〈2〉始まりの四人
その少女は、王都ネザリムの三番街と呼ばれる住宅地の角を二度三度折れて、その一角にたどり着いた。治安がいいとは言えないその場所でも、彼女にとっては兵士の闊歩する大通りよりは安全だった。
そして、彼女は小さな一軒の民家の、木目の粗く浮き出た扉を叩いた。叩いたというよりも、滅多打ちにしながら大声で呼びかける。
「ユーイー!」
レンガ造りの小さな民家は、その振動にパラパラと砂を降らせる。汚くても安ければいい、と一時的な間に合わせで借りた家だ。
その扉の奥から、深みのある落ち着いた声が返った。
「レヴィシア? 今開ける」
彼女、レヴィシアは、扉が開くと素早く家の中に滑り込んだ。その勢いのまま、扉を開いた人物に体当たりする。
「うわっ」
突然のことだったので、彼も不意を突かれてよろけた。けれど、彼女を受け止めてその場に踏みとどまる。
二十代前半くらいで、背中まで届く長髪をひとつにまとめた青年だった。穏やかで涼しげな顔立ちをしたこの青年は、レヴィシアの保護者のような存在で、ユイといった。
「一人で出歩くのは危ないから止めてくれと、あれほど言ったのに、いつの間に……」
いつの間にというのなら、さっきの間に、窓から出た。
ユイのつぶやきに、レヴィシアはむすっと頬を膨らませる。
「危ないって、そんなこと言ってたら、なんにもできないじゃない。危ない危ないって、そればっかり! もう聞き飽きたもん!」
思いの丈をぶちまけ、息を弾ませているレヴィシアに、ユイは気遣うような視線を向けた。
「……『ゼピュロス』のリーダー、ロイズ=パスティークが捕まったって話は、俺もプレナから聴いたよ」
レヴィシアはくしゃりと表情を崩す。今にも泣き出しそうに見えた。
「もうやだ。絶対やだ。みんな沈んでるのに、なんでまだ駄目なの? もう、結成して一年だよ? それでもまだなんて……。あたしの覚悟は中途半端なものじゃないのに!」
ユイはそんなレヴィシアの頭にそっと手を置いた。けれど、かける言葉に戸惑う。
困惑して黙った彼の代わりに、厳しい声が奥から飛んだ。
「中途半端じゃないと言うのなら、せめてその扉を閉じたらどうだ? それくらいの配慮もできずに、なんの覚悟だ?」
そうして、現れたもう一人の青年は、規則的な靴音を響かせながら二人を通り過ぎ、開け放たれたままの扉を閉めた。そうして振り返る。
レヴィシアはしょんぼりとしてうな垂れた。尻尾のような髪の毛も、面目なさそうに下がる。
「ごめんなさい……」
素直に謝ったが、銀縁眼鏡の青年は嘆息する。
「俺に謝るな。そんな安易な真似は止めろ。ただの民間人でいるのなら、それでもいいが」
見かねたユイが、レヴィシアを庇うように口を挟む。
「ザルツ、俺ももっと気を付ければよかったんだ。レヴィシアだけのせいじゃ……」
すると、ザルツと呼ばれた青年は、眼鏡を光らせてユイに顔を向けた。
「だから、そうやって甘やかすのは止めてくれと言っているんだ。これじゃあ、あの話は考え直す必要があるかも知れないな」
その含みのある言葉に、レヴィシアはすかさず反応した。
「あの話? 何? なんの話?」
目を最大限に見張って見上げて来るレヴィシアに対し、ザルツはそっけなくそっぽを向いた。
「そうやってわめき散らしている子供には、まだまだ気の早い話だ」
手厳しく切り捨てられる。食い下がるにはどうしたらいいだろう。何せ、ザルツは頑固だから、一筋縄では行かない。
レヴィシアがうぅ、とうなりながら思案していると、そのギスギスした空気を払拭してくれる風のような存在が現れた。
「まったくもう。またお説教? 厳しいのも結構だけど、傍目には苛めているようにしか見えないわよ」
段染めのロングスカートのすそがふわりと揺れる。ショートカットの似合う美人が、奥へ続く戸口で苦笑していた。
「プレナっ」
救いを求めて泣き付いたレヴィシアと、よしよしと慰めるプレナに、ザルツは厳しい視線を向ける。
「そうやって甘やかしてばかりいたら、レヴィシアはただの子供で終わるんだぞ。別に、俺はそれが悪いとは言わないが。むしろ、その方がいいのかも知れない」
その言葉に、レヴィシアは凍り付く。
「やだ、ごめん……あ、ごめんじゃないし、とにかく、その、あたしが悪かったって、よくわかったから」
必死に取り繕うレヴィシアに、ザルツは小さく嘆息した。それから、抑揚のない声で言う。
「このところ、仲間も徐々に増えて来たし、そろそろ行動を起こそうかと話していたんだ」
「ほんと?」
レヴィシアの表情が、ぱっと明るくなった。表情がころころと変わる。切り替えの早さは、長所なのか短所なのか。
「続きを聴く気があるんだな?」
「うん! 当然!」
力いっぱいうなずくと、レヴィシアは飛び跳ねるようにして、急ぐほどの広さもない家の中を奥へと急いだ。
プレナはザルツに向けて、微笑んだ。ザルツはそれに気付くと、ばつが悪そうに顔を背ける。
徹底して突き放せない甘さを指摘された気がした。




