〈30〉不思議な旅人
プレナはひざを抱え、夜が明けるのを待った。
粗野な建物の隙間から、光が幾筋かこぼれる。目を閉じ、ひざに顔を埋めていても、苦しさは増すばかりだった。
後、どれくらいの時間が残されているのだろう。
徐々に明るさが増して行く。けれど、心は暗澹とするばかりだった。
陰鬱な気持ちに支配されていたプレナは、この時近くで響いた物音にびくりと体を震わせた。荒々しい、その場でもみ合うような足音と、短い悲鳴。それは、若い女性のものだった。
「あの、私、道を間違えただけで……」
「道に迷った? もう少しマシな嘘をつけ!」
「当たり前です。嘘だったら、もうちょっと上手につきます」
怯えているのかと思えば、開き直った。
「もういいです。わかりましたから、そんなに怒らないで下さい。では、帰ります。失礼いたしました」
あっさりとした口調の女性に、見張りの男は声を荒らげた。
「コラ、待て! そう簡単に帰せるか! お前、ここを突き止めて探りに来たんだろう!」
「え? 違いますよ」
プレナは彼女の声に心当たりがなかった。だから、本当にただの通りすがりだろう。
ここが見張りの男がむきになるほど、通りかかるには不自然な場所だとしても、事実そうなのだ。
それでも男は引き下がらない。リッジの反応を考えると、仕方がないのかも知れない。
「うるさい! お前も入ってろ!」
「え! は、放して下さい!」
バン、と乱暴に扉が開かれ、大量の光が押し寄せた。プレナが目を眩ませていると、小屋の中に一人の女性が放り込まれる。彼女は、受身も取れずに派手に転んで地面に突っ伏した。その間に、見張りの男は素早く扉を閉める。
彼女はいたた、とうめいて額をさすった。
「だ、大丈夫?」
ひっそりと座っていたプレナに気配を感じなかったのか、彼女はひどく驚いた風だった。薄暗い室内でも、零れ落ちた朝日でその姿を知ることが出来た。
大きく見開かれた紅玉のような瞳。艶やかなチェリーブロンドの短かい髪。雪のように白い肌。その美貌には育ちのよさがある。シンプルなローブを着ているが、名家のお嬢様といった雰囲気だ。
彼女はプレナに向けて、お行儀よく座り直した。
「はい、大丈夫です。もしかして、あなたもいきなりここへ閉じ込められてしまったのですか?」
こんな状況だというのに、彼女は微笑んでいた。危機感が薄いのか、肝が据わっているのか、どちらだろう。プレナも苦笑する。
「ちょっと違うわ。あなたは私の巻き添えになってしまったみたい。ごめんなさい……」
すると、彼女は美しい髪を揺らしてかぶりを振った。
「詳しい事情はわかりませんが、あなたが謝ることではありません」
こんな状況でも、不安を表に出さず、プレナを責めることもしない。優しい娘だからこそ、余計に巻き込んでしまったことが悲しかった。
「ありがとう。……あの、私はプレナ=キート。あなたは?」
「ユーリ=オルファニデスと申します」
「じゃあ、ユーリって呼んでもいい?」
「はい」
「私のことも呼び捨てでいいから。敬語も使わなくていいわ」
「うん、わかった」
すると、途端にユーリは少年のような口調になった。それが自然体なのだろう。少し戸惑ったけれど、プレナは続けた。
「あのね、これから何が起こるのか、何も知らないと混乱すると思うの。だから、私たちの事情を簡単に説明させてもらってもいい?」
巻き込んでしまった彼女にしてあげられることはそれくらいだ。それに、話していた方がプレナも気が紛れる。
ユーリは、うん、と言ってうなずいた。
いつリッジが来るのかわからなかったので、プレナは簡潔に説明をした。ユーリは聞き上手で、簡単な相槌を打つだけで、プレナの話を遮らなかった。話し終えると、プレナはひとつため息をついた。
「そういうことなの。でも、関係のないあなたにまで危害は加えないはず……」
気休めにそう付け足した。けれど本当は、巻き込まれただけのユーリのことも、リッジは最大限に利用するのではないかと思う。
それでも、守りたい。二人のことも、ユーリのことも、リッジの思惑通りになんてさせたくない。
すると、ユーリは怯えた顔ひとつ見せずに微笑んだ。
「ありがとう。でも、私の心配より、プレナは自分と兄上と、幼なじみの方の心配をした方がいいよ。私は大丈夫だから」
慰めるつもりが、慰められている。巻き込んでしまったというのに、ユーリがいてくれたことに感謝してしまった。
すると、外で馬の嘶きが聞こえた。二人は顔を見合わせ、無意識に息を潜めた。身構えると、ついに扉が開かれる。
「おはよう」
普通の挨拶さえ、癪に障る。
今日のリッジは、以前と同じ黒ずくめの出で立ちをしていた。頭からつま先まで統一された色に、ユーリは落ち着いた視線を向けている。
その闖入者に、リッジも笑い混じりの声で問う。
「ねえ、君、本気で道に迷ったの?」
「本当です。私、旅行者ですから」
そう言って、ユーリは左手首をかざした。そこには銀色のブレスレットが輝いている。
これは、一時入国者のための目印だ。この国の内戦に巻き込まれた時、この国の者ではないと明確に示し、危険を回避できるようにとの配慮で、数年前からこの処置を施すようになった。失くしたり、奪われたりしないよう、しっかりと溶接されており、出国の際に外される。ただ、永住を決めた者、軍事関係者などはその限りではない。
「――なるほど。まあ、どちらでもいいよ。とりあえずは付き合ってもらうしかないんだから」
「どれくらいかかります?」
平然と尋ね返すユーリに、リッジは苦笑した。
「そうだね、取引が終わるまで。今日中には終わるよ」
そして、リッジはようやくプレナに視線を向けた。
「答えは出た?」
プレナは答えなかった。ただ、無言でリッジをにらむ。リッジはクスクスと笑っていた。
「いいよ。ギリギリまで悩ませてあげるから。じゃあ、行こうか――」
やっと出せました。
ユーリは『僕の太陽と君の月』より、ゲストです。
向こうの物語も、シェーブル王国と同じブルーテ諸島での話です。
あちらをすでに読まれている方は、シェーブルに彼女がいることの意味がわかるかと思われます。そちらを知らなくても支障はありませんが。




