〈13〉ある朝の風景 その2
朝一番に、勤め先であり、二階に下宿している食堂の外へ出て伸びをする。
あくびがこみ上げて来た。まだまだ寝足りないけれど、仕事の時間だ。仕方がない。
シュティマはかぶりを振って眠気を飛ばす。その仕草で、伸びた前髪が目に入った。不快感で眠気は吹き飛んだが、いっそう不愉快な気分になった。
軽く髪をかき上げると、すでに日課と化したゼゼフの慌てふためいた声と重々しい足音が近付いて来た。
「シュ、シュティマ! 大変だ、大変!」
「何が?」
シュティマは冷静に切り返す。ゼゼフは大げさなところがあるので、判断するのは話を聴いてからでいい。
「そんなに平然としてるけど、聴いたら絶対驚くってば!」
と、ゼゼフは足を踏み鳴らす。まだ表の掃除をしていないからいいけれど、砂埃が舞った。
「わかったから、支度しながら聴くよ。仕込みも急がないと怒られるし」
そうして中に戻ろうとしたシュティマの背に向かって、ゼゼフは叫んだ。
「そんな悠長な! だ、だって、レブレム=カーマインの娘が捕まったっていうんだよ! 今、アスフォテで拘束されてるんだって……さ、さっきそっち方面から来た人が騒いでたんだ……」
シュティマはぴたりと動きを止めた。
「真偽のほどは? 所詮噂だよね?」
振り返ったシュティマがようやくことの重大さをわかってくれたので、ゼゼフは鼻息を荒くして答える。
「で、でも、その人は見たって言うんだよ。小柄で栗色の髪をした女の子だったって」
すると、シュティマはふぅん、と小さくもらすと考え込んだ。軽くうつむき、人差し指で額をトントンと叩いている。ゼゼフはそれをじれったく思い、たたみかけた。
「なあ、どうしよう? 二人で参加しようって言ってたのに、それどころじゃなくなって来たよ。どーしよぅぅ――」
シュティマはそれでも軽く笑ってみせた。
「案外、大丈夫なんじゃない? だって、ゼゼフが言ってたんじゃないか。組織には有能な人材が豊富なんだって。もしかして、これは何かの計画の一部なんじゃない? 近く、アスフォテで何かが起こるのかも」
「え? え、あ、そ、そうか。そうかも」
ゼゼフの顔もぱっと明るくなる。何かの計画で、わざと捕まった振りをしているとは。シュティマの読みの深さに、ゼゼフは感服した。さすがシュティマだ。
けれど、その頼りになる親友は、とんでもないことを言った。
「だからさ、これはチャンスだよ」
「へ?」
「普段は接触が難しいレジスタンスだけど、居場所が特定できた。これは、仲間に加えてもらうチャンスだよ」
「ええっ!」
飛び上がらんばかりに驚いて、目を白黒させているゼゼフに、シュティマは優しく微笑みかける。
「なるようになるよ。度胸で突っ込めば」
「な、なる?」
「ただ、問題は僕たちがそろって休みをもらうということかな。二人して休んだら、店長カンカンだ。――というわけで、僕は仕事をゼゼフの分までがんばるから、ゼゼフはそっちでがんばっておいで」
「ぼ、僕が一人で行くのっ?」
「うん。だって、興味があるのって、どちらかといえばゼゼフだろ」
そう言われてしまっては、何も言い返せない。シュティマの言い分は正しかった。
仕事に関してもそうだ。芋の皮むきひとつにしたって、シュティマの方が断然手が早い。経験はゼゼフの方が長いのに、シュティマは何でも卒なくこなす。人当たりもいいので、接客だってできる。
どちらかを取るなら、店長はシュティマに残ってほしいだろう。そう考えて落ち込んだ。
自分って、何て価値がない人間なんだろう、と。
そんなゼゼフの考えそうなことくらい、シュティマにはお見通しだった。
「ゼゼフ、くれぐれも気を付けて。――あのさ、僕はゼゼフの仕事、丁寧でいいと思うよ。食べる相手を思い遣る気持ちがあるから」
「シュティマ……」
「二人分の仕事量で僕の神経と体が参る前に、早く帰って来てよ」
わざわざそんなことを付け足す。シュティマなら二人分でもこなせるのに、ゼゼフが自分を要らない存在なのだと悲観しないようにという配慮だ。
そんな彼の優しさが身に染みる。
いつも、見ているとイライラするなどと言われ続け、ゼゼフは他人と接することを苦手として来た。けれど、そんなゼゼフにもシュティマは声をかけ、優しく接してくれた。
今ではかけがえのない、大切な友達だ。
たまには、そんなシュティマに、がんばったと胸を張って報告したい。
ゼゼフはついに決意した。
アスフォテに行こう、と――。




