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Full of the moon  作者: 五十鈴 りく
Chapter Ⅶ

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〈38〉彼女たちの戦い

 ティエンは落ち着いていた。ゆっくりとした動きでワンピースの裾から短剣を取り出す。

 細く短く薄い、華奢な作りの短剣だが、自分のスタイルに合っている武器である。

 眼前の少女、レヴィシアは、ティエンの手に短剣が握られた時、意を決して折りたたみ式のダガーの刃を表に出した。


 にらみ合うと言うには、何かが違う。

 ティエンはレヴィシアに対し、なんの恨みもない。だから、にらむ理由がなかった。レヴィシアの瞳は、悲しげに揺れた。


 その心が、ティエンには透けて見える。

 戦いたくないのだ。

 彼女は、ここを突破するために戦わなければならないと理解しつつも、自分と同じような年頃のティエンと戦うことが嫌なのだ。

 傷付けたくない。傷痕が残るようなことにならなければいい。

 敵であるはずのティエンに対し、そんな心配をしている。

 勝てるかどうかもわからない相手に対し、随分な余裕だ。傷付くのはどちらか、ティエンにはわかっている。


 ただ、ティエンも戦いたいのではない。傷付けたいとは思わない。

 心が透けて見えるからこそ、彼女のひた向きさ、優しさを感じる。何ひとつ、自分のためではない。誰かを思い遣り、心配し、励ますために始めた戦いなのだ。


 対峙する二人を眺めるしかない、彼女の仲間たちも気が気ではないようだ。

 長身に整った顔立ちをしたあの青年は、ユイトル=フォード。あの将軍の血縁なのだろう。

 彼はこの場の誰よりもレヴィシアの身を案じていた。彼女に何かあったとするなら、ネストリュートにさえ刃を向けるだろう。それほどまでに、守るという意志の塊だった。


 それから、クランクバルド家のユミラ。彼もレヴィシアを心配し、この成り行きを、祈るような思いでいる。止めなければと思いつつも、動けない。その焦りと、それから、戴冠式に対する不安。ジュピトを心配する気持ち。こちら側に立つハルトビュートのことも意識している。


 ただ、もう一人の青年は読めない。読めないからこそわかる。心の強い人。

 彼だけは、心配よりもしっかりとレヴィシアを認め、信じているように見えた。


 そうして、彼女を心配しているもう一人の人。

 それは、ハルトビュートだ。争いを好まない、その優しい心が伝わる。どちらが傷付いても嫌だと、すぐに止めてほしいと強く願っている。その心を悲しませたくない。だから、他の誰でもないハルトビュートのために、レヴィシアには傷を付けず、自分の無力さをわからせてあげるためにあしらうだけだ。

 ダガーを手にしながらも、まだ戸惑いを消せないでいる彼女に、ティエンは静かに言った。


「どうぞ、かかって来て下さい。時間の無駄です」


 実際に、こうしているゆとりはないはずだ。急がなければ、戴冠の儀式を済ませたジュピトが、バルコニーから民衆に向けて手を振っているという事態になる。

 レヴィシアも覚悟を決めたようだ。

 唇をまっすぐに結び、ダガーを構えると踏み出した。

 その動きが悪いとは思わない。機敏ではある。


 ただ、傷付けたくないという思いから、本気で斬り込めない。そのせいで動きが普段よりも鈍っているのは、自分でもわかっているようだ。そんなものが相手に通用するわけがない。まして、常人よりも感覚の鋭いティエン相手に。

 ダガーの一閃を、ティエンは正面から受けることなく短剣の刃の付け根から滑らせるように受け流した。その動きに、レヴィシアは少なからず驚いたようだ。衝突した感覚すらなかったのだろう。


 ティエンの力量が自分以上であると認めたレヴィシアは、手加減している場合ではないと気付いたようだ。何故か、安堵している。

 けがをさせる心配が減ったからだ。そんなことを考えている場合ではないと、こちらが忠告したくなる。とにかく、まっすぐだ。

 そんな彼女のことは――嫌いではなかった。


 気を取り直し、レヴィシアはダガーを繰り出す。けれど、ティエンはそれを軽くかわした。何度も何度も。そうしているうちに、レヴィシアの息が切れる。

 苦しそうに顔を歪め、それでもダガーを強く握り締めていた。諦めるつもりは、まだないようだ。

 ティエンは、少しかわいそうになった。

 苛めて楽しい相手ではない。ネストリュートは悪趣味だ。

 だから、そっと言った。


「……私は、人よりも感覚が鋭いのです。だから、あなたが何を考えているのか、すぐに読み取ることができます。どちらから打って出るつもりなのか、私には手に取るようにわかるのです。そんな私と戦って、勝機などあるはずがないでしょう?」


 レヴィシアは、その言葉をすぐには信じなかった。信じなかったというよりも、意味がわからなかったようだ。もう一度、攻撃を繰り出す。ティエンはその攻撃を受け止め、間近でその瞳を見据えた。


「焦り、責任、それから、私を傷付けたくないという思いやり。あなたからはそれを感じます。あなたはごく普通に、幸せになれるはずだった女の子。このような戦いに身を投じたこと自体が間違いです」


 自分の心を見通す相手を、化け物だと、恐れを抱くのが普通の反応だ。誰もが何より恐れることなのだ。それは仕方がない。

 レヴィシアは、恐れるというよりもきょとんとした。本当に、当たっているから不思議だ、と。

 どこまでも、のん気で、善良だ。


 刃を交え、競り合う。膂力は拮抗していた。レヴィシアは、すぐ近くにあるティエンの顔をじっと見つめ出す。ここからどうしようか、と悩んでいた。そうして――。


「ね、ティエンさんって、好きな人いるの?」

「は?」


 それはあまりに唐突で、ティエンの方が唖然としてしまった。そのセリフは、脳内で咀嚼されることなく、すぐさま発せられたのだ。読み取る間もなかった。

 好きな人。

 それは、すぐ近くに――いるけれど、そんなことは言えない。


「な、何を……っ」


 柄にもなく焦ってしまった。レヴィシアが、あまりに緊張感も何もない話を振るからだ。すると、レヴィシアはニコニコしながら続けた。


「だって、心が読めるんでしょ? じゃあ、あたしの好きな人とかもわかっちゃうわけじゃない? それって不公平でしょ。ねえ、教えてよ」

「そ、そんなの……」


 そんなことを言い出したら、大多数の人に、ハルトビュートのことが好きだと吹聴して回らなくてはならない。不公平なんて、知らない。なのに、レヴィシアは勘弁してくれなかった。


「もしかして、ネストリュート王子?」

「違います!! 絶対に違います!!」


 そんな誤解だけは受けたくない。ティエンは必死で否定した。

 それはわかってくれたようで、レヴィシアは納得した。


「ふぅん。じゃあ、誰? あたしの知らない人かなぁ? 知ってる人なんて、後はハルトくらいだけど」

「ハ、ハル……ハルト様、です! ちゃんと敬称を付けて下さい!」

「あ、ごめん。そっか、ハルト様だった。うん、ごめん。そっか、ティエンさんはハルト様のことが好きなんだね」

「そ、そんなこと言ってません!!!」


 力いっぱい叫んでしまった。ハルトビュートはおろか、ネストリュートまでが驚いたようにこちらを見て来る。あそこまで会話の内容は届いていないはずだ。叫ぶべきではなかった。不審がられた。

 だというのに、レヴィシアは嬉しそうに続ける。心から微笑ましいと感じていること伝わって来る。


「でも、今、顔にそう書いてあるよ?」

「ええ!?」


 そんなにもわかりやすい顔をしていると。

 本人が近くにいるというのに。

 どうしたらいいのかわからなくなって、ティエンは焦って両手で顔を隠すように包み込んだ。恥ずかしくて仕方がない。


 自分は、人の心に触れることが当たり前になっていて、逆に人に心のうちをさらけ出すことには慣れていない。そうなってみると、こんなにも恥ずかしいことはなかった。

 ガラン、と短剣が床に落ちる。放り投げたと言っていい。その音で我に返った。

 あまりの情けない失態に、泣きたくなった。本気で泣くことはないけれど、どこかに消えてしまいたい衝動が湧く。

 周囲の唖然とした反応。皆、思考が停止して、状況が飲み込めていないようだ。

 ただ、レヴィシアはダガーをしまうと、にっこりと微笑んで手を差し出して来た。


「戦いはここまで。もういいでしょ?」


 自分は負けたのだ。馬鹿みたいな負け方で。

 こんなことが一族に知れたら、とぞっとするけれど、眼前の勝者は勝敗などすでに忘れていた。そんなことよりも、ティエンの幸せを願っていた。


「ハルト……様はいい人だもん。上手く行くといいね」


 揺るがない信念を持つと思えば、ふわふわとした楽天的な面も見せる。こんな娘が、この国を変えるつもりなのだ。呆然としてしまうけれど、ティエンは彼女の屈託のない心が割と好きだった。

 ただ、その手を取る前に、そっと主を振り返る。ネストリュートは、声を殺して笑っていた。意外すぎる主のその反応に、少しイラッとしたけれど。

 ネストリュートは立ち直ると、静かに言った。


「いや、面白いものを見せてもらった。確かに、君の勝ちだな」


 その一言に、レヴィシアはパッと顔を輝かせた。


「じゃあ、通してもらいますね!」

「いいだろう」


 あっさりと、ネストリュートは言う。ただ、その言葉には続きがあった。


「君は通るだけの資格を得た。通るといい。ただし――」


 ネストリュートは、腰に佩いていた細身の剣を抜き放つ。その鋭い切っ先が、窓から落ちる光を集めて輝いた。その光景に、ティエンでさえも背筋が寒くなる。レヴィシアたちは厳しい面持ちでネストリュートを見据えた。


「誰か一人は私の相手をしてもらおう。そう易々と通したとあっては、私の立場もない。それなりの戦いをしておかねば、立つ瀬がないのでな」


 兄の言動に、ハルトビュートの心が不安げに揺れた。


「兄上っ!」

「ハルト、お前は好きに動くといい。介入せず、成り行きを見届けるのもいいだろう」


 ハルトビュートは口を閉ざす。兄の思いを察するからだ。


「……フォード将軍が最後の砦であるのなら、君は行くべきだな」


 そう、ネストリュートはユイトルにささやく。彼は一度、ズキリと心を痛めながらも、それをなかったことにして、その心にふたをした。

 それを知ってか知らずか、その隣にいた棍を携えた青年が、前に出る。


「じゃあ、俺が残るってことか」

「ジビエ!」


 レヴィシアが彼の身を心配して叫んだ。

 けれど、彼――ジビエは恐れも何も感じさせない笑顔を浮かべていた。


「大丈夫だ。ほら、急げよ。間に合わなくなるぞ」


 ヒュン、と棍を旋回させる。それでも不安を拭えないレヴィシアよりも、ユミラがしっかりとした決意を胸に口を開く。


「レヴィシア、ここはジビエさんを信じて先に進まなくちゃいけないよ。そうじゃないと、何もかもが手遅れになって、無駄になる。それだけは駄目だ」


 その言葉に、レヴィシアはようやく決心した。力強くうなずく。


「わかった。じゃあ、後でね!」


 再会を約束し、三人はホールを抜けた。取り残されたジビエとネストリュートが対峙する中、ハルトビュートがティエンに言う。


「ティエン、兄上を見守っていてくれ。……俺は、この改革の結末を見届けて来るから」


 そう言われてしまえば、ついて行くこともできない。


「わかりました。ハルト様、どうかお気を付けて」


 危険はないはずだと思いながらも、うなずいてレヴィシアたちの後に続いたハルトビュートを案じた。

 ネストリュートとジビエは、どこか楽しそうだった。命のやり取りにまでは発展しそうもない。

 ただ、壮絶な戦いを繰り広げ、精一杯のことをしたと言えればいいのだ。ネストリュートにとって、この戦いはその程度なのだ。それをジビエもよくわかっている。


「全力で阻止するんじゃなかったのか? 随分あっさりしてるじゃないか」


 一国の王子に対し、粗野な口を利く。ネストリュートはジビエに微笑んだ。


「そう聞かされて、そこで諦めるかどうかが見たかったのだ。結果、あの程度では怯まない志を見せてもらった」 

「……この流れは、あんたのお望み通りなんだろうな」

「さあな。――さて、それでは始めよう」


 場の空気が変わる。ティエンは壁際に寄り、たくさんのことを考えながらそこにいた。

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