〈8〉手の中に
一方で、宿の留守番組のもとに来訪者があった。
レヴィシア、ユイ、ユーリの三人は、ドアをノックする音に顔を見合わせる。けれど、そのすぐ後に聞き慣れた声がして、安堵した。
「俺だ。サマルだ」
「今開けるよ」
そう言って椅子から立ち上がったレヴィシアよりも先に、ユイが扉を開く。ただ、相手はサマルだというのに、何故かユイは距離を取った。
「大丈夫だって、敵じゃないんだから」
慌てて付け足すサマルの声がする。レヴィシアが駆け寄ると、サマルの背後にはふたつの人影があった。サマルは素早く二人を中に押し込み、扉を閉める。
レヴィシアは、そのうちの一人を見て、とっさに言葉が出なかった。すると、向こうから声がかけられる。
「よぅ、また会えたな」
警戒を解かないユイの隣にいながら、レヴィシアはこの再会を心から喜んだ。
「スレディさん!」
もう一人の、額にバンダナを巻いた糸目の青年は知らない。けれど、この水面の波紋のような目をした老人は、間違いなく知っている。
以前、鉄格子の向こうから話しかけてくれた人だ。二度と会うことはないと思っていたのに。
「その驚き方は、なんにも聞かされてなかったって顔だな。おいコラ、垂れ目」
「サマルですってば。いや、びっくりさせてやろうと思って、黙ってました」
レヴィシアは二人のやり取りに唖然とする。
「うん、びっくりした」
すると、サマルはにやりと笑った。
「ほら、前に俺、アスフォテの町に通ってただろ? あれがスレディさんのところだったんだ。武器職人のスレディさんを引き込もうとしてたってわけ」
「で、成功したんだ? すごいすごい」
嬉々とするレヴィシアに、スレディの後ろに控えた青年がぼそりと言う。
「サマル君のお陰?」
つぶやきに近いのに、嫌にはっきりと聞こえる。サマルは嘆息すると、彼はフィベルというスレディの弟子だと紹介した。
「んなわけねぇだろ。誰がこんなこうるさい垂れ目のために動くかっての」
と、スレディは白い左眉を跳ね上げた。そんな師匠に、弟子は言う。
「師匠、本題」
スパンッ、とスレディはフィベルの頭を思い切り叩いた。けれど、フィベルは顔色ひとつ変えない。きっと、慣れているのだろう。
スレディは肩から提げていたカバンから、白い布に包まれた何かを取り出した。それは細く短い。それを手渡され、レヴィシアは戸惑ったけれど、スレディの目はとても穏やかに見えた。
「これはレヴィシアのための武器だ。少なくとも、俺はそのつもりで作った」
レヴィシアは以前、町の駐屯兵に捕まり、その時に愛用していた短剣を失くしてしまっていた。サマルがそれを伝えて用意してくれたのだ。突然の再会も嬉しかったけれど、協力はできないと言っていたスレディが、自分のために作ってくれたという事実が更に嬉しかった。
「ありがと、スレディさん」
素直に笑って礼を言う。まっすぐな感謝にスレディは少し戸惑ったように見えた。
包みは随分と軽く、長さは手の平から少しはみ出す程度でしかない。レヴィシアはその包みをそろりと開いた。
まず目に入ったのは、艶やかな白だった。筒状のそれには、光沢の中に波打つ模様が浮かんでいる。
「そこの先端のつまみを倒すと、刀身が出る。軽量化を意識して、コンパクトに作ったからな。服の下に忍ばせられる。ベルトも一緒に用意しておいたぞ。あ、刀身は出したらちゃんと固定しろよ」
スレディが言うように、銀のつまみを倒すと、研ぎ澄まされた刀身が微かな油の臭いと共に現れる。柔らかな青い光。曇りのない輝きだった。柄と刃の間には丸く輝く乳白色の月長石が象嵌されている。
「ザルツがさ、レヴィシアが身を守るためのものだから、いくらかかってもいいから、最高のものをって言ってくれたし」
と、サマルが笑う。
前の短剣は、父から貰った大事なもの。それを手放した後、誰にも言わなかったけれど、ひどく不安で仕方がなかった。けれど、ここにまた、新たな思いがある。
丸い月は、理想の姿。手を伸ばしても届かないものが、震える手の中にあった。
レヴィシアはそのダガーを胸に抱き、そっと目を閉じた。
「ありがとう。これからあたし、もっとがんばれるよ」
そんな姿を、スレディは満足げに眺めた。
そんな穏やかな空気は、新たなノックの音で一変する。少し荒々しい。
「おい、ユーリ! シェインだ。報告に来た」
その途端、ずっとレヴィシアたちを微笑んで見守っていたユーリが、表情を厳しくした。彼女が扉を開くと、シェインは急いで中に入ったが、見知らぬ老人と青年に面食らっていた。
「あれ? サマルと……この二人は?」
「ああ、武器職人のスレディさんとフィベル。敵じゃないから大丈夫」
サマルが説明すると、シェインはあれだけ慌てて報告に来ていたというのに、報告そっちのけで目を輝かせた。
「スレディ? もしかして、レイシェント=スレディか?」
スレディはシェインの担ぐ透かしの鍔の剣に視線を留めた。
「ほぉ。随分と懐かしいのを持ってるじゃねぇか」
「師匠、昔の?」
スレディはガリガリと頭をかいた。
「ん、ああ。随分前のな。今見るとつたなくて、叩き折りたくなる」
「おい、作ったのはあんたでも、今はオレの相棒だ。けなされたら黙ってないからな」
いつも手入れをして、大事に使っている。それを知っているから、この言葉は本心だと、レヴィシアは思う。それが伝わったのか、スレディもどこか照れくさそうだった。
「そりゃあすまねぇな。そいつに魂があるとすれば、アホらしいくれぇに喜んでるだろ」
いきなり打ち解けた二人。
けれど、ユーリは少し焦れているようだった。
「すみませんが、報告を」
シェインはようやく思い出した。
「あ、悪い!」
両手を勢いよく合わせる。けれど、シェインは一瞬言い淀んだ。それを察したユーリはうなずく。
「では、隣の部屋で窺いましょう」
その時、レヴィシアは妙な感覚を覚えた。嫌な予感と言ってしまえばしっくり来るような、そんな感覚だった。
シェインはユーリの後に続き、部屋を出ようとする。その背にある剣に、スレディは手を伸ばした。
「師匠、駄目」
それを、フィベルがつかんで止める。スレディはチッと舌打ちした。やっぱり、視界に入ると叩き折りたくなるらしい。職人とは、厄介なものだ。
シェインとスレディ作の剣との出会いは、この国に来た直後のことでした。だから、まだ一年半くらいですね。




