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Full of the moon  作者: 五十鈴 りく
Chapter Ⅶ

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〈41〉城下 ~二番街~

 そうして、サマルはそのまま二番街を目指した。

 二番街に配置されているのは、アイシェたちの囮部隊。それから、ティーベットの遊撃部隊。単独のシーゼもここかも知れない。けれど、往来にそれらしき姿はなかった。

 ただ、その表通りのすぐ近くに、サマルの知り合いである地元の商店の男性がいた。


「サマルじゃないか!」

「イードさん?」


 彼は衣料品等を扱う商人である。イードは、ほっとしたような表情を見せた。


「いいところで会った! 来てくれ!」

「は?」


 戸惑いながらも、サマルは腕を引かれるままに走る。嫌な予感しかないけれど、せめて手遅れにならないように、サマルは必死で走った。

 そうして、連れられた裏路地の薄汚れた石畳の上に、数人の仲間たちが転がっていた。斬り傷はない。ただ、顔を腫らし、形相が変わっている。殴り合いがあったのだろう。


「お、おい! 大丈夫か?」


 駆け寄ると、意識はかろうじてあるらしく、小さくうなずいた。何かをつぶやく。その声は小さく、サマルは聞き逃さないように耳を低く傾ける。


「ティ、ベット、さんが……」

「え? ティーベット?」


 そこで、イードは説明をしていなかったことに気付いたらしい。


「ああ、ティーベットが大げんかしてるんだ! 止めてくれ!」

「ええ!!」


 何があったのかはまるでわからない。とりあえず、サマルは転がっている仲間たちが命に関わるようなけががないと判断した後、先を急いだ。



 確かに、近付けば近付くほど、嫌な音がした。

 鈍い衝突音。怒声。うめき声。

 それを遠巻きに眺める街の人々。

 ティーベットは、何人ほど殴り倒したのだろうか。ここにも、地面に転がっている青年たちの姿があった。多分、ティーベットの仕業だろう。


 今、立っているのは、ティーベットと同じ年頃で、体格も見劣りしないような男だった。どこかで見たような気もするけれど、思い出せない。

 どちらも、やはり殴り殴られたのだろう。赤く腫れ、青い痣になった顔は悲惨なものだ。

 二人とも、荒々しく息をしながら怒鳴り合う。


「しぶといやつだ!」

「ふざけんな、お前になんぞ負けるかよ!」


 ティーベットの相手は兵士ではない。そう考えて思い出した。

 協力を頼んだレジスタンス組織の中に、ああいう風体の男がいた気がする。形相が変わっているのでわかりづらいが、多分そうだ。確か、協力は断られた。だから、行く手を阻まれたのだろう。

 争いになるのは仕方のないことだった。


「レブレムさんの理想は、ネストリュート王子のような絶対的な存在がいなかったからこそ、それを選ぶしかなかった。けど、今はそうじゃない。それなのに、お前たちはそれをわかろうとしないで躍起になってる。なあ、民衆の声を聞いてみろよ! 民主国家なんて、ゼロから始めなきゃいけない道をどう思ってるのか!!」


 彼は、ネストリュート王子にこの国を委ねたいと言うのか。けれど、あの王子にこの国を統治する意思はない。そう、ユミラが断言していた。

 あれほどの人物だ。そう願ってしまうのも仕方がないけれど、それは誰かに導いてほしい、と楽な道を選ぶだけのことではないのか。ネストリュート王子の意思であるのならまだしも、それは勝手な願望だ。


 結局のところ、勝手なのは皆同じなのだ。

 それぞれが、最善と思う道を選ぶ。

 意見が食い違う中で、自分の信じたものが最良であると言えるのは、ただ稚拙なだけなのかも知れない。

 他者を認め、同じ立ち位置からものを見て、ようやく何かがつかめるのだろうか。それも、断言などできないけれど。

 ティーベットは、その言葉に怯まなかった。彼には信念があるから。


「俺たちの選ぶ道が、すべての国民にとっての幸せなんて、そんな馬鹿なこと言わねぇよ! でもな、王にすがって生きるなら、王に殺されたって文句なんか言えねぇんだよ! もっとちゃんと、自分の足で立てよ! なあ、王に守ってもらうんじゃなくて、自分で誰かを守れよ! レブレムさんもレヴィシアも、そうやって戦ってんだ!」


 どちらかの意見が正しいなんてことはない。

 だとするのなら、どうしたらいい。

 道はひとつしか選べない。

 だとするのなら――。


 サマルは、二人の戦いに割って入ることもできずに立ち尽くしていた。

 誰もがそうだと思った。けれど、違った。

 ただ一人、その女性だけがその戦いに水を差した。水を差したというよりも、水をかけた。

 二人は冷水を浴びせられ、ぽかんとその女性を見遣る。女性は、木製のバケツを構えた格好のままで二人を怒鳴り付けた。


「いつまでも馬鹿なけんかしてるんじゃないよ! みっともない!!」


 サマルも唖然としてしまった。あの恰幅のいい女性は、青果店のアプラン夫人だ。レヴィシアのことをかわいがってくれていて、陰ながら支援してくれている。

 あたたかく、面倒見のいい夫人だ。それが、目をつり上げて怒っている。


「レヴィシアみたいな女の子ががんばってるんだ。大の男たちがこんなところで、くだらないことしてんじゃないよ!」


 その途端、相手の男はびしょ濡れのまま口ごもる。


「く、くだらなくなんかない。俺たちは、誰よりもすばらしい王を選ぶだけだ。この国のことを真剣に考えて――」


 すると、アプラン夫人はスッと目を細めた。


「すばらしい王? よその国の王子が? そのお方は確かにすばらしいのかも知れないけど、それは正しい王様じゃないよ」

「な、何?」

「シェーブル王家の血の混じらない、他国の王子が王位に? 考えてもごらん。その王子がどんなに私たちのために尽くしてくれたとしても、たったひとつの過ちで、シェーブル国民(わたしたち)はあのお方を苦しめるよ。ああ、やっぱり、他国のお方にはこの国の気持ちがわからないんだって」

「そ、そんなことは――」

「今ならしないって言えるだろうね。でも、無理だよ。必ずそうなる。そうやって、傷付けて追い詰めることになる。それがわからないのかい?」


 男は、何も言えなくなった。誰もが、言葉を失くした。

 そうして、ようやくひねり出した一言は――。


「だったら、何が正しい? このまま、ジュピト様が即位されるべきなのか? レヴィシアが民主国家を実現させる方が正しいのか? 民意はひとつじゃない。誰が正しい? 何が正解だ!?」


 その声は悲痛に響く。

 サマルはとっさに、よろけたティーベットを支えるべく駆け寄った。ただ、巨漢のティーベットを細身のサマルが一人で支えるのは困難で、ティーベットはサマルに頼らず自力で立つ。


「正解なんて、知らねぇよ。――ただ、俺は、自分のためじゃなく、相手のために、その幸せを考えられる人が出した答えを選んだ。だから、俺は今まで戦って来れたんだ」


 レヴィシアは、民主国家を実現することが自分にとっての利益になるとは思っていない。

 ただ、そうすれば皆の幸せに繋がるのだと信じている。だからこそ、仲間たちは彼女のもとに集い、力を貸すのだ。

 そこに打算はない。

 王位も、英雄視される名声も、褒美も、レヴィシアは何も求めていないから。

 求めているとするのなら、それは人々の笑顔と幸せな暮らし。それだけだ。きっと、レブレムもそうだったのだろう。


 呆然と虚ろな目をした男は、この逼迫した状況で、必死に答えを再び求めている。押し黙った彼を、今はそっとしておいてあげた方がいいのかも知れない、とサマルは思った。


「……ティーベット、アーリヒさんのところに行けよな。ぼろぼろじゃないか」


 戦いを終えたティーベットにそうつぶやくと、腫れてひどい顔をしているというのに、その顔で失笑された。


「馬鹿。戦いはまだ終わっちゃいねぇだろ。手当てなんて、最後でいいんだよ」


 そんな二人に、アプラン夫人やイード、商店通りの面々が近付く。


「レヴィシアなら大丈夫だって信じてるけど、何かしてあげられることはもうないのかねぇ?」


 アプラン夫人は、そんなことまで言ってくれる。サマルは、胸の奥がじわりとあたたかくなった。

 守るべき民間人。その考えは正しく、誤りであると言ったフーディーの言葉を思い出した。さすがに歳を重ねているだけのことはある、と。

 皆、一緒に戦ってくれている。未来を選び取ろうと一緒に走ってくれている。今、それを強く感じた。


「ありがとう。レヴィシアが聞いたら喜ぶよ。なるべく、けがをしないように避難しててくれたら、それでいいから」


 そんな返答をしたサマルを見遣った時、イードは何かに気付いたようだ。あ、と小さく声をもらした。けれど、その先を言葉にはしなかった。サマルも時間に余裕があるわけではない。それを追求することはしなかった。


「じゃあ、俺、このまま一番街の方も覗いて来るよ」


 そう、ティーベットに告げる。ティーベットはきっと、自分も行くと言いたかったのだろう。けれど、そうできないことに気付いてしまったようだ。


「……俺はまず、伸びてるやつらをアーリヒのところに連れて行かねぇとな」


 自分のけがならば我慢できるが、他の連中まで放っては置けないらしい。商店の人々が手を貸すと言ってくれたので、サマルは安心してその場を後にした。



 サマルの背を感慨深く眺めながら、イードは言った。


「さあ、支度をしよう。レヴィシアたちに思いを届けるために――」

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