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Full of the moon  作者: 五十鈴 りく
Chapter Ⅰ

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〈36〉憎しみと親しみと

 ドリトル=フォード。


 武門であるフォード家の当主であり、国軍を統括する将軍。

 そして、ユイの父親でもある。

 

 ユイはうつむいたのか、うなずいたのかわからないような仕草をし、リッジの漆黒の瞳を見上げた。

 おもむろに開かれた口から、空気を震わせる低い声がもれた。


「レブレムさんを討ったのは、親父じゃない。あれは――」

「いいよ、もう!」


 レヴィシアはユイの袖を両手で握り締め、必死で懇願した。けれど、ユイはかぶりを振る。


「誰かのせいにはできない」


 そんな不器用さが、レヴィシアを傷付けるとしても。

 ユイの口から、レヴィシアが隠して来たことが、最悪の形でさらされることとなる。


「レブレムさんを殺したのは、俺なんだ」


 ざわ、と周囲に声が上がり、肌を刺すような空気が充満する。

 レヴィシアは、急に体が他人のものになってしまったかのような感覚だった。

 ティーベットは深く濃い憎しみの色を宿した目を、震えながらユイに向けた。ユイはそれを懐かしく思う。


「あの頃の俺は、ただ強い人間と戦いたくて、相手を探していた。レブレムさんもそうだった。恨みも何も、大義名分も志もなかったくせに、それを悪いことだとは思っていなかった。俺自身、死ぬのは自分よりも強い相手と出会った時だと思っていたから、戦う相手はみんなそうだと思っていた」


 けれど、実際は――。


「レブレムさんは協力者が連行されるのを妨害して逃げる途中、追って来た俺と正面から向き合った。回避することもできただろうに、そうしなかった。真っ向から戦って、長い時間そうしていたと思う。……それから、背後で物音がして、一瞬の隙ができた。俺は剣を振り下ろすその直前に、彼が娘を庇っていたことを知ったんだ。けれど、もう……止められなかった」


 彼は愉悦のために戦ったのではなく、守る者のために戦った。

 それに気付いた時にはもう、その子供の憎しみに燃える瞳だけが残った。


「俺のしたことは、テロリストを討った偉業なんかじゃなくて、子供から父親を奪っただけの結果だった」


 その子供は、瀕死の父親にすがり、逝かないでと懇願し続けた。

 けれど、それができないから、彼はその場にいた唯一の人間に託すしかなかった。


「お父さんは、ユイに悪意がないことをわかってた。だから、最後にあたしのことを頼んだの。逃がして、守ってほしいって……」


 レヴィシアは言葉と共に、涙をこぼした。

 ユイはそんなレヴィシアに気遣わしげな目をして、それでも続けた。


「レヴィシアを連れて逃げながら、行く先々で耳に入ったのは、レブレムさんの死を嘆き、絶望して国の未来を諦める声ばかりだった。俺が自分のしたことの愚かさを思い知るには十分だった……」



 その暗い声には悔恨しかない。けれど、レブレムを知る人間には、残党狩りから追われる対象のレヴィシアを匿い続けたという、彼なりの贖罪を認めるには抵抗があった。

 悪意がなくとも、殺された人間は戻らない。

 この先に、誰もが幸せになれる世の中が来ると信じたのなら、誰も死にたくは――。

 だから、サマルの口調は辛辣になる。


「それで、ずっと? けど……それって自己満足だな」


 そして、彼以上にレブレムに近かったティーベットは、怒気を抑え切れなかった。むき出しの感情が向かう先は、ユイだけではなかった。


「レヴィシア!」


 その声の鋭さに、レヴィシアは肩を震わせて顔を上げた。


「お前はそれでよかったのか? こいつは父親の仇だぞ? そんなやつに守られて、それで平気だったってのかっ?」


 ゆるゆるとかぶりを振り、レヴィシアは涙を拭う。


「平気なんかじゃなかったよ。一緒にいたのは、いつか仇を取りたかったから……」


 心配そうにプレナがレヴィシアの肩に手を伸ばす。レヴィシアは続けた。


「何度も刺そうとした。隙があれば成功したと思う。本気だったから」


 プレナの腕の力が強くなる。レヴィシアの震えを止めようとしたのだろう。


「……それでも成功しなかったのは、ユイが死にたくないからだって、あの頃は思ってた。けど、ほんとは、ユイがないないと、子供のあたしは独りじゃ生きられなかった。だから、そのためだったんだって、今なら思うよ。それから、あたしの手を汚させないため」



 憎しみに身を焦がした日々。

 あの泥沼から抜け出せたのは、ザルツとプレナと再会してからだった。


「それで色んなところを転々として、幼なじみのザルツとプレナに再会したの。二人には心配かけたくなかったし、二人の前では無理やりユイと普通に接するようにして……」


 二人につく嘘。

 その欺瞞に、自分も騙されたがっていた。

 活動を手助けすることを条件に、憎しみを閉じ込めた。

 ふたをした感情が時折噴き出しそうになることもあったけれど、気付けば身近な存在としてそばに在った。



 ティーベットは奥歯を砕けそうな勢いで噛み締めると、押し殺した声を放った。


「――じゃあ、もういいだろ?」

「え?」

「もう、お前にはこうして仲間がたくさんいる。頼れる仲間が他にいれば、もう必要ねぇだろ。レブレムさんだって、追い詰められた状況でなけりゃ、そんなこと頼まなかったはずだ。本意なんかじゃねぇよ」

「それは……」


 レヴィシアは言葉を返せなかった。その隙に、ティーベットの声が入り込む。


「なあ、事実が露見したんだ。仲間の振りも終わりにしてくれ。……憎いんだろ?」


 憎いのかと問われれば、否定し切れない自分の正直さに嫌気が差した。

 簡単に消える感情でもない。

 こんなにも醜い感情が、突然きれいになるはずがなかった。

 出会った頃のような、自信にあふれた傲慢な青年の面影はもうなく、落ち着いた大人に変わったけれど、別人になったわけではない。


 今の彼はとても大事な存在だと思う反面、許し切れてはいない。

 父のこともとても好きだったから、それだけ根が深い。

 関係が落ち着いて感じられても、綻びがある。

 そばにいてくれているうちは和らいでいるけれど、居場所がわからなくなると不安になる。そのまま逃げたのなら、罪の意識も誓いも半端なもので、その場限りだったのだと。そうして、憎しみが膨れ上がり、自分の中で化け物が育って行く。


 けれど、ユイは逃げなかった。

 真っ向から向き合い、どんな暴言にも殺意にも耐えた。死ねばよかったのはそっちだとわめく子供を、いつも危険から遠ざけてくれた。気付けば、罪悪感と少しの感謝を感じていた。憎しみと親しみを同時に――。

 レヴィシアはかぶりを振り、自分の心を偽らないことを決めた。


「全部なかったことにはできなくても、仲間の振りっていうのは違うよ。今はほんとに仲間なの。そう約束したから、ユイは裏切ったりしない」


 ただ、その答えが、ティーベットを苦しめてしまった。くしゃりと顔を歪める。


「娘のお前がそんなんじゃ、レブレムさんが浮かばれねぇよ」

「……ごめん」


 謝るべきなのは、誰に対してか。

 ユイがとっさに口を開く。


「レヴィシアは――」

「てめぇが口を挟むな! 俺はこれから、なんにもなかったみてぇに、てめぇと肩を並べて戦って行くなんてできねぇ!」


 ティーベットの剣幕に、レヴィシアは思考がかき乱される。それでも、ティーベットは許してくれなかった。幼い頃によく遊んでもらった、気のいい彼に向けられるには険しすぎる視線だった。


「レヴィシア、俺とこいつ、どっちかを選べ。こいつを選ぶなら、俺は抜ける」

「そ――っ」


 泣いたところで通用しないのに、涙がまた滲んでいた。

 そんなレヴィシアを見かね、ルテアが割って入る。


「そんなこと言うなよ! これじゃあ、レヴィシアが悪いみたいだろ! なあ、違うだろ? レヴィシアが一番つらかったんだ!」


 けれど、ティーベットは治まらなかった。ルテアにさえ逆に噛み付くようなことを言う。


「人事みてぇに言ってんじゃねぇよ! 思い出せ。ラナンはどうして死んだんだ? もし、裏切り者がいるってんなら、一番怪しいのはこいつだろ! お前だって、そう思ってたんじゃねぇのか! あぁ!?」



 不毛なまでのいざこざに発展して行く。

 それでも、収拾が付かないかに思われたこの状態が、グラスを叩き割る音によって一瞬で凍結した。


「うるさい!!」


 そのたった一言が、騒動を収束させる。

 誰もが唖然とした。普段怒鳴ることなどない人物ほど、それをすれば重みがある。

 ふらりと立ち上がったザルツは、頭を重そうに持ち上げると、不機嫌で蒼白な顔を騒動の中心へ向けた。


「いい加減にしろ。裏切りだ? 憶測でべらべらと……。それより、今夜はラナンさんを悼むために集まったんじゃないのか?」


 頭に血が上っていたティーベットでさえ、何も言い返せなかった。目に見えて言葉に詰まり、見る見るうちにしぼんで行く。ザルツの剣幕に、レヴィシアやプレナ、サマルでさえも驚いた。彼が怒鳴ったことなど、これまでになかったのだから。

 ザルツは顔をしかめ、額に手を添える。その体がふらりと傾くと、とっさにエディアが支えた。


「だから、飲みすぎだと言ったんです」


 もともと、正体をなくすくらいに酒を煽るような性格ではない。レヴィシアには彼の荒れようが不思議でならなかった。それだけ、ラナンの死に責任を感じ、苦しんでいるのだろう。

 静まり返った部屋の中、ルテアはさっきまでの口論を忘れたかのように穏やかな声で言った。


「ザルツが言うように、今くらいはラナンのために時間を費やしてくれよ。あいつはさ、仲間同士の揉め事が嫌いだったから……」


 ティーベットは険しい面持ちを崩さないまま、それでも微かにうなずく。


「わかった。……でも、今日だけだ」


 しんみりとした空気の中、リッジはザルツに向かって嘆息した。


「足もとがおぼつかないみたいですし、僕がお連れしますよ」


 ザルツが虚ろな瞳をリッジに向けると、すぐにサマルも駆け寄った。


「俺も行くよ」


 そうして、気になるのか、エディアも続き、四人はその場を去った。



 それを見送ると、ルテアはユイに向かい、まっすぐな目を向けた。


「ラナンは、活動に参加したい人間に制限なんてあっちゃいけないって言ったんだ。国を思うなら、誰だって同じだって。ユイが誰の息子だろうと、過去に何があろうとだ。……迷って悪かった」


 そんな一瞬の迷いを、どれだけの人間がするだろう。

 どこまでも正直で、ルテアをそうしたのはラナンだと思うと、レヴィシアは彼の大きさを改めて感じて泣きたくなった。


 そうして、優しかった彼の冥福を祈る。


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