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Full of the moon  作者: 五十鈴 りく
Chapter Ⅱ

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〈4〉ツキハカゲラズ

 シェンテルの隣、アスフォテは港町である。

 成り立ちは古く、もともとは漁村であったが、海からの富により規模を広げて行った。今では、旅船、貿易船、さまざまな船の停泊する港となった。



 海に面しているため、潮風が強い。看板などの金属は錆びているものが多くあった。

 町並みそのものは整備され、きれいではあるものの、その錆のせいで少しくたびれた感じがする。三人は石畳の往来を歩きながら談笑していた。


「――ね、ロイズさんのところって、こっちだっけ?」


 アスフォテの路地は入り組んでいる。住宅が密集しているのだ。漁師の多い町なので、漁業関係の働き手が多い。富裕層ではなく、あくまで労働階級の人口が多いということだ。


「そうだけど、最初の路地を曲がったら駄目だからな。二番目の路地を右。マクローバ一家なら、そこから更にまっすぐ」


 サマルはそう答え、足を止める。


「じゃあ、俺はこっちだから」


 そう言って、反対方向を指した。居住区ではなく、商業区に用があるのだろう。


「うん。気を付けて。じゃあね」


 サマルと分かれ、二人は路地を行く。

 正直、どこも同じに見えた。


「違う。こっちだ」


 通り過ぎそうになったレヴィシアを、ルテアがすかさず引っ張る。


「そうだっけ?」


 なんとなく、ザルツがルテアを連れて行けと言った理由がわかったけれど、素直に認めるのが嫌だった。



 久し振りの彼らはどうしているだろう。

 ロイズはもともとレジスタンス組織『ゼピュロス』を結成し、率いていた人物だ。ロイズ=パスティークというのは偽名であり、本当はラダト=メデューズという。けれど、皆にその偽名が浸透しているので、そのまま通している。

 活動の末、一度投獄されており、今は脱獄犯として手配されていた。足に再起不能な傷を抱え、すでに表立った活動はできずにいる。それでも、若い活動家たちにとって、父親のような彼がいてくれることで安心感を覚えていた。

 ただ、あまり移動続きでは体に負担がかかるため、ロイズが安住できる地を探したいというのも本音ではある。けれど、それも難しいだろう。多分また、サマルの都合が付いたら移動しなければならない。



 そこは、以前ロイズが盛んに活動していた頃に支援してくれた人の家だという。

 古い二階建ての家だが、ここに住んでいるのは老婆一人だ。夫と息子二人を嵐の海で亡くし、それから独居を続けているらしい。部屋は余っているし、いくらでもいてくれていいという言葉に甘えさせてもらっていた。

 そのすすけた裏口の戸を叩くと、しばらくして中から鈴を転がすような女性の声がした。


「――ツキハ」


 合言葉のその先を、レヴィシアは口にした。


「カゲラズ」


 カチ、と施錠の解ける音がして、レヴィシアとルテアは滑り込むようにして中に入った。

 すぐそこに立っていたのは、まっすぐな長い髪をした、清楚なワンピース姿の女性だった。一見おとなしそうに見えるけれど、芯の強さも持っている、そういう人だ。 


「エディア、ロイズさんはどう? 変わりない?」


 すると、彼女、エディアはそっと微笑んだ。


「ええ。父なら、ここでよくして頂いているし、落ち着いているわ」

「そっか。よかった。挨拶して来てもいいかな?」

「もちろん。どうぞ、こっちよ」


 エディアは、家主の老婆があまり使用していない二階の部屋に二人を案内した。その扉を叩く前に、エディアはぽつりと小さく尋ねる。


「あの……ザルツさんは無理をしていない? 前にお会いした時、少し具合が悪そうだったから、気になって」

「ただの風邪だから、大丈夫だって。今日は楽そうだったよ」

「そう、よかった」


 ほっと息をつく。そんな様子を、レヴィシアは少々複雑な思いで見ていた。

 ザルツとエディアの出会いは最悪で、最初は嫌悪の対象でしかなかったはずなのに、気付けば惹かれ始めているのではないかと思わせる表情をする。理解を示してくれたのは嬉しいけれど、そうなると話は別だ。

 それが恋だとして、もし実ればプレナが悲しむ。実らなければ、エディアが悲しむ。

 みんながうまくまとまることはないのが心苦しかった。


「――お父さん、レヴィシアさんとルテアさんがいらっしゃいましたよ」

「ああ、入ってくれ」


 低く、落ち着いた声が返る。前に会ったのはいつだっただろう。何か、懐かしい気がした。

 三人が中に入ると、安楽椅子に腰かけたロイズが迎え入れてくれた。体は痩せたままで顎も尖っているけれど、以前よりも血色はよいようだ。


「こんにちは。お加減はいかがですか?」


 レヴィシアは挨拶して笑顔を向ける。ルテアも会釈した。


「ああ、随分よくなったよ。ありがとう。二人が来たということは、次の作戦が決まったということかな?」


 二人は顔を見合わせ、かぶりを振る。


「いえ、それが、ザルツはしばらく待機だって言うんです。珍しいですよね。だから、あたしたちはちょっと様子を見に来ただけなんです」

「そうなのか。だが、この町も段々ときな臭くなって来たようだ。長居することもできないかも知れないな……」


 ため息混じりに言ったロイズに、ルテアは尋ねる。


「何かあったんですか?」

「私も先ほど、ここの家主から聞いたばかりなのだが、近々、レイヤーナ軍の駐屯兵がこの町に配備されるという話が出ているそうだ。ここは国内で三箇所しかない港だから、レイヤーナとしては押さえておきたいのだろう。それを国の重鎮が渋っているらしいが」


 そんな話は、多分サマルもまだ知らないのではないだろうか。


「それで今、ティーベットさんが探りに出てるの。すぐに戻るって言っていたけれど……」


 すぐに帰って、ザルツたちに報告した方がいいだろう。けれど、マクローバ一家のことも気になる。そこにだけ顔を出したら、急いで戻ろう。


「じゃあ、あたしたち、もう帰りますね。それを報告しないと。また来ます」


 慌しくレヴィシアが言うと、ロイズは一瞬迷った風に口を開いた。


「ところで、あいつの――」


 その先が続かなかった。視線を泳がせ、目を伏せる。

 聞かずとも、先は読めた。だからレヴィシアは、知らないのだとはっきりと口にするしかなかった。


「リッジなら、今も行方がわからないままです」

「そう……か」


 わかっていたはずだ。なのに、ロイズは期待していたのかも知れない。

 

 リッジ=ノートン。


 ロイズを誰よりも慕い、信じていた青年だった。

 けれど、疲弊したロイズがレヴィシアたちの志に賛同した時、彼はその理想の実現を阻むことを決めて離反してしまった。

 漆黒の髪と瞳。常にたたえていた微笑。

 いつも好んで黒をまとい、翼をたたんだ鴉のようだった。その羽の下に、鋭い爪を隠して、今もどこかに潜んでいる。

 未だ遠い国軍やレイヤーナ軍の深部より、もっと身近な脅威となってレヴィシアたちの中に根付いた名前。

 動きがないからこそ、不安だけが募る。


「……じゃあ、また。いつでも動けるように、準備だけはしていて下さい」


 と、ルテアはお辞儀をして部屋を出る。レヴィシアも慌てて挨拶をして外へ出た。



 二人は家を出て、再び路地をとぼとぼと歩く。

 ルテアは特別何かを話そうとはしなかった。以前よりも口数が減った。笑うことも少なくなった。

 落ち着いたと言えばそうだけれど、その変化がレヴィシアには急すぎて、時々不安になる。

 だから、レヴィシアの方から口を開いた。


「ねえ、ルテア」

「ん?」

「ルテアがユイに稽古を付けてほしいって頼んだのは、リッジのことがあったすぐ後だったよね」


 彼女が何を言いたいのか、ルテアはすぐに察する。


「仇を討とうとしてるのかって?」


 ルテアの言葉があまりにも直球だったので、レヴィシアの方が言葉に詰まった。思わず黙り込むと、ルテアはぽつりとつぶやく。


「あいつには勝たなきゃいけない。けど、それはラナンの仇を討つためじゃない」

「え?」

「仇だ憎しみだとかいう前に、あいつに勝てなきゃ、守りたいものも守れないんだってわかったから。……だから、力が必要なんだ。強くなりたいなんて生易しい言い方で表現したくないくらい。必ず強くなる。それだけの決意をしたんだ」


 静かに語るけれど、はっきりと熱のこもった口調と強く握られたこぶしに、彼の覚悟があった。

 こうした時、レヴィシアは隣を歩く少年が見知らぬ相手に思えてしまう。一緒に騒ぎ、笑って泣いた、身近な存在が、気づけば目線も何もかも、少しずつ引き離されてしまっている。



 そして、レヴィシアはリッジを完全に敵だと言い切ってしまえない気持ちをを残している。どこか悲しげに笑った瞳が、いつまでも忘れられない。

 彼の行動によって、大事な仲間が亡くなってしまったというのに、こんな風に思ってしまう。本当は仲間に戻って来てほしいなんて、誰にも言えないけれど。

 そのことを、レヴィシアは後ろめたく思ってしまった。

 急に黙り込んでしまったレヴィシアに、ルテアは気遣わしげな声をかける。


「悪いな、重い話で」


 ルテアは自分のせいだと感じたようだ。レヴィシアは慌ててかぶりを振る。


「ううん、振ったのあたしだから」

「そういや、そうだな」

「って、他に言い方ないの?」

「だって、そうだろ」

「うわぁ」


 そう言って、二人は笑い合った。

 できることなら、こうして少しでも笑顔が見たいとレヴィシアは思った。


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