緋色の好きな人
緋色は自分の事には無頓着で、どれだけ男子に声をかけられようが、興味を示さない。
そのわけは―――
小さい頃から、唯一無二の大切な人がいたから。
もうすぐ日が暮れる。
わたしは緋色の家まで送ってきていた。
本当ならわたしの家はまだ手前で、途中で別れてもおかしくはないのだけれど、ちょっとの間でも心配で緋色をひとりに出来ず、いつも送り迎えをしている。
目を離すと何が起きるかわからない気持ちにさせられ、はらはらする。
過保護だなという自覚はあるけど、緋色だからね。
そう思うのも仕方がないと思うわ。
そろそろ帰ろうかと思っていた矢先、その声は聞こえた。
「緋色」
聞き覚えのある声に振り向くと、彼が立っていた。
久しぶりに見たわ。入学式以来かしら?
彼の名前は遠野亮、となりの家に住む幼なじみで紫杏高校の2年生。
緋色が慕っているただひとりの人。
緋色が見ているのは亮さんだけ、小さい頃から変わらない。
振り向き、亮さんの姿を認めると、緋色の表情が見る間に変わる。
きらきらと輝くような満面の笑顔に。弾むような声に。
「お兄ちゃん」
緋色は全身に恋しさを滲ませながらまっすぐに彼のもとへと駆け出していく。
そうして広げられた亮さんの腕の中に飛び込んだ。彼も愛おしそうに抱きしめている。
普通なら2人の熱々ぶりが恥ずかしくて、赤面ものでとてもじゃないけど直視はできないかもしれないけれど。
この光景は昔から、緋色と友達になった小1の頃から見ているので、今さらなのだけどね。
習慣になった抱擁は、いくつになっても変わらない。
でもね。
小学生の頃までは微笑ましいって感じで、まだね。
よかったんだけど。
セーラー服着た中学生と高校生が抱き合っていたら、ただのバカップルにしか見えないのよね。
そこのところ自覚はあるのかしら? ふたりに突っ込みたいところだけど。
今さらよねえ。わたしはそっとため息をつく。
そんなわたしをしり目に、完全にふたりの世界に入っている。
抱擁は終わったらしいけれど、緋色は亮さんの右腕に両手を絡めて話をしている。いつものことだけど、片時も離れようとしない。緋色が離さないのか、亮さんなのか、おそらく両方なんだろうけど、と思いながら、半ばあきれるように2人を見ていた。
「どう? 学校には慣れた?」
「うん。里花ちゃんと同じクラスだし、楽しいよ」
「部活は?」
「頑張ってる。今はまだ基礎体力作りで、外ばっかなんだよね。ラケットも持てない」
「始めはね。おれん時もそうだったから、体力作りは大事だよ。今ちゃんとやっとくと、あとが楽だから」
「うん」
「それで、今度の土曜日は時間ある? 久々ぶりに時間取れるから、一緒に練習できそうなんだよ。どう?」
亮さんのうれしそうな顔。緋色もパッと顔が明るくなる。
「里花ちゃん。練習どうだったっけ?」
緋色はわたしに顔を向けると、無邪気に聞いてくる。
ほんと、練習スケジュール覚えないわよね。
「確か午前中だったと思うけど」
この日は例の2年生に誘われた日。余談だけどね。
「じゃあ。3時はどうかな?」
「うん。大丈夫」
「用意して待ってて。迎えに行くから」
「わかった。お兄ちゃんと練習なんて久しぶり。楽しみー」
2人は顔を見合わせると微笑み合った。
完全にふたりの世界。
その甘々な世界につっこむ気も失せるわ。
亮さんは中学からバドミントンを始めて、中3で全国大会シングルス優勝。その後地元のバドミントン強豪校の紫杏高校に入学して、1年からレギュラーで全国大会でも優勝経験がある。全国トップレベルの実力者なのよ。
その亮さんに緋色はずっとバドミントンを教えてもらっている。小学校にはバドミントン部はなかったから、必然的に亮さんが教えることになったんだけどね。
中学に入ってからでも、よかったと思うんだけど。
「緋色今からうちにくる? 母さんがケーキ焼くから誘ってきてって、言われてたんだよね」
「うん。もちろん」
「里花ちゃんもどうぞ」
おっ! 亮さん。気づきました?
やっとわたしも視界に入ったみたい。
もちろん行きます。
祥子さんの作ったケーキおいしいからね。
(祥子さんは亮さんの母親で、おばさんとかおばちゃんとか言われるのがイヤらしく、名前で呼ばせている。ちなみに緋色の母親も同じ。有希子さんと呼んでいる。祥子さんと有希子さんは高校時代からの親友で仲がいいのよ)
亮さんは緋色の肩を優しく抱くと家へと促していく。
わたしもその後ろに続く。
2人を見ながら、似合っているなと思ってしまう。
2人が寄り添っている姿は自然で当たり前で。
亮さんは柔和で整った顔立ちをしていて、いわゆるイケメン。
長身で細身で、包容力があって、やさしくて、例えるなら一片の曇りもない青空に輝く太陽のような人。
紫杏学園高校の進学科にいるくらいだから、頭だっていいだろうし、運動神経にしても、バドミントンで全国優勝するような人。
どこを見てもどこをとっても、非の打ちどころのないような人なのよね。
そんな人が生まれた時からずっとそばにいるのだから。
緋色が他の男子に目を向けるはずがない。
亮さんの気持ちは恋なのか、妹のように思っているのか、わからないけれど。
それでも、いつかは。
2年後、3年後には恋人同士になっているかもしれない。
―――と、ここで未来予想をしている場合ではないわね。
静かな普通の学校生活を送る。
これが、今のわたしにとっての最優先課題。
そのために必要なこと。
それは、緋色に群がる男子達を近づけないようにすること。
それさえ出来れば目的は達成される。
そのためには、どんな方法があるかしら?