〈18〉脱出
レヴィシアとユミラは、脱出の決行を明朝と決めた。運ばれて来た食事を済ませると、ユミラの部屋にある色々なものを使って、下まで届く縄を作る。
高級品ばかりだとわかっているけれど、ユミラは好きにすればいいと言ってくれた。お言葉に甘え、ベッドのシーツも幕もカーテンも裂いた。人間を支えなくてはいけないので、太くきっちりと結わえて行く。
途中で長さが足りないなんてことにならないように、夜のうちに一度だけ、二人がかりでテラスから垂らし、長さを測った。夜中までかかってしまったけれど、完成した後は少しだけ仮眠をとった。レヴィシアは昨日もあまり眠っていないので疲れていた。それでも、今はそれを言っている場合ではない。
疲れていたせいか、ユミラが譲ってくれた、シーツはなくとも上等のベッドの寝心地のせいか、レヴィシアは時間になっても起きられなかった。結局、ユミラに起こされる。
「大丈夫? 行ける?」
「ぅ、ん、ごめんなさい」
レヴィシアは目を擦り、慌てて起き上がる。両頬を打って気合を入れた。
カーテンのない窓からは強い光が差し込む。テラスに出ると、風が吹き抜けた。
二人はお手製の縄をテラスの手すりの、壁よりの端にしっかりとくくり付けた。入念に何重にも。二人がかりで引っ張り、外れないことを確認する。それでも、正直に言ってかなり怖い。
それを表に出さないように、レヴィシアはユミラに向かって微笑んだ。
「じゃあ、あたしから行きます」
ユミラは血の気の引いた顔でうなずいた。けれど、少し気になることがあったようだ。
「あの、それどころではないとわかっているつもりなんだけれど、その格好で下りるのかな?」
スカートのことを言いたいらしい。
「早朝だし、誰も見ていないからいいんです! じゃあ、行きますからね」
レヴィシアは、ユミラに借りた手袋をはめた。滑り止めと、摩擦防止のためだ。
縄をつかみながら、慎重に手すりを越える。顔を壁側に向け、壁を蹴るようにして少しずつ下りて行く。レヴィシアは安穏な生活を送ってきたわけではない。こういった場所から逃げ出すことも多々あった。初めてではないから、ためらいはない。けれど、ユミラは不安だろう。
それでも、やらなければリュリュには二度と会えないかも知れない。その一心でがんばってもらうしかない。
レヴィシアは、前世はリスかサルかと思われるくらい、器用にするすると縄を下りて行く。ただ、後もう少しだというところで、下から声がした。
「……おい、すごい眺めだぞ」
「えぇ!!」
その声に、思わず片手でスカートを押さえた。片手で体重を支え切れずに落ちるのは当たり前である。
死ぬほどの高さではないけれど、地面に叩き付けられる痛みを、落下する途中で想像した。冷静になれなかった頭は、受身を取るという手段を忘れ、ただまぶたを硬く閉じさせただけだった。
そんな彼女の体は、地面よりも柔軟な何かに受け止められる。それは、背中とひざの裏に特に強く当たった。恐る恐る目を開けると、受け止めてくれた青年は、ほっとしたように柔らかく笑う。
「おてんばメイドは誰かと思えば、昨日の子じゃないか」
レヴィシアを抱き抱えたままの青年は、門番の片割れだった。頭の形がはっきりとわかるチャコールグレーの柔らかな猫っ毛。中肉中背に柔和な顔立ち。二十代半ばくらいだ。
「大丈夫か?」
彼はゆっくりとレヴィシアを下ろしてくれた。レヴィシアは答えるよりも先に何度もうなずく。
その間に、ユミラも手製の縄を伝って下りて来た。意外に鮮やかなものだった。
「レヴィシア、ハルト、けがはないか?」
門番の青年は、ハルトというらしい。
「上から声を張り上げるわけにも行かなくて、どうしようかと思ったんだけれど、ハルトでよかったよ」
番兵に見付かったというのに、ユミラはほっとした様子だった。ハルトは咎めることなく、レヴィシアに向かって苦笑する。
「急に声かけてごめんな」
見かけ通りに優しい人だ。だから、レヴィシアは素直に礼を言う。
「ううん、助けてくれてありがとう」
ユミラは周囲を窺いながら小さく言った。
「ハルトたちは門番だけど、実はいつも内緒で通してくれていたんだ。だから、大丈夫だ」
そんな発言に、ハルトは嘆息する。
「ばれたらクビだけどな。ま、ユミラ様に恩を売っておくのもいいかなって」
冗談交じりに言う。ユミラが必死になるわけを知るからこそ、協力してくれるのだろう。
「――ユミラ様、急ぎましょ」
「そうだね。じゃあ、ハルト、いつものように見なかったことにしてくれ」
二人が駆け出すと、ハルトはその背を見送った。
「はいはい、いってらっしゃいませ」
ひらひらと手を振っている。貴族の主従にしては仲がよい。あの父親より、ユミラは屋敷の者たちに人気がありそうな気がする。きっと、いい当主になるだろうから。
そして、二人は駆け足で門に向かう。ハルトとは別のもう一人、初老の門番がいた。けれど、ここもユミラが人差し指を唇に当てると、黙ってうなずき、外から門を少しだけ開いてくれた。
レヴィシアとユミラはその隙間をするりと抜ける。脱出には成功したものの、これはまだ第一段階に過ぎない。これから、ルテアとリュリュを探し出さなければならないのだから。
こうなったらいっそ、素直に謝って、ユイとユーリにも協力してもらった方がいいのはわかっている。けれど、それをしたらまた部屋に押し込まれる。
――じっとなんかしていられない。
今、この時、ルテアたちはどんな思いでいるのだろうか。
おてんばさん……。




