〈34〉覚めない悪夢と共に
その翌日、用意された木製の棺にラナンは納められた。
空だけは不思議と晴れ渡り、墓地に茂る草がやけに青く映える。
そんな中で、葬儀は執り行われた。
結局、襲撃者たちの身元を割り出すこともできず、遺体は無縁墓に埋葬されることとなった。
白い布をかけられたラナンの棺の上に、次々と花が手向けられる。
花の香り、鎮魂歌、祈りの声。
それらが入り混じった空間は、眩暈がするほどに息苦しかった。
どんなに締め出しても、悲しみがこじ開けて押し入って来る。
その空気に耐え切れなくなったのか、真っ先に献花したルテアはそっと後ろに下がると駆け出した。レヴィシアの他に気付いた人間はいなかったのか、気付かない振りをしたのかはわからない。
レヴィシアだけが後を追った。
ルテアの足は相変わらず速く、彼が町を抜け出してしまうまで追い付くことができなかった。
ようやく腕を伸ばし、その服の背をつかむことができたけれど、ルテアは急には止まれなかった。レヴィシアはルテアの服をつかんだまま、勢いよく前につんのめり、ルテアを下敷きにしてしまった。二人して派手に草むらの中に倒れ込む。
「いった……」
下敷きにされたルテアの方が痛かっただろう。レヴィシアが立ち上がると、ルテアは自分を押し潰した相手をにらんだ。
けがはないようだが、やっぱり痛かったのかも知れない。ルテアの目には涙がにじんでいた。
「……ごめん」
とりあえず、レヴィシアはその場で正座して謝った。そんなレヴィシアに背を向け、ルテアは袖口で顔を擦った。
その背中に、レヴィシアはそっと語りかける。
「独りになりたかったのに、気が利かなくてごめんね。でも、放っておけなくて……」
悪夢のような現実は、覚めることもなく共に在るしかない。
どうしようもなく心配だった。
それでも、独りにしてあげるべきだったのだろうか。
後悔し始め、レヴィシアは後ろ髪を引かれる思いだったけれど、仕方なく腰を浮かせた。
「じゃあ、あたしは――」
そう、レヴィシアが言い終えるのを待たず、ルテアはその手首を捕らえた。とっさのことに驚いている間もなく、強い力で引き寄せられる。レヴィシアの首筋で、ルテアは声を押し殺してうめいた。
「なんで……っ。あいつは、あんな死に方をしなくちゃいけないようなやつじゃなかった!」
レヴィシアもそう思う。
あたたかくて優しかった彼の生涯が、あんな終わり方で相応しかったはずがない。
けれど、自分たちが手にかけた兵士たちもきっと同じだ。死んでよかったわけがない。
それでも、結果として命を奪った。
自分たちの理想は、きれいなばかりでは成立しない現実の上にある。
その事実に何度もぶつかって、初めて成就する。
この先もこんなことが続くのだろうか。
そう考えると、目の前が暗くなる。
ルテアのあたたかい涙が首を伝い、襟を濡らした。
加減を知らずに体を締め付ける腕の力が息苦しい。それでも、何も言わずに耐えた。
その背を撫で、少しでも悲しみを和らげてあげたいと願ったから。
ルテアが落ち着きを取り戻すまで、しばらくそうしていた。
お互いに顔は見えず、言葉も交わさないままに時を過ごす。
けれど、幾許かの時間が経過した頃、ルテアはかすれた声を出した。
「――母さんが」
「え?」
「親父が死んだこと、認めなかったんだ」
苦しげに、うめくような声だった。吐き出してしまいたいのか、押し戻したいのか、迷いがある。
「そうだね。信じたくない気持ちが強かったんだね」
傷付けてしまわないように、レヴィシアは慎重に言葉を選んだ。
そんなレヴィシアの気遣いを感じたのだろうか。ルテアは続ける。
「それから、ラナンを親父だと思い込むようになったんだ。親父はまだ生きてるって、自分を騙してないといられないくらいに病んでた」
最愛の人を亡くして、よく似た容姿をした人がそばにいたのなら、そうなってしまうのも無理はなかったのかも知れない。
ルテアは一気に吐き出す。
「でも、俺はそれがどうしても許せなかった。母さんは、ラナンって人間を無視して親父にしようとした。親父よりも近くで、俺たちを守ってくれてたのに。だから――」
事実を突き付けた。そして、壊した。
「言っちゃいけなかったんだ。本当のことを認められないから逃避してたのに、俺は自分の気が済まないからって責め立てて……。母さんは虚ろな目をして、翌朝にはいなくなってた。あれから、どうしてるのか……一度も会ってない」
それをずっと気に病んできたのだろう。声が弱い。
「ルテアのせいじゃないよ。ルテアはラナンに申し訳なかったんだよね」
うまく慰められもしないのに、口を開いていた。言葉が切れてしまうと、ルテアがその先を続けた。
「ラナンもそう言った。自分のためにごめんなって……。あいつはいつも、自分を犠牲にして、まるで義務みたいに守ってくれた」
そして、消え入りそうな言葉を最後にする。
「何ひとつ返せなかったけど、もう……いないんだ」
独りで立つための決別。
彼のこの決意を、ラナンはきっと誇らしく思っただろう。そんな気がした。
ルテアはレヴィシアの両肩に手を添え、そっと体を放した。うつむき加減のルテアの顔を覗き込むことはせず、ただ不安げに見守る。
そんな中、ルテアはようやく顔を上げた。涙の跡を残しながらも、その顔からは幼さが少し薄れたように感じられた。赤く泣きはらしていても、決意を秘めた眼差しだった。
「だから、今度は俺が守る番なんだ」
ああ、やっぱり男の子なんだな、と今更ながらに思う。
レヴィシアはそっと微笑みかけた。
「もう、大丈夫?」
「ん……」
ルテアは微かに口の端を持ち上げた。笑い返したつもりなのだろう。
二人は完全に手を放した。
「そろそろ戻る?」
固まった体で伸びをするレヴィシアに、ルテアは呼びかけた。
「レヴィシア」
その声がとても神妙に聞こえた。多分、ありがとうと言いたかったのだと、言葉を聞く前にわかる。
「うん」
顔を向けると、ルテアはその言葉を言わなかった。そうしてこぼれた一言は、ルテアなりに考えて選んだ言葉だったのだろう。
「いつか、お前がつらくなった時には俺を頼れよ」
けれど、その意味をレヴィシアが理解することはなかった。
笑顔を向け、勢いよくうなずく。
「もちろんだよ。いつも頼りにしてるじゃない」
ルテアは少しむっとした風だった。ぼそりと、聞き取れたことが不思議なくらいの声でつぶやく。
「……何番目に?」
「え?」
「一番は――」
言いかけて、ルテアはその先を飲み込んだ。そして、何事もなかったかのように振舞おうとする。
「まあいいや。戻るか」
今はまだ、そこまで頼られるに足る自分ではない。
だから、きっと仕方がないのだ、と。
そう、ルテアは思った。




