〈15〉一緒に行こう
メイドたちの住む離れに案内され、連れて来てくれた彼女は上司らしい女性に事情を説明していた。
その上司は、六十歳を過ぎた頃か。肌は張りを失い、まぶたは下がっていたが、姿勢は頭からつま先まで神経が行き届いていた。彼女が使用人頭だろうか。
彼女は複雑そうな視線をレヴィシアに向け、それから小さく嘆息すると制服を用意してくれた。
「着用の仕方はわかるかしら?」
「はい、なんとなくは……」
レヴィシアは衝立の後ろで着替える。
白い丸襟の付いた、紺のワンピース。フリル付きのエプロンと、同じくフリル付きカチューシャ。
目にすることはあっても、まさか自分が着る日が来るなんて、思ってもみなかった。みんなに見られたら、なんと言われるだろうか。そんなことを考えながら袖を通した。
幸い、スカートの丈は太もものダガーを隠してくれる長さだった。
衝立の陰から出ると、使用人頭らしきメイドは何故か憂いを帯びた目をして、レヴィシアのカチューシャを少し直した。
「これでいいわ。じゃあ、行ってらっしゃい……」
「はい、ありがとうございます」
レヴィシアは深々と頭を下げた。そして、もう一度先ほど案内してくれた女性の後に続く。
無駄に幅の広い階段を上り、長く続く廊下を歩いた。その途中に、先ほどの男性がいた。
あの歳の離れた奥方らしき女性は連れていない。一人だった。
今更だが、この男性がこの屋敷の主なのだろう。こういう場合、旦那様とでも呼ぶのだろうか。
「ご苦労。君はもう下がりなさい」
案内してくれたメイドは一礼すると、手を前で組み、規則正しく歩き去った。その横顔が少しこわばっていたような気もする。その背をなんとなく眺めていたレヴィシアに、彼は言った。
「君は、他のメイドのような仕事はしなくていい。君の役目は、この部屋にいることだ」
「え?」
いきなり内情を探りに来たのがばれてしまったということか。
ただし、探す手間が省けたようだ。この部屋の奥にルテアたちが捕まっているのだろうか。
けれど、一瞬にして色々と考えたレヴィシアは、次の瞬間に肩透かしを食った。
「君の役目は、私の息子の監視だ。あれをこの部屋から絶対に出さないように付いていなさい。片時も離れずにだ」
「え? む、むす……いえ、ご子息はどうされたのですか?」
この展開に付いて行けないレヴィシアは、思わず尋ね返した。すると、彼は顔をしかめた。
「質問はいい。言われた通りにしなさい」
感じが悪い。けれど、口にも顔にも出せなかった。
「……はい。申し訳ございません」
と、素直に謝る。それで満足したのか、彼は言った。
「あれは本来、穏やかな性格をしている。ただ、今は少々勘違いをしているだけだ」
クランクバルドは服の内側から鍵を取り出し、施錠を解く。軟禁状態のようだ。それなのに、まだ監視を付けようなんて、やりすぎではないだろうか。
家が気詰まりで、ちょっと遊びに行きたいくらいなら、大目に見てあげればいいのに。そんなことを考えていた。
けれど、彼の息子は、部屋の中で彼の心配した通りの行動を取っていた。
扉が開いた途端、風が吹き抜ける。大きく開かれた窓の外側のテラスに例の息子はいた。
どう見ても、なんとかして下りようとしているようにしか見えなかった。身を乗り出し、左右をきょろきょろと忙しなく見回している。
「ユミラ!!」
ユミラと呼ばれた少年は上半身を起こすと、藍色の上着をひるがえしてこちらにやって来た。
ゆるくくせのある赤褐色の髪を、父親と同じように絹のリボンで束ねている。こういったものを着慣れているのか、上着の袖から覗くフリルが上品でよく似合っていた。
顔立ちは整い、細身だけれど上背はある。どこか知的な印象だった。
彼は毅然として父親を見据える。その時になってレヴィシアは、彼にやましいことなどないのだと気付かされた。
「何か御用ですか? ようやく気が変わられましたか? そうでない限り、僕が従うことはありません」
静かな口調の中に憤りが窺える。クランクバルドはそんな息子に怒声を浴びせた。
「貴様、父親になんて口の利き方だ!」
「僕の父であるというのなら、どうか僕の願いをお聞き入れ下さい。この願いが叶うのなら、僕は金輪際父上に逆らうことはいたしません」
ここまで言っているのに、クランクバルドは聞く耳を持たない。よくわからないけれど、レヴィシアはすでにユミラの肩を持ちたくなっていた。
何を言っても無駄だと思ったのか、クランクバルドは会話の流れを変えた。急にレヴィシアの背を押して前に突き出す。いきなりだったので、レヴィシアはバランスを崩したが、なんとか耐えた。振り返ってクランクバルドを見上げると、彼は冷ややかに言った。
「この娘に、今日からお前の監視を申し付けた」
途端にユミラは表情を険しくする。
「監視など無意味です」
すると、クランクバルドはここで初めて笑った。それは、背筋が寒くなるような笑いだった。息子に向けるようなものではない。憎しみさえ覗かせるような何かがある。
「お前がこの娘を振り切って出て行くのであれば、その叱責はこの娘が受けることになる。それでもか?」
「何を――」
「役に立たぬなら、必要ない。若い娘が大層お好きな方もいる。そちらにお譲りするとしよう」
勝手に話が進み、レヴィシアがぽかんとしていると、ユミラは碧玉のような瞳から、燃えるような怒りを父親に向けた。
「あなたという人は……心底見損ないました!」
「フン。ここまでさせるのは、お前が意固地なせいだ。とにかく、『あれ』のことはもう忘れるのだ! よいな!」
バン、と力任せに扉を閉め、苛立ちもあらわに鍵をかける。こう言ってはなんだが、この立派な屋敷の主として相応しくない振る舞いだ。息子の方が人品優れている。
レヴィシアは思わず嘆息した。この重い空気をどうしてくれる、と。
仕方がないので、レヴィシアは自分から口を開いた。
「ごめんなさい。とても間の悪い時に来てしまったみたいで……」
すると、ユミラは目を伏せ、ゆるくかぶりを振った。先ほどまでの勢いはなく、急に弱々しく見える。
「君のせいじゃないよ。君がいなくても、父はなんとかして僕を留めようとしたはずだから」
貴族なのに、優しい少年だ。こんな貴族もいるんだな、とレヴィシアは意外に思った。だから、尋ねた。
「あの、どうしてそんなに抜け出したいんですか? お父上も、どうしてあんなに反対されるのでしょう?」
本気で仕える気などない。不興を買ったところで困らない。堂々と尋ねたレヴィシアに、ユミラは苦笑した。
「事情を知らないなんて、君は本当に新入りみたいだね。……そうだな、一言で言うなら、僕は人を探している」
「え? 人を?」
ユミラはうなずく。
「もう三日も行方がわからない。心細くて泣いてるはずだ。……なのに、父は探しに行くことは許さないと言う。あれはこの家に相応しくないなどと、どの口が言うのかっ」
感情の昂ぶりを見せる彼に、レヴィシアはそっと声をかけた。
「大事な方なのですね」
ユミラはもう一度うなずく。
「僕が守らなければ、あの子にはもう、味方は誰もいない。自分が要らない存在だと言って泣くようなことは、二度とさせたくないんだ」
大事なんだと、それだけはすごく伝わる。
「恋人ですか?」
この質問をしてみた時のリトラの反応を思い出した。けれど、ユミラのそれは、リトラとはまったく違う反応だった。ただ驚いて、それから笑った。
「違うよ。相手は四歳児なんだから」
「え?」
「僕の妹だよ」
「い、妹さん?」
だとするなら、娘がいなくなったというのに、あの冷淡な態度はどういうことだろう。レヴィシアのもっともな疑問に、ユミラは答える。
「血の繋がりはないんだ。もう会ったかも知れないけれど、父の後添え……僕の義母の連れ子なんだ。父はもとより、義母までもが疎ましく思っているのを隠そうともしない。どこかに養子にやるという話を進めていたことも知っている……」
ひどい話だ。親の都合に振り回されているだけで、その子は何も悪くない。
「じゃあ、お父上は居場所を知っていて探しに行くなと言っているんですか?」
すると、ユミラはかぶりを振った。その仕草は不安げだったように思う。
「そういう可能性もなくはないけれど……いなくなったのは町の中でなんだ。本当に、ただ迷子になっただけかも知れない」
町の中で子供がいなくなった。
その話を聴き、レヴィシアはまさかと思う。まったくありえない話ではない。
レヴィシアは覚悟を決め、ユミラに本当のことを話す決意をした。深呼吸して気持ちを落ち着け、それから切り出す。
「実は、あたしも人を探しています。ここにいるかも知れないと思って来たんですけど、違ったみたいで……」
「ここに?」
「はい。どこかの貴族のお屋敷だということしかわかっていないんです」
ユーリのメモにあった名前や印は、協力を仰ぐ貴族を選んでいた時のものだったのだろう。誘拐事件と同時進行していたのを忘れていた。
「最近、この町で誘拐事件が起こってるんです。あたしの友達も攫われてしまって……。もしかすると、妹さんも一緒に攫われてしまったのかも」
わかりやすいくらいに、ユミラの端整な顔から血の気が引いて行った。
「そんな話は初めて聴いた。どこかの屋敷ということは、首謀者は貴族で、公にならないのなら、被害者は平民ということか。……それがもし本当なら、リュリュもそこにいると」
リュリュというのは、妹の名前だろう。
それにしても、ユミラは一言でたくさんのことを理解する。見かけに違わず、頭がいい。
「けれど、それがわかったというのに、外に出ることができない! 僕は……っ」
自分を責めるような口調だった。父親の脅しに屈するしかないのは、レヴィシアの身を案じてくれているからだ。さっき出会ったばかりなのに、その優しさにたくさん触れた気がする。
だから、助けてあげたいと思った。
生憎、あの父親はレヴィシアのことを何も知らない。それが敗因となるのだ。
「あたしなら大丈夫です」
レヴィシアはあっさりと言う。けれど、ユミラは、とんでもないとばかりにかぶりを振った。
「君はわかっていないだけだ。大丈夫なんかじゃない」
「いえ。だって、あたしも一緒に抜け出せば問題ないでしょう?」
「…………」
正直、それは盲点だったらしい。
「あたし、友達を探しに来ただけで、本気で働きに来たわけじゃないですから、後のことなんてどうでもいいですし。ここでじっとしているのは、あたしにとっても不都合なんです」
レヴィシアはにっこりと笑ってユミラの前を通り過ぎた。テラスに出ると、遠くが見渡せる。空と同じ色の湖と、南の森の緑が目に鮮やかだった。
風を受けながら、レヴィシアはユミラを振り返る。
「ちょっと高いけど、がんばりましょうね!」
ここから下りるつもりだと。それを断念していたユミラは、すでに苦笑するしかなかった。
「とんでもないメイドがいたものだ。……そういえば、君の名前をまだ聞いていなかったね」
「レヴィシア=カーマインです」
「そう。よろしく、レヴィシア――」
まさかのメイド服です(笑)




