〈30〉彼の決断
そうして、その日はやって来た。
クオルが呼びに来て、レヴィシアはみんなと領主館の地下室へ向かう。ザルツだけは先に向こうにいるらしい。
地下室へと続く階段に差しかかり、そこを下りて行くと、聞き取れないけれど細々とした声があった。ドアを叩き、中に迎え入れられる。
そこにいた誰もが緊張を破られて固まったが、ロイズはすぐに会話を再開した。
「――そういうことだ。わかってくれるな?」
「本気で仰っているのですか?」
始まりが震えていた。それは、何事にも動じないリッジには珍しいことのように思える。
ただ事ではない空気を感じ、レヴィシアは踏み込んだタイミングの悪さを後悔した。
「こうすることが最善だと、今は思える。許してくれ……」
「許す?」
その声は、一瞬、驚くほどの鋭さを持った。苛立ちが強く見え、糾弾にも似た響きがある。
リッジがそれをロイズに向けていることに、誰もが驚きを隠せなかった。ザルツやエディアの他の『ゼピュロス』メンバーたちもただ押し黙っている。
「体調が万全でない状態で、気弱になるのは仕方のないことです。けれど、そんな決断を下してしまったら、取り返しが……っ」
けれど、ロイズは椅子の上でゆっくりとかぶりを振った。
「いや、本音を言うなら、私はずっとその器でないことを自覚していた。それを言い出せなかった、弱い私が悪いんだ。それに……」
宙を眺めるように、遠い目をして言葉を切った。彼のその面持ちは、穏やかだったように思う。
「私自身が見たいと思ってしまったんだ。その、国民が皆で作り上げる、『王様のいない国』というものを」
ようやく、ロイズが重荷を下ろせる時が来たのだと、レヴィシアは安堵した。けれど、リッジにはきっと残酷なことだった。
絶句したリッジを気遣うような視線を向けた後、ロイズは不自由な足で立ち上がった。それをティーベットが支え、エディアも寄り添う。
ロイズはまっすぐにレヴィシアを見た。それは、初めてのことだったのかも知れない。
「レヴィシア、『ゼピュロス』はメンバーの合意が取れ次第、君をリーダーとする『フルムーン』に合併しようと思う。私もこんな体だが、協力は惜しまないつもりだ。どうか、よろしく頼むよ……」
そうして、ロイズとそれを支える二人が退出した。
残された者たちはひどく気まずい空気の中で佇んでいる。その中心はリッジだった。
彼は顔を上げず、呆然と立ち尽くしていた。
ザルツはそんな様子を眺めながら、そっと嘆息した。
レヴィシアはショックを受けているリッジに声をかけられず、しばらく見守り続ける。
ずっと夢見て目指してきたものが、急に形を変えてしまった。
その形を受け入れられるまで、さまざまな葛藤があるだろう。
リッジはうな垂れたまま、含み笑いをするような声を捻り出す。
「結局、こうなんだ。僕は……」
それは、弱く小さな声だった。
けれど、顔を上げたリッジは、いつものように微笑んだ。まるで何事もなかったかのように割り切ったかに見えるけれど、本心まではわからない。傷付いていないわけがなかった。
それでも、微笑む。
「しばらくは気持ちの整理が付かないかも知れないけど、ロイズさんが決めたのなら、仕方がないんだ。僕なら、大丈夫だから」
「そっか……うん、ありがと」
ほっとして言ったレヴィシアだったけれど、ザルツは複雑な面持ちでそれを眺めていた。
※※※ ※※※ ※※※
それから数日かけて、体調の思わしくなかったロイズは、それでもメンバーのひとりひとりを説得して回った。ティーベットや、体を支えてくれる人の手を借りてのことだったけれど、それでも容易ではない。
その地道な誠意に打たれ、メンバーたちはレヴィシアたちとの合併を承諾する。
ただ、彼らにとって、民主国家という思想は突飛であり、特に年老いたフーディーなどは目を回しそうな勢いだった。何度も突っぱねられ、組織を抜けると言ったフーディーに、ロイズは頭を下げて根気強く説得し続けた。
その結果、フーディーは根負けしたと言って折れた。老い先短い人生、それも一興と思ってみる、と。
腰は曲がり、歳は重ねても、みんなの幸せを願う気持ちは、若者たちと変わらない。
そう言って笑った。




