〈12〉おしゃべりな夜
縄を解かれたレヴィシアは、拘留所の格子の中へ突き飛ばされる。よろけて冷えた床に手を付くと、ガシャン、と格子の閉まる音がした。レヴィシアの体に、格子の線になった影が落ちる。
「監獄破りをするような連中だ。何かあった時、ここの駐屯兵だけでは防ぎ切れないが、皮肉なことにレイヤーナ部隊が停泊している。……協力は求めなくないがな」
ニカルドはため息混じりにそう言った。レヴィシアにその気持ちがわかるというのもおかしな話だが。
レヴィシアは立ち上がると、自分のいる場所を観察する。
壁は冷たい灰色の石造り。床も同色だ。汚くほこりっぽい毛布と木製の丸椅子。囲いのあるトイレ。それから、天井近くに日差しの差し込む格子付きの小窓があった。
ロイズの入れられていた監獄よりは遥かにマシだろう。
荒くれの男たちとルヴェラも放り込まれたのだろうが、レヴィシアにはそれがどこだかわからなかった。
とりあえず、することがないので椅子に座ってみた。
監視役として残った二人の兵士は、レヴィシアの死角になる位置で何やら雑談している。どうでもいい話題ばかりだった。
そうして、夜になる――。
空が暗くなった。
それだけで、気分まで暗くなる。カンテラの明かりは遠く、それだけでは心もとない。
レヴィシアは小さくため息をついた。夜になって、肌寒さもある。毛布を被ろうかと思ったけれど、汚いので一瞥して断念した。
とりあえずは縮こまって、ただ時間が過ぎるのを待った。
少し眠ろうかと思ったけれど、止めた。自分のことを心配して眠れずにいる人たちもいるかと思うと、眠ることにも罪悪感がある。
そんなことを考えていると、硬質な床と靴底が擦れる音が耳に届いた。けれど、その音の主をレヴィシアの位置から窺い知る事はできなかった。向こうの方で椅子を引く音と、それに乱暴に座ったような音がする。
そして、しわがれた大きな声が薄暗い空間に響いた。
「小僧、俺との約束をすっぽかすとは、いい度胸だなぁ?」
「緊急事態だ。仕方がない」
そう答えたのはニカルドだった。それまで、レヴィシアは見張りがニカルドに交代していたことに気付いていなかった。レヴィシアの位置からではよく見えないのだ。
来訪者は、どうやら軍事関係者ではないようだ。声の具合から、老人だと察する。ただ、そのドスの利いた声は、下手な兵士よりも迫力があった。
「緊急事態? 仕方がねぇだと? ハッ、いっつも暇ばっかりのお前がか? 平坦なお前の人生じゃ、二度は言えねぇセリフだな」
「そんなことを言いに、あんたがわざわざ出向いて来るわけがない。昼間に予定していた打ち合わせなら――」
「何を勝手なこと抜かしてやがる。あの話はチャラだ。気が失せたっての」
「失せたで済ませるな。仕事だろうが」
「仕事だからだ。俺はこれに生涯賭けて打ち込んで来た。お前にとって最優先じゃねぇのなら、お前にはそれほど必要じゃねぇってことだ。だから、やる気が失せたってんだよ」
「いい歳をして、子供みたいにへそを曲げるな。それなら、何をしに来た?」
「ん? ああ、表じゃちょっとした噂になってたからな。あのレブレム=カーマインの娘を捕まえたっていうじゃねぇか。ちょっと、顔を拝みに、な」
レヴィシアは自分の話題が出てどきりとした。けれど、あのニカルドが言い負かされてしまっているのが楽しかったので、不思議と不快感はない。
そこで深いため息が聞こえた。
「その興味の対象なら、そこにいる。見えるだろう? もういいな?」
「ふざけんな。見えるかっての」
ガチャン、と荒い物音がして、光源が動いた。深いため息がまた漏れ聞こえる。どうやら、来訪者がカンテラを持って近付いて来たようだ。
段々と近付いて、レヴィシアにも相手の顔が見えるようになった。その老人は、鉄格子の前でカンテラをかざした。
痩せて真っ白になった髪をひとつに束ね、ヨレヨレのシャツを着ている。けれど、腕などは太くがっしりとしていて、年齢ははっきりとはしないけれど、筋肉が衰えていないせいか実年齢よりも若く見えている気がした。
そして、何よりも印象的だったのは、その淡い淡い、水面の上の波紋のような目だった。透き通るような、吸い込まれてしまいそうな、とても不思議な力があった。
老人はなんとなく頭を掻いていた。それから、頬を緩めて笑う。
「こりゃあ、魔窟で妖精に出会った気分だな」
「何それ」
レヴィシアも少し笑った。よくわからないけれど、おもしろい人だ。
「いや、レブレム=カーマインは熊みたいな大男だったらしいし、娘はどんな女傑かと勝手に想像してたんだが」
「えっと、母親似?」
「うん、よかったな」
「よかったかどうか……。父親似だったら、こんなところに入らずに済んだかも知れないじゃない」
「いやいや、容姿も武器だ。囚われのお姫様を助け出そうと張り切ってる男の一人や二人、いるだろうに」
「だといいなぁ」
状況を忘れ、思わず苦笑する。老人は好奇心旺盛な表情を隠さない。
「で、実際はどうなんだ? これは計画通りのことなのか? それとも、しくじったのか?」
「どうかな? あたしにもわかんないよ」
正直に答えたのに、彼は額に手を当て、くつくつと笑った。
「わからねぇって言う割に、全然諦めてねぇな。じゃなきゃ、こんな時にこんな変なジジイの相手なんかできる余裕ねぇだろ」
「あはは、あたし、他力本願だから。じっとしてれば、みんながなんとかしてくれると思ってるし」
「ほぉ。随分と仲間のことを頼ってるんだな。うらやましい限りだ。俺なんて下僕の扱いが下手で、結局自分で仕事の九割終わらせちまう」
「一割も九割も同じだよ。駄目だと思ったら、一割だって任せたくないでしょ? そのうち、九割任せるようになるかもね」
すると、老人は柔らかい目をして微笑んだ。ニカルドが見ていたら、あまりの珍しさに目の錯覚だと思い込んでしまっただろう。
「そうだなぁ」
そんな日が来るのなら来てみろ、と。そう言いたげだった。
「あいつも俺も、進歩はしたんだろうが」
そうつぶやいてから、不意に老人は眉根を寄せた。
「んぁ、そういや、あいつ……名前忘れちまったが、あの垂れ目……まあ、いいか」
どうやら独り言のようなので、レヴィシアは聞き流した。
そして、老人はもう一度笑った。
「じゃあ、そろそろ行くか。……自分で言うのもなんだが、俺はいい加減だし、愛国心なんて持ち合わせてねぇけど、まぁ、個人的にがんばれって言葉くらいはかけてもいいだろ。手は貸してやれねぇけどな」
「十分だよ。ありがと、おじいさん」
レヴィシアは微笑み、立ち上がる。そして、鉄格子の前まで歩き、片手を差し出した。
それは、暗い夜の恐ろしさを紛らわせてくれた感謝の気持ちだった。
老人はその手を戸惑いながら握り返した。皮の厚い、ごつごつとした手だった。ところどころにやけどの痕や切り傷がある。一生懸命に働いて来た人の手だ。
「もし、そこから出られることがあったら、また会えるといいな」
老人は優しく言った。
「そうだね」
「それじゃあ――って、ああ、そういや、名前なんだ?」
皆がレブレム=カーマインの娘と呼ぶ。レヴィシア自身の名前は有名ではない。
レヴィシアは苦笑した。
「レヴィシアだよ」
「そっか。俺はレイシェント=スレディだ。今更名乗っても仕方ねぇか。……おやすみ、レヴィシア」
そうして、スレディはカンテラの明かりと共に離れて行った。向こうから、ニカルドと何か怒鳴り合っている声がしたが、それもすぐに聞こえなくなった。
レヴィシアはさっきよりも深い闇の中に佇む。
やっぱり、少し寒い。
もう一度椅子の上に座り直した。ひざを抱える。
そして、そのまま目を閉じた――。
頑固じいさん登場です(笑)
ちなみに、レヴィシアは幼い頃に死に別れたので、母親の顔を知りません。
母親似だと聞かされて育っただけです。




