〈37〉メトローナの河
その晩、ユーリはレヴィシアたちの部屋を訪れた。ここに泊めてほしいとのことだ。
やはり、リトラとは恋人でもなんでもないらしい。
そして、その翌朝、宿にいる全員がひと部屋に集結した。ユーリとリトラのために取った部屋だ。リトラが積極的に部屋の外へ出ようとしなかったため、皆が押しかけたのである。
思い切り顔を歪めたリトラは、ユーリに宥めすかされ、渋々壁際に落ち着く。彼はザルツに鋭い視線を向けて言った。
「おい、先に断っておくが、ユーリに後方支援以外の使い道はないと思え」
ほっそりとして物腰の柔らかい彼女は、どう見ても戦闘などとは無縁だ。ザルツはもとよりそのつもりだった。
そもそも、ユーリは将を射るための馬なのである。彼をうまく説得してくれたら、それ以上のことは望んでいなかった。
リトラは嘆息すると、部屋の隅にあった黒く大きなカバンから本を一冊取り出した。藍色の装丁であるその本にリトラ自身はなんの愛着もないため、扱いはぞんざいだった。ザルツは投げて寄越された本をとっさに受け止める。途端にユーリはキッとリトラをにらみ付けたが、彼はそれを無視した。
いきなり寄越された本を訝しげに見遣ったザルツは、その本に驚愕した。珍しく、声を張り上げる。
「これ!」
ユーリは観念したのか、ため息をついた。ザルツはいつもよりも昂ぶった声で尋ねる。
「『メトローナの河』じゃないか!」
「そうですね」
渋々といった口調でユーリは言った。
「もしかして、君のか?」
「はい」
レヴィシアにはその本がなんなのか、わからない。だから、素直に尋ねた。
「なんなの、それ?」
「ああ、随分前に記された哲学書だ。その思想の広がりが、まるで河のようだという。もう絶版になっていて、滅多に手に入らないから、俺も初めて目にする……」
自分で尋ねたくせに、レヴィシアはザルツの説明を右から左に押しやった。縁がない話で、どうせ詳しく尋ねてもわからない気がしたので、それ以上訊かなかった。
ただ、ザルツは興味深そうに本を開く。そんな彼に、リトラは言った。
「おい、今開いてる頁はどこだ?」
「ん? 十二頁だ」
ザルツがそう答えると、リトラはユーリに促す。
「ユーリ、十二頁だ。言ってみろよ」
ユーリはひとつ息をつくと、歌うように朗々と諳んじる。
「――で、あるからして、卑小なれども万物の興りを知り得るなり。生じて移ろい、散り行くさまに、人は何を学ばんや。美しきは幻なり。醜きは誤りなり――」
本とユーリとの間を、ザルツの視線が行き来する。硬くなった指先で本をめくると、今度はザルツがそれを読み上げた。
「何をもって人と称す――」
その先を、ユーリが引き取る。
「功を示し、徳を唱え、家人を愛す。それこそが偽である。自ら葬りて獣となれり。――六十五頁六行目ですね」
今度は本を閉じ、ザルツはユーリを見据える。
「驚いた。すごいな、君は」
「いえ、まだまだ勉強中の身です」
謙遜するユーリだが、すでに彼女はザルツの信用を勝ち得ていた。そんな様子を苦々しい面持ちで眺めていたリトラは、
「わかっただろ。こいつの使い道はここだけだ」
と、『だけ』に妙な力を込め、自分のこめかみをつつく仕草をした。
「だから、外には出すな」
結局のところ、それが言いたかったらしい。レヴィシアはばれないように嘆息していた。
この二人が一時的に手伝ってくれることが、自分たちにとってどういう結果をもたらすのか、この時のレヴィシアにはまるで読めなかった。
リトラは確かに強いけれど、同じ志を持って戦ってくれるわけではない。ユーリだってそうだ。ただの通りすがりで、すぐにいなくなる。この国の事情に、そこまで親身になってくれるとは思えない。
なのに、ザルツはこの出会いを好機だと感じているようだった。
ただ、今更ザルツの考えを疑うべきではない。失敗を恐れることも自分らしくない。
いつだって、信じて精一杯に先を目指すだけだ。
また一歩、理想に近付いているはずだと――。
ここで第二章終了です。
お付き合い頂き、ありがとうございます。
二章は、三章に続く形で終わりました。
三章では、助っ人の二人に加え、まだ人が増えます(増えすぎ……)
シュティマの参戦も、早くしないとゼゼフが寂しがりますね。




