〈27〉思わぬ邂逅
難攻不落のはずの監獄の襲撃。援軍の到着は、夜間のために遅れた。
日が高くなった頃にさらされた、その無残な跡と曖昧な情報に、国民たちは不安を隠せなかった。
けれど、それはロイズ=パスティークの脱獄という一報で、不思議と明るさを取り戻して行く。
一度失った希望が、蘇る。諦めかけた心に、明りが灯った。
暗闇の中、監獄を抜け出たレジスタンスたちは散り散りになった。そのまま近くに潜伏する者、ルイレイルに向けて少しでも移動する者。
助け出されたロイズや彼の仲間は、先に待機させてあった数台の馬車へ移された。夜道は息を潜め、朝になって出発する。
レヴィシアたちもその馬車と共に戻った。
ルイレイルの領主館へはすぐに向かわず、借りている家で風呂と着替えを先に済ませる。そうしてから、ユイ、ルテア、ラナンと領主館の地下へと向かった。サマルは外出し、ザルツとプレナはまだ戻っていない。
まず、アーリヒとクオルが出迎えてくれる。先に戻っていたシェインもいた。
「お帰り、レヴィシアちゃん! ボク、すごぉく心配してたんだからね」
と、クオルはいつものようにじゃれ付いて来た。
「ありがと、クオル」
けれど、その横の父親には目もくれない。
「オレの心配は?」
「え? ああ、うん、うん」
親だろうと、男にはまるで関心がない。
「……奥さん、教育間違えてない?」
「アンタに似たんだろ」
あはは、とレヴィシアは笑う。
昨日のことが嘘のように平和で、けれどあれも現実だ。
レヴィシアは気を取り直し、アジトの扉を潜った。いつもの定位置にリッジはいる。
「お疲れ様。本当にありがとう」
すぐに席を立ち、笑顔で出迎えてくれる。
「リッジもお疲れ様。ロイズさんの具合はどう?」
その問いに、医師であるアーリヒが答えた。
「衰弱しているけど、きちんと休めばすぐによくなるよ。……ただ、足の方は、今後自力で歩行するのは難しいかも知れないね」
ごまかしても仕方がないことだからか、アーリヒは正直に答えた。
拷問により、足の指の骨は粉々だと言う。
聞くだけで縮み上がってしまいそうな仕打ちだ。レヴィシアは無意識に自分の腕をさすっていた。
リッジはそんな様子を眺めながら言った。
「それで、後でロイズさんと改めて面会してくれないかな? ロイズさん、お礼が言いたいんだって」
「あ、うん」
「それと、もうひとつ。紹介しておきたい人がいるんだ」
その意外な一言に、レヴィシアは首をかしげた。
「え? 誰?」
そんな彼女の様子に、リッジは心底嬉しそうに微笑んでいた。
「呼んで来てもらうから、待ってて」
※※※ ※※※ ※※※
その少し前のこと、陽動班を素早く解体して撤退させた後、ギールの町に潜伏していたザルツたちもそこを離れようとしていた。
監獄破りの情報が流れ、脱獄犯がどこかに潜んでいると、町は恐慌状態にある。
その計画を立て、人馬の屍を築いた身として、ザルツは不安を与えたままでここを去ることに罪悪感を覚えていた。けれど、それを誰にも悟られないように振舞う。
ただ去り際に、ロイズ=パスティークが逃げたらしいと噂を撒いた。
ささやかでも、希望となればいい。そんな気持ちからだった。
皮肉なことにこの混乱は、それに乗じて逃げ出すには都合がよかった。
我先にと馬車を調達しようとする人々に紛れた。ザルツは少し多めに金を握らせ、優先権を得てルイレイルに向かった。
ルイレイルからギールへ行く時は坂道が多く、苦労したけれど、帰りは早いものだった。
一度、借りている家に戻ったが、誰もいなかった。そうなると、レヴィシアたちは領主館の方にいるのだろう。
ザルツとプレナが領主館の地下室の前に来ると、近くにいた女性メンバーが扉を開けてくれた。
そこには、数名が集まっていた。座っているレヴィシアとユイ、ルテアとラナン、壁際にマクローバ一家、正面にリッジと一人の女性の姿がある。
「ザルツ! プレナ!」
二人のそばに駆け寄ると、レヴィシアはプレナの腕を不安げにつかんだ。プレナはそんなレヴィシアを落ち着けるようにその手に手を重ねると、リッジのそばの髪の長い女性を直視した。
一見儚げなのに、まっすぐな瞳は芯の強さを物語っている。
その眼差しは、ザルツだけに注がれていた。
それでも、彼は表情を変えず、言葉も紡がない。空気は痛いくらいに張り詰めていた。
リッジはその気まずい雰囲気を壊すように、んん、と軽く咳払いをして切り出す。
「えっと、レヴィシアたちにはもう紹介したんですけど、彼女はエディア=メデューズさんといって、ロイズさんのお嬢さんです。ロイズさんはレジスタンス活動を始めてから、巻き込みたくないからと遠ざけて来られたんです。でも、ロイズさんはあの状態ですし、本当は会いたいはずだと思って、僕が呼びました」
誰も、相槌さえ打たない。ただ固まっている。
リッジはやりにくそうにしながらも続けた。
「ロイズさんの名前は偽名なので、姓が違うのはそのせいです。……ええと、エディアさん、こちらはザルツ=ナーサスさんとプレナ=キートさんです」
エディアは音もなく、流れるような動きでザルツの前に歩み寄った。レヴィシアとプレナは気が気ではなく、お互いを支え合うようにしてことの成り行きを見守る。
本格的な活動を始めたあの日、巻き込んでしまった通りすがりの女性。
血に怯え、消えた命を嘆き、正義感の強さから、憎しみさえ宿った目を最後に見せた。
彼女は今も、ザルツを恨んでいるのだろう。それは、彼がそう仕向けたことで、ザルツの思惑通りだといえる。ただ、それは彼の悲しい優しさだ。
だから、これ以上傷付いてほしくない。
勝手だと自覚しながらも、レヴィシアは願わずにいられなかった。
ザルツは口を開かず、平素と変わらない面持ちでいる。
エディアは小さく息を吐いた。
その口から、どんな言葉が飛び出すのか、レヴィシアたちは不安でいっぱいだった。けれど、ザルツには覚悟があるのか、身じろぎひとつしない。
「どうやら、こちらも初対面ではなかったようですね」
と、リッジは嘆息する。
「ええ」
エディアはあの時よりもずっと落ち着いた雰囲気を持っていた。憎しみよりもむしろ、慈しみを体現しているような、たおやかな姿だ。そうして、ゆっくりと語り出す。
「ここに来たら、あなたに会えるような気がしました。それが、ここへ来ることをためらっていた私の後押しになりました」
そう、少しぎこちない笑みを見せる。それは、とても意外なことだった。
エディアはゆっくりと、歌うような声音で語り出す。
「……父は、理由も告げずに私と母の前から去りました。母が病で倒れて亡くなるまで、どれだけ願っても父は戻って来てくれませんでした。病身の母のそばにいてくれなかったことが許せなくて、その上、レジスタンス活動なんて……」
レヴィシアたちは静かに聞き入っていた。穏やかな顔に似合わない、荒れた手に苦労がにじんでいる。
「噂のレジスタンス活動家の正体が父だなんて知らされても、正直、どうしたらよいのかわかりませんでした。私が知っているレジスタンス活動は暴力的なものでしかなくて、父もそれをしているのかと……」
彼女の言葉は、すべてザルツに向けれられているような気がした。だから、ザルツは逃れようとはせずに佇んでいる。
ただ、何かから開放されたかのような穏やかな彼女に、ザルツを責める姿勢はなかったように思う。
「あの時、私はあなたのことを冷酷な方だと思いました。平凡に暮らしていた私には受け入れられないことでしたし……。私も感情的になっていましたから、嫌悪感でいっぱいで、ずっとあなたのことが頭から離れませんでした」
それから、エディアは改めて眼鏡の奥のザルツの目を見据えた。
何かを確かめるように。探すように。
そうして、苦笑する。
「けれど、時が経つにつれ、記憶の中のあなたは、冷酷というよりも、わざとそうしていた気がして来ました。突き放すような言動をしてみせても、あなたの目は悲しげで……。今もそうです。あなたのしたことを正しいとは思いませんけど、プレナさんが言われたように、少しも平気ではなかった。あなたも悲しかったのだと、今なら思えます。ですから、あの時は言い過ぎました。ごめんなさい」
さらりとくせのない髪を揺らし、エディアは姿勢よく頭を下げた。その頭上に、抑揚のない声が降る。
「謝ることなんて何もない。君は何も間違っていない」
「でも……」
「君が今言ったように、俺のしたことは正しいわけじゃない。君が感じたことが正しいんだ」
「え?」
「理不尽な人の死を嘆き、悼み、憤る。それが人としての心だ。だから、君が謝らないでくれ。……俺は他の手段を選べなかった。非難も覚悟の上だ」
淡々と語っているけれど、その心中を思うと、プレナは涙をこらえることが困難だった。本人以上に痛い気持ちでそこにいる。
ザルツはそれでも続けた。
「戦いが必要だとしても、殺戮が当たり前なんていう世の中にはしたくない。例え改革が成せたとしても、そんな人間ばかりでは、平穏なんてあり得ない。だから、君みたいにそれが許せない人間は、多い方がいい」
彼のこうした理想を追う姿は、理解されずに非難されるばかりかも知れない。
言葉が少ないから、誤解を受ける。
この人は、それでも構わないと、自分のことを少しも大事にしない人だ。
ここまでの覚悟を持って、この人が目指すものはなんなのだろう、とこの時のエディアはそれを知りたいと思った。
そして、この人の負担を和らげるためにしてあげられることは――。
「ザルツさん」
エディアはその名を呼ぶ。その名が自分の中に浸透して行くのを感じていた。
「……あんなに毎日あなたのことを考えていたのに、思えばお名前も知らなかったなんて、なんだか不思議ですね」
そう言って、エディアはまず笑顔を向けた。




