〈16〉選ぶということ
レヴィシアがクランクバルド邸にいる頃、ユイは一人リレスティの町を徘徊していた。
ユイも、この町にあまり詳しい方ではない。レヴィシアがどこをどう通ったのかもわからなかった。
馬車の通れる広い往来。美しい模様の整えられた石畳。ガラス張りのショーウインドーの中の煌びやかな商品たち。それらに足を止め、目を輝かせる身綺麗な人々。
何か、自分がここにいることに違和感を感じた。
ユイの家系は武門であり、過去に武勲を立てて爵位も授かっている。ただし、そういった武門の貴族は豪遊するような、自堕落なことはしない。質実な父が遊びほうけるさまなど、想像もできなかった。自分たちは、日々鍛錬の繰り返しだった。
そんな過去をぼんやりと思い出す。
ただ、自分自身は、享楽的なことも嫌いではなかった。堅苦しいばかりでは息が詰まるとも思った。
家を出る前から、貴族の社交場よりも下町が好きでよく一人で出入りし、家人に顔をしかめられた。それでも止めなかったけれど。
あの頃の自分は、すべてのことの意味を深く考えずに動いていた。
そんな若気の至りはたくさんの人を傷付け、絶望に落とした。その償いのために今の自分がある。
――それなのに。
摘み取ってしまった跡から、新たに芽吹いたはずの希望。
迷いなどない。ひたすらにレヴィシアを守ればいいと思った。
それなのに、ユーリの言葉が何度も頭の中を駆け巡る。
本当に大事なものは――選び取れるものはひとつだけ。
大事なものは増やしてはいけない。この手に収められるものはひとつだ。
何を選ぶ。何を捨てる。
これ以上、捨てるものなどないと思いたかった。
思案するユイの顔付きは険しかった。人ごみをすり抜け、歩きながらも、思わずため息がもれる。
すると、背後から陽気な声がした。
「おニイさん、肩落としてどうしたの?」
ぽん、と肩に手が置かれた。聞き慣れない声に思わず身を硬くして振り返ると、そこにいたのは見ず知らずの女性だった。
長い黒髪を左側頭部に束ね、動きやすそうなパンツスタイルだった。二十歳程度で、その碧眼は瞬きが多く、小柄なせいもあって猫のような印象を受ける。
「いや、別に……気にしないでくれ」
事情の説明などできない。
彼女は警戒心もなく、無邪気そのものだ。ふぅん、と小首をかしげる。
「だったらいいけど。でもさ、それならもっとシャキッとしないと、イイ男が台無しよ?」
おどけた物言いに、ユイはただ苦笑する。すると、彼女はユイに声をかけた本当の目的を口にした。
「あのさ、実はあたし、この辺の道がわかんなくて、ちょっと訊きたいんだけど? クランクバルドって人のお屋敷ってどの辺り?」
クランクバルド。
このリレスティの領主である名門貴族だ。
「詳しくは知らないが、領主だから、多分、あの高台にある屋敷じゃないか?」
適当なことを言ってしまう。親切に案内してあげるだけのゆとりが、今の自分にはなかった。
「なるほどね。じゃあ、行ってみようかな。ありがとね」
「領主に用事か?」
なんとなく、尋ねた。彼女は一見して、身分のあるものではない。それが、クランクバルドに用があるという。すると、彼女は一笑した。
「まさか。あたしの弟が働いてるから、会いに来ただけよ」
なるほど、と思う。ユイは高らかに手を振りながら去って行く彼女に手を振り、それから考えた。
レヴィシアが考えそうな人攫いの拠点とはどんなところだろう。自分も捕まった方が早いなんて考えなければいいのだが。
この時、道を尋ねた女性に対し、もっと親切に、一緒にクランクバルド邸を探してあげれば、ユイはレヴィシアを見付けることができたかも知れない。そうならなかったのは、レヴィシアの強運のせいか、ユイの不運のせいか、それはわからない。




