〈9〉市民の味方
フーディーは杖をつき直し、その先端を節くれ立った両手で抱えるように握り締めた。
「何を騒いどるかと思えば……。こんなのにかまけている時間があるのか? この場をどうするつもりだ?」
感情的に飛び出したレヴィシアは、う、と言葉に詰まる。フーディーは嘆息した。
「この町にもレイヤーナ軍が配備されるという噂が出回っていたが、噂は残念ながら真実のようだ。すぐそこにレイヤーナの船が停泊していると聞き、ワシも慌てて戻って来た」
人をからかうのが好きなフーディーだが、こんな時に悪質な冗談は言わない。
「国軍と話が付いてないんじゃなかったのか?」
ルテアの困惑した声に、フーディーはかぶりを振る。
「所詮、この国は体制の定まらない不安定な状態だ。向こうはいかようにも強く出ることができる。そういうことだよ」
じわりじわりと忍び寄る不安の影が、気付けば現実となってしまう。
自分たちは間に合うのだろうか。心がどうしようもなく騒ぐ。
この時もまた、レヴィシアを冷静に引き戻してくれたのはルテアだった。
「今はまず、この町から撤退だ。足の悪いロイズさんを早く動かさないと。それから、ザルツたちに話して対策を練るんだ」
「そ、そうだね」
焦っても、できることは変わらない。余計によくないことになるだけだ。
もっとしっかりしなければ。
レヴィシアが改めて気を強く持ち直した時、彼女たちに視線が集中していた。気付いて振り向けば、それは突き刺さるように鋭い視線の数々だった。
いつまでも嘆き続ける少年の家族を見守りながら、隣人たちは慰められるはずもないと知りながら、懸命にその方法を探している。その周囲に立つ人々は、ただじっとレヴィシアたちをにらみ付けていた。
その苛烈さに思わずたじろいでしまう。
そうして、距離を保ったまま、その中の壮年の男が声を張った。
「あんたたち、レジスタンスなのか?」
ここに来て嘘をつく気にはなれなかった。レヴィシアは素直にうなずく。
「はい」
いっそう険しくなる彼らの視線は、無数の矢のように痛い。それでも、仕方のないことだった。
「そこで倒れているそいつと、あんたたちが同じとは言わない。レジスタンスなんてひとくくりにしちまうのもどうかと思う。……けどな、こんな風にとばっちりを食う人間がいるって、考えたことはあるのか?」
ここでありますと答えられるほど、厚かましくはなれなかった。ただ、黙るしかない。
「あんたたちは助けてくれたつもりだろう。それはわかっているが、それでも波風を立たせているのは事実だ。正直に言って、迷惑だよ」
目の前で起こった惨事を止められなかった自分が、その言葉を否定できるものではなかった。ここでただ謝るのは、卑怯なだけだ。
そうしているうちに、ひっそりとした声が聞こえた。
「レジスタンスなんて、兵士たちがテロリストって呼ぶのも間違いじゃないのかもな」
「大体、レブレム=カーマインの後に続けって、どこも全然じゃないか。そんな無駄な活動の犠牲になったこの子が浮かばれないよ」
誰もが視線を送った先には、動かない子供の体と、声を嗄らしても尚、かすれた声で嘆き続ける家族の姿がある。
アーリヒはレヴィシアの肩に優しく触れた。女性にしては筋張った手だけれど、とてもあたたかい。
「ここはアタシが引き受けるから、アンタは先に戻りなよ」
肩に触れる手に、レヴィシアの震えはごまかせなかっただろう。けれど、レヴィシアは首を縦に振らなかった。
アーリヒなら、この難しい局面もうまくやり過ごしてくれるかも知れない。だとしても、それでは駄目だと思った。
「ありがとうございます。……けど、それはあたしの役目だから」
そうして、レヴィシアは一歩ずつ緩やかに彼らに近付いて行く。ルテアはとっさにその手を取った。
「レヴィシア!?」
けれど、レヴィシアは作った笑顔でそれをすり抜けた。
「レジスタンスは市民の味方。それだけは絶対だから、ちゃんと向き合わないとね」
その覚悟を知れば知るほどに、止められない。それがルテア自身の想いとは裏腹であっても。
「っ……」
レヴィシアの足がようやく止まったのは、彼ら住民の顔がはっきりとわかる距離だった。
「――あの」
口を開いた。
けれど、それ以上の言葉を許さない空気が漂っている。
「あんた、なんてそそのかされてレジスタンスなんて始めたのかは知らないけど、その若さで馬鹿なことをしたもんだな。親御さん泣かせだよ」
誰かがぽそりとそんなことを言った。
その言葉が、何故かレヴィシアを落ち着けた。父が泣く、その光景を想像してしまったからだろう。
「泣いてるでしょうね。あたしの父は過保護でしたから、危ないことをすれば嫌がったと思います」
「だったら……」
「でも、駄目なんです。こんな風に、誰かが泣かなくてもいい国にしたいって気持ちは嘘じゃないから、そのためにできることをしたいんです。ですから――」
視線を落とした先にはあの子がいる。地面に下がっている手足の細さが、更に悲愴に感じられた。
すがって泣く家族の姿が、過去の自分と重なる。
あの時、失って、けれど終わらなかったもの。繋がって残ったもの。
失ったたくさんのものの果てに、その未来を描く。
「もう少しだけ、時間を下さい」
その場にいた人々は、彼女のひた向きさを疑うわけではなかったけれど、過度な期待を寄せることもできなかった。彼女がどんなに願おうとも、彼女は子供でしかない。その大業は夢のまた夢だと。
諦めてしまえばいい。そうさせてやりたい。
そんな気持ちが、一人の口に上っていた。
「……なあ、あんたたちレジスタンスは、危なくなったら逃げれば済むのかも知れない。けどな、俺たちのような普通の人間は、家も暮らしもここにしかない。何かあってもここを離れることはできないんだ。巻き込まないでくれ」
突き付けられた現実に、まだ子供である彼女が出せる答えを、彼らは知り得ていたつもりだった。
その一言が聞きたかった。
けれど、それを彼女が口にすることはなかった。
彼らの後方で、青年と少女が何かを耳打ちし合っていた。かと思うと、青年は急に駆け出す。
その片割れの少女は、レヴィシアよりも二、三歳下くらいだろうか。肩で切りそろえた髪の少女は、大人たちをかき分けて前に出た。
「あなたの言うことが口先だけじゃないのなら、私たちのためにできることをしてよ」
「え?」
「今、兵士を呼びに向かったわ。すぐに来るから、捕まってよ。そしたら、私たちは平和に暮らせるんだから」
レヴィシアは、そのまっすぐに射るような視線をそらせずにいた。
フーディーは杖をついていますが、なくても歩けます。
あれはほぼ武器……それがみんなの認識です。




