〈45〉父子
ユイの父親、フォード将軍。
その存在は有名であるけれど、こうして見えたのは初めてのことだった。
レヴィシアは、ユイが間違いなくフォード将軍の息子であるのだと、この時改めて思い知った。
それほどまでに、よく似ているのだ。刻まれたしわはあるけれど、涼しげな目もとや、意志の強そうな眉。筋の通った鼻梁。引き締まった口元。数年後のユイの姿が想像できるほどに。
ただ、その瞳は冷たくこちらを見据えている。
ユイの兄と同様に、ずっと行方不明だった息子との再会を喜んでいる風ではない。遠い昔に、言葉ではなく心で決別した二人なのだろう。
自らの父親を誰よりも信じ、大好きだったレヴィシアには、この二人の関係は簡単に理解できるものではなかった。
それでも、このままユイが父親と戦い、傷付け合うことは避けたい。彼の兄とも、そう約束した。
ここでにらみ合っている時間はない。この先で、戴冠式が執り行われようとしているのだから。
新たな王が、誕生しようとしている。
だから、レヴィシアはまっすぐに思いを伝えた。
「将軍! どうか聴いて下さい! あたしたちが求めるのは、新たな王ではなく、民主国家という体制です! 一人の王にすべてを委ねる王制の廃止を! どうか――!!」
懸命に、のどをからして叫んだところで、子供の戯言だと一蹴される。何度もそんなことがあった。
けれど、だからといって諦めたことなどない。今だって同じだ。
「王様一人に全部押し付けちゃいけないんです! この国のことは、みんなで考えて、みんなで動かして行く! そんな未来がほしいんです!」
嘲笑も覚悟していた。けれど、将軍は嗤わなかった。
ただ、驚いたように瞠目し、レヴィシアの言葉に耳を傾けていた。
「まさか、本当に――」
「え?」
将軍は、一度息を飲む。
「あの思想を語る者が他にいるとはな」
この思想は、父の遺志。
そして、レヴィシアの原動力だ。
「あたしが引き継いだ、父の想いです」
宣言した途端に、何故だか将軍の眼光が和らいだように思う。その変化に、レヴィシアは戸惑う。
「そう、か。彼の娘が活動しているという噂は耳にしたが、真実だったか」
その名を騙り、人を集めているのではないかと疑われたこともある。将軍の疑惑はもっともだった。
将軍の口振りは、懐かしい友人に再会した時のような喜びが、微かながらに滲んでいた。そのことを感じたのか、ユイも驚いている。
そんな彼に、将軍は再び厳しい目を向けた。
「それで、ユイトル。お前はなんだ? そこで何をしている? その思想を実現させるために働きかけて来たというのか?」
「……そうだ」
ユイは押し殺した声で短く答える。
「享楽的に自分の力を誇示するばかりだったお前が、国の行く末に興味を示すとはな」
「その享楽的で傲慢な自分が、希望の芽を摘んでしまった。だから、俺がここに来たのは、その罪滅ぼしのため――」
将軍の表情が険しくなる。その鋭い視線が、痛い。
「レブレム=カーマインを討ったのは、お前か?」
「ああ。俺が――殺した」
その言葉の後に、沈黙が続いた。
ただ、その後の将軍のため息が、レヴィシアには意外なことのように思われた。父は、レヴィシアにとってはかけがえのない存在で、一部の民衆の希望だった。
けれど、将軍の立場からすればテロリストだ。それを討った息子を褒めるでもなく、むしろ呆れるような冷たさで突き放す。
「どこまでも愚かな」
ユイに反論はなかった。誰よりも、彼自身がそう思い続けて来たのだ。
「罪滅ぼしのために民主国家を実現する、と。そう言うのだな?」
ひと際低く、よく響く声が廊下をすり抜ける。レヴィシアとユミラ、ハルトも思わず体を震わせた。
緊張で強張る体に、嫌な汗が滲む。将軍の声は、戦いの始まりを告げる、そんな声だった。
「ああ」
はっきりと答えたユイに、将軍は微かに微笑んだ。その意味が、レヴィシアにはよくわからなかった。ユイならば理解できたのだろうか。
ユイは将軍から視線を外さずに次の言葉を待つ。
「ならば――」
一言が、体の奥深くに突き刺さる。ブン、と剣を振った。将軍のその仕草に、今まで戦って来た誰よりも力強さを感じてしまう。その存在に、それだけの厚みがある。
将軍は、自らを最後の障壁と位置付けたのだろうか。
「我が首を民主国家の宣言に添えてみろ。 王に仕えた旧体制の権化として、風向きを変えるだけの価値はあるだろう。――そう、易々とやるつもりはないがな。それができるならばやってみるといい」
「なっ!」
レヴィシアはぞっとして言葉もなかった。ユミラとハルトもだ。けれど、ユイだけは覚悟を決めたように剣を構える。
「ユイ!」
「……どんなことをしても、実現する。それだけの覚悟はした」
息子の覚悟を、将軍もまた動じずに受け入れる。
「まともな目をするようになった。それだけ、お前は自分の罪を悔いたのか。ただ、あの男の死は、お前自身が背負える罪ではない。命ある限り、お前の罪は、許されることなどない」
「え……」
将軍の口から、そんな言葉がこぼれるなど、レヴィシアには思いもよらないことだった。
呆然と考えをめぐらせたところで、レヴィシアには理解できない。それでも、慰めひとつない、厳しいばかりの父の言葉を、ユイは正面から受け止めるのだった。
「許しがほしいわけじゃない。それでも、償うと決めた」
「私が加減などしないことはわかっているな?」
「ああ」
「それならば、すでに話すことはない。せめてもの情けだ。救いのない生から、死をもって解放してやろう」
将軍の剣が、まっすぐに構えられた。ユイは、レヴィシアに下がるよう促す。その仕草には、有無を言わせない決意があった。
このままではいけない。
けれど、この二人をどうすれば止められるというのだろう。
肌が切り刻まれそうに緊迫した空気によって、呼吸さえも困難に感じられる。レヴィシアたちが微動だにできないまま、父と子の戦いが始まる。




