〈26〉同じ気持ち
その後、レヴィシア、ユイ、プレナ、エディアは住宅区のメデューズ家に向かった。
ザルツとルテアは彼女たちと別れ、軽く休息を取ってからそのままリレスティを目指す。リレスティへは歩きで二刻もあれば着くので、サマルは少しだけエイルルーで用事を済ませてから向かうことにした。
サマルは軽く町を探索し、ゼゼフの勤める店の位置など確認しておいた。後は噂話に耳を傾け、兵士がやって来るような物騒な事件はなかったか調べておく。王都の三番街でレジスタンスによる小規模の暴動があったらしいとは聞こえたが、この町に影響はないようだ。安堵すると、サマルはエディアの家に合流した。
その頃には、積もったほこりもきれいに取り払われ、清掃されていた。小造りながらも二階建てで、新しくはないが、きれいに扱われて来たのだと思わせる、居心地のよさそうな家だった。
掃除が大変だったとレヴィシアはサマルに八つ当たりしたが、他の面々は苦笑するだけだった。
そうして、翌朝。
サマルはエディアが買出しに行って用意してくれた朝食をむさぼっていた。いかに時間を短縮して食べるかしか考えていないような食べっぷりだった。サラダをパンに挟み、それをミルクで流し込む。
「もうちょっと味わって食べたら? エディアがせっかく作ってくれたのに」
と、レヴィシアが顔をしかめた。けれど、サマルは顔を上げない。
「ひひゃんなひ」
「……なんて?」
リスのように頬を膨らませているサマルの言葉など、レヴィシアには理解できなかった。だが、さすが妹というべきか、プレナには聞き取れたようだ。
「時間がないって。兄さん、リレスティまで行かなきゃいけないから」
正直に言って、組織内で一番多忙な人間はサマルだろう。あちこち走り回っている。それでも、つい頼ってしまっている手前、レヴィシアは強く言えなくなった。
「でも、体に悪いよ。昨日はちゃんと休めた?」
サマルは朝食をすべて嚥下すると、ようやく口を開いた。側頭部に寝ぐせがある。
「休んだよ。これから、他の連中もこっちに向かってやって来るわけだし、潜伏できる場所がここだけじゃ困るだろ。他にも数箇所押さえておかないと。それから、ゼゼフのところにも指示を出しに行って――ああ、ゼゼフの家があったな。何人くらい入れるかな……」
最後の方はほとんど独り言だった。レヴィシアは嘆息する。
「サマル、ちょっと一人で抱えすぎだよ」
「そうは言うけど、仕方ないし」
そこで、エディアが控えめに口を挟んだ。
「じゃあ、こうしましょう。私がお手伝いします。ゼゼフさんに事情を説明して、それから安価で出入りの激しい宿を探しておきます。そうすれば、サマルさんのお仕事が減るでしょう?」
けれど、サマルは頬を掻きながら目を泳がせた。
「あ~、気持ちはありがたいんだけど、エディアは地元だから知り合いも多い。ただでさえ、この家にレヴィシアを匿ってるわけだから、あんまり目立つことはしないでほしいんだ」
確かに、その通りだった。エディアは仕方なく黙る。
すると、今度はプレナが提案した。
「じゃあ、私が代わるわ」
「へ?」
「それくらいの役には立つつもりよ。任せて」
尋常でなく過保護な兄は、それを許すわけがない。
「駄目だ。慣れない土地で一人歩きなんて危険だ。何回も言わすなよ」
「じゃあ、あたしも行こうか?」
レヴィシアが口を挟むと、サマルににらまれた。お前はおとなしくしていろ、と。
「とにかく、駄目だ」
「じゃあ、ユイについて行ってもらえば?」
「そしたら、何かあった時にレヴィシアがまずいだろ。だから、駄目」
こんなやり取りを前にもした気がする。進歩がないな、とレヴィシアは少し嫌になった。
プレナはわざとため息をつく。
「じゃあ、私はゼゼフさんのところにだけ行って、隠れ家の手配はゼゼフさんに頼むわ。それならすぐだし、危なくないでしょ?」
「え? ゼゼフ?」
確かに、ゼゼフはこの町に詳しいだろう。それに、影が薄くて顔見知りも少なそうだ。目立たないから、覚えられにくいとは思う。
けれど、サマルはなんとなく不安になる。
「あいつ、うまくやってくれるかな? すっげぇ不安」
あの頼りない姿を思い出すと、ため息を誘う。組織入りを反対こそしなかったが、こうなって来るとそれも正しかったのかわからない。
考え込んだサマルに、プレナは続けた。
「ゼゼフさんだけじゃないでしょ? ほら、もう一人いるわ。だから、大丈夫」
「誰?」
サマルには思い当たらなかった。先に気付いたのはレヴィシアだ。
「あ、シュティマだ!」
ゼゼフと一緒に参加する予定の、彼の友人。
「はぁ? 会ったこともないのに、あてにするのか?」
「でも、いい人みたいだし、いいんじゃない?」
言い返そうとしたサマルに、押し黙っていたユイが冷静な一言をもらす。
「ここで押し問答をしている時間は無駄じゃないのか? 時間は有限で、個人に出来ることにも限界がある。時には思い切りも必要だ」
そうだそうだ、とレヴィシアが横で調子に乗っていた。サマルは出かける前から軽く疲れを感じ、気付けば妥協していた。
「わかった。けど、すぐに帰るんだぞ。声をかけられても付いて行くなよ。それから――」
「サマル、しつこい」
ぐ、とサマルはうなった。そんな兄に、プレナは微笑む。
「うん、兄さんも気を付けてね」
その一言で、ほんの少し元気が出た。そうして、サマルはリレスティに向けて出発した。
レヴィシアとプレナが食事の後片付けを引き受けると、エディアは雑草が生えて荒れた外回りを軽く整えて来ると言って表に出る。
彼女たちが後片付けをしている間、ユイは武器の手入れをしていたようだ。
片付けが終わると、プレナは目立たない茶系のショールを羽織り、レヴィシアとユイに見送られて出かけた。ゼゼフの店の位置はちゃんと聞いてある。わかりやすい場所なので、迷うこともないだろう。
外へ出ると、掃除をしていたはずのエディアが、年配の女性に捕まっていた。困惑気味の愛想笑いを浮かべつつプレナを発見すると、それを口実に話を切り上げたようだ。まだ物足りなさそうな夫人に軽く頭を下げ、エディアはプレナの方に駆け寄った。
「以前からお世話になっていた方なんですけど、おしゃべり好きで根掘り葉掘り尋ねて来られるものですから、ぼろが出ないか冷や冷やしていて。助かりました」
悪戯っぽく笑うエディアは、いつもの楚々とした感じとはまた違って、プレナの目にもかわいらしく映った。それを少し複雑に思う。
「そこまでご一緒しますね。すぐに引き返すと、また捕まってしまいますから」
「え、ええ」
歯切れの悪い返事。苦手だとか、嫌いだとか、そういうわけではない。ただ、気まずいだけだ。
それはきっと、お互いさまなのだと思っていた。
戸惑いを隠せずにいるプレナに、エディアはまっすぐな視線を向けた。
「こんな風に二人で話したこと、今までにありませんでしたね」
おとなしく見えても、はっきりとした気性のエディアに、プレナはまた返答に困る。
「そう、ですね。あまり機会がありませんでしたね」
当たり障りのない言葉を選んだプレナに、エディアは微笑んだ。その笑顔は、すべてお見通しだという意味だったのかも知れない。
「あえて機会を設けなかった、とも言えますけれど」
「あ、あの……」
プレナは目に見えて困惑する。エディアは苦笑した。
「ごめんなさい。だって、どう話していいのか、わからなかったんです。それはお互い様ですよね」
春風に、エディアの長い髪がふわりと揺れる。陽に透ける様子が、とてもきれいだった。
「お互い、言わなくてもわかりますから。同じ方に想いを寄せていることくらい」
まっすぐなエディアの視線に耐え切れず、プレナは気付けばうつむいていた。どうしてだかわからない。けれど、正面切って何かを言える気がしなかった。
そんな様子が、エディアにとっては歯がゆいものだったのかも知れない。小さく嘆息する。
「どうしてそんな顔をなさるんですか? あなたの方がずっと近くて、私からしてみればとてもうらやましいのに」
「そんな……」
曖昧に言葉を濁す。けれど、エディアはそれを許してくれなかった。
「私は今、ちゃんと気持ちを言葉にしています。向き合って下さい」
その言葉で、プレナは自分がどれだけ卑怯だったのかを思い知らされた。
ザルツは今、改革のことで頭がいっぱいで、女性のことなど頭にない。だから、気持ちを押し付けても迷惑なだけだと、そう納得して来た。それを言い訳だと、気付かないようにした。
けれどもし、彼がエディアを選んだとしたらどうだろう。その時、自分はどうするだろう。
口の中に広がる苦いものを飲み込んで、プレナは両手を握り締めた。
「ごめんなさい。私はずるくて、すぐにごまかしてしまうけれど……この先何があっても、彼が誰を選んでも、この想いは変えられないでしょう」
他の人を選んだら、相手が誰であろうと、祝福なんて出来ない。想いも止められない。
醜い。そう思うけれど、これだけはどうにもできない、正直な気持ちだ。
エディアは、それでいいとでも言うかのような、それでいて無理をしているような、少し複雑な微笑を見せた。
「当人のいないところで、何をやっているんでしょうね、私たち。いきなり失礼なことを言って、ごめんなさい。でも、プレナさんの正直な言葉が聞けて、少しだけすっきりしました」
「私もです」
エディアのようなまっすぐな気性が、プレナにはうらやましかった。
「じゃあ、私はここで」
さっときびすを返し、エディアは軽やかに来た道を戻り出した。プレナはその背をなんとなく眺める。背中に届く長い髪が、きらめく翼のようだった。
エディアは足早にプレナから遠ざかる。そして、風にさらわれるような声でつぶやいた。
「どうして、わからないのかしらね……」




