〈7〉先客
ヘイマン卿の屋敷は、町の中でも西寄りだった。そこまでの身分ではないのか、別荘程度の屋敷だからなのか、それほど大きくはない。それでも、白と黒のコントラストの美しい、レトロな屋敷だ。
ただ、庭の草木は伸びて季節の割には花も少ない。手入れが行き届いていなかった。だからこそ、新しく雇い入れようというのかも知れない。
主であるヘイマンを出迎える者はなかった。彼自ら扉を開き、ルテアを中へ招く。
貴族の生活に詳しいわけではないルテアでさえも、これは妙だと思った。もしかすると、没落寸前なのではないだろうか。
不審そうな顔をしてしまっていたのかルテアに対し、ヘイマンは苦笑した。
「いや、私はあまりたくさんの召使いを抱えるのは性に合わなくてね。いい歳をして、未だに独り身であるし、自分一人ならそう必要もなくて」
そう言ってから、慌てて付け足す。
「ああ、君のような子ならむしろ歓迎しているよ。無理をして雇うわけではないから、心配しないでくれ」
親兄弟がいないと言った言葉が効いたのだろうか。もし、ただのいい人だったら悪かったな、とルテアはひそかに思った。
ルテアはその、主自らの手で開かれた屋敷の扉を潜る。紫紺の絨毯の敷かれた廊下と、蔦模様の壁。その壁には数点の絵画が飾られていた。そういったものに興味の薄いルテアは、絵画を一瞥しただけで気にも留めなかった。
ヘイマン卿はルテアに手招きをする。
「こちらに使用人が住み込む部屋がある。今は、二人しかいないが、君にとっては先輩だ。紹介するからこちらへ」
彼が示したその先に下りの階段がある。その先は地下のようだ。
配色も落ち着いているせいか、温かみが感じられない屋敷だった。人の気配もない。ただ、その絵画に描かれた少女たちは、まるで生きているかのように見える。それがかえって不釣合いに思えた。
ひんやりと冷たい階段を下りながら、ルテアはその先を目でたどった。まだ日は高いけれど、窓がないために光は差し込まない。壁にある灯燭の明かりが頼りだった。
どこか湿った石床の廊下。いくつかのドアが規則正しく並んでいる。あまりに殺風景で、まるで独房のようだと思ったが、貴族にとっての使用人など、その程度のものなのだろう。
「さあ、ここだ」
示されたひとつの扉は、窓の部分にカーテンがかかっていた。ただ、それは外に設置されている。こういったものは、中にいる人物が開閉するため、内側に付けるものではないのだろうか。そう思った瞬間、ぼんやりとした違和感が疑惑に変わった。
ヘイマン卿を見上げると、彼はゆっくりと微笑んだ。明かりに照らし出された顔の陰影が、微笑んでいるにもかかわらず、不気味に映る。切り込みのような細い目から、ふたつの光がこぼれた。
心構えはあるものの、背筋にぞっと冷たいものが走る。
「!」
ヘイマンに気を取られていたルテアは、突如、背を向けていた隣の部屋から飛び出して来た何者かに羽交い絞めにされた。力が強く、体が半ば浮くような形になる。抵抗らしき抵抗もせず、だらりと力を抜いた。
すると、背後から野太い声がする。
「今度は男じゃねぇか。あんたの趣味は理解できん」
「フン、お前が集めて来るのは、どうも今ひとつだからな。私が自ら探すはめになったのだ。この間の子供など、どうして連れて来たのか……」
「まあ、そう言うなって。一人でフラフラしてたから攫いやすかったんだ」
笑いを含んだ生あたたかい息が耳にかかり、ルテアは不快感で一瞬だけ顔をしかめた。小さく嘆息すると、そんなルテアの顎にヘイマン卿の手袋をした指がかかる。
「なかなかの美少年だ。外へ出た甲斐があったというものだな」
馬鹿馬鹿しいな、とルテアは鼻白んだ。怯えた様子も見せず、無表情でいる。眉ひとつ動かさないルテアに、ヘイマン卿は首をかしげた。
「おや? 恐ろしくはないのか? 騙されたと気付いていないはずはないだろう?」
騙されたのはどちらか。笑ってやりたい心境だった。
「生憎、これくらいで驚くような生き方はして来なかったんでね」
平然と言ってのけるルテアに、ヘイマン卿は声を立てて笑った。
「諦めがよいのは感心だ。少なくとも、食べて行くには困らない。そう考えておとなしくしていれば、悪いようにはしないさ」
ルテアの背後の男が、そのままの体勢で言った。
「ああ、そういえば、最近雇ったあの女用心棒。あいつはどうも怪しいと思ったら、ガキを逃がそうとしてやがったんだ。仕方ねぇから、こん中に一緒にぶち込んでおいたけど、どうする?」
「あれか。見目がよかったから雇っただけで、最初からそのつもりだった。それで構わんよ」
すると、男は嘆息する。
「貴族って、ほんとに節操ねぇな」
「私はただ、美しいものが好きなだけだ」
「まあいい。くれるもんくれりゃあ、それで」
牢に等しい部屋にぶち込まれたルテアだったが、状況は悪くないのである。
無抵抗だったお陰か、持ち物を調べられることもなく、服の下に隠し持っている組み立て式の短槍は手もとに残っている。それに、仲間たちにも居場所は伝わっているだろう。
状況を把握するため、ルテアは薄暗い室内を見回した。すると、殺風景で簡素なベッドにもたれかかるような形で、二人の先客がいた。
そのうちの一人は、本当にまだ子供だった。四歳くらいにしか見えない。
特別顔立ちが整っているというよりも、眺めていると和むような女の子だ。なんとなく、小動物を連想させる。柔らかそうな癖のある髪を耳の下でふたつに分けてくくり、オレンジ色のエプロンドレスを着ていた。不安げに縮こまる姿が痛々しい。
そして、その女の子の傍らには、対照的な美女がいた。彼女が、先ほど話に出て来た用心棒だろうか。
腰にまで届く艶やかな黒髪。薄茶の濡れた瞳。白い首筋から鎖骨のラインがきれいに見える、ざっくりと開いたニットワンピース姿だ。二十代前半といったところだろう。ちょっとした仕草に色香がある。
彼女はぼうっとしていたルテアに声をかけた。
「君もあいつらに捕まったの?」
「……まあ、そうかな」
とりあえず、平然とそう答えたルテアを、彼女はまだ状況が飲み込めていないと思ったらしい。真剣な目をして言った。
「そうかなって、そうなのよ。信じたくないだろうけど、事実そうなの」
けれど、彼女はこんな状態だというのに声を明るくした。
「でも、大丈夫! 心配しないで。わたしが付いてるから」
ユーリに言われたように、勇気付けてあげる前に、勇気付けられた。気丈なものだ。
「付いてるって、一緒に捕まってるだけだろ。助けが来るあてとかあるのか?」
思わず突っ込むと、彼女は途端に絶句した。その空気で、女の子は泣き出してしまう。ルテアは慌てて意味もなく手を振ってしまった。
「わ、悪かった。大丈夫、大丈夫だから!」
ああ、人間って、言葉に困ると大丈夫とかしか出て来ないんだな、と客観的に思った。女用心棒は、そっと女の子を抱き締める。
「ほんとはわたし、ここが何か危険な場所だってわかってて来たの。逆に捕まるなんて、ほんとに最悪だけど」
真剣に落ち込む姿は、彼女の善良さを表している。ルテアは、彼女を信じてもいいと思った。
「一人で乗り込むなんて、すごいな。考えなしでもあるけど」
「けんか売ってる?」
「売ってないって。……俺はルテア=バートレット。あんたは?」
「シュゼマリア=マルセット。シーゼでいいよ」
「わかった。シーゼ、いざって時には頼りにさせてもらうよ」
そう言って、ルテアはシーゼの隣に行き、声を低くした。
「実は俺、囮なんだ。仲間たちもいるし、そのうち助けが来るから」
シーゼはきょとんとしてルテアを見た。女の子もしゃくりあげながらルテアを見上げる。
「仲間?」
「ああ。俺、レジスタンス活動をしてるんだ。その仲間だ」
その途端、シーゼは少し難しい顔をした。
「レジスタンス、か」
何か、抵抗があるのかも知れない。すべてのレジスタンス活動家が人格者とは言えないし、活動の末に人を傷付けることもある。以前はエディアもレジスタンス活動を嫌悪していたというし、不思議はない。
シーゼはぽつりとつぶやく。
「あのね、もしかして――」
けれど、それ以上の言葉は、彼女の口から紡がれることなく消えてしまった。
「ううん、やっぱりいいや」
と、笑ってごまかす。少しだけ気になったけれど、詮索するつもりはなかった。
「ところで、シーゼは用心棒なんてするくらいだから、何か武術ができるんだろ? 何が得意なんだ?」
「わたしは剣士なの。剣を持たせたら、並みの男になんて負けないんだから」
得意げに言うけれど。
「その、肝心の剣は?」
「……そんなの、捕まった時に取り上げられたわよ」
「…………」
あてにできない。よくわかった。
とりあえず、潜入には成功したのだから、少し様子を見よう。
今、自分が優先するべきことは、この二人を守ること――。
「その女顔もいつか何かの役に立つよ」リッジ談(C1/22 にて)
――ようやく役に立ちました(笑)




