いている名前が目に付いた。
[1ねん2くみ やまうち さとる]
つたない字だが間違い無くそう読める。
やまうち・・・僕と同じ苗字だ・・・そんな事に気を取られて前を向くと、少年はもうどこにもいなくなっていた。
そんな不思議な経験も3ヶ月後僕の結婚式が行われる頃にはもう忘れていた。
その一年後長男が産まれた。更にその一年後、今度は女の子が産まれた。
名前は、[山内悟]と[山内幸子]だ。