〈7〉ユイ
中断はあったものの、一行は再び薄暗くなりつつある道のりを行く。
ユイはレヴィシアの肩を気にしていたが、レヴィシアは笑って腕を振る。
「大丈夫。ルテアもとっさに加減してくれたんだと思うよ」
青あざくらいにはなるかも知れないけれど、骨などに異常はない。そこまで心配するのは大げさだと思うけれど、ユイは基本的に心配性だ。
「ごめん……」
と、表情を暗くして謝る。レヴィシアが笑っても、ユイは笑わない。
その言葉を一体どれだけ聞いただろう、とレヴィシアはぼんやりと思った。
「何を謝るの? あたしがけがをしたから? 止めないでって言ったのに、止めたから?」
「両方だ」
レヴィシアは嘆息する。
彼をこうしてしまったのは自分なんだとわかっていても、時々もどかしくなる。
自分の意思で行動を共にしてくれることを、今は願っているのに。
「……ユイ、あたしがレジスタンス活動をするって決めた時に言った言葉、覚えてる?」
「ああ、忘れるはずがない。……もし、一緒に戦ってくれるのなら、あなたも等しく仲間だ、と」
「そう。こうしている今は仲間だから。お願いはしても、命令はしない。その違い、わかってもらえないかな? 駄目だと思ったら、そう言ってくれていいんだよ」
それでも、ユイはうなずかなかった。だから、レヴィシアは続ける。
「ユイが協力するって言ってくれた時から、あたしの中では変化が起こったの。あたしもユイも、出会った頃のままじゃない。そうでしょ?」
レブレムの率いたレジスタンス組織が瓦解し、レヴィシアは残党狩りからユイと二人で逃れる途中、ザルツとプレナという幼なじみと再会した。それがきっかけで、レヴィシアはようやく本来の姿に戻れた。
父親を亡くした後の暗い表情も消え、彼らといるとよく笑うようになった。だからといって、すべてが元通りとは行かないけれど、その笑顔を取り戻してくれた彼らに、ユイは随分と感謝した。
「そう、だな」
ようやくそれだけを言ったユイの顔を、レヴィシアは覗き込んだ。
「あたし、勝手なこと言ってるよね。いつも振り回してごめんね」
「いや、それが俺の望みだから」
それこそが、彼のすべてだった。
レヴィシアはそっと微笑み、ユイの腕を引っ張った。
「じゃあ、この話はこれでおしまい。ね?」
ユイは苦笑し、レヴィシアに引かれて歩く。
この娘のために、今の自分は存在している。
それだけは間違いようのない事実だから。
その後、辺りが明るくなる前に短い仮眠を取り、明け方になって再び出発した。
そんな彼女たちと、ラナンが手配していた『イーグル』の構成員数名が合流したのは、麓に差しかかった頃だった。力のありそうな面々が、疲労困憊の者から荷物を受け取る。
「このままトイナックの町まで行くぞ。そこに俺たちのアジトがあるから」
トイナックは、山と海に囲まれた町で、少々交通の便が悪い。レヴィシアは今まで、立ち寄ったことがなかった。
馬車も使えず、整備の甘い凸凹道をひたすら歩くしかない。
そこへ向かう途中、ルテアはちらりとレヴィシアの様子を気にしつつ、ようやく声をかけた。
肩の具合が一番気になったくせに、まず尋ねたのは別のことだった。
「……ところでさ、お前、よく無事だったな」
「え?」
「レブレムさんの死後、残党狩りがひどかっただろ? お前は唯一の血縁なんだし、見付かったら危なかったはずだ。……実際、俺も色々あったし」
ルテアの言葉に、過去に思いを馳せる。
苦痛で塗り尽くされた日々。
あの頃は、泣き叫んでいた記憶しかない。
思い出すと、苦しいだけだ。
「うん……。色々なところ、転々としてたよ」
「……そっか」
目に見えてレヴィシアの表情が曇ったので、ルテアは気まずくなって視線を泳がせた。すると、彼女の隣にいたユイと目が合う。にらまれたわけではないが、慌てて視線をそらしてしまった。
押さえ付けられた時の印象のせいもあるが、口数も少なく、何を考えているのかがまるで読めないので、不気味に感じられる。
つい、するりとその場を離れた。
ただ、よく知らないからそう思うだけなのかも知れない、とも思う。
「なあ、ちょっといいか?」
ルテアは前方を歩いていたザルツとプレナに声をかけ、走り寄った。
「うん、何?」
二人は振り返ったけれど、ルテアは二人を追い越し、向かい合えるように、自分が後ろ向きになって歩く。
「あのさ、レヴィシアの隣のやつって、誰?」
「ああ、ユイのこと?」
「ユイ?」
変な名前だ。本名ではないのかも知れない。
レジスタンス活動家の中には偽名を名乗る者も少なくない。家族に累が及ぶのを避けるためであったり、色々な事情からだ。
「弓の名手で、今回の作戦の一番の功労者だと思うわ」
「……ふぅん。どういう経緯で知り合ったんだ?」
レジスタンスは情報の漏洩が命取りとなる。だから、構成員は必ず信用の置ける人物でなければならない。彼は、どういった素性の人物なのだろうか。
けれど、プレナは少し困ったように微笑んだ。
「ユイはレブレムさんの死後、私たちと再会するまで、一人でレヴィシアのことを守ってくれていたの。レヴィシアが無事だったのは、ユイのお陰なのよ。それ以上のことは私たちにはわからないけれど、それだけで十分だから」
レヴィシアを連れていれば、自分の身も危なくなる。放っておけなかったのだとしても、厄介ごとを背負い込んだと言っていい。中途半端な同情では、できないことだろう。
「そう……なんだ?」
けれど、素性も何も、結局はわからない。謎が深まっただけだ。
すると、ずっと黙っていたザルツが口を開いた。
「一年間、行動を共にして来たから、人柄も腕も信ずるに値すると知っているつもりだ。レヴィシアが認めている以上、俺たちがとやかく言うことでもないが」
こういうタイプの人間は、お世辞など言わない。だから、ルテアはザルツの言い分を疑うことはしなかった。ただ、なんとなく釈然としないものも抱えてしまうのは、何故だか自分でもよくわからなかった。
「ありがとな」
そう言って、二人から離れると、今度は背後からどつかれた。
「何をフラフラしてるんだ?」
「別に」
「そんなにレヴィシアとあの男前が気になるのか? レヴィシアが思いのほかかわいかったからだろ」
「はぁ? なんだそれ!」
むきになって吠える子犬と、動じない大型犬のような二人だ。勝負は見えていた。ラナンはおもしろそうにルテアの頭をぐりぐりと撫でる。
「お前は美少年だし将来有望だけど、まだまだ成長期だからなぁ。向こうは完成されてるし、出遅れた分はがんばらないと難しいぞ」
「違う! 勝手に決めるなよ!」
多感なお年頃なので、顔を赤くしてぎゃあぎゃあ騒いでいる。なんてからかいがいがあるのだろう、とラナンは満足げに笑っていた。
「でも、仲間のために彼女を試したってのは嘘じゃないにしても、それ以上に、レヴィシアにレジスタンスなんて辞めさせたかったんだろ? お前だって色々つらい思いをして来てるのに、女の子のレヴィシアなら、尚更にな」
その言葉に、ルテアは否定も肯定もしなかった。
相手にひけらかすのではない、そんな優しさを秘めた彼だからこそ、仲間たちは集まったのだ。
「諦めないのなら、お前が守ってやれよ」
「……うるさい」
「素直じゃないなぁ」
「う、る、さ、い!!」
ただ、ひっそりとした思いやりは、届いていない。
何を話しているのかまでは聞き取れないが、わめいているルテアを遠くから眺め、レヴィシアはユイに向かってぽつりとつぶやいた。
「ルテアって、昔はおとなしくてかわいかったのに、どうしてああなっちゃったのかなぁ?」
緊張感は薄れたまま、一行は歩き続ける。
両方の会話が聞き取れる位置にいたザルツは、先が思いやられると、ひそかに嘆息した。